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ハコ  作者: 小岩井豊
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 気付くと、僕は屋上に一人っきりだった。

 とっくにハコの姿はなく、そして佐綾も居なかった。僕の傍にあった文庫本もない。佐綾が持っていったのだろうか。

 僕は左耳に残る痛みに耐えながら立ち上がった。空は青みがかった夕暮れで、長い間ここにへたり込んでいたことを僕に教える。

 僕は保健室に向かった。保健室には誰もおらず、保健の先生が居ないのに部屋が開いているのは不思議だった。勝手に棚からガーゼと消毒剤を取り出し、適当に耳の穴にぶちまける。じわじわと広がる染みるような痛みに呻く。僕はテープとガーゼで耳を覆い、保健室を出た。


 廊下を歩いていくが、誰一人として生徒とすれ違わない。みんなもう帰ったのか、部活にでも行っているのだろう。長い廊下に、窓から青白い夕暮れが差す。落ち着く色調で、少なくとも僕にとって昼間の喧噪に包まれた廊下よりは幾分心が安らいた。

 下駄箱に着くと、一つの人影があった。大分暗くなってきていたので、それが誰なのかは分からない。さして気にも止めず自分の下駄箱へ向かおうとする僕だったが、どうもその影が僕を見ているらしいことを悟った。

「何?」

 僕は細々とした声で影に問いかけた。影は少しの間をもって僕の方へと近づいてくる。やがてそいつの顔が夕暮れに照らされた。僕より一回り背の高い男子生徒だった。しかも知らない顔。

「……誰?」

「君川ってんだ。お前は俺のことを知らないかもしれないけど、俺はお前のことをよーく知ってる」

 君川という男子生徒は皮肉を込めるような口調で僕を見据えた。僕は彼から放たれる不穏な空気をひしひしと感じて、一歩後ずさる。

「何か用」

「とりあえず殴らせろ」

「は?」

 宣言通り、僕は次の瞬間彼に殴られていた。尻餅をついて、僕は君川を見上げた。彼は鬼のような形相で僕を見下ろす。唾を飲み込むと血の味がした。

 今日は本当に訳の分からないことばかり次々と起こる。殴られる理由すら身に覚えがなくて、僕には彼が気が狂っているのではないかとしか思えなかった。

「お前が彼女を消した」

 そんな事を口にして君川は僕に馬乗りになり、拳を二、三度振り下ろした。僕は辛うじて顔を手や腕で覆ったが、それでも容赦なく拳は落ちてきた。

「彼女は俺の全てだった。彼女は俺の世界で、彼女は俺の生き甲斐だったんだ。なのに、お前が彼女を消したんだ」

 彼女? 消した? 意味が分からない。

 こいつは一体、何を言っているのだろう。何か反論を返したかったが、彼の攻撃から必死に抵抗するだけで精一杯な僕にそれは許されなかった。

 やがて君川は僕の首に手をかけ、強く締め上げ始める。

「言え! 彼女をどこへやった、この愚図野郎!」

 彼が興奮して叫ぶたびに手にかかる力は強まり、僕の視界はすぐに白みかけた。息が出来なくて苦しいというよりは、頭に血が巡ってこないような気持ちの悪いぞわぞわした恐怖が全身を浸食してきた。

 何故だ。僕は自分が何をしたのかも理解できないまま、こんな仕打ちを受けなければならないのだろう。記憶の削ぎ落とされた走馬燈が見えてきて、僕は目を瞑った。ふいに、玄関の方から声が上がる。

「やめて君川くん!」

 薄れる意識の中で聞こえてきたのは、意外にも佐綾の声だった。すっと君川の指の圧力が弱まって、僕は大きく肺から息を吐き出し、そして大きく空気を吸い込んだ。

 佐綾は玄関で悲しげに顔を歪めて僕らを見ていた。君川がはっと顔を上げ、前を見る。そして目を伏せ、首を横に振った。

「くそっ……」

 君川は悔しそうに悪態を吐きながら立ち上がり、靴を履いて玄関へと歩いていく。僕は血の味のする咳を出しながら彼の背中を見た。君川は佐綾の横を通り過ぎると、ぽつりと呟いた。すごく小さいはずだったその呟きは、どうしてか僕の耳に痛いくらいに届いた。

「……絶対に許さねえ。彼女の代わりに、今度はお前を殺してやる」

 本当に、何もかも分からなかった。

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