7
クラスでは相変わらず好奇と嫌悪の視線と向けられ、教師からは相変わらずぞんざいな扱いを受けた。
授業中ずっと居眠りをしていた辺田彩子は、休み時間になると起きて缶の筆箱を開け、蓋の裏面に貼られたプリクラをしげしげと眺め始めた。プリクラの一つに爪を立て、ぺりぺりと剥がしていく。一つ、また一つと剥がす。僕はそれをぼんやりと眺めていた。蓋を閉じると、缶筆箱の柄は白黒のタイル柄だった。いくつもの正方形が僕を見ている気がして、僕はどきりとする。
辺田彩子は僕の方を振り返り、にっこりと笑った。
「あげる。これを閉じ込めていいのは君だけなんだよね」
彼女は僕の机の上に、いくつかの丸められたプリクラを置いた。
「箱が好きなんだね。君の感心があるもの、いつも観察してるから分かってるよ」
彩子はそんなことを言う。クラスメイトに普通に話しかけられたこと以上に、このような意味深な発言をすることに驚いた。僕は警戒し、言葉を選ぶ。
「どうして……」
「どうして? どうしてそんなこと分かるかって? それは簡単なことだよ。私も箱が大好きだから」
辺田彩子は、僕の挙動を観察するような眼差しで見つめてくる。僕にある記憶を辿る限り、彼女が箱好きだというのは初耳だ。
「箱に物を入れるとね、あぁ、これは私の物なんだって実感できるの。自分の箱に入れておくとすごく安心できる。独占欲とか支配欲とか、そういうのが満たされるの。ちゃんと蓋をしておけばどこかに転がっていったりしないし、失くしたりしない。君なら分かるよね、この箱の魅力」
彼女は身を乗り出しそうな勢いで目を見開く。
「それとね、もう一つ。箱にはとっておきの魅力があるの。何だか分かる?」
どうして辺田彩子はこんなことを僕に語り出すのだろう。その意図を掴めないまま、僕は首を横に振った。クラスメイトたちが奇異の視線を僕らに浴びせてくるのが分かった。
「他人の箱は、開けるまで中身が分からないってこと」
辺田彩子は僕の目を覗き込み、不自然な笑みを作る。
僕は敢えて何も言わず、次の授業が始まるまでずっと彼女の目を見返した。
先生が授業に入ってくると、辺田彩子は僕にしか聞こえない声で言う。
「明日、君の家に行くね」
僕は無言の返事を返した。彼女が何を言いたいのか全く読めない。授業が始まると、辺田彩子はすぐ机に突っ伏した。また居眠りするつもりなのだろう。
僕は教科書も出さずに丸められたプリクラを見つめていた。捨てようとも思ったが、僕は気になってその一つを手に取る。
広げてみると、そこにはこちらへ笑顔を向ける二人写っていた。辺田彩子と、もう一人。それは紛れもなく僕の知る人物だった。
辺田彩子の言葉と、このプリクラの意味。それが僕には全く理解できない。僕はそっとそのプリクラをポケットに入れる。
彼女は一体何なのだろう。
放課後になると、僕はすぐに帰り支度して教室を出た。下駄箱へ向かう途中、佐綾のクラスを通りかかった。教室を出る佐綾と偶然鉢合う。佐綾は僕に気付くと、すぐに視線を逸らした。
彼女は一人で教室を出てきた。社交が得意な佐綾は、いつもは友達と一緒なのに。
そういえば、と僕は昨日のことを思い出す。佐綾は授業中にも関わらず、屋上で一人で文庫本を読んでいた。帰るときだって、僕や君川を見つけるまで佐綾は一人だったのだろう。
「あんたのせい」
と、佐綾は小さく言って下駄箱の方へ歩いていった。僕はすぐに理解した。佐綾は僕のせいで友達が居なくなったとでも言いたいのだろう。
僕は頭が痛くなって、どうしようもない気持ちになって、こめかみを抑えて息を吐いた。僕は自分の過去を知るのが、もう恐くて仕方がなかった。
僕は校舎を出た。雨が降り始めていたが、僕は折りたたみ傘を取り出す気にもならなくて、雨に打たれる感覚を一身に受けていた。
振り返ると、僕がさっきまで居た校舎があった。ふと、屋上に見える一つの影に気付いて僕は目を凝らす。そこにはハコが居た。雨だというのにハコの身体は濡れていないようで、雨がハコをすり抜けているように見える。ハコはじっと僕を見下ろす。どうしてだろうか、僕はハコが言いたいことが分かったような気がした。
多分、ハコはこの校舎のことも箱であると言いたいのだ。
辺田彩子は気付いているのだろうか。箱が好きだと言い、何かを閉じ込める感覚を楽しむという彼女が、その実、彼女自身、どころが日本人の誰しもが何かしらの箱に閉じ込められているということに。
僕は何故か叫びたい気持ちになって、頭の中で何か切れるような感じがして、そして訳も分からない雄叫びを上げた。周りの生徒が一斉に僕に視線を集めたが、それでも僕は構わず叫び続けた。
――僕らは所詮、誰かの箱の中だ。