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ハコ  作者: 小岩井豊
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 僕は電車に乗り、街の方へと赴いた。

 改札を出て、街道を闊歩する僕。街にはこれでもかというほどに箱が敷き詰められていていた。大小様々な箱があった。見渡す限りの四角、四角、四角。

 何故今まで気がつかなかったのだろう。こんなにも日本は箱に溢れている。人は箱の中で生活し、箱から箱へと移動し、箱の中で活動するのだ。

 どうして人は箱の中で生活するのだろうと考えてみると、それはやっぱり箱の中は安全だからだ。箱の中に居れば雨や風や雪にさらされず、野犬などの獣に襲われる危険もない。外部の人間との交流を断てる。事故にも巻き込まれないし、強盗や殺人鬼に遭遇する心配もない。そのために人間は日々箱の強度を高め、鍵を付け、セキュリティシステムを向上させた。

 もはや箱なしでは僕らは生きられないのだ。箱は僕らを閉じ込める代償に、か弱い僕らを庇護してくれる。


 ハコはどこにだって居た。風の吹き付けるビルの屋上、暗い路地の角、コンビニのベンチの上、薬局のマスコットの隣、自動販売機の裏、UFOキャッチャーの中。いつだってハコは、僕が発見する前から僕を四つの目で見つめ続けていた。

「そんなに閉じ込められたいのか、お前も」

 ハコはいつも箱の近くに居て、ひたすら自己の存在をアピールしていた。

 そうして街を探索していくうちに、だんだん視界が開けてきた気がした。街を見渡すと街の至るところにハコが居ることに気付いたのだ。その数は数十も数百も居て、一斉に僕へと視線を送っていた。僕は手を広げ、目を閉じた。

 ハコはどこにだって居たのだ。


 やがて日が暮れ、駅へと向かった。今更になって、ずっと雨が降っていたことを僕は思い出した。僕の服や身体はぐっしょりと水を含んで、ぽつりぽつりとプラットホームに滴っていた。腕時計を見ると、驚くことにもう終電の時間だった。僕は時間を忘れて街を歩いていたらしい。ホームにも人はほとんど居なかった。無音が一帯を包んでいる。

 僕は目を閉じ、柱に寄りかかって電車を待った。さっきまでは眠気など忘れ爛々と目を輝かせていたが、流石に眠気が復活してきたようだった。うつらうつらと頭を揺らす僕。電車が到着するまで、あと二十分はある。


 雷の轟音が轟いた。雷光が僕の目を瞼の上から刺激する。うっすら目を開けて腕時計を確認すると、時計の針は電車が到着するまであと五分というところまで来ていた。ホームの電光掲示板を見上げると、最終電車の前に急行が通過するらしいことが分かった。

 ふと、違和感というか、何か背後から空気で圧迫されるような感覚があった。事もなげに後ろを振り返る。

 黒いレインコートを着た長身の男がすぐ背後に居た。目元はフードの影に隠れて見えず、口元だけを露出させている。その口は無機質に、無表情にとり作られていて。僕にはそれが誰なのか、何となくわかっていた。

「君川」

 僕の言葉と同時に、再び雷光が辺りに閃いた。男の半開きに開かれた目がじっとりと僕を捉えているのが分かった。その目には一切の活力や生気はなく、目の下には寝不足の証があった。

 君川は僕の肩を掴む。掴むその手に、彼の怒りが歪な力となって伝わってきて、僕は顔を歪めた。そのまま君川が押し出すように歩を進め、僕は一歩一歩後ろへ下がる。

『まもなく3番線に急行電車が通過いたします』

 ホームに自動アナウンスの作業的な音声が流れる。その頃には僕はホームの端まで追い詰められていた。踵が端にかかり、僕は小さく声を上げた。

「……お願いだ」

 君川の声は、錆びた弦を爪弾いたように弱々しく乾いていた。

「彼女に会わせてくれ。たとえどんな形でも、どんな姿でも構わない。それでも俺は最期に一目彼女の顔を見たいんだ。でないと……」

 ――俺は本当にお前を殺してしまう。

 君川は痛嘆するように言った。僕はここにきてようやく理解した。自分置かれた状況。自分がこれからどうなるのかということ。

 君川の腕を掴み抵抗を試みたが、体格上、彼に力で押し切るのは難しかった。

「言え。彼女をどこに隠した。言え!」

「知らないって言ってるだろ……」

 ふいに警笛が鳴り響いた。君川ともみ合いながら、横目で電車が迫ってくるのが見えた。

「止めてくれ君川。殺さないで……」

 電車が迫る。警笛が耳を劈く。ヘッドライトの灯りが目に痛い。力の抜け始めた足元。脳内を駆け巡るのは喜と楽とほんの少しの苦しみで塗り固められた不気味な走馬燈。そして叩きつけられる死の予感。

 来る。来る。落とされる。轢かれる。死ぬ。殺される。殺される。殺される。あぁ。あぁ、あ、ああ、あ、ああ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ。

「うわ、あ、あああああああ!?」

 突然、はっと目を見開く君川。叫んでいたのは彼だった。

「誰だお前ぇ?!」

 恐怖に顔を歪め、途端に力を緩める君川。僕は彼を引き剥がし、ホーム中央に逃れる。僕の方を指さし発狂し始める君川は、その場にへたり込み、僕から逃げるようにそのまま後ずさる。

「ひっ」

 短く叫び、君川はホームから落下した。慌てて君川は立ち上がり、ホームに掴まる。まだ上半身だけホームに出した状態。

 電車はもう寸前だった。鼓膜を叩くような激しいブレーキ音。運転士の吃驚した顔が視界の端に映る。

「た、たすけ――」

 やがて目の前を通過する鉄の塊。ホームと塊の間で吹き上がる血飛沫と細切れた肉片。こちらに目を向け、かっと目を開く君川。

「ぎいいい、いい、いいいい!」

 擦れるような、千切れるような、そんな異音と君川の長い悲鳴。

 瞬きすらできなかった。目を閉じることすら許されず僕は君川の目を見ていて、また彼も畏怖の眼差しで僕を見ていた。一瞬の出来事は永遠のように流れていって、僕の目に焼き付く。

 電車は君川を通過して、10mほど先でようやく停車していた。

 君川は挟み潰されながらもホームに掴まり、恐怖を怒りにかえ、僕を睨み殺さんばかりに見据える。口元からは血と泡が滝のように流れ出していた。線路上に大きなものが落ちる音がする。君川の下半身が千切れ落ちた音だろうか。

 僕はただ震えながら息を荒げて君川を見下ろしていた。

「……俺は、ただ、彼女に会いたくて、それだけでよかったのに」

 君川はまた血を吐き出した。目から光が失われていき、君川は目を細めた。ホームに掴まっていた力が弱まり、遺言のように彼は唇を開く。

「――」

 君川は最期に信じられない言葉を口にして、ゆっくりと暗闇に落ちていった。

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