ジョゼフ
ジョゼフ・ド・メーストル伯爵はエステルの学院時代のクラスメートだった。
正義感が強く律儀な性格でエステルとも馬が合う優等生。
すっかり大人になったジョゼフは素晴らしい男ぶりで、長い睫毛に縁どられた切れ長の黒い瞳は鋭く野性的な魅力に溢れている。
(前世でいう敏腕弁護士ってところね。立派になって・・・)
エステルは懐かしさで胸が熱くなったが、それよりも自分の素性がバレてしまうのではないかという不安が脳裏をよぎった。
(私が国外追放された公爵令嬢だとバレたら子供たちから引き離されてしまうかもしれない)
彼女は相続の手続きが終わったら双子と一緒に居酒屋に戻り、平民として穏やかな生涯を送りたいと望んでいる。
罪を負った自分が子供たちに相応しくないと判断されてしまったら?
フレデリックはそれでも受け入れてくれるかもしれないという淡い期待はある。
しかし、もう一つ気がかりなのはリオンヌ公爵家の動向だ。
自分の両親や兄を評するには酷すぎるかもしれないが、彼らは利で動く。
エステルに利用価値があると判断すれば、自分たちが追い出したことなど忘れたように連れ戻そうとするだろう。
例えば、政略結婚の駒に使おうとするかもしれないし、ラファイエット公爵家とのつながりに利を見出すかもしれない。
ココとミアは絶対にリオンヌ公爵家に近づけたくない。
(いずれフレデリックには告白するかもしれないけど、今この場でバレるのは困る!)
それに気を取られてジョゼフの言葉の意味がエステルの脳には浸透しなかった。
彼の言葉に鋭く反応したのはフレデリックだ。
「初恋?」
眉を顰めたフレデリックの問いかけにジョゼフは恥ずかしそうに笑った。
「あ、いや、昔・・学生時代の話だ。俺はエステル・ド・リオンヌ公爵令嬢と同じクラスでね。彼女は美しいだけでなく、強く、賢く、逞しく、自立した素晴らしい女性だった。しかも、困った人がいると助けずにいられないという慈愛に満ちた女性でもあった」
ジョゼフの声に懐かしさが混じる。
「近寄りがたい高嶺の花という感じかな。でも、ずっと憧れの存在だった。ま、あれが俺の初恋だったんだろうな」
「エステル・ド・リオンヌ公爵令嬢・・?噂では王太子に婚約破棄された後、行方不明だと聞いたが・・・」
「ああ。彼女はハッと目を引くような赤毛だった。でも、エマ嬢は・・・髪の色が違うだけで、彼女にそっくりだ」
そんな会話をエステルは背中にだらだらと冷や汗をたらしながら聞いていた。表面上は涼しい顔をしていたが。
(どうしよう・・・これはバレる・・・)
フレデリックは意味深な顔つきでエステルに目を遣ると、ふっと微笑んだ。
「他人の空似だろう。こちらはエマ・ガルニエ嬢。ココとミアの母親だ」
「双子の叔母様では?」
「そうだ。母親のモニカ・ガルニエの妹にあたる。僕が身元調査も行った」
「そうだよな~。まさかエステル嬢がこんなところに居るはずない。噂では外国に行ったとか。俺は卒業パーティを欠席したから噂の婚約破棄の現場にはいなかったんだ。俺がいたら徹底的にロランを追い詰めてやったのに!悔しかったよ」
そう話すジョゼフに向かってエステルは曖昧に微笑んだ。
(・・・助かった~。フレデリックは・・・どう思っているんだろう?私を庇ってくれたみたいだけど)
横目でチラリと彼の様子を伺うが、彼の表情からは何の感情も読み取れない。
その時、ココとミアが部屋に入ってきた。
「「ママ~!」」
と叫んで双子が飛びついてくる。
「だいじょうぶ?だれにもいじめられなかった?」
「ママにいじわるなことを言う人がいたら、ミアがゆるさないから」
愛おしい二人をぎゅっと抱きしめて
「ママは大丈夫よ。いつもココとミアが守ってくれるからね」
と微笑んだ。エメラルド色の澄んだ瞳が柔らかく細められる。
彼女の母性愛に満ちた笑みに男二人が見惚れていることにエステルは気がつかない。
「どうなさいました?」
と尋ねられてハッと我に返るフレデリックとジョゼフ。
「い、いや。何でもない。それより、ココ、ミア。彼はジョゼフだ。これから君たちの法定代理人として働いてくれる予定だ」
「ほうていだいりにんって?」
ココが首を傾げる。
「君たちが受け取るお金を大切に管理してくれる人だよ。大丈夫だよ。彼は信頼できる人間だ」
フレデリックが言うとココとミアの顔が輝いた。
「あたしたち、おかねがもらえるのね?」
「すごいわ!そうしたらママにあたらしいドレスを買える?」
「ママはね。ドレスがやぶれても、それをぬいあわせて古いドレスをずーーーーっときているの。まいにちおなじドレスなんだよ!」
「あたしたちのしょうらいのためにちょきんするんだって!」
「だから、ママのドレスはつぎはぎだらけなの!」
「ママにこいびとができないのはそのせいなのよ!」
「きょうみたいにきれいなドレスをきて、おけしょうしたらとてもすてきなのに!」
エステルは双子の主張を聞き、恥ずかしくて赤面した。
(ああ、もう聞いていられない。恥ずかしすぎる・・・)
フレデリックとジョゼフはクスクス笑った。
(ほら~、笑われてるし。穴を掘って自分を埋めたい)
焦るエステルは首や耳まで真っ赤になって俯いた。
「エマ嬢はとても良いお母さんなんですね。二人の様子を見ているだけでそれが分かる」
ジョゼフの言葉にエステルは顔をあげた。
するとジョゼフは蕩けるような甘い眼差しで
「あなたはとても素敵な女性だ。恋人がいないという情報は俺にとっては朗報ですね」
と笑った。
それを聞いたフレデリックが表情を強張らせる。
手を振りながら笑顔で帰っていくジョゼフを見送った後、フレデリックは
「・・・彼を選んだのは失敗だったかな」
と小さな声で独り言ちた。
「どうなさいました?」
エステルが声をかけるとフレデリックは「なんでもない」と首を振る。
「ジョゼフのことをどう思った?」
フレデリックはどことなく不安げな様子で訊ねた。
「とても信頼のおける優秀な方だと思いました。良い方を選んで下さってありがとうございます」
(ジョゼフは優秀で正義感が強かった。真面目な彼ならココとミアを守ってくれるだろう)
「そうか・・・。彼はモテるんだ」
突然話が変わってエステルは戸惑ったが、話に合わせるようにした。
「そうでしょうね。ハンサムですし、とても素敵な方ですものね。まだ独身でいらっしゃるんでしょうか?」
「・・・気になる?」
というフレデリックの眼差しは思いがけなく厳しいもので、エステルはどう返していいのか分からなくなった。
(ふ・・不機嫌・・・。私、なにか悪いこと言ったかな・・?)
動揺するエステルにフレデリックは追い打ちをかけるように告げる。
「先ほどジョゼフが言っていたエステル・ド・リオンヌ公爵令嬢について話をしたいんだが?」
(やっぱりきたーーーーーーーーーーーーーーー!)
エステルは追い詰められた。