その1
「百日紅峠」
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唐津へと抜ける峠道がある。その古道は奥深い山を抜けながら行くのだが、その古道は古くから、…いや、もしかすると遥かな御代、朝鮮半島の『韓』と交易を持っていた頃からこの道はあったのかもしれないと地元の郷土史家達は言っている。
その御代の頃のこの一帯を古き大和言葉で何と言っていたかは分からぬが、ただこの山道は韓より渡って来た古い仏等の蕃神等の仏像達が眠る伽藍が点在し、また何よりも季節の移ろいゆく森の木々の美しさもある事から、現在はハイカー達にとって歴史と季節の移ろいを感じられる非常に好かれた散策道となっている。
そして特にその峠道でもここを散策したハイカー達が口を揃えて一番良いと言うのが夏から秋にかけて満開に咲く百日紅の巨木に出会うことである。
この百日紅は峠道の南にある集落Nから国道沿いから別れた入り口の坂道を上れば誰にも直ぐに見ることができる。
また山道下の国道を行くドライバーやバイカー達からも山上で満開に咲く百日紅は見ることができ、峠道で咲く百日紅は正にその名の意味の通り、――木登りの上手い猿ですら木からも滑る、まさに運転中のドライバー達にとっては余所見をさせ危険居させる魔性のごときものであった。
故に百日紅の咲く時期は交通事故が多いのは否定できないのだが、唯、それはこの本編とは何ら関係が無い。
関係が在るのはその百日紅の巨木を抜け少し奥まった地蔵祠へ毎日一日も欠かすことなく願を掛け参る跛行の老人の事である。
――その老人の名は田中日出夫。
老人の跛行する足音が百日紅の巨木の下で不意に停止したところから、この話は始まる。