番外編 初めての年末年始 その2
十二月三十一日、深夜。
ふぅーっ、ふぅーっ、と吹きながら、フレデリックは熱々の蕎麦をすすっていた。
エステルは幸せそうにそれを見守ると、箸を取り自分も食べ始めた。
(美味しい!外国にバックウィートという穀物があると聞いて取り寄せて良かった。それなりにちゃんとした年越し蕎麦が作れたわ。ココとミアにも食べて欲しかったけど・・・)
ココとミアも今夜は眠らずに年越しをすると頑張って起きていたが、早寝早起きの習慣がついているので十時には我慢できずに寝落ちしてしまった。
蕎麦を食べながらフレデリックは領地での話をエステルに聞かせてくれる。
領地管理人のアンリと共に被災地を回り、必要な物資を届けてきたという。住む家を失った人たちには、安全な場所に一時的な仮設テントを設置したそうだ。
ある程度事態が収束したら再度領地に行って、恒久的な支援策を提供する予定らしい。
「その時にはエステルにも一緒に来てもらえないか?アンリや領地のみんなも君に会いたがっているんだ。支援について君の意見も聞きたいし」
フレデリックの言葉に、エステルは喜びで胸が高鳴った。
「もちろんよ。私も行ってみたかったの。今年は忙しくて時間が取れなかったけど、来年は是非伺いたいわ。私にできることなら何でもお手伝いします!」
自分でも役に立てることがあるなら嬉しいとエステルは瞳を輝かせる。そんな愛妻を可愛くて仕方がないというようにフレデリックは見つめていた。
「あ、もうすぐ十二時だよ」
食べ終わった椀の前に箸を揃えて置くと、フレデリックは立ち上がってエステルを後ろから抱きしめた。背中に感じる温かさが心地いい。
「君と一緒に新しい年を迎えられるなんて・・・幸せ過ぎて怖いよ。大好きだよ、エステル」
「私もよ」
エステルは自分を包むフレデリックの腕にそっと手を置いた。
「「・・・3、2、1!」」
秒針が午前十二時を過ぎた。
「新しい年だ!」
「新年、あけましておめでとう。フレデリック、今年も宜しくお願いします」
「こ、こちらこそ!あ、あけましておめでとう?・・・これでいい?今年もよろしく頼みます!」
改めて言うとなんだか気恥ずかしい。二人で顔を見合わせてふふっと笑った。
***
翌朝、エステルはフレデリックと双子を連れて、屋敷の正門に向かった。
門の両脇には大きな門松が二つ置いてある。数日前に設置しておいたのだが、新年までは覆いで隠されていたので、これが初めての披露である。
「すごい!とてもきれいよ、ママ!」
「りっぱねぇ、わたしたちにかくして何をしているのかな?ってずっと思っていたの」
フレデリックも感心したように色々な角度から門松を観察している。エステルは恥ずかしくなって俯いた。
「庭師のテッドが大きな竹を見つけてきてくれたの。それを切って・・・松とか色々飾り付けをして・・・本物みたいには出来なかったけど」
「いや、素晴らしいよ。こうして新しい年を寿ぐ風習が君の前世の世界にはあったんだね?とても素敵だと思うよ」
その後、正門で警護をしていた騎士達を労い、お年玉を渡す。お年玉の由来を説明すると戸惑いながらも笑顔を見せてくれた。
「ねぇねぇ、わたしたちもおとしだまはもらえるの?」
ココが興奮して尋ねた。寒いせいで頬と鼻の頭が赤らんでいるのが可愛い。
「もちろんよ!全員分用意したからね!」
エステルは密かに綺麗な紙を使って小さなポチ袋を手作りしていたのだ。
双子だけでなく、騎士や使用人全員分のお年玉を準備していた。若い頃から貯めていた貯金から出したので沢山はあげられないけれど、少しでも普段の感謝の気持ちを伝えたかった。
双子も使用人もみんな嬉しそうに受け取ってくれた。
最後にフレデリックに渡そうとすると彼が少したじろいだ。
「いや、僕は君に何も用意してないのにもらえないよ」
遠慮するフレデリックの手にエステルはポチ袋を押し付けた。
「これは大切な家族全員に渡すものなの。新しい一年を無事に過ごせるようにって祈りが込められているの。私の自己満足だからどうか受け取って!」
エステルの真剣な眼差しにフレデリックも「参ったな」と白い歯を見せた。
「じゃあ、今度・・・確か二月十四日はバレンタインデーというロマンチックな日なんだろう?その時には僕から君に贈り物をさせて欲しい」
「え・・・?でも、前世の日本では女性が男性にチョコレートを渡して愛を告白する日なんだけど・・・」
「うん。だから、君からのチョコレートはもらいたいな。でも、僕からも贈り物をさせて欲しい。それでどうだい?」
「分かったわ。それなら・・・」
何となく説得されて頷いたエステルだった。
フレデリックだけでなく、双子や使用人たちも手作りのポチ袋を嬉しそうに矯めつ眇めつ眺めている。それに気がついて、エステルの胸は弾んだ。
(やっぱりお正月はワクワクするものね)
その後もエステルの渾身のおせち料理、鶏肉と青菜などを入れた醤油風味のお雑煮で、フレデリックたちは舌鼓を打つ。もちろん、使用人たちも御相伴にあずかった。
ココとミアは福笑いというエステル手作りの遊びで大笑い。羽根つきも楽しかった。
***
その日の夜、ベッドに横になりながらフレデリックは優しくエステルの髪を指で梳く。
「今日はとても楽しかったよ。こんな新年は初めてだ。君が頑張ってくれたおかげだよ。ありがとう、エステル」
「ううん、私も楽しかった。前世を思い出して・・・。日本人だった過去を受け入れてもらえたみたいで嬉しいわ」
「君が暮らしていた世界には面白い風習があったんだね。とても興味深いよ」
「ふふふ、実はもう一つあるのよ」
そう言ってエステルは折りたたんだ白い紙を差し出した。
紙には不思議な文字が書かれていた。
なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな
文字の下に大きな船の絵が描いてあり、船には不思議な服装をした男女が七人乗っている。
「これはなんだい?」
フレデリックが面白そうに紙を観察しているので、エステルは少し恥ずかしくなった。
「私が描いた絵だからへたくそなんだけど・・・。これはね七福神の宝船の絵なの。この紙をお正月の夜に枕の下に入れて眠ると良い初夢を見ることができると言われていたのよ」
「へえ」とフレデリックが感心したように微笑んだ。
「エステル、この文字はなんだい?君の前世の言葉なのかい?」
「そ、そうなの。和歌、つまりポエムなんだけど回文と言ってね。どちらから読んでも同じ詩になるのよ」
「面白いね。読んでみてくれる?」
フレデリックの顔が近いのでエステルの心臓は落ち着かない。いまだに緊張すると思いながら、エステルはゆっくりと和歌を詠みあげた。
「長き夜の 遠の睡りの みな目醒め 波乗り船の 音の良きかな」
「どういう意味?」
「うーん、解釈は色々あるみたいだから、あくまで私なりの解釈ね。冬は夜が長いでしょ?長い夜に深く眠っていても、船の漕ぐ音が心地よくて、つい目が覚めてしまう、って感じかな?」
「ふーん、そうか。なるほどね」
フレデリックが楽しそうにエステルの髪をつまんで口づけた。
「あ、あのね。この船っていうのは宝船で幸運を運んできてくれる船だと思うの」
「うん」
「それでね、フレデリック、貴方は私にとってこの宝船のような存在なのよ。貴方が幸せを運んできてくれたのよ」
「そんなことないよ」
フレデリックは照れくさそうに笑う。そんな顔も魅力的だ。エステルの胸のときめきは止まらない。
「ううん!もちろん、私はココとミアや居酒屋のみんなのおかげで幸せだった。でも、そうしたら私は一生恋を知らなかったかもしれないわ。誰かを好きになって、その人に好きになってもらえるって奇跡のように幸運なことなのよ」
フレデリックの瞳が潤んでいるのを見てエステルは少し驚いたが、自分の目の奥もツンとして泣きそうな気持ちになった。幸せなのに切ないのはどうしてなんだろう?
「それは僕の台詞だよ。初恋の君と再会して、恋に落ちて、結婚して・・・。まさに奇跡だ。僕と一緒にいてくれてありがとう。君を失うのが何よりも怖い。いい夫でいられるよう努力するから・・・どうか長生きして欲しい」
真剣な顔で訴えるフレデリックに思わずエステルは噴き出してしまった。
「大丈夫よ。まだ何十年も先の話よ?」
「真面目に言ってるんだよ。君には長生きして欲しい。君のいない世界で僕は生きていけないからね」
ちょっと拗ねたような横顔もかわいい。エステルはフレデリックの首に手を回して抱きしめた。
「うん。頑張って長生きするわ。だから、フレデリックも長生きしてね。私も貴方がいない世界では生きていけないから」
「お正月に長寿を願うのは実に相応しいことだね」
確かにおせち料理も長寿を願う品が並んでいた。エステルはクスッと笑った。
「そうね。じゃあ、お互いの長寿を願って・・・」
甘えるようにエステルが寄り添うと、蕩けるような眼差しのフレデリックが力強く抱きしめた。
(どうか大切な人がみんな幸せでありますように。今年も良い年になりますように)
*今年最後の投稿です(*^-^*)。皆さま、今年も本当にありがとうございました。どうか良いお年をお過ごしください!




