第1話 紅子とくじらとレスバトル①
炎城寺紅子の名を知らない人間は、日本に数えるほどしかいないだろう。
十七歳にして男女混合の総合格闘技全米トーナメントで優勝したチャンピオン。年齢、体重、性別、あらゆるハンデを覆し、世界最強の称号を手にした少女だった。
多くの者が彼女の偉業を称賛したが、それ以上に多くの者――特にインターネットの民は、彼女に批判と疑念を浴びせた。すなわち「八百長だろ?」という疑念である。
だが、そんな疑いを払拭する、ある事件が最近起こった。
六月某日、ニューヨーク発東京行きの飛行機内でハイジャックが発生した。そのとき、偶然乗り合わせていた炎城寺紅子が、犯人達を取り押さえたのだ。銃で武装した男六人を、素手の少女一人が、である。
アンチ炎城寺派がいくら否定したくとも、何百人という乗客が証人となり、航空会社も、警察も認めている事件なのだ。犯人達はアメリカの警察に引き渡され、間違いなく終身刑となる裁判を待つ身である。こうなっては、いくら捏造と偏見が大好きなネット民といえど認めざるを得ない。
この件以降、ネットのアンチ炎城寺派の反応は二つに分かれた。
片方は、炎城寺叩きを止めて言った。
「自分は最初から炎城寺が本物だって分かってたよ」と。
そして、もう片方は。
今でも元気に炎城寺紅子を叩いている。
季節は夏。
毎年異常気象と騒がれる、灼熱の日本の八月初頭の、とある日のことである。
炎城寺紅子本人が発信するSNS「Twiter」に、久しぶりの書き込みがあった。
炎城寺紅子@Red_Faire
『前にわたしが捕まえたハイジャック犯の裁判が、今日からはじまったようですね。あいつらは、わたしの大切なゲームボーイに銃弾を撃ち込みやがったクズです。死刑になればいいと思います』
全ての人に生きる権利を@kenkan_banzai55
『軽々しく死刑になればいいなどと言うあなたの見識を疑います。たとえ犯罪者であろうと基本的人権は保証されるべきなのです。アメリカでも日本でも、死刑制度への批判は高まりつつあります。まあ、暴力しか能のないあなたの頭では理解できないのでしょうがw』
『本当だよな。この人いつもこんなことばっかり言っててうんざり……』
『あなたは自分が犯罪犯したら死刑で構わないというのですか? ってゆうかあなたすでにネットで殺す殺すって連発してるから普通にもう脅迫罪を犯してますよ』
「くそ! またこのアンチども、わたしに逆らいやがって!」
炎城寺紅子は、パソコンのモニタに表示された書き込みを睨みつけて、忌々しげに叫んだ。
「わたしのこと八百長って言ってくる奴はいなくなったけど、結局、ことあるごとにあげ足とって文句つけてきやがるんじゃないのよ、このクズどもがっ!!!」
日本人の父とフランス人の母から生まれた紅子は、生まれつきブロンドの髪と紅い瞳を持ち合わせた、極めて人目を惹く容姿の少女である。
だが、今の彼女の顔色が真っ赤であることは、遺伝とは関係ない。もちろん、暑いからでもない。顔色の変化は当然、アンチに対する怒りである。すなわち、紅子は完全にアンチに煽られていた。
「このわたしにそんな口を聞いて、ただで済むと思ってんじゃないでしょうね! 反論してやるわ!」
愉快犯の荒らしに対して反論するという選択がすでに間違っているのだが、紅子にはそれが分からない。世界最強の戦闘力をもつ紅子は、その反動ゆえか、頭がとてつもなく悪いのだ。
炎城寺紅子@Red_Faire
『あなたはロシアの大統領の名言を知らないのですか。“テロリストを許すかどうかは神次第だが、彼らを神のもとに送るかどうかは俺次第だ”。どうです、これが本当の偉人というものです。あなたたちのような雑魚とは違うのです』
『なに言ってんだこいつww』
『本当に頭悪いなこの女』
『それ、ガセネタなんですけどww』
全ての人に生きる権利を@kenkan_banzai55
『その言葉はSNSで捏造されたネタです。実際にはロシアの大統領はそんなこと言ってません』
「へっ!? うそ?」
紅子は慌ててグーグルで検索し、その真偽を確かめる。結果は、残念ながらアンチらの指摘通りであった。
「ぐぐぐ……ふ、ふざけんな! 小学校時代からわたしの中の『世界の偉い人の名言ランキング』第一位の座に居座り続けてたのはなんだったのよ!」
そんな事を言ってる間にも、紅子の勘違いツイートは凄まじい速さでネット中に拡散され、アンチのおもちゃとして晒しものにされていた。
「ちくしょう! ちくしょう! またバカにされた! 悔しいいいい!!!」
紅子は怒りの叫びとともに、パソコン机に鉄拳を叩きつける。世界最強の拳の、虚しい使い道だった。
「あの、おじょうさま・・・」
不意に声をかけられ、紅子は振り向く。
部屋の入り口に、十歳ほどの幼い少女が立っていた。
「あん? なによ、みい子」
「えっと、あの、九条さんがうるさいから静かにしてくださいって」
「ちっ。はいはい、分かったわよ」
紅子は手を振って、少女――根岸みい子の忠告に応える。
「おじょうさま」と呼ばれたとおり、紅子は日本有数の資産家、炎城寺家の令嬢である。
この炎城寺邸には、みい子を含めて六人の使用人が住み込みで働いている。もっとも、そのうちの一人は現在休職中であるが。
何不自由のない恵まれた生活を捨て、十五歳で単身米国へ渡り、それから二年で全米最強のチャンピオンとなり、この度堂々と凱旋帰国した――それが紅子の経歴である。
普通なら日本中が諸手を挙げて絶賛する英雄であるはずなのだが、なぜか紅子は世間の半分から嫌われ、残りの半分も積極的に関わろうとしない。
実に不思議だ、なんでだよ……と紅子本人は思っている。その原因はまさに今、パソコンの前でキレ散らかしている怒りっぽさと煽り耐性のなさにあるのだとは、まったく気付いていない。
「あ、それと、おじょうさま。そよぎちゃんが遊びに来ましたよ」
みい子が思いだしたように言った。
「え、そよぎが? なら、この部屋に来てもらいなさい」
怒りくるっていた紅子は、いくらか機嫌を直す。いとこである海原そよぎに対してだけは、紅子は甘いのだ。
「お姉ちゃん、またネットで悪口言われたの?」
紅子の部屋にやって来た、みい子と同年代の少女、海原そよぎは開口一番そう言った。
「え、なんで知ってるの?」
「『悔しいいいい!!!』って叫び声が、玄関まで聞こえてきたもん」
「おじょうさま、ドアが閉まってなかったんですよ」
「ああ、そうか」
紅子の部屋は、メイド長である九条さつきの提案により、象が暴れても音がもれない、壊れない特注仕様になっている。……もっとも、紅子が本気で暴れたら象より強いのだが。
ともあれ、そもそもドアが開いていたのならそれ以前の問題である。
「悪かったわね。次からレスバトルのときは、ドア閉まってるかちゃんと確認するわ」
「いや、そうじゃなくて。まずネットで喧嘩するのをやめようよ。お姉ちゃん」
リアルでもネットでも、紅子は戦闘狂、そよぎは平和主義者である。正反対の性格でありながら、そよぎは昔から紅子に懐いている。真面目な優等生は不良に憧れるものなのだ。
「わたしだって自分から喧嘩したりしないわ。この荒らし共が文句つけてくるから悪いのよ」
「そういうのは黙ってブロックすればいいんだって」
「ブロックしたら負けよ」
紅子にとって、SNSで相手をブロックする行為は議論からの逃げであり敗北なのである。この歪んだ価値観のせいで、紅子のTwiterは百人以上のアンチに常時粘着され、荒らされ続ける地獄の惨状になっているのだが。




