番外編 ココとミアの物語 その5
私たちが食堂に行くと緊張した面持ちの担当者がカレーソースの箱をテーブルの上に載せた。一週間ほど前に食堂に納品したカレーソースの箱だ。私とフィルで納入した箱なので良く覚えている。
ロラン国王を始めとした一行と生徒たちがゾロゾロとテーブルを取り囲む。
ラファイエット公爵邸で受注生産されているカレーソースは高温の状態で滅菌消毒されたガラス容器に移され、空気や菌が入らないようにピッタリと蓋で密閉される。密閉容器の開発には私も少なからず口を出した。普通の食品よりも保存期間が長いので食中毒など出さないように細心の注意を払う必要があったからだ。
密閉された蓋と瓶は紙で接着されていて、蓋を開けると絶対にその紙が破れるので、開封済みだと分かるような包装になっている。
私がこだわったせいで手間やコストが大幅に増大した。フィルには迷惑を掛けてしまったが、一度蓋が開いたものを未開封だと勘違いさせないようにする工夫は重要だ。フィルも理解して協力してくれた。本当に彼には一生頭が上がらないんじゃないか、と思うくらいお世話になっている。
そのシステムは現在生産の陣頭指揮を執っているお母さまは勿論、屋敷の使用人も全員理解して遵守しているはずだ。お母さまの指揮に間違いがあるはずがない。
そのお母さまが誇らしげにカレーソースの箱を覗き込み、食堂に集まった生徒たちにレクチャーを開始した。
「こちらが、ラファイエット公爵家が力を入れているカレーソース事業です。孤児院などにも寄付をして、大変喜ばれています。保存期間が長いため多くの利点があります……」
カレーソースの利点や保存期間に関する説明を聞いていた生徒たちが感心したような声をあげた。満更社交辞令だけではなさそうだ。
カレーソースは生産してすぐに梱包され、その日のうちにお客さんの元に届けられる。だから、一週間前に食堂に届いたこの箱のカレーソースは一週間前に調理されたはずだ。お母さまが瓶を一つ取り出し「試しに開けてみますね。試食してみましょう」と弾んだ声をあげると、私のすぐ後ろに立っていたTCの一人がハッと息を呑んだ。
(なんだろう? 瓶を開けるだけでそんなに動揺する?)
振り返るとその男子生徒と目が合った。その目の奥には怯えと罪悪感がある。彼は慌てて私から目を逸らした。
カレーソースに何か細工でも仕掛けたのかしら?
私は突如として不安に襲われた。
私たちへの嫌がらせはほとんど効果がなかった。
だから苛立ったTCたちは私が責任者として納入しているカレーソースをターゲットにした?
そりゃダメージは大きい。私だけの問題じゃない。ラファイエット公爵家の信用や評判が損なわれることになる。
嫌がらせなんか気にしない、と自分のことしか考えていなかった私は本当に甘ちゃんだ! フレデリックやお母さまに迷惑をかけてしまう。
フィルがTCに侮辱されていた時、猛然と腹が立って悔しかったことを思い出した。私は心配してくれる人達に同じような思いをさせていたんだ。毅然とした対応をして嫌がらせを止めるべきだった。
(ああ、どうしよう……国王陛下の視察中にカレーソースに欠陥があったら……)
私は内心パニックになった。背中を冷たい汗が伝う。頭がグルグルとして体から力が抜けていくようだった。
そんな私に気づかずにお母さまは瓶の一つを取り出して、周囲に良く見えるように掲げた。
「皆さん、見えますか? このように密封容器の蓋と瓶には紙で封がされています。蓋を開けると絶対に紙が破けるので、開封されたことが分かるようになっています。では、開けてみますね」
お母さまは明るい口調で瓶の蓋を開けた。その瞬間にむわ~っと嫌な腐臭が漂ってくる。
「うわっ! くさっ!」
「なにこれ!?」
不穏な声がざわざわと生徒の間に広がった。
私は『やっぱり! 奴らが何か仕掛けたんだ』と絶望的な気持ちになった。
国王の前でラファイエット公爵家は面目を失ってしまった。全部私の責任だと言おうとした時、お母さまのエメラルドのような瞳がきらきらと光っていることに気がついた。
「あら、どうしてかしら? 一週間前に作ったカレーソースがもう傷んでいるわ。何度も実験をして密封すれば二週間は全く問題ないはずなのに。おかしいわ」
お母さまはそう呟くと蓋と瓶に接着されていた紙を覗き込んだ。蓋を開けた今では当然破れた状態になっている。
「あら!? まぁ! この紙には魔法の痕跡があるわ」
わざとらしくお母さまは叫び、さらに未開封の他の瓶を手に取った。
「この瓶にも魔法の痕跡があるわ。一度開封したのに破れた紙を修復して未開封に見せかける。そんな魔法を使った人がいるみたいね。その人がカレーソースに変な小細工をしたのかしら?」
お母さまはジロリと生徒たちを見回した。スゴイ迫力だ。私ですらちょっと怖い。
「そ、そんなはずは!?」
大声を出したのは先ほど目が合ったTCのメンバーだ。
「……どういうこと? あなた、何か知っているの?」
お母さまが近づくとその生徒はブルブルと震えて俯いている。
「いいわ。魔法の痕跡があるんだから、誰がやったかはすぐに分かるわね」
震えていた生徒はビクッと肩を揺らす。
「僕はアーサーに命令されてやっただけだ! ミアが納品しているカレーソースが腐っていたらきっと困るだろうって!」
「おい! お前、嘘をつくな!」
アーサーが告発した生徒に殴り掛かった。
しかし拳がその生徒に当たる前にお母さまは魔法を使ってアーサーを縛り上げた。
「陛下! これは濡れ衣です! 私は断じてそのような卑怯な真似はしておりません!」
凛とした声で叫ぶアーサーを見てもロランは顔色一つ変えることはない。
「えっと、フレデリック。ココとミアへの嫌がらせの証拠があるんだよな? なんだっけ? 教科書?」
「「えっ!?」」
私とココは驚いて一緒に声をあげた。アーサーも「えっ……?」と呆然とロランを見つめる。彼の顔から完全に血の気が引いた。
「破かれた教科書は捨てたんじゃないかと……」
私が言いかけるとフィルがそれを遮った。
「教科書は魔法で破損されたと思いましたので、俺が保管していました。魔法特性で犯人を特定してもらうためにジョゼフ・ド・メーストル伯爵に解析をお願いしています」
「おお、君は気が利くな。ジョーンズ商会の会長の御子息だったな? エステルから優秀だと聞いている。将来が楽しみだな。今度、商会長と一緒に王宮に遊びにこい」
ロランが爽やかに言うと、フィルは膝を折って「光栄です」と呟いた。
TCの生徒たちは悔しそうにフィルを睨みつけている。しかし、彼らの顔には焦りの色が濃い。汗をかいているし、よく見ると手が小刻みに震えている。
一体何が起こっているのか?
私とココが顔を見合わせていると、フレデリックが私たちの頭を撫でながら種明かしをしてくれた。
「学期中は緊急時でない限り家族とは連絡を取れない決まりだ。ココとミアから連絡して欲しかったけど、敢えて連絡しなかった気持ちは分かる。だけど、フィルがとても心配していてね。彼がカレーソースの発注書の中に僕とエステル宛の手紙を忍ばせてくれたんだ。二人が嫌がらせされていると聞いて、生きた心地がしなかった。エステルも怒り狂っていたよ」
隣でそれを聞いていたお母さまがコクリと頷く。目が真っ赤だ。隠していたことで余計に心配かけてしまったんだな、と私は深く深く反省した。
「フィルは破られた教科書も送ってくれたの。カレーソースの瓶は洗って再利用するでしょ? 食堂で使った後の空瓶を返送する箱に紛れさせて送ってくれたのよ。それですぐにジョゼフに魔法特性を調べてもらったの。フィルが居てくれたから良かったけど、貴女たちはもっと事態を真剣に考えるべきだったわ」
「「本当にごめんなさい」」
私とココは二人で深々と頭を下げた。ココもちょっと涙目になっている。私たち二人が心から反省していることをフレデリックは分かってくれたのだと思う。「もういいよ。とにかく無事で良かった」と再び頭を撫でられる。子供の頃に戻ったみたいだ。
「エステルと今後のことを相談していたんだが、一週間ほど前にフィルから緊急連絡が入ってね。誰かがカレーソースに細工をしたかもしれない、と。細工された瓶を回収したとしても、また続く可能性がある。そうなると我がラファイエット公爵家の事業にとっても大問題だ。だから早急に手を打ったんだ」
フレデリックの言葉にフィルがコクリと頷いて「ありがとうございます」とお辞儀をした。
「ジョゼフ、魔法特性でココとミアの教科書を破った犯人は特定できたのかい?」
ロランが尋ねると、アーサーとTCの連中の顔色が真っ青になる。
「はい、陛下。アーサー・ルイス侯爵令息を含め計六名の生徒の魔法特性が確認できました。彼らがココとミアの教科書を破損したのは間違いありません」
「そんなっ!!!」
「待って……だって、アーサーがそうしろって命令したんじゃない!」
「たかが学生の悪戯で魔法特性まで調べっこないって言ったのは誰よ!」
「そもそもココとミアは平民だから嫌がらせしたって誰も気にしないって……」
TCが喚くのを聞いていたお母さまはふらりと彼らに近寄った。完全に目が据わっている。背後に悪魔のような暗黒のオーラが見えた。
(お母さまは本気で怒るとこうなるのね……絶対に怒らせないようにしよう)
私は密かに肝に銘じた。
「これから貴方達は王宮で取り調べを受けます。公爵令嬢二名に対する嫌がらせは立派な犯罪ですからね。とことんまで追求します。どんな些末な嫌がらせも全て記録に残します。大事な娘たちを傷つけられて黙ってはいられません。ましてや食べ物を粗末にする輩は絶対に許しません!」
お母さまが吠えた。「怒っているエステルも堪らない」と隣で見惚れているフレデリックを無視してお母さまは続ける。
「正直に取り調べに応じれば、私も鬼ではありません。多少の情けをかけてあげましょう。例えば、選ばせてあげます。一年間、王宮の下働きとして働くか、三ヶ月間、辺境軍で国王陛下が若い頃にされた役務をするか、どちらがいい?」
真っ青な顔でブルブル震えながら涙目になっているTCの連中はそれを聞いてちょっと安堵したようだ。
「勿論、国王陛下の足跡をたどりたいと思います!」
堂々とアーサーが答え、他のTCたちもウンウンと頷く。
『国王陛下が経験したくらいの労役だったら楽ちんだろう。王族にそんな酷い役務をさせるはずないしな』という心の声が聞こえる。
私はロランが辺境軍でどんな扱いを受けていたかを知っているので、多少気の毒な気持ちになった。ほんのちょっぴりだけね。結局は自業自得だ。一度性根を入れかえるまで鍛えられた方が本人のためになるだろう。
「それから!」
ロランは呆然と事態を眺めていた学院長とファーガソン先生に向きなおった。
「学院長、ファーガソン先生。他人事ではありません。あなた方はいじめの報告がなされていたのに、碌に調査もせずに放置していた。他にも不正行為を隠しているのではないかと私は疑っています」
それを聞いて二人は慌てふためいた。色々と弁解して自分たちに責任はないと主張していたようだが、ロランは一切弁明を認めなかった。
「第三者委員会を設置して、厳正に調査する。実は今ちょうど監査の職員が学院長室や職員室で聞き込みや証拠書類の捜査を行っています。学院内の汚職や腐敗を徹底的に洗い流す良い機会だ。事実を隠そうとしない方が身のためですよ」
「……そんな、陛下……」
学院長とファーガソン先生が膝から崩れ落ちた。先生方のこんな姿は見たくなかった。でも、デビッドへの対応はやっぱり許せなかったから、ちゃんと調査してもらえるのは良かったと思う。
***
その後、学院長とファーガソン先生は魔法学院を解雇された。
新しく任命された学院長は、厳しいいじめ防止策を講じることを約束し、教員のいじめ防止研修を義務化することも発表した。
TCグループの面々は三ヶ月の停学処分になった。その間、全員が過酷な辺境に送られ、辺境軍の掃除、洗濯、炊事を担当することになる。容赦なくこき使われることになるだろう。
保護者は抗議したようだが、国王の決定であり、ラファイエット公爵家の令嬢に対して危害を加えた確かな証拠があることで、何も抗弁できなかったそうだ。うるさいTCグループが居なくなり、教室は平和になった。
いじめや嫌がらせを知っていながら止められなかったクラスメートは、デビットと私たちに謝罪した。
「庇ったら今度は自分がいじめられるんじゃないかって怖くて……弱虫で、本当にごめんなさい」
頭を下げるクラスメートたちに恨みはない。でも、今後いじめが再発しないようにクラスで話し合うことは大切だと思った。