番外編 フレデリックのアルバイト 後編
「大切な従業員に対して失礼な態度は止めてください!」
凛と声を発したのはクリーム色のエプロンにメガネをかけた一見地味な女性だった。
茶色の髪に茶色の瞳という組み合わせも平凡なはずなのに、全身から発せられる気品のようなオーラがある。知らず知らずのうちに周囲の視線は彼女に惹きつけられていた。
「な、なによ! わたくしが何者だか知っているの?」
「この店のお客様です。お客様を心から誠意をもっておもてなしするのが当店の方針です。しかし、だからといってここで働く者に対する無礼を許すわけではありません」
その女性はまったくたじろがない。矜持に満ちた眼差しが射るように令嬢に突き刺さる。
(綺麗な人……)
思わず私は心の中で呟いた。
控えめな化粧のせいで地味に見えるが、メガネに隠れた顔立ちは整っているし、真っ白で滑らかな肌は殻をむいたゆで卵のよう。何よりも真っ直ぐな姿勢と全身から立ち上る威厳に圧倒される。
「エステル……」
女性の背後にいるイケメン給仕の顔面が紅潮し、甘く蕩けるように表情が緩んだ。
「ちょっと……なにあれ」
向かいに座る友達の顔が真っ赤になった。気持ちはわかる。私の頬も熱い。さっきまでの冷徹な無表情がウソのようだ。
愛おしくて堪らないというように目の前の女性を見つめるイケメン給仕に皆の視線が集中するなか、女性同士の話し合いは進んでいった。
「わたくしはただ、その人にこんなところで働くよりも良い就職先があると伝えただけですわ!」
「彼ははっきりと断っていましたよね? そもそも今日は臨時で働いているだけで私たちはヴァリエール王国で別の仕事を持っていますから」
「な、なによ! 偉そうに! あなたは彼の何なのよ!?」
「彼は……私の……」
女性の頬がピンク色に染まる。しかし意を決したように正面から毅然と言い放った。
「彼は私の婚約者です! ですから、必要以上に彼に近づかないでください!」
「エステル……」
イケメンは感極まったように瞳を潤ませている。
「僕が愛するのは生涯君だけだ」
彼はうっとりとした表情で背後から女性を抱きしめた。店の中で声にならない悲鳴が充満したような気がする。
こんなに感情豊かなイケメンは本当にさっきと同じ人間なのだろうか?
「な、なによ! 失礼な! 私は貴族よ! 平民が対等に口をきいていいと思ってるの? それにヴァリエール王国の仕事だってそんな大したものじゃないんでしょ?」
令嬢は悔しそうに顔を歪ませて怒鳴り散らすが、店の女主人はまったく動じない。
「この店では貴族も平民も関係ありません。身分をひけらかすのであれば他の店に行ってください」
「なんですって!?」
怒りに震えて拳をぎゅっと握りこんだ。
「見てらっしゃい! こんな店つぶしてやるんだから!」
しかし、エステルと呼ばれた女性の顔色は一切変わらない。
「やってごらんなさい。私は全力でこの店を守りますわ」
静かな口調なのに背中がぞくっとするような迫力があった。令嬢も同じように感じたのかもしれない。
「な、何よ……」
顔が青ざめて既に腰が引けている。
「それまでだ!」
突然入り口の方から大きな声がした。
パンパンと手を叩きながら入ってきたのは明らかに貴族といういで立ちの夫婦である。
「だ、旦那さま! 奥様!」
令嬢のお付きの者が慌てて頭を下げた。
「……ふつつかな娘が店に大変なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
旦那様と呼ばれた男性が深く頭を下げる。
「いえ、とんでもございませんわ」
女主人は慌てて手のひらを見せながら両手を振った。
「娘を甘やかしすぎました。世間を知らない娘です。今夜は少しでも見聞を広げてほしいと街に出したのですが……。私たちの判断が間違っていました。後でしっかり反省させますが、他のお客にも不愉快な思いをさせたことでしょう。今夜は私のおごりです。皆さん、好きに召し上がってください」
「お父さま! どうしてそんな……!」
抗議する令嬢を目で制しながら男性が言うと、他の客がみんな色めき立った。
「やったね! よっ、太っ腹!」
「嬉しい! ありがとうございます!」
「ごちそうさま~!」
歓声と声援が飛び交う。店の雰囲気が再び明るく賑やかに変わった。
「やった! デザート二品くらい頼んじゃう?」
興味津々でやり取りを眺めていた友達は、うきうきしながらメニューを開いている。
「まったくもう……。でも、せっかくだしね!」
自分もメニューを覗きこんだが、女主人との会話はまだ続いているようだ。私は密かに耳をすませていた。
「あの……皆さんにご馳走するなんて、本当によろしいのですか?」
「ええ、もちろんです。娘はまだ幼く未熟者でご不快な思いをされたでしょう」
「いえ、そんなことはありませんわ」
「それにしても素晴らしい婚約者がいらして羨ましい限りですな」
イケメン給仕は声をかけられると、相変わらず赤い顔をしながらも誇らしげな表情を浮かべた。
「世界一の婚約者です。彼女がいてくれれば他に何も望みません」
(なんだ。デレデレした顔しちゃって)
自分には関係ないはずなのに、やっぱり少し羨ましくなってしまう。それくらい彼女一筋という熱が溢れだしている。
悔しそうな顔をしながらも令嬢はもう何も言わなかった。
デザートを二品ずつ食べるとそのまま帰宅したので(本当にお会計は必要ないと言われた!)その後どうなったのかは分からないが、帰り際に貴族たちご一行も和やかにテーブルを囲んでいたのを見て他人事ながらホッとした。
「でも、あのイケメン、すごい美形だったね! あんな人、初めて見たよ」
「ね~! 今日だけなんてもったいないわ~」
「あんな人がいたら通っちゃうよね!」
「分かる分かる」
「あ~、恋したいなぁ」
「私も~」
私たちは軽口をたたきながら弾む足取りで帰途についたのであった。
*料理屋の客目線の物語でした~(*'▽')
*また折々、この作品の番外編やSSは書き続けていきたいと思っています(#^^#)
*コミカライズも決定しました(#^^#)
なんと!星川きづき先生によるコミカライズ(^^♪
信じられないくらい可愛いココとミア(≧∇≦)キャー
2025年3月28日(金)よりスタートです!