番外編 ホワイトデー その1
フレデリックは悩んでいた。
愛する妻エステルを喜ばせるために何を贈ったらいいのか、ずっと考え続けている。
誕生日、結婚記念日、クリスマス、お正月、バレンタインデー、ホワイトデー……
多くの行事が存在し、その度に彼は妻に贈り物をしたいと考えている。彼女の喜ぶ顔が見たいという、ただそれだけの想いである。
エステルには物欲が少ない。というか無いに等しい。
「何か欲しいものはある?」
さりげなく何度も尋ねてみた。しかし、鈍感な彼女に自分の意図は伝わらなかったようだ。
「いいえ、私はココとミアと貴方と一緒に過ごせるだけで最高に幸せなの」
心からそう思っているエステルの真っ直ぐな瞳にフレデリックは「そ、そうか……」としか言えなくなってしまう。
彼女が前世で経験したというお正月には、可愛らしい小さな封筒に幾らかのお金を包んでラファイエット邸の全員に配ってくれた。
多額ではない。だが、彼女がコツコツと貯めてきた貴重な蓄えから出してくれたものだ。
公爵家からも王家からも彼女が自由に使っていい予算が計上されている。しかし、記録によると、これまで彼女が使用したのはココとミアの経費や、使用人たちへの俸給の上乗せなどしかない。
お年玉という経費は記されていない。あれは彼女個人の貯金から費やされたものだ。
(僕たちのために……)
そう考えただけで彼女のいじらしさに胸を打たれる。
だから二月十四日のバレンタインデーという行事では、絶対に彼女を喜ばせる品を贈りたかった。
彼女が自分のためにチョコレートを用意してくれることは分かっている。
一方的にもらいっぱなしは心苦しいし、自分がどれだけ彼女を愛しているかを具体的に示したい。
なにか良い贈り物はないか、フレデリックはドレスや装飾品の店を見て回った。
しかし、既にドレスやアクセサリーは何度も贈っている。これまで贈ったことがない特別な何かを彼女に贈りたかった。
最終的にフレデリックは魔道具店に辿り着いた。彼女が欲しい魔道具があるかもしれない。特に料理好きなエステルには最新の調理魔道具が喜ばれるのではないかと思ったからだ。
公爵夫人自らが厨房で調理をすることは非常に珍しい。さすが自慢の奥方だと胸を張りたくなる。
そんなエステルに贈る魔道具は……?と調理道具の棚を眺めても、新しい商品は何もなかった。
既に自邸の厨房に揃っている品ばかり。何なら厨房にある魔道具の方が種類も多い。
フレデリックが商品棚を見つめて溜息をついていると店主が手をもみながら現れた。
「ラファイエット公爵閣下が自らご来店くださるなんて大変光栄でございます。どのような商品を御所望でしょうか?」
「あ、いや、誰も見たことがないような新しい商品がないかと思ったんだが……。そんな品が都合よくあるはずないな」
彼が苦笑いを浮かべると、店主は困ったように首を傾げた。
「誰も見たことがないような新しい商品、でございますか?それでしたら、閣下が新しく考案してくだされば、商品の実用化をさせて頂くことも可能でございます」
「新しく、考案……?」
思いがけない言葉にフレデリックは考えこんだ。エステルが前世で暮らしていた日本という国では便利な商品が数多く溢れていたという。その多くはこの世界では存在していない。
洗濯機……乾燥機……食洗器……
確かそんな言葉を覚えている。しかし、どれも贈り物というには大きすぎる気がする。
なにか、こう、手に持って贈ることができるサイズのものはなかっただろうか?
エステルが前世の暮らしについて話してくれた時、なんと言っていた?
……私が子供の時はほうきで掃除をしていたの。ここの世界と同じね。でも、掃除機が登場して、さらにお掃除ロボットまで誕生したのよ。すごいわよね。ボタンをピッと押すだけで自動的にお掃除してくれるの。前世の夫が私の還暦のお祝いにプレゼントしてくれたのよ。掃除機を使うと腰痛が酷くなってね、だからとても有難かったわ。老後はずっと愛用していたのよ……
フレデリックは『これだ!』と閃いた。
幸い、そのお掃除ロボットの形状や機能もエステルは説明してくれた。そのアイデアを商品化してもらえるかもしれない。
彼女の話を聞いた時には前世の夫に嫉妬を感じ、腰痛のエステルに掃除をさせるなんて酷い夫だと腹が立ったものだ。自分は決して彼女に苦労はさせない。お掃除ロボットを彼女に贈るんだ!
「ああ、是非作ってもらいたい商品があるんだ」
フレデリックは満面の笑みを浮かべた。
***
その店と契約している魔道具師はサリーという若い女性だった。
彼女の工房に案内されたフレデリックは、乱雑に積み上げられた本や棚から溢れそうな工具に埋もれるように中央の作業台で何かに集中している小柄な女性を紹介された。
彼女は小柄なだけでなく細身でもあった。こげ茶色の髪を三つ編みにして両肩から垂らしている。前髪が長くどんな表情をしているのかもよく分からない。ただ、ノラ猫のような強い警戒心が感じられた。
「えー、閣下、こちらが魔道具師のサリー嬢。ちょっとエキセントリックですが腕は確かです。サリー、こちらはラファイエット公爵閣下だ。新しい魔道具の開発を依頼したいそうだ。どうか失礼のないように頼むよ。それでは私は仕事が残っておりますので」
店主は笑顔で去っていった。サリーは俯いたまま特に言葉を発することはない。フレデリックは戸惑って「あの……」と声をかけた。
「あああああ、すすすすみません。お偉い身分の方が従者ではなく直接来られることなんて今までなかったので……その、ご無礼があったらやはり投獄されますか?いや、いきなりお手打ちの可能性も?作りたい魔道具が沢山あるのに、まだ死にたくありません~!」
突然火がついたようにまくしたてるサリーに面食らったが、フレデリックはクスッとサリーに笑いかけた。自分も社交性がある方ではない。エステルの言葉を借りると『コミュ障』というものだ。きっとこの魔道具師も自分と同じなのだろう。
「いや、僕は君にお願いをする立場だ。罰を与えるなんてことはあり得ないから心配しないでほしい」
サリーは初めて顔を上げて、穏やかな表情を浮かべるフレデリックと目を合わせた。
「えええええっと、魔道具のご依頼ですね?一体どんな魔道具を……」
彼女の緊張した体がほっと緩んだのを感じて、フレデリックも密かに安堵の息を吐いた。
「自動式掃除機をお願いしたい。平べったく丸い形状、そうだな。円盤のようなものがクルクルと部屋を回りゴミやホコリを吸い取っていくんだ。布をつけたらモップのように機能してくれると有難いな」
サリーの顔が真っ赤に染まり、自分の頬を挟むように両方の手のひらを押しつけた。
「うぉぉぉぉ!なんて斬新なアイデア!しかも円盤のような形状!?面白い!面白いです!あなたは天才ですか!?もしや神ですか!?」
何故かいきなり興奮しだしたサリーは作業台に真っ白な紙を敷いて、早速デザイン画を描き始めた。
その後、彼女は見事に自動式お掃除ロボットの魔道具を開発し、フレデリックは無事に愛妻にバレンタインデーの贈り物をすることができたのである。




