第25話 最後の一人①
「空山人を見ず……、ってとこか」
地方の田舎のさらに田舎の限界集落から、獣道を歩くこと三時間。
およそ人が生活するなど想像できない山奥へと、空峰天馬は足を踏み入れていた。
「本当に、こんなところで暮らしているのでしょうか? 何のために?」
後ろから天馬にたずねたのは、妹の紫凰である。
「さあな。それは本人に聞かないと……おっ」
急に天馬の視界が開けた。草木生い茂る暗い山道から、広い河原に出たのだ。
天馬が着いた場所のすぐ近くに、人の生活の痕跡があった。石で組まれたかまど、キャンプ用のテーブル、椅子、ハンモック、ターフがあり、そこから少し離れて、十人以上は寝泊りできそうな大型のドームテントが張られていた。
かまどには火が起こされ、その上では串刺しの焼肉が香ばしい匂いをたてている。
「……アンタら……天馬と紫凰……?」
川辺に立つ、一人の少女が天馬達に気付いた。
髪をライトブラウンに染め、耳にはピアス、ダメージ加工のジーンズを履いた彼女は、数年間会わないうちにギャル路線へと進んでいたようだ。……そんなファッションを自分以外誰もいない山奥でして、意味があるのかはさておき。
「なんの用?」
少女は訝しげな目を天馬に向ける。その特徴的な黄色い瞳は、昔からまるで変わっていない。
天馬は懐から封筒を取り出した。
「パーティーの招待状を持ってきた。お前が最後の一人だ、天津風美雷」
「行かない。本家の跡取りの座なんて興味ないわ」
天津風家の一人娘、美雷はバーベキューの串焼き肉を頬張りながら、そっけなく答えた。
「俺だってべつに跡取りになりたいわけじゃない。けど、そういう意思とは関係なく、俺達には出席義務があるんだよ。全員参加が選考を行う条件なんだからな。俺やお前が逃げ回っていたら、いつまで経っても跡取りが決まらない」
「そうやって強制的に会合に参加させて、跳ねっ返り世代をなし崩しに五輪グループに組み込もう、っていうのが大人達の思惑なんでしょ。見え見えよ」
「……まあな」
天馬は晴れた空を仰ぎ、父親の顔を思い浮かべた。
家督を放棄して小説家として生きることを望む天馬に対して、父は直接的な反対や強制はしない。それが家出していた天馬との和解の条件だからだ。だがその代わり、なんだかんだと五輪グループに関わる用事を頼んで、義理やしがらみで縛り付けようとしてくるのだ。
今回の『全員参加しなければ選考は延期』という条件は、父が本家に進言したものかもしれない。その可能性は十分ある。
それが薄々分かっていても、妹のため、他のいとこ達のため、義理を果たそうとしてしまうのが天馬の性分なのだ。
一方、美雷にとってはそんなことはクソくらえである。この少女は、いとこ達も本家も、五輪一族全体を嫌っているのだから。
「あたしはね、五輪一族の気違いの血統が大嫌いなのよ。紅子も王我も、紫凰、アンタもね。いつもいつも、すぐキレて暴れて意味不明な事を叫んで『殺すー殺すー』って、馬鹿みたい。アンタ達みたいのと同じ血が自分にも流れてるってことが、心底恥ずかしいわ」
「ハアアア!? いつわたくしがキレて暴れたというのです! この空峰紫凰を、こともあろうに紅子と同類扱いだなんて屈辱の極みですわ! その首すっとばしますわよ!!!」
「ほら、そうやってすぐキンキン声で喚き散らす。だいたいアンタのその『ですわ』って何? 頭おかしいの? 知ってるけど」
「きいいいいいい! 殺す! ぶち殺してやりますわ! 大体、わたくしの方こそ昔からあなたが嫌いでしたのよ! 『自分はこいつらとは違う』みたいな斜に構えた態度がほんっとムカつく! 死ね!」
紫凰は携えていた三月日宗近を抜刀して斬りかかった。
常人なら確実に即死している超高速の一撃を、しかし美雷はひらりとかわす。
五輪一族を忌み嫌っていても、その血統ゆえの超人的身体能力は、やはり美雷にも受け継がれているのだ。
「はーあ、さっそく暴力。アンタ達のその、うっとうしいテンションが嫌なのよ。もううんざりなの、そういうの」
「ぎいいいいいいいいい!!! みらあああいい!!!」
紫凰の二太刀目は河原の大岩に直撃した。
人知を超えた怪力の一閃により岩は真っ二つになる……はずもなく、砕けたのは名刀・三月日宗近のほうである。
「うああああーーー! 刃が、刃がああぁぁ! お父様に怒られますわあーーー!」
「だからそんなもん持ってくるなと言っただろうが」
「うう…………お兄様ぁ……」
美雷は涙目の紫凰を無視して、天馬に目を向けた。
「それでもね、天馬。アンタのことだけは尊敬してたわ。アンタだけはまともだと信じてたし、だからこそ五輪の血統に生まれても正常な人間になれるって希望があった」
「そりゃどうも」
「けど……あれはなんなのよ?」
「は?」
「同人サークル『へんたいランドセル』の『姫騎士エルフちゃんおげれつレイプ! 触手モンスター軍団恥辱の罠!』のことよ」
「は……おま、なんでそれを……」
「あのへんの界隈と関わりある人にネットで聞いたのよ。今注目株の新人純文作家が、別名でエロゲライターやってるって。本当に驚いたわ、まさかアンタが、あんな死ぬほど下品で頭の悪いエロゲを作ってたなんて」
「いや、あれはアウトソーシングで……どうしてもって頼まれたからシナリオ書いただけで……」
「言われたからやりました、って? 典型的なクズ野郎の言い訳ね」
「駆け出しの作家なんて、仕事選んでられないんだよ」
「お兄様、なんの話ですの?」
事情を知らない紫凰が、不思議そうに首を傾げる。
「なんでもない、なんでもない」
天馬は慌てて誤魔化した。
「……とにかく、あれを見て確信したわ。やっぱりアンタも異常者達の仲間なんだって。そしてあたしは、もう五輪一族とは金輪際関わらないと決意して家を出たのよ」
「それで、こんな山の中でキャンプ生活をしてるのか」
「そうよ。アタシはここで山ごもりの修行をして悟りを開き、呪われた五輪の血から開放されて真人間になるのよ」
「悟りって………」
「あなたバカですの?」
「だれがバカよ。バカってのはアンタ達兄妹みたいな人間を言うのよ。さあ、分かったらもう帰って。私はこれから滝に打たれる修行を……」
――――ピコン!
スマホの通知音が鳴った。
まさかこんな人里離れた山奥でスマホが鳴るとは思っておらず、天馬と紫凰は顔を見合わせる。
美雷は平然とポケットからスマホを取り出し、画面を確認した。
「プリンセスクエストの緊急イベントか……。えっ、『三時間限定スーパーレアドロップダンジョン開放』!? うわ、マジ!? すっごいじゃん!!!」
急に顔を輝かせ、美雷はテントに向かって歩き出した。
「こうしちゃいられないわ!」
「修行に行くのか?」
「今日はそんなの止めよ! テントに戻って周回作業しなきゃ! 三時間全力で石割りしてブン回すんだから!」
「……ここ、電波入るんだな。というか、悟りとか修行とか言ってたくせにスマホ持ってんのかよ」
「なんか文句あるの? 『悟りを開く修行中はスマホ禁止です』なんてブッダは言ってないわよ」




