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番外編 前日譚 マリッジブルー その4

エステルは部屋に籠ってひたすら落ち込んでいた。


(ああ、一体どうしたらいいの? フレデリックに会いたい。でも、でも、会った途端に、その……音が出てしまったら、百年の恋も冷めるわ。死ぬほど恥ずかしい。絶対にそんなの嫌!)


苦悩するエステルはいまだにマリオンとの面会の約束も取れない。


フィリップによると、忙しくてしばらくは時間が取れないという返事がミラボー家から届いたそうだ。


エステルはフレデリックが帰邸したことは知っている。

しかし、怖くて会いにいくことはできない。


(寂しいな……。せっかく帰ってきてくれたのに)


はぁっと深い溜息をついた時、コンコンとノックの音がした。


「エステル、僕だよ。……ただいま。まだ体調が悪い?」


懐かしいフレデリックの声にエステルは涙ぐみそうになった。

でも、彼には近づけない。ドア越しに音が漏れてしまったら大変だ。


できるだけドアから離れたところで「おかえりなさい! フレデリック! お疲れ様でした!」と、大声を出した。


「エステル、少しでいいんだ、君の顔が見たい。会いたかった。ドアを開けてくれないか? 君の体調が心配なんだ。大丈夫かい?」


フレデリックの弱々しい声を聞いて、エステルは罪悪感に苛まれる。


しかし、もしドアを開けて彼と顔を合わせた瞬間に発生してしまったらと思うと、どうしても扉を開けることができない。


「フレデリック、ごめんなさい! ドアは開けられないの。お願い、今は一人にしてもらえる?」


しばらく沈黙があった。


「エステル、僕は……しつこい、かな? 君に不快な思いをさせてしまった?」


か細い声を聞いて、思わずエステルはドアの方に駆けだそうとした。


しかし、どうしてもドアを開けられない。


人間の尊厳とか、女としての恥じらいとか、様々な想いが脳裏をぐるぐると巡る。


「フレデリック、貴方を愛してる。不快な思いなんてしているはずないわ。しつこい……なんて思ったことありません。ただ、今は一人になりたいの。ごめんなさい」

「……分かったよ。僕も愛してる。ずっと……待ってるから。いつか君の心が開くのを待つよ」


沈んだ声とその場を立ち去る音がして、エステルの胸がギュッと締めつけられた。


「フレデリック、ごめんなさい。私も愛してる! だから……もう少しだけ待っていて!」


必死で叫んだが、彼の耳に届いたかどうかは分からない。


◇◇◇


(どうして僕は愛する恋人の顔を見ることもできないのか?)


翌朝、朝食の席でフレデリックははぁぁぁぁっと溜息をついた。当然ながら朝食も別々でという伝言を受け取っている。


フィリップもどうしたら良いのか分からない風情で脇に控えている。


「フィリップ、もしかしたらエステルは僕に見せられないような傷を顔に負ったりしていないか?」

「いいえ、いつも通り美しいお姿のままです」

「そうか……」


ズーンと落ち込むフレデリックに、フィリップはどう慰めたらいいのだろうと思案した。


「あの、夕べご報告したように、ミラボー公爵家での茶会に参加されて以来、ご様子がおかしいのです。それにマリオン嬢との二人きりの面会をご希望されるなんて……。マリオン嬢からは断りの返事が届きましたが……」


フレデリックの顔色が変わる。


昨夜は疲労困憊している主人を気遣って、マリオンの返事までは報告していなかった。


「――エステル王女殿下の面会希望を断る……だと? ミラボー家、僕を敵に回すつもりか」


表情を失くした顔でフレデリックはユラリと立ち上がった。


フィリップは昔のフレデリックを思い出して落ち着かない気持ちになる。


「だ、旦那様。どうなさいました?」

「出かける。ミラボー公爵家に行ってくる。もし、エステルに危害を加えた人間がいたら……そいつは後悔することになるだろう」


フレデリックの口の端がゆっくりと上がっていく。冷えた視線の先にいるのが自分でなくて良かったとフィリップは心から思った。


◇◇◇


事前に連絡もなくミラボー公爵家に現れたフレデリックだったが、ミラボー公爵夫妻とマリオンは、大歓迎だった。


「まぁ、フレデリック様がいらして下さるなんて珍しいこと。朝食はもう召し上がりました? 我が家のシェフが腕を振るって……」


甲高い声で捲し立てるミラボー公爵夫人にウンザリしながら、フレデリックは簡潔に用件を述べる。


「――先日、僕の大切な婚約者がここに来たはずだ。知っているな? エステル王女殿下だ」


フレデリックの剣幕に、マリオンの顔から血の気が引いた。自分の悪事が露見したのかと不安になる。


「……その日からエステルが心を痛めている。ここで何があった? おまけにマリオン嬢はエステルの面会希望も断ったそうじゃないか! 不敬罪で王宮に訴えるぞ!」


公爵夫妻は目を丸くして呆然としている。


「そ、そんな理不尽な……。エステル殿下は我が家で問題があったと仰っているのですか?」

「いや……そうではないが……」


口ごもるフレデリックに、具体的な内容までは把握していないようだとマリオンは安堵した。


それにバレたとしてもエステルに危害を加えた訳ではない。単なる冗談として言い訳はきく。


「王女殿下をお迎えするとなると準備や時間もかかります。断ったのではなく猶予をお願いしたのです。それにお茶会ではエステル殿下も楽しそうにされていました。その場にいた侍女に尋ねて下さい。証拠もなく責めたてるなんて酷いですわ!」


悔しいがエステルが何故顔を見せようとしないのか理由は分からない。ミラボー家に来たのも、その手がかりが得られないかと思ったからだ。


お茶会で給仕をしたという侍女に話を聞いたが、終始和やかな雰囲気でエステルが気を悪くするような場面はなかったという。侍女は嘘をついているようには見えなかった。


「――お騒がせして申し訳ありませんでした」


勝手な憶測で責めてしまったことを反省して頭を下げた。こんなにしおらしいフレデリックは初めてだとマリオンの気持ちは盛り上がった。


「うふふ、いいんですのよ。それよりもエステル殿下のご様子が心配ですわ。何かあったのでしょうか? もしかしたら結婚に不安を抱いていらっしゃるのでは?」

「結婚に不安? ……マリッジブルーということか?」


フレデリックが鋭く反応した。彼の関心を引けたのも初めてで、マリオンはますます興奮する。


「ええ、女にはよくあることですわ。もし良かったらご相談にのりましてよ。役に立つ助言を差し上げられるかもしれませんわ」


マリオンは赤く濡れた唇の口角を上げた。その笑みにフレデリックの背筋がゾワッとする。


「そうだな。フレデリック。マリオンに相談に乗ってもらえ。女心というのは難しい。マリオンは良い相談相手になる。ま、まずは座って。二人でお茶でも飲みながら話を……」

「いいえ、結構です」


嬉しそうなミラボー公爵の言葉をフレデリックは遮った。マリオンの顔つきを見ると過去に誘惑してきた女たちを思い出す。こういう女に近づくと碌なことがなかった。


「僕はもう帰りますから」


扉に向かって歩き出した時、侍女の一人と目が合った。

彼女が一瞬何か言いたそうに見えたので、フレデリックは踵を返した。


「君、お茶会の時でなくて、その前か後でエステル殿下の様子がおかしいことはなかったかい?」


質問を聞いて、マリオンの肩がビクッと揺れた。


(当たりだな)


侍女によるとマリオンとエステルはお茶会の後、二人だけでどこかに消えたという。その後エステルを見送る時に、彼女が酷く動揺しているように見えたと証言した。


マリオンの顔色が真っ青になった。


ミラボー公爵夫妻は苛立ちを露わにして侍女を睨みつけている。この侍女が解雇されたらラファイエット公爵邸で雇うことにしようとフレデリックは心の中で決めた。


「マリオン! どういうことだ? 何をしたんだ?」


ミラボー公爵がマリオンを問い詰めると、彼女は両手で顔を覆って泣き出し、自分の仕掛けた悪戯を告白した。


ミラボー公爵夫妻は、呆れたように「何故そんな愚かな真似を……」と絶句する。


フレデリックは感情を失ったように無表情だった。氷のように冷たい顔つきに、ミラボー公爵夫妻は恐怖を覚えて、マリオンに謝罪するよう責めたてる。


「申し訳ありません。でも、あくまで罪のない悪戯だったんです。危害を加えた訳じゃありません!」


マリオンの誠意のない謝罪にフレデリックの怒りは頂点に達している。


『罪のない』なんてよく言えたものだ。悪戯とはいえ、エステルを傷つけて困らせた。昏い感情が体の奥底からこみ上げてくる。


(彼女だって、夕べ僕が帰邸した時に出迎えたかったはずなんだ!)


それを邪魔したマリオンは万死に値する。


「ミラボー公爵、娘を甘やかし過ぎましたね。最低でも一年は戒律の厳しい修道院に入れて、その根性を鍛え直してもらってください」

「な、なんですって⁉ そんなことできる訳ないでしょう⁉」


公爵夫人が頬を引きつらせて反論するが、フレデリックは虫を見るような目で彼女を見返した。


「女王陛下に報告します。エステル王女殿下に対する悪質な悪戯は不敬罪にあたる。間違いなく禁固刑が適用されるでしょうね」

「うっ」


刑法に詳しいミラボー公爵は唇を噛んだ。フレデリックの言うことが正しいと分かっているからだ。そうなればミラボー公爵家の名前に傷がつく。禁固刑を受けた娘に良い縁談は来ないだろう。


「……分かった。修道院だな。一年ほど反省させるから勘弁してくれ」


公爵は渋々と同意したが、フレデリックは容赦しない。


「はい。その旨、女王陛下に口添えさせて頂きます。また修道院は陛下自身がお選びになりますので」

「え⁉」


女王が選ぶ修道院は、間違いなく国一番の戒律の厳しいところだろう。


夫人とマリオンが何か喚いているが、走るように屋敷を離れたフレデリックの耳には入らない。

*次回が最後になります(#^^#) 今日の午後には更新できると思います!

*読んでくださった皆さま、ありがとうございます(#^^#)

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