番外編 グルメ記者の物語 その4
「はじめまして。君と会えるのを楽しみにしていたんだ」
ラファイエット公爵の氷のような美貌にはどんな感情が宿っているのか全く読めない。もしかしたら微笑んでいるのかもしれないというくらいの表情に、俺は全身を強張らせて深くお辞儀をした。
黙って頭を下げ続ける俺を見て、氷の公爵の隣にいる妖艶な美女がとりなすように彼の腕に手を添えた。
「フレデリック、あまり緊張させちゃ可哀想よ。どうか顔を上げて下さい。畏まらなくて大丈夫よ」
「エステル、僕以外の男に同情しないで欲しい」
「フレデリック。同情じゃないわ。優しい貴方のことを誤解して欲しくないだけなの」
「エステル……」
昔と変わらずゴージャスなエステル夫人の方を見る時だけ、ラファイエット公爵の顔が緩み、瞳に熱を帯びる。
(この男も相変わらずだな……溺愛ぶりは健在か)
「公爵閣下、令夫人。私のような軽輩の身がご尊顔を拝する機会を賜りまして、恐悦至極に存じます」
頭を下げたまま挨拶をするとフレデリックがフッと微笑んだ。
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。君のことをずっと探していたんだ。僕が……というより、君の家族は君のことをとても心配しているんだよ」
それを聞いて俺の背中に冷や汗が流れる。俺の家族が今どうしているのかを聞くのも怖かった。
「まぁ、座ってゆっくりお茶でも飲みながら話し合おう」
フレデリックの言葉が合図になったように、侍女がテキパキとお茶の準備を始めた。
どうしていいか分からないまま座り心地抜群の椅子に腰かけているとエステルがこちらを見てにこやかに微笑んだ。華やかな笑顔に胸がドキンと高鳴る。
(くそぅ、相変わらずいい女だ!)
「レナードさん。今のお名前で呼ばせて頂きますね。私たちは貴方に感謝しています。お父さまの命令に従うのは大変なことだったでしょう。容赦のない人でしたから。父の計画の邪魔をしてくれたおかげで無事にルイーズ様を助けることができました」
「あ、いえ、そんな……」
赤くなって口ごもる俺を見て、フレデリックがエステルの肩を引き寄せながら解説を始めた。
「前のリオンヌ公爵が失脚した後、君の家族がリオンヌ公爵家を訪ねて来たんだ。息子から大金が送られてきたが行方が知れなくなった。もしかしたら主家からお金を盗んだんじゃないかと心配になって、お金を返しにきたそうだ」
(ああ、俺の家族は善良過ぎる……)
俺は内心で歯嚙みした。
事件の後、後を継いだダニエルとフレデリックがリオンヌ公爵家の密偵の中でトップだった俺が姿を消したことを知り、調査を進めるうちにリオンヌ公爵の陰謀が失敗するように動いていたのが俺だったと判明した。
フレデリックは「話が余りに都合良く進み過ぎると思っていた」と苦笑いだし、知らぬうちに俺の隣に座っていたダフニーは「特に家紋入りのペンはわざとらしかったですわ。私のことをバカ扱いして」と少々お冠だ。
俺は観念してひたすら頭を下げて謝罪したが、彼らは謝罪を求めている訳ではないらしい。
「ご家族は君が密偵をしていたことを知らなかったようだ。詳しくは話せないがラファイエット公爵家のために有能な働きをしてくれた、と説明しておいた。実際、君のおかげで僕たちは助かったからね」
(本当に罪には問われないのか……?)
まだ疑心暗鬼だったが、フレデリックに「到着したようだ」と言われて振り返ると、懐かしい家族が部屋に入ってきて、思わず目に涙が滲んでしまった。
八年ぶりに会った家族は元気そうで小綺麗な恰好をしている。俺の記憶の中では痩せこけていた母が溌剌と健康そうになっていたのを始め、弟妹たちも全員元気そうだった。一番下の妹も病人とは思えないくらい生き生きとしている。
俺は八年前に国を出る時に、家族には一生会えないことを覚悟した。遠くから幸せを願うだけで、もう関わることはできないだろうと……。金さえあれば家族は幸せになれると思っていたから、その後の追跡調査もしなかった。というかできなかった。ブルトン王国の首都にいながら一人でヴァリエール王国の家族の行方を調べるのは至難の業だし、人を雇う余裕もなかった。
「ダニエル様のご厚意でね。私たちは全員リオンヌ公爵家で住み込みの使用人をさせて頂いているんだよ」
涙ぐみながら母がこれまでのことを語ってくれた。新公爵になったダニエルは陰謀に加担した多くの使用人を解雇し、新しく信用できる人間を雇い入れたそうだ。わざわざお金を返しにきた俺の家族を正直な人間と見込んで住み込みで働かせてくれるようになったらしい。妹の病気についてもリオンヌ公爵家の侍医に診てもらい、治療してもらったおかげで症状はほとんど寛解していると聞いて俺は心から安堵した。
「あんたが無事で本当に良かった。ずっと心配していたんだよ」
母だけじゃなくて、すっかり大人になった弟妹たちも号泣している。
俺も目の奥と胸が熱くて仕方がなかった。俺は一人で生きてきたつもりだったが、そうじゃなかった。心配してくれる家族がいたんだな。すっかり忘れてしまうなんて我ながら薄情だ。
ダニエルは父親や兄と違い誠実な人柄だった。ラファイエット公爵家やリオンヌ公爵家への感謝の気持ちも湧いてきて、貴族も捨てたもんじゃないとしみじみ思う。
そしてダフニーは俺の家族の相談相手になってくれていたそうだ。姿を消す前の俺の様子を知りたがった母と仲良くなり、弟妹からも慕われているダフニーの笑顔はとても眩しかった。
***
ラファイエット公爵夫妻が俺と家族だけで過ごせるように気を使ってくれたおかげで、俺たちは積もる話をして八年間の隔たりを埋めることが出来た。
俺は今の仕事が好きなのでブルトン王国に戻るが、今後は手紙のやり取りをする約束をして家族と別れた。
エステル夫人と双子が開発したというカレーソースなるものも取材させてもらい、俺は豪華な馬車に揺られて再びイエナの町に戻った。
マットとサリーは、今度は取材を快諾してくれた。但し、予約制であることを記事では強調して欲しいと念を押された。
タパス・ガルニエだけでなくイエナ周辺の観光名所や宿の取材もでき、今回の取材旅行は大成功だと言えよう。後は手に入れた情報を調理する俺の腕にかかっている。
ブルトン・プレスの編集長は有名なラファイエット公爵邸での話に興味津々で色々と聞きたがったが、俺はカレーソースの取材をしただけだと一蹴した。編集長は「怪しい……」という目つきで睨みつけていたけど、俺は無視した。
「さ! 仕事だ仕事! 良い記事を書くぞ!」
大きな声を出しながら、俺は別れ際に貰ったダフニーからの手紙にそっと手を当てる。
記者として真面目に働いていると知ってとても嬉しかった。これからも体に気をつけて頑張って欲しい、というようなシンプルな手紙だったが、最後に俺の記事を一度でいいから読んでみたい、と書いてある。
(よし、今回の記事が掲載されたら彼女にそれを送ろう)
そう思ったら、不思議と胸がときめいた。彼女の温かい笑顔を思い出すとやる気が湧いてくる。
何かが始まるような予感がするな、と窓から外を見ると抜けるような青空が広がっていた。
*割とアッサリですが、ここで完結になります(*^-^*)。読んで下さった皆様、感想、ブクマ、評価、いいねを下さった皆様、本当にありがとうございました!モチベーションに繋がります。現在新作進行中です。ある程度書き溜めてから投稿しようと思っているので少々お待ち下さい(#^^#)。




