番外編 ココとミアの物語 その3
寮に戻ってココに今日あった出来事を報告すると、予想通りココは頭から湯気を出しながら怒りを爆発させた。
「なんですって!!! デビッドがそんな目に!? 信じられない! なんて酷い人たちなの!? ファーガソン先生にも失望したわ!」
彼女を宥めるのは大変だったが、ようやく話が出来るようになると私はココと今後のことについて相談した。本当なら一番頼りになるお母さまに相談したいところだが、学期中は家族と連絡を取れないようになっているし、いつまでも甘えてはいられない。
フィルとも話し合い、私はまず学院長とのアポイントメントを取り事情を説明して、デビッドの保護、犯人の特定と懲罰をお願いした。また、デビッドが担任の教師に訴えたのに取り合ってもらえなかったことも報告した。
しかし、学院長の態度は煮え切らなかった。
『生徒の一方からのみの話を鵜呑みにする訳にはいけない。調査するので待って欲しい』
という内容のことを繰り返すのみで、デビッドのために対策をするにしてもまず調査が必要だという姿勢を崩さない。しかも、調査をいつどのように行うのかも教えてくれない。正直がっかりだ。でも、これが現実なら仕方がない。
私たちはデビッドを一人にしないように、三人のうちの誰かが必ずデビッドに付き添うようにした。フィルは物理的に強いから手出ししないだろうし、奴らも私たちがいる前で暴力を振るうほど愚かではないだろうと思ったのだ。
同時に私は高位貴族の生徒に理不尽な扱いを受けている生徒がいないか注意を払うようになった。公平であるべき学院でフェアでない扱いを受けている生徒がいたらちょっとでも手助けしたいと思うようになったのだ。フィルやデビッドも協力してくれたので、私は子爵家や男爵家の生徒たちの不満を聞く機会が増えた。
やはりTCが一番、性質が悪いようだ。ただ、それ以外にも高位貴族の身分を笠に着て、下位貴族の生徒たちを差別する生徒はいる。私は嫌がらせや人を見下すような物言いをする生徒が居たらその場で注意したり、嫌がらせを受けた生徒と一緒に抗議をしたり、再発防止策を考えたり、自分なりに出来ることを頑張った。そのおかげで私は下位貴族の生徒たちから絶大な支持を得るようになった、らしい。自分ではよく分からないけどフィルとデビッドがそう言っていた。
「俺はさ、ミアを尊敬するよ。仕事も勉強もすごく頑張っている上に、困っている生徒を助けようとするミアは偉い」
フィルに頭を撫でられて、私はとても嬉しかった。誰よりもフィルに褒められると頑張って良かった、と心が浮きたつ。彼は思ってもいないお世辞を言う人ではないから。
でも、フィルはちょっと不安そうに言葉を続けた。
「ただ……高位貴族の生徒たちはミアを目の敵にし始めた。どうか気をつけて欲しい」
「ありがとう、フィル。気をつけるわ。心配してくれてありがとう」
「ミアは強いし、君を支持する生徒が増えたから変なことを仕掛けたりはしないと思うけど……ごめん、俺は心配性なんだ。特にミアのことになると普通じゃいられなくなるっつーか……」
フィルは頭を掻きながら照れたように笑う。私はそんなフィルの笑顔に頬がじんわりと熱くなるのを感じた。
*****
私とフィルは食堂にカレーソースを卸す仕事もあり、自然と行動を共にすることが多い。それに私のことが心配らしく、教室でもどこでも気がつくと私の隣に居てくれるようになった。以前のように遠慮して距離を取ることがなくなったことが嬉しい。
一方、ココとデビッドも二人で行動することが多くなった。二人で並んで歩く光景が頻繁に見られるようになって、ココに憧れていた男子生徒たちが慌ててココをデートに誘ったりしているらしい。私が言うのもなんだけど、ココは顔も性格も可愛い。当然物凄くモテるから、デビッドは嫉妬されて大変だよね。そんな話をしたらフィルが呆れたように私を見た。
「俺もさ、ミアと一緒に居ることが多いから、やっかまれてる。ミアに近づこうとする奴が多くて、俺がずっと牽制してるの気づいてる?」
「……牽制?」
「いや、いい。気にするな!」
フィルは照れたように微笑みながら私の頭を撫でる。その視線がちょっと甘い、と感じるのは自意識過剰だろうか? でも、前よりフィルに近づけた気がして、私の心臓はドキドキと跳ねた。
*****
ある日の放課後、私はフィルと一緒にラファイエット公爵邸から届いたカレーソースを食堂の担当者に納品した。公爵家から直接食堂に納品しても良いのだが、折角私とフィルが学院にいるのだし、最終チェックをしてから手渡したいという私の我儘をフィルはまた笑顔で受け入れてくれた。
無事に納品が終わり、フィルと一緒に寮までの道を歩く。
「思ったより早く終わったわね。ココとデビッドに待っててもらえば良かったかな」
「いや、あの二人は話が合うみたいだし、二人で楽しそうだからいんじゃね?」
「そうか、やっぱりフィルもそう思う?」
「ああ、クラスの男どもが必死にココの気を引こうとしてるけど、ココは結構人見知りだからな。デビッド以外の男とはほとんど話もしないみたいだ」
「ココはとても感受性が強いの。ああいう優しい絵を描くデビッドだったら、ココの繊細さを分かってくれるんじゃないかな」
デビッドが描いた絵を思い出しながら私は言った。初めて彼の絵を見た時に驚いたのは、ちゃんとココと私の違いを描き分けていたことだった。デビッドの目はとても鋭いに違いない。ココは、デビッドが千以上の色を明確に見分けることが出来ると得意気に語っていた。
「ココも絵が好きだし、共通の話題が多いんじゃない? ココはデビッドのことをとても信頼してるし、ちょっとお似合いかも、なんて思ってるんだけど」
「暢気だな。俺は心配だ。TCの奴ら……なんか謀ってる気がすんだよな~。俺もお前を守るけど、ミア自身も気をつけろよ。」
フィルの顔つきは真剣だった。
*****
残念ながらフィルの懸念は当たることになる。
「ねえねぇ、ココとミアって……ラファイエット公爵夫人の連れ子なんですって? しかも、夫人とは血が繋がってないそうよ! 平民の双子を夫人が引き取ったらしいわ」
「え!? なにそれ!? それじゃ、公爵家の血はこれっぽっちも入っていないんじゃない? 夫人と血が繋がってたら、少なくともリオンヌ公爵家の血筋って言えるだろうけど……」
「入学式の時も、公爵夫人に全然似てないなと思ってたのよ。やっぱりねぇ」
「結局あの二人は平民の子だってことだ! 貴族の血なんて全く入っていない。何をエラそうにしてんだか!」
「公爵家の令嬢として扱う必要ないんじゃないか? あの二人は平民だよ。だから下位貴族と仲良くしてるんだ。ああいう下の連中と馬が合うんだな」
二人の血筋を巡って様々な陰口が始まったのだ。
私とココは普通の貴族令嬢のような社交を避けてきたから、私たちの出自については僅かな噂が歪んで伝わりやすかったんだと思う。フレデリックと私たちはよく似ているけど、彼も社交が苦手で仕事関係以外では顔を広く知られていない。こんな噂が出ても仕方がないかな、と諦めていた。
それでも全ての生徒がそんな噂を鵜呑みにしたわけではなかった。
「ココさんもミアさんも身分を鼻にかけてエラそうにしたことなんてなかったわよね? どっちかっていうとTCの方が威張ってるし」
「二人とも成績優秀で気品も作法も超一流よ。貴族としての品位は完璧に備えていると思うけど……」
というような擁護派もいたが、TCを筆頭とする高位貴族派の私たちへの反発は強く、攻撃の矛先が自分に向かうのが怖くて口をつぐむ生徒が徐々に増えていく。私たちは頻繁に意地悪な陰口や嫌味に晒されるようになった。
「でも、悪口って結局ワンパターンになるのね」
ケロッとした顔でココが言った。私も頷く。
「確かに独創性がないわね。『平民』って呼ばれたって私たちにとっては全然悪口じゃないし。もっと斬新な悪口を聞いてみたいわ」
「ミアの言う通りね。芸術的な悪口とか、創造的な悪口だったら、それなりに面白いのにね」
私たちの会話を聞いてフィルがぶほっと噴き出した後、小声で「さすが……逞しすぎる」と呟いた。
悪口を言われても無視されても失礼な態度を取られても、私とココはハッキリ言ってノーダメージだった。ああ、またくだらないことをしている人たちがいるな、くらいの認識だった。
私たちにはフィルやデビッドがいるし、他にも支えてくれる友達がいた。担任のファーガソン先生は、デビッドが以前言っていた通り驚くほど頼りにならなかったけど、カレーソースを通じて仲良くなった食堂の職員さん達は味方になってくれたし、私たちを庇ってくれる先生や生徒もいた。だから、一部の生徒たちに嫌われても私たちは全く気にならない。だから何?という感じだった。
しかし、フィルとデビッドはそうではなかったようだ。
デビッドは肩を落として泣きながら謝罪した。
「僕を庇ってくれたせいで君たちまで巻き込んでしまって本当にごめん。君たちが誹謗中傷を受けるなんて悔しい……」
フィルは怒りに身を震わせていた。
「腹が立って血管が切れそうだ。あいつらタダじゃおかねえ!」
ただ私たちがあまりに平然としていたせいか、嫌がらせには物理的攻撃が加わるようになった。
私たちは家族関係を特に明確にしなかった。実父である前公爵の私生活を暴露したくなかったという理由もあるが、本当に気にしていなかったのだ。でも、それが良くなかったのかもしれない。私たちに対する風当たりはますます強くなり、実害を伴ういじめがエスカレートしていった。
ペンやハンカチなど小物が無くなることが増えた。私とココを空いている教室に呼び出して鍵をかけて閉じ込める、なんて古典的な嫌がらせもあったが、フィルとデビッドがすぐに気がついて救出してくれた。
ある日、私とココの教科書全部が切り裂かれていたことがあった。副読本や辞書、ノートの類まで全てだ。復元が不可能なくらいズタズタに細かく切り裂かれた何十冊もの書物を見て、私はさすがに溜息をついた。
「これ……すごい根性だね。教科書ってこんなに薄切りになるんだ。カッターとかハサミじゃないよね。お母さまが作るうどんみたいだもん」
「ココ、なに感心してんの?」
私はココの暢気な口調につい笑ってしまった。
「だってミア、こんなに薄切りになるまで全部の教科書を切り裂くのって相当の労力が必要じゃない? 辞書なんか表紙、物凄く堅いよ。よく頑張ったよねぇ」
「そうね。ハサミを使っても手でこれだけ細かくするのは難しいわ。魔法でも使ったのかな?」
「ああ、そうかもね。でも、わざわざ私たちの教科書やノートを全部盗み出して、これだけの手間をかけてまで嫌がらせしたかったんだーって、ちょっと涙ぐましい努力じゃない?」
「ココったらホント暢気ねぇ。それより事務室に行って代わりの教科書を注文しないとね」
二人で会話をしていたら、怒りで顔を引きつらせたフィルが大きな箱を持って現れた。
「あれ? フィル? どうしたの?」
フィルは黙ってその箱をドスンと机に置くとカパッと蓋を開けた。
「あら!? 新しい教科書? 辞書も全部二人分揃ってる? フィル、すごーい! ありがとう!」
ココは歓声をあげたが、私は呆れてフィルの得意気な顔を見上げてしまった。
「フィル、まさかと思うけど、予備の教科書を用意していたの?」
「ああ。嫌がらせが始まった頃に事務室に申請して予備を購入しておいたんだ。教科書や制服を損壊するっていうのはいじめの古典的手法だ。制服の予備はあるだろうけど、教科書はそうはいかないからな。それにしても念入りに切り裂いたもんだ。ノートはデビッドのを写すといい。あいつの方が字が綺麗だから」
「私はフィルの用意周到さに感動よ。ありがとう、フィル。さすが頼りになるわ!」
私の言葉にフィルは照れたように頭を掻いた。
「……破れた教科書は俺が処分しておくから」
そう言ってフィルはボロボロになった教科書を回収して消えた。




