番外編 エステル王女の公務 その2
昼食は教会側が用意してくれていたので、エステルはフレデリックと子どもたちと共に教会の応接室に案内された。
ティムや教会の支援者も同席して和やかなランチになったが、エステルがティムと談笑していてもフレデリックはニコニコとした表情を崩さない。
そんな中、フレデリックの隣に座る可憐な令嬢が熱心に彼に話しかけた。
「ラファイエット公爵閣下は教会や孤児院をよく視察なさるのですか?」
「エステル殿下がご視察される時には同行することが多いですね」
如才なく穏やかな笑みを浮かべるフレデリックに令嬢の顔が紅潮した。
「まぁ、素晴らしいですわ。わたくしも実はこういった場所の視察に興味があるのです。もし宜しかったら今度わたくしも同行させていただいて……」
甲高い声で話し続ける令嬢との会話を耳の端で聴きながらエステルは少し悲しい気持ちになった。
(そっか、フレデリックはもう女性とも普通に会話できるようになったのね。昔のような愛想のない彼でいて欲しいなんて、私はなんて心が狭いのかしら……)
エステルは沈んだ気持ちになったが「ママ、どうしたの?」と隣に座っていたミアに袖を引っ張られて慌てて笑顔を浮かべる。
「あ、ごめんね。ちょっとぼーっとしちゃって。疲れちゃったのかな?」
「エステル殿下の大活躍のおかげであっという間に全部売り切れたんですよ」
ティムがココとミアに話しかけた。
「ママ、すごいわ!」
「おつかれさま、ママ」
ココとミアの誇らしげな顔を見て、こんな時にフレデリックのことを考えている自分を猛省した。
***
ラファイエット公爵邸に戻り家族で夕食をとった後、エステルはフレデリックに呼び止められた。
「エステル……良かったら一緒にお茶でも飲まないか?」
侍女が淹れてくれたカモミールティーを口に運びながらエステルは複雑な心境でフレデリックを眺めていた。
しなやかなプラチナブロンドを後ろで一つにまとめて無表情でカップを口に寄せるフレデリックは美しい彫像のようだ。彼はエステルに向かって困惑したような笑みを浮かべた。
彼はもう独占欲や嫉妬といった気持ちを持てないのかもしれない。ネガティブな感情を克服したからなのか、それともエステルに以前ほどの熱い想いを持てなくなってしまったからなのか……。
(後者だったら辛いな……)
ふと俯くとフレデリックが心配そうに彼女の前に跪いていた。
「今日はどこか上の空だったよね? バザーでなにかあった?」
正面からエステルを見上げるフレデリックの青灰色の瞳には純粋な気遣いしか感じられない。
(大切な公務なのに私は今日不純なことばかり考えてた)
不意に自分が恥ずかしくなってしまい、エステルは立ち上がってフレデリックに背中を向けた。
「エステル……? 僕が何かした?」
フレデリックが立ち上がってエステルの背後に立つ。
「いえっ! フレデリックは何も悪くないわ!」
エステルがパッと振り返ると、ちょうどかがみこむ姿勢だったフレデリックの顔がすぐ近くにあった。形の良い青灰色の瞳と至近距離で目が合う。エステルの頬がカーっと熱くなった。フレデリックも照れくさそうに一歩退く。
「ご、ごめん……」
「いえ、フレデリックが謝ることなんて何もないわ。全部私が我儘だからいけないの」
「エステルが? 我儘? どうしてだい?」
恥ずかしいがちゃんと説明しよう。
呆れられてますます好きじゃなくなっちゃうかもしれないけど、それは受け入れないといけない。そしてまた好きになってもらえるように努力するだけだ。
でも、どうしても怖くて声が小さくなってしまう。
「……あのね、いつもだったらフレデリックは私が他の男性と話してると、ヤキモチ、焼いてくれたでしょ? でも、今日は全然そんなこと気にならなかったみたいで、ちょっと寂しくなっちゃったの。もう嫉妬もしてもらえないのかなって……」
フレデリックの顔が硬直した。小刻みに全身が震えているのを見てエステルの不安は大きくなる。
(怒ってる? 私がくだらないことを考えていたから……呆れられて当然だわ)
「それに昼食会の時にお隣に座っていた可愛らしいご令嬢と楽しそうに話していたのを見て、ちょっと気になったっていうか、嫉妬しちゃったっていうか……ごめんなさい、私は本当に我儘でフレデリックを独占したいの。こんな女、嫌がられて当然……」
「エステル!」
フレデリックは天を仰ぎながら両手で顔を覆った。どんな表情をしているのか分からないが首や手まで真っ赤になっているのは分かる。
「……フレデリック?」
おずおずと声をかけると、フレデリックはエステルを思い切り抱きしめた。
逞しい胸に顔を押しつけられて一瞬息が詰まる。すぐに腕の力を緩めてくれたので、ふぅっと息を吐くとフレデリックは潤んだ瞳でエステルを見つめていた。まだ顔は赤いが嫌悪感を示す表情ではないので安堵する。
「……君は可愛すぎる。僕だって今日は一日中激しい嫉妬と戦っていたんだ!」
「えっ!? でも、ずっとニコニコ笑っていたし……」
フレデリックはコホンと咳払いした。
「バザーに行く前にココとミアに注意されたんだ。君たちは親を亡くした子どもたちの支援に力を入れている。今日は君にとって特に大切な公務の日だから絶対に邪魔をしないって約束させられて……」
「まぁ」
エステルは驚いて両手を口に当てた。あの子たちがそんな気遣いができるようになったなんて。
フレデリックは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ココとミアはそれだけの配慮ができるのに僕が子どもじみた嫉妬なんてしちゃいけないって……我慢してた。君に迷惑をかけて嫌われたくなかったし」
「そうだったの……」
エステルは胸をなでおろした。どうやら愛情がなくなったわけではないらしい。
「本当は……クロードは君を助けるためだったから仕方がないかもしれないけど、君の体に触った時に思わず殺意が湧いた。しかも、君の笑顔に見惚れていたのを僕は見逃さなかった……」
小声でブツブツと呟くフレデリックを見ていたら、なんだか肩の力が抜けた。どうして彼の愛情が冷めてしまったかも、なんて考えたのだろう?
恋愛経験が圧倒的に足りないとちょっとしたことで相手が心変わりしたんじゃないかって不安になってしまうのかもしれない。
「あのティムとかいう教会長だって絶対にエステルに気があるに違いない……エステルの半径一メートル以内に入って好きにならない男なんて存在するはずないんだ……」
まだブツブツ言っているフレデリックを見てエステルはクスクスと笑い声をたてた。
「……私、莫迦みたいね」
なんだか無性に甘えたくなってしまう。エステルは彼の背中に精一杯手を伸ばすと思い切り抱きしめた。彼は至福の表情を浮かべる。
「エステル、僕はずっと自分の気持ちを君に押しつけてばかりだったと反省しているんだ。むやみやたらに嫉妬するっていうのは君の愛情を疑うことなんじゃないかって。だから、君の大切な公務の間は個人的な感情を表に出さない。約束するよ」
なんだかすっかり頼もしいフレデリックにエステルは感動した。
「ありがとう! さすがフレデリックだわ」
「でもね……」
言葉を続けながら『甘い』としかいいようのない具合にフレデリックの表情が蕩ける。
「嫉妬の感情がなくなる訳じゃない。二人きりになった時には思いきり愛情表現をして欲しい」
「あ、あいじょうひょうげんっ?」
思わずパッと体を離すと、フレデリックはもう一度腕の中にエステルを包み込んだ。
「ああ、例えば……僕は今日もずっと君のことを考えていたよ」
「……若くて綺麗なお嬢さんに話しかけられた時も?」
思わず言ってしまって内心焦った。自分は本当に嫉妬深い、と顔が赤くなる。
それなのにフレデリックは心底嬉しそうに大きな笑顔を見せた。
「もちろん。エステル以外の女性にあまり冷たい態度をとるのも失礼だとココとミアに叱られたんだ。教会の支援者だしね。表面上は愛想良く振舞っていたけど、彼女と話すより君とティムの間に割り込んでいきたかったよ」
「そ、そうだったのですね」
ますます頬が熱くなる。それにしてもココとミアは自分よりしっかりしているのではないだろうか。
「それで?」
「はい?」
「君の愛情表現は?」
そうだ。何かしらの愛情表現をしなくてはならない。エステルは落ち着こうと呼吸を整えた。
「えーっと、私はこれまで恋愛に関して淡泊な方だと思っていました。でも、実はすごく愛が重くて嫉妬深いことがわかりました。フレデリックを独占したいんです。こんな私でいいですか? むぐっ……」
フレデリックに再び強く抱きしめられる。
「エステル、いいに決まってる。君じゃないとダメなんだ。だから嬉しい。愛が重いのは僕の方だ。君以外の誰も欲しくない。僕も君を独占したいからお互いさまだね」
幸せそうな表情のフレデリックから想いを告げられて、じわりとエステルの体が熱くなった。
「ああ、早く結婚したいな……」
深く溜息をつきながらフレデリックが呟く。
「私も……」
二人は真っ直ぐに相手を見つめて微笑みあった。
*この日、ココとミアが何を買ったのか? 教会チャリティバザーでのお買い物の様子をSSにして9/3に発売記念として投稿する予定です!
*9/3発売『悪役令嬢はシングルマザーになりました~双子を引き取りましたが公爵様からの溺愛は想定外です』(アイリスNEO)著:北里 のえ 絵:双葉 はづき
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*書籍版はウェブ版よりも断然面白くなっています! 自信を持ってお勧めできる作品になりました。ウェブ版とはストーリーが異なり新キャラも登場。最終章と番外編は書き下ろし、それ以外にも山盛り書きました!双葉はづき先生のめっちゃ可愛いエステルとココミア、イケメン攻略キャラたちも必見です!読んでいただけたら嬉しいです(#^^#)