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炎城寺紅子の炎上  作者: 秋野レン
シーズン1 キーボードクラッシャー紅
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第4話 荒らしはスルーせず反論しよう


『モンタギューとの試合の感想? あんなザコ相手に感想も何もないわよ。試合始まってからずっと逃げ回るだけで、ろくに戦いもしないし。結局パンチ一発で沈んでおしまいだし。馬鹿みたいね』

 

『グリーフ? 誰よそれ? ああ、先月わたしがぶっ飛ばしたジジイのことか。べつに、あんなの相手が弱すぎただけでしょ。さっさと引退しろっての。お前の時代はとっくに終わってんのよ』

 

『リチャード? ああ、あいつハゲよ。試合中にヅラがずれたの直そうとしてたもん。そうそう、その隙に腕取ってアームロック決めたの。あれがなければ手強かったんだけど、惜しいわね。ほんとハゲてさえなけりゃ強いのに。これからもハゲに負けずに頑張ってほしいわね』

 


「いかがです。これがお嬢様の、過去のインタビューでの発言です」


 イルカが、スマホの画面上に流れていた動画を停止して言った。


 動画のタイトルには『炎城寺紅子の問題発言まとめ』と銘打たれている。


「それがどうしたのよ」


 紅子が言った。


「こういうことばかり言ってるから、ネットで叩かれるようになったんですよ」


「なんでよ。本当のこと言っただけじゃないの」


「あのねえ、お嬢様。モンタギューもグリーフも、かつて一時代を築いた伝説的英雄なんですよ。それをこんな風にディスったら、叩かれるに決まってるでしょう」


「だって本当のことだもん。伝説だろうが英雄だろうが、弱いやつは弱いわよ」


 紅子はあくまでも平然と答えた。


「それにね、わたしはべつに誰もかれも悪口言うわけじゃないわ。強いやつのことは素直に認めるわよ。ほら、リチャードのことはちゃんと強いって褒めてるでしょ」


「これを誉め言葉だと思える神経がどうかしてますよ」


 二台目のキーボードも破壊して、書き込み不可能になった紅子は、2ちゃねるからすごすご退散した。


 そして今は、イルカから「いかに炎城寺紅子は嫌われているか」などという不愉快極まりない説明を受けていた。イルカは自分のスマホを見せながら、ネット上に山ほど存在する紅子アンチのサイトや掲示板を、次から次へと紹介してくれた。


 小一時間のレクチャーの後、イルカは言った。


「とまあ以上が、お嬢様に対するネットでのおおよその意見です。わたしの想定では、ネット上にお嬢様のアンチは一万人を超えていると思われますね」


「なるほど。よくわかったわ。そいつら全員ぶっとばせばいいわけね」


「よくそこまで前向き……と言っていいかどうかは分かりませんが、落ち込まずにいられますね。あれだけの誹謗中傷を目の当たりにしたら、普通なら自殺も考えるレベルですよ」


「なんでわたしが死ななきゃならないのよ。死ぬべきなのは、なにも悪くないわたしを中傷するこいつらの方でしょ」


 紅子が青筋を立てながら、とあるコメント欄に書き込まれた『炎城寺はチンパンジー』という一文を指さして言った。


 紅子の感情は、「喜怒哀楽」ではなく、「喜怒怒楽」で構成されているのだ。


「お嬢様がなにも悪くないかどうかはさておき、アンチに屈さない姿勢はさすがですよ。で、これからどうされるんですか」


「……とりあえず、イルカ。あんたのTwiter見せなさい」


「は?」


「あんたのスマホの中のTwiterよ。それを見て、あんたが普段なに書き込んでるのかチェックするわ」


「な、なんでですか。嫌ですよ」


「見せられないの? さては、あんたもわたしの悪口書き込んでるわね!」


「してませんって!」


「なら見せればいいでしょ! だいたい、あんたわたしのアンチサイトに詳しすぎるのよ! 本当はあんたも、わたしをディスってるアンチのひとりなんでしょ!」


「違います! ただ恥ずかしいから見せられないだけです!」


「恥ずかしいって、なにがよ」


「いや……ですからその、エッチ系なやつとか、オタクな話題とか、ポエムっぽいツイートとか、そういうのがあるので」


「はあ、エッチ? オタク? ポエム? もっと具体的に教えなさいよ」


「具体的に教えたくないから、見せられないんですって」


「ぐちゃぐちゃ言ってんじゃないわよ! わたしを裏切ってないのなら、スマホを見せてちゃんと証明を――――」


 紅子が、強引にイルカの手からスマホを奪い取ろうとする。


 その時、ドアがノックされた。


「お姉ちゃん、いる?」


 紅子もイルカも、争いの手を止める。


 ドアが開いて、ひとりの少女が入ってきた。


「わあ、紅子お姉ちゃんだ! 本当に帰って来てたんだね!」


 年のころ十歳前後の、その幼い少女は、紅子を見て顔を輝かせた。


「そよぎ!」


 紅子もまた、嬉しそうな声で少女の名を呼んだ。


「もう、日本に帰って来たなら教えてくれたらいいのに。ずっと会いたかったんだよ、お姉ちゃん」


「ごめん、ごめん。昨日から大事な用があって、忘れてたわ」


 ネットの煽り合いも、紅子にとっては大事な用である。


 紅子の意識がそれたのをこれ幸いとばかりに、イルカはスマホをがっちりと確保した。


 そんなイルカに対しても、そよぎと呼ばれた少女は挨拶をかわす。


「イルカさんもお久しぶりです。わたしのこと覚えてますか?」


「はい、はい、覚えておりますよ。紅子お嬢様のいとこの、海原かいばらそよぎ様ですね」


 Twiterアプリにロックをかけながら、イルカは答えた。


 海原家は炎城寺家に比肩する資産家であり、親族関係である。海原家の一人娘のそよぎは紅子と仲が良く、紅子がアメリカへ発った二年前までは、たびたび遊びにやって来ていたのだ。


「あれ、パソコン……。お姉ちゃん、パソコン買ったの!?」


 そよぎが机の上を見て驚愕の声を上げた。この少女も、紅子のIT音痴についてはよく知っているのだ。


「そうよ、最新機種のハイエンドマシンよ。すごいでしょ」


「う、うん。こんな大きいパソコン初めて見たよ。なんかすごい派手だし」


 七色のLEDが散りばめられた筐体を見て、そよぎがあっけにとられている。


「よし、そよぎにもわたしのスーパーマシンを見せてあげるわね」


 紅子が自慢げにパソコンのスイッチを入れた。


 爆速のCPUが、わずか数秒でウインドウズを起動してデスクトップ画面を表示する。


「どう? 『よんけー』ディスプレイってやつらしいわよ。綺麗でしょ」


「うーん……綺麗だけど、スタート画面見てるだけで目がチカチカするよ……」


 そよぎは、目をぱちぱちと瞬かせる。


「お姉ちゃん、ちょっと使ってみてもいい?」


「もちろん。Twiterでも2ちゃねるでも、好きなの見ていいわよ」


「いや、そういうのは見ないよ……」


「そう? まあ何でもいいわ、はい」


 紅子がマウスをそよぎに差し出した。


「お嬢様、よろしいのですか。エッチな動画とか、恥ずかしいポエムとか、置いてないんですか」


「んなもんないわよ」


「ありがとうお姉ちゃん。それじゃあ早速ネットで……あれ、なんでキーボード壊れてるの?」


「ちょっと手が滑っただけなのに、勝手に壊れたのよ。きっとソニータイマーってやつが仕込まれてたのね」


「『ロジクール』って書いてあるけど」


「ならチャイナタイマーよ」


「スイスです」


 明らかに物理的な力で破壊されたキーボードの残骸を、そよぎは不思議そうに数回試していたが、反応がないことを確認すると諦めた。


「仕方ないからスクリーンキーボード使おうか」


そよぎがスタートメニューから何やら操作すると、画面上にキーボードが表示された。


「え、なにこれ凄い。裏技?」


「べつに裏技でもないと思うけど……」


「ちょっとイルカ! なんでこの技教えなかったのよ! これがあればまだ戦えたじゃない!」


「教えたところで、今度はモニタを破壊する羽目になるだけですよ」


 そよぎは画面上のキーボードを使い、『炎城寺』『ファンサイト』とキーワードを打ち込んで検索を始めた。


 ほどなく、とあるホームページを見つけて言った。


「ほら見て、お姉ちゃん!」


 そのページは、炎の画像をバックに様々な装飾に彩られ、洗練されたデザインで多くの文字やアイコンが並べられていた。ページトップには『~燃え盛る紅蓮の炎~炎城寺紅子ファンサイト』とタイトルが銘打たれている。


「え、これって……」


「お嬢様のファンサイトですか?」


 紅子とイルカが聞いた。


「うん、そうだよ。わたしが作ったの」


「そよぎが? へええ、いつからこんなの作れるようになったのよ」


「お姉ちゃんがアメリカで格闘家デビューしてすぐに初めたから、一年半くらいかな。ほら、お姉ちゃんの公式試合の戦績は全部のせてるんだよ」


 そよぎが自作のホームページをお披露目していく。


 その出来栄えに、紅子以上にイルカが感心した。


「ほええ……凄いですねえ。ホームページをただ作るだけなら、それほど難しくはありませんが、このクオリィティはプロ並みですよ。内容もすっごい充実してますし。お嬢様の過去の戦績だけでなく、各試合のハイライト……戦法やスタイルの解説……へえ……こんなに詳しくまとめてるんですか。おや……『炎城寺紅子のインタビューまとめ』? これはまずいでしょう」


「なにがまずいってのよ」


「さっき説明したでしょう。お嬢様のインタビューなんてヘイトスピーチに等しい暴言の嵐なんですから……ええと、『モンタギュー戦の感想:カウンター狙いで引いて戦うモンタギューに対して、恐れず積極的に前に出たことが良かった、と炎城寺は語った』……はあ、なるほど。こういう風に曲解することもできなくはないですね」


「お姉ちゃんは率直すぎて、ちょっと誤解されやすいところがあるからね。言ったことをそのまま文字にするんじゃなくて、わたしのほうでちょっと編集してるの。駄目だったかな?」


「別にいいわよ。わたしだって、実はこういうことが言いたかったのよ」


「本当ですかね……。グリーフ戦の感想は『あの人が引退しても自分が後を引き継いでみせる、と炎城寺は語った』……リチャード戦は『彼が汗で滑ったわずかな隙をついた腕取りがうまくいったが、手強い相手だった。これからも共に切磋琢磨していきたい、と炎城寺は語った』……はー、ものは言いようですねえ」


 イルカが呆れたような、感心したような声で、しきりにうなずく。


「コメントもいっぱいついてますねえ。ひとつの記事に百とか二百とか……これPV凄いことになってるんじゃないですか」


「お姉ちゃんが全米トーナメントで優勝してから、月間百万PV超えたよ」


「百万PV?」


「ひと月に、このホームページが百万回見られてるってこと」


「ええ! そよぎ、凄いじゃない!」


「凄いのはお姉ちゃんの人気だよ。そりゃそうだよね、無差別級の男格闘家に混じって、女の子が優勝しちゃったんだもん」


「え、わたしの人気?」


「うん、お姉ちゃん人気者だもん。ほら、この掲示板でもみんなお姉ちゃんのこと褒めてるでしょ」


「掲示板……」


 その言葉を聞いて、紅子は露骨に顔をしかめたが、そよぎは気付くことなくファンサイト付属の専用掲示板を開いた。

 


 516:

『炎城寺選手の戦いは、いつもいい意味でハラハラさせてくれる。ポイントや判定をまるで考えず常に前に出るから、見ていて気持ちがいいよ』

 

 517:

『あのリア・モンドとの準決勝は、百年後も伝説として語られると思います』

 

 518:

『世界チャンピオンで超美人っていうのがもう……天は二物を与えず、という言葉はこの人には当てはまらないよね』

 

 519:

『ほんと、かっこよすぎです…胸くるしい…』

 

 520:

『日本が世界に誇れる偉人のひとり。国民名誉賞を与えるべきだと思う』

 


「ほらね、みんなお姉ちゃんのこと大好きなんだよ」


「……嘘よ」


「え?」


「嘘を付くなあああ! どうせこいつら、内心ではわたしのこと馬鹿にしてるのよ! あざ笑ってるのよ! 騙されるもんですか!」


 紅子が顔を真っ赤にして、すでに壊れているキーボードをふたたび殴りつけた。


「お、お姉ちゃん!?」


「お前も、お前も! 本当はわたしのアンチスレに書き込んでるんだろ! くそくそくそ!」


「お姉ちゃん、どうしちゃったの……?」


 呆然とするそよぎに、イルカが解説する。


「お嬢様は昨日から大変つらいことがあり、人間不信気味なのです。いやあ困ったものですよ」


 そもそも紅子の嫌われぶりを散々見せつけたのはイルカなのだが、当の本人は他人事のように肩をすくめた。


 そんな二人の様子を見て、そよぎは事情を察したようだった。


「ああ、そういうこと……」


 そよぎは紅子にむかって、優しく諭すように語りかける。


「お姉ちゃん。たしかに、ネットの中にはお姉ちゃんのこと嫌なふうに言う人達もいるよ。でも、そんな悪口に惑わされないで」


「え……」


「あのね、ネットでは悪口ほど声が大きくなって多数派に見えるんだよ。でも本当は、お姉ちゃんのこと好きな人のほうがずっと多いんだよ」


「そうなの……?」


「ほら、この『炎城寺wiki』はこのファンサイト見ている人たちが、ボランティアで協力して作ってるんだよ。お姉ちゃんのことが嫌いだったらこんなことしないよね」


 そよぎが、有志により製作された紅子の百科事典を紹介する。


 そこには、紅子にまつわる大量の情報が、五十音ごとに編集されてまとめられていた。その内容は、堅い文体ではあるが紅子への敬意と愛情にあふれている。これまで紅子がネット上で目にしてきた、暴言や中傷、皮肉とは無縁の世界だった。


 それを見ているうちに、怒りで真っ赤になっていた紅子の顔は次第に輝いていく。


「そっか……わたしって本当は人気者なんだ……。あはは! そうよね! この世界最強の炎城寺紅子が、嫌われてるわけないじゃん!」


 紅子の怒りは瞬間湯沸かし器のごとく高速で沸騰するが、冷えるのもまた速い。いまにもモニタに鉄拳を叩きこみそうだった紅子は、ころりと態度を変えて笑い出した。


「なによイルカ。わたしのこと嫌われ者だなんて言って、大嘘じゃないの。あやうく騙されるところだったわ」


「べつに嘘というわけではないですよ」


 イルカのネット上の行動範囲の中では、紅子アンチの方が圧倒的に多いのは事実だ。


 だが紅子はもう完全に気をよくして、我英雄なり、とばかりにふんぞり返っていた。


「うんうん。このサイトの住人たちは、Twiterや2ちゃねるのろくでなし共と違って、知的で品があるわね。きっと美男美女ばかりで、リアルでも成績優秀スポーツ万能、友達がたくさんいるエリートなんだわ。きっとそうよ」


「そこまでは分からないけど……いい人たちだよ」


「そよぎ。あんたはこのホームページで、わたしをずっと応援してくれてたのね。ありがとう。あんたはわたしの一番の親友だわ」


 紅子がそんなことを言い出したものだから、イルカとしては面白くない。


「……あのー、お嬢様。そろそろアンチスレの住人たちに、リベンジしに行きませんか。スクリーンキーボード使えば、書き込みできますよ」


「後でいいわ。それより、そよぎ。もっといろいろ見せてくれる?」


「うん。あのね、ここにはお姉ちゃんのプロフィールを載せてるんだ」


「『炎城寺紅子の好きな食べ物:回転寿司、好きなブランド:ユニクロ、趣味:ゲームボーイで遊ぶこと』…………あはは、『管理人さんはどうしてそんなことまで知ってるんですか』なんてコメントついてるじゃない。そりゃそうよ、わたし達いとこなんだから」


 イルカをほったらかしで、紅子はそよぎと話し込む。


「あの……」


「ああ、イルカ。お茶入れてきて」


「プロテインですか」


「そよぎにそんなもん飲ませるわけないでしょ。紅茶よ」


「はあ」


「あ、それとケーキもね。そよぎ、ケーキ食べるでしょ」


「食べるー」


「ケーキと紅茶、2つずつよ」


 イルカの分は勘定に入っていないらしい。


 憤懣やるかたなく、イルカは台所へ向かった。


「むっかー! なんですか、お嬢様は! ついさっきまで、ネットでボコボコにされてわたしに泣きついてたくせに! ちょっと若い女が現れたら、すぐ乗り換えですか!」


 主への不満を独り言ちながら、お湯を沸かす。


「わたしはそよぎ様が生まれる前から、お嬢様にお仕えしているというのに!」


 昔から、炎城寺家でのイルカの立ち位置は、紅子のお守り係である。ワガママで無軌道な紅子の相手に辟易することもしょっちゅうだが、それでもいざ自分を放置して他の人間と仲良くされると腹が立つのだ。


 紅茶の葉を乱暴にポットにぶちまけ、ケーキを冷蔵庫から取り出して手荒く皿に盛りつける。紅茶に雑巾のしぼり汁を混ぜてやろうかとも考えたが、バレたら間違いなく殺されるのでやめておいた。


「お嬢様がそういう態度をとるなら、いっそ、わたしもアンチの仲間入りしてやりましょうかね。お嬢様がリアル最強なら、わたしはネット最強ですよ。この千堂イルカを怒らせるとどうなるか、地獄の炎上を味あわせて……」


 その時、紅子の部屋から悲鳴が聞こえた。


「ぎゃあああああーーー!」


 何事か、とイルカは慌てて紅子の部屋に戻った。


「お嬢様、どうしました! またウイルスですか!?」


「あ、あ……」


「あ?」


「アンチが現れたのよ!」


 その言葉通り、モニタ上には『炎城寺紅子ファンサイト』には相応しくないコメントが表示されていた。


 

 522:

『お前らこんなブスの太鼓持ちしてて虚しくないの? 信者さんご苦労さまですwwwww』


 

「よりによって、そよぎが作った楽園にまでやってくるなんて……よ、よくも……!」


「レスバトルの時間ですね!」


 イルカが大はしゃぎで言った。


「お任せください! このわたしがサポートしますから! 二人で力を合わせて、今度こそアンチを撃退してやりましょう!」


「よーし……やってやるわ!」


 第二ラウンド開始とばかりに、紅子とイルカがボルテージを上げる。


 だが、サイトの管理人である当のそよぎは平然と答えた。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん」


「え……」


「たまにあることだから、放っておけばすぐ消えるよ」


「な、何言ってるの。こういうやつは煽り返して泣かせてやらないと」


「いいから、見てて。ファンの人達もそうするはずだから」


 そよぎの言うとおり、掲示板の住人たちは突然現れたアンチコメントを、まるで相手にせず雑談を続けていく。


 

 523:

『来月出るDVD予約した?』

 

 524:

『炎城寺ベストバウトセレクションVOL2ですね、三枚買いますw』

 

 525:

『炎城寺選手のフットワークって独特だよね』

 

 526:

『あれはトレーニングの賜物なんだよ。子供の頃から、うさぎ跳びを一日五百回やってたんだって』

 

 527:

『天才って言われてるけど、才能だけで強くなったわけじゃないよね。すごい努力家なところも素敵だと思います』

 


 二十分ほどたっても、誰ひとりアンチのコメントに言及するものは現れなかった。


「ほらね。誰も気にしてないでしょ。わざわざああいう人の相手をすることないんだよ」


「し、信じられない……これだけの人間がいて、全員が荒らしを総スルーって……『荒らしに反応する荒らし』が一人もいないなんて、なんという民度の高さですか…」


 イルカは震撼していた。


 だが、紅子は不機嫌そうに顔をしかめる。


「なによこいつら。わたしのファンのくせに、どうしてわたしの悪口言う相手に反論しないのよ」


「ええ……」


 そよぎが呆れて言った。


「お姉ちゃん……これでいいんだよ。ほら、掲示板の注意事項にも書いてあるでしょ。荒らしには構わずスルーしてくださいって」


「どうしてよ。人の悪口言うやつには、ちゃんと注意しないと駄目でしょ。いじめは黙って見てるやつも同罪なのよ」


「それはリアルの理屈だよ。ネットでは、いじめや悪口を見かけても相手をしないで知らんぷりしないと駄目なの」


「なんでよ、おかしいでしょ!」


 そよぎが頭を抱えて、どこから説明したものかと思案する。


「えっとね、なんの得にもならないのにネットで暴れてる人っていうのは、自分の欲求不満を八つ当たりで解消したいんだけなんだよ」


「つまりこいつも、ただの無能のクズってことね。なおさら放っておけないわ。文句言ってやらないと」


「それをすると喜んじゃうから駄目」


「なんでよ。こいつマゾなの?」


「そうじゃなくて、こういう人は注目されて自分の存在を認められたいんだよ。たぶん、悪者ってカッコいい、みたいな勘違いをしてるんだろうね。だから、お姉ちゃんが怒ったりしてレスを返せば喜ぶだけなの」


「悪者だろうがいいものだろうが、わたしをブス呼ばわりするやつは生かしておかないわ! 徹底的に煽り返してやるんだから!」


 自分は人をハゲ呼ばわりしたことを棚に上げて、紅子は反撃の悪口を書き始める。


 スクリーンキーボードの使い勝手の悪さに四苦八苦しながらも、なんとか長文を完成させた。


 

『>>522 人のことをブスとか言ってるけど、あなたはどうなんですか。どうせ醜く太った豚のような顔をしているのでしょう。たまにはパソコンの電源を切って、暗いモニタに映る自分の顔を直視してみたらどうですか』


 

「よし、これでオッケーね。書き込みよ!」


 紅子は意気込んで『書き込み』ボタンをクリックする。


 ところが、紅子のコメントは送信されず、かわりに『ログイン画面』と表示されたページに飛ばされた。


 

【IDとパスワードを入力してログインしてください】


 

「……なによ、これ」


「この掲示板は会員制になってるから。会員登録してない人は書き込めないよ」


「なんでそんな面倒なことするわけ?」


「荒らしを寄せ付けないようにするためだよ。だから、お姉ちゃんも書き込むのは諦めてね」


「わたしは荒らしじゃないわよ。荒らしに抗議するために書き込むのよ」


「それが荒らしなんだよ」


「意味わかんないわよ。いいからそよぎ、あんたのパスワード教えなさい」


「ごめんね。忘れちゃった」


 そよぎは、思い出そうとする素振りを微塵も見せずに言った。


 結局その後、紅子は釈然としないままパソコンを切り上げ、お茶の時間となった。


 そよぎはケーキを食べながら、ネットで口喧嘩することがいかに不毛で虚しいかについて、紅子に語った。


「レスバトル……ネットの口論に勝ちも負けもないよ。もともと、炎上商法で注目さえされればいいって考えてる人たちが煽って、怒ってる人たちはただ踊らされてるだけなんだから」


「さっきの荒らしも、その炎上商法ってやつなの?」


「あの人は違うね、お金が目的じゃないから。ああいう人達は、自分が学校や会社で上手くいかなくて、むしゃくしゃする気持ちを晴らしたくて暴れるの。これは心の防衛メカニズムで、『逃避』『置き換え』『幼児退行』って言われる反応が複合したものなんだけど。あの人の場合は、自分の弱さを克服するために努力や挑戦することから逃げて、お姉ちゃんみたいな成功者を憎むことに置き換えて、幼稚園児みたいな悪口で攻撃することを選んじゃったんだね」


「……? よくわかんないけど、変わったやつなのね」


「いや、普通によくいるタイプの人だから……。とにかく、『幼児退行』した人っていうのは、体は大人でも、考え方や道徳は完全に赤ちゃんなの。親の気を引きたくて、かんしゃく起こしたり、物を壊したりする赤ん坊と変わらないから、怒ったり構ったりしても喜ばせるだけなんだよ」


「ふうん……」


「だから、レスバトルなんてやっても虚しいだけだから。もうやめてね」


 そう何度も念を押して、そよぎは帰っていった。




 明けて翌日。


 紅子のもとに、ふたたび新品のキーボードが配達されてきた。


「これで三台目ですか。三日連続でキーボード買う人間って、なかなかいないでしょうねえ」


 イルカが、これまた三日連続となった、パソコンとの接続作業をしながらつぶやいた。


「それで、今日はどうするんですか?」


「知れたことよ。そよぎのホームページへ行って、昨日の荒らしに反論するのよ」


 紅子は当然のように言い放った。


「まあ、そうだろうなとは思ってましたよ」


 そよぎの説得は、まるで紅子に通じていなかった。というより紅子には、そよぎの言うことがろくに理解できなかったのだからしょうがない。


「でも、あそこは会員以外は書き込めないじゃないですか」


「だったら会員になればいいでしょ」


 紅子は『炎城寺紅子ファンサイト』を開き、トップページの右上にあるボタンを示した。


「ほら、ここに『新規会員登録』ってボタンがあるじゃない」


 紅子がボタンをクリックすると、会員登録するための個人情報の入力ページが開かれた。


「ふむふむ……名前とメールアドレスを登録すればいいのね」


「これなら簡単ですね。ただ、『炎城寺紅子』の本名で登録するのはまずいですよ」


「じゃあ『千堂イルカ』にしとくわ」


「やめてください。っていうか、こういうのは適当なニックネームでいいんですよ」


 イルカが断固拒否したので、登録名は『遠藤カイル』とした。メールアドレスも入力し、『次へ』ボタンをクリックする。


 すると、なにやらポップアップウィンドウが表示された。

 


【炎城寺紅子カルトクイズ】

 

『今から炎城寺紅子選手にまつわるクイズが二十問出題されます。制限時間は一問につき二十秒です。十五問以上正解で合格となり、会員登録が認められます。がんばってください!』

 


「ええ……試験があるんですか。周到ですねえ……。これだけ念入りに住人を厳選しているのなら、あの民度の高さも頷けますよ」


「こんなテストまでしてるのに、なんであんな荒らしが紛れ込んできたのよ」


「まあ、アンチは叩くために下手なファンより詳しくなる、なんてことがありますからね。それで、お嬢様は大丈夫ですか。二十問中十五問正解しないと、会員にはなれないみたいですよ」


「当たり前でしょ。わたしについてのクイズに、わたしが答えられないわけないでしょうが」


 紅子が『テストを始める』と書かれたボタンをクリックすると、一問目が表示された。

 


『第一問:202X年ラスベガスで開催された、グレートスーパーアルティメットマッチでの、炎城寺VSパトリック戦の試合結果は?』

 A.1ラウンドTKO (右ストレート)

 B.2ラウンドTKO (パウンド)

 C.1ラウンドKO (右膝蹴り)


 

「わたしが勝ったわ」


 小考したのち、紅子は言った。


「それしか覚えてないんですか。どうやって勝ったか、って問題なんですけど」


「そんなこと忘れたわよ。半年前の試合なのよ、これ」


「いや、それくらい普通覚えてるでしょ」


「わたしは過去の栄光にいつまでもすがって、自慢してるようなやつらとは違うのよ。……ええと、たぶん殴って勝った気がするからAかB……」


「あと5秒ですよ」


「ああ、もうAでいいや!」


 紅子が投げやりに回答すると、すかさず二問目が表示される。

 


『第二問:炎城寺選手がCMに起用された、ワイルドスカイ社の新作スニーカーの商品名は?』

 A.ドラゴンファイア

 B.キングブレイズ

 C.スカーレットパワー


 

「そんなの忘れたっての」


「覚えててあげましょうよ。スポンサーなんだから」


 そんな調子で二十問のクイズを終えると、結果が表示された。

 


『正解数:3/20問。申し訳ありませんが、あなたを当サイトの会員として認めることはできません。もっと炎城寺選手について知ってから、また挑戦してください』

 


「…………」


「あーあ、駄目でしたねえ。それにしても、三択問題なんだから、適当に選んでも六点か七点くらいは普通取れるものなんですけどねえ」


「なんでこうなるのよ! なにが『もっと炎城寺選手について知ってから』よ! 本人だっての!」


「その本人が、自分のことをまるで理解してないから、こうなるんでしょうが」


「くそ、どうすりゃいいのよ。会員登録できないと、いつまでもあの荒らしに反論できないわよ」


 そもそも、あのアンチコメントを書き込んだ荒らしがまだ掲示板を見ているのだろうか、という点がかなり疑問なのだが、紅子にはそこまで考えを巡らす頭はない。


 なんとかできないか、としつこくファンサイトを巡回していると、あることに気づいた。


「あれ。こっちのコメント欄の方は、普通に書き込めるわよ」


 サイト上に掲載された、紅子関係の各記事にはそれぞれコメント欄がついており、そちらの方は特に認証の必要なく、誰でも書き込める仕様になっているのだった。


「なんだ。これならわざわざ、会員になって掲示板に書き込む必要もないじゃない。こっちの方を使えばいいんだから」


「どうするんですか?」


「こうよ」


 

『どなたか会員の人は、次の文章を掲示板に書き込んでください』

 

『>>522 人のことをブスとか言ってるけど、あなたはどうなんですか。どうせ醜く太った豚のような顔をしているのでしょう。たまにはパソコンの電源を切って、暗いモニタに映る自分の顔を直視してみたらどうですか』


 

「これで、親切な会員の誰かが掲示板にコピーしてくれるでしょ。コピペってやつね」


 だが、一時間がたち、二時間待っても、紅子のコメントが掲示板へ書き込まれることはなかった。


「なんで誰もコピペしてくれないのよ! ここの住人は民度の高さが自慢じゃなかったの!?」


「民度が高いから誰もやらないんですよ」


 三時間ほどたって確認した時、紅子のコメントは消えてなくなっていた。


「なによこれ。わたしのコメントがなくなってるわよ」


「削除されたんでしょう」


「ハア!? 誰がそんなことしやがったのよ!」


「そよぎ様に決まってるでしょう」


「そよぎったら、書き込んだのがわたしだって気付かなかったの? しょうがないわねえ」


「べつに、お嬢様だと気付かなかったから、消したわけじゃないと思いますよ」


 そもそも、そよぎは全く同じ文章を昨日紅子が書き込むところを見ていたのだから、よほど頭が悪くなければ分からないはずがない。


 だが紅子はとても頭が悪いので、今度は実名で同じコメントを書き込んでしまう。


 

『どなたか会員の人は、次の文章を掲示板に書き込んでください』

 

『>>522 人のことをブスとか言ってるけど、あなたはどうなんですか。どうせ醜く太った豚のような顔をしているのでしょう。たまにはパソコンの電源を切って、暗いモニタに映る自分の顔を直視してみたらどうですか』

 

『P.S.わたしは炎城寺紅子本人です。みなさんにお願いです、今後>>522のような荒らしを見かけた場合、見て見ぬふりをせずにちゃんと反論してください』

 


「よし、これでいいでしょ」


「もはや正気とは思えないコメントですね。そよぎ様とこのサイトの紅子ファンの方々が哀れになりますよ」


「なにわけのわかんないこと言ってんのよ……書き込み、と」


 だが、紅子が書き込んだコメントは、今度は十分とたたないうちに削除された。


「おい、なんでよ!」


 紅子が怒りに任せてマウスのボタンを連打していると、画面が切り替わり背景が真っ白になった。


 殺風景な画面の中央に、そっけない一文が表示されている。

 


【ERROR:このページへのアクセスは禁止されています】

 


「なによ、これ」


「あーあ。とうとうアク禁されちゃいましたね。お嬢様は『炎城寺紅子ファンサイト』に出入り禁止にされたってことです」


「なんで?」


「そよぎ様がそう決めたからです」


「な、ん、で! わたし本人が、わたしのファンサイトを出禁にされなきゃいけないのよ! そよぎ! あんたはいつからそんな子になったの!」


 そよぎの立場なら当然の判断なのだが、紅子は信じていた妹分に裏切られた、と怒り心頭にわめき散らす。


「自分のファンサイトを自分で荒らそうとする、お嬢様のほうがどうかしてますよ」


 イルカが肩をすくめて言った。


「わたしは荒らしじゃないっての」


「荒らしに釣られて、反論を書き込むやつも荒らしなんですよ」


「わたしは釣られてない!」


「釣られてる人はみんなそう言うんです」


 ネット弱者の典型的発言に呆れるイルカだったが、ふと、これはお嬢様の寵愛を取り戻すチャンスかも、と思いついた。


 ここぞとばかりに、イルカは自分を売り込み始める。


「まあまあ、お嬢様。そよぎ様に見放されても、この千堂イルカがいますから。わたしこそお嬢様の一番の親友ですよ」


 つい昨日、紅子を裏切ってアンチの仲間入りをしようかなどと考えていたくせに、ぬけぬけとイルカは言った。


「ふうん。じゃあ、Twiter見せてみなさいよ」


「それは駄目です」


 そこは、あくまでも頑なだった。


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