俺の名前は、ツウ。
穏やかな風が体を包む。
草木の揺れる音が優しく耳を打つ。
そして後頭部には心地よい柔らかな感触。
そうだ、変な獣に襲われて…
だれかに助けてもらって…気を失ったんだ。
気絶する直前に、俺の横にいた女の子の顔がめちゃくちゃ可愛かったのは覚えてる。
あれは夢だったのか?俺はいったいどうなって…
目をゆっくりと開くと飛び込んでくる美しい二つの膨らみ。眩しさに反射的に目を細め…
「あ、気が付いた?良かった!」
件のめちゃくちゃ可愛い女の子が、心配そうに覗き込んでくる。
「もう、私の顔を見て気絶するなんて!ほんと失礼しちゃうわよ!」
おそらく同年代であろう美少女は、そう言って頬を少し膨らませる。あぁもういちいち可愛い。
状況を整理しよう。
眼前には視界のおよそ半分を占める柔らかそうな双丘。後頭部には心地よい柔らかな感触。
俺はその美少女にひざ枕をしていただいていた。
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ひざ枕の効果か、先程感じていた恐ろしい空気はすっかり消え去っていた。平原もまた美しい様相を取り戻している。
彼女はマリ、16歳。歳は俺のひとつ下だ。赤髪ポニーテールを携え、顔の小さいモデル体型の大正義美少女。背丈は俺よりも少し大きい。
赤と白を基調とした軽装を見に纏い、幅が広めのスカートを履いている。パッと見た感じでは高貴な令嬢のような出立ちではあるが、ところどころ冒険者のような戦闘を想定とした装備に見える。
マリはあちこちを旅をしているらしく、今拠点にしているこの平原から近くの街を目指す途中で、ガルムに追われている俺を見て咄嗟に助けてくれたらしい。
「ガルムに追われてたみたいだけど…危なそうだったから。手を出しちゃったけどその様子だと、助けて正解だった…のよね?」
美少女が、自分の傍に座る俺に聞いてくる。
奴らの名前はガルムというのか
あの状態で助けて不正解な状況が存在するのか
とても落ち着く、甘くていい匂いがする
その辺のアイドルより高いレベルの容姿だ
多くの重要な情報を頭の中でフォルダ分けしながら、俺はなんとか言葉を返す。
「本当にありがとう、助かったよ。キミは命の恩人だ…。」
まずお礼をしてから、続けて
「ここがどこかも分からないし、持ち物も何もなくてさ。なんか変な獣…ガルムだっけ?急に襲われるし、もう何が何だか…」
募る不安をぶち撒けるように早口で今置かれている状況を伝える。
「落ち着いて。ここはリルム平原。リルムって街に近いところにあって、街道から外れるとモンスターもでるの。」
マリの返答に「あ、ごめん」と一言添え、落ち着いて情報を整理する。
リルム?モンスター?まるでファンタジーだな。
とは言え実際死にかけた訳だし、さっきの魔法みたいなのだって目の当たりにしてる。
異世界…なのか?
けどこれはもう信じない方が話が拗れるし、素直に話した方が良さそうだ。ここにきた経緯も不明な以上、ここからどうするかを考えるべきか。
「信じてもらえないかもしれないけど、話を聞く限り別の世界から飛ばされてきたとしか思えなんだ。どうやってここに来たのかも覚えてなくて。」
改めて俺の話を聞いたマリは、不思議そうな表情。
「まぁ、聞く限り稀有な状況ではあるみたいね。記憶がないってのも気になるし…ガルムのことも知らないみたいだし。」
と、口元に手を持っていき、何かを考える仕草をするマリ。すぐに、よし!と手を叩き立ち上がると
「どうせ街まで行くところだし、一緒に行かない?私もこのままキミを放っておくわけにもいかないし。 ね?」
と、嬉しそうに言った。迷子の中の迷子であるこちらとしては願ってもないことだが…どうしてそこまでしてくれるのか。
そう考えていると、表情から何かを汲み取ったのか、マリは続けて
「私、結構遠くから旅してきてるんだけどね…やっぱりずっと一人だと寂しくて。『旅は道連れ世は情け』って言うじゃない!」
なるほど。モンスターもいるのになぜ一人旅なんてしてるのかとか気になるけど、この世界のことも色々と聞きたいし、是非とも世話になろう。
「ありがとう。マリさんのお言葉に甘えさせてもらうよ。俺は通…尾野通。宜しく。」
そう自己紹介すると、彼女の顔が怪訝そうに歪む。
何かおかしなことを言ったか。そう思い、自分の言葉を頭の中で反芻する。うん、特に変なことは言ってない筈だが…
するとすぐにマリがその表情を浮かべた理由の答え合わせを始めた。
「それって、本名?なんで私に本名を明かしたの?確かにあなたのことは助けたけど…」
何故か顔を少し赤らめて、とても動揺している。
「えっと、ごめん。分からないんだけど、本名を名乗ったら何か変なことでもあるの?」
純粋に何がおかしいのか分からない俺が質問を返すと、マリはなんだかモジモジした様子で答えてくれた。
「あ、そうよね…えっとね、本名って、本気で心を許した信頼する相手にしか名乗らないのよ。こ、この世界の常識のひとつ。本名を知っていれば色術で居場所も辿れるし、色々と危ないのよ。」
色術?居場所を辿る?
気になるけど、とりあえず今は置いておこう。
「そうなんだ、教えてくれてありがとう。街に行く前に知られてよかった。気をつけるよ。」
それを聞いたマリは少し残念そうに見えた。
「もちろん私は別に、キミの本名を知ったところで何かする訳でもないから安心して。あ、ちなみにマリって名前は通り名みたいなもので、本名じゃないからね。キミも何か考えた方がいいよ。」
通り名…あだ名みたいなものか。
なんだか源氏名を決めるような、少し恥ずかしさでくすぐったい感じがする。
けど、どうせ名乗るなら昔から友達に呼ばれていたあだ名で、気に入っているのにしよう。
「そうだなぁ…よし、俺の通り名は『ツウ』!これから俺は、ツウだ!」
そう告げるとマリは、こちらに笑顔を向け右手をこちらに差し出しながら
「それじゃツウ!改めて宜しく!私のことはマリでいいからね!」
マリが笑顔で右手をこちらに向けて差し出す。対して俺も、宜しく。とそれに応じる。彼女の手は、とても優しく、包み込んでくれるような、暖かい手をしていた。
気がつくともう既に日が暮れようとしていたが、その景色は、俺が今日見た中で一番綺麗に映った。