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炎城寺紅子の炎上  作者: 秋野レン
シーズン1 キーボードクラッシャー紅
3/138

第3話 掲示板レスバトル


「それにしても、ちょっとおかしいですね」


 イルカが不思議そうにつぶやいた。


「そうよ、このわたしを悪者扱いしてハブるなんて絶対おかしいわ。Twiter社に突撃して抗議してやるわよ」


「おかしいのはそっちじゃありません。突撃はやめてください」


 今すぐにでもアメリカへUターンして、カリフォルニアにあるTwiter本社へ向かいかねない勢いで立ち上がった紅子を押し止め、イルカは説明する。


「いくらお嬢様が歩く失言マシーンだとはいえ、あまりにも炎上が早すぎるんです。これは、だれか扇動したものがいますね」


「扇動って?」


「ちょっとパソコンお借りしますよ」


 飛び散ったキーキャップをキーボードにはめ直し、イルカはインターネットを検索しはじめた。やがて、とある掲示板を開き、得心したようにうなずいた。


「ああ、やはりそうでしたか」


「え、なに? なんなの?」


「2ちゃねる掲示板のアンチスレで、お嬢様のTwiterが晒されています。ここから大量のアンチが突撃してきたようですね」


「掲示板? アンチスレ……? なんの?」


「ですから、お嬢様のですよ」


「え」


「はっきり言って、お嬢様はネットで嫌われてますから」


「はあ!?」


「てゆーか、お嬢様は新聞やテレビに叩かれるのが不満でネットで活動することにしたようですが、ネットの方がよっぽど叩かれてますよ」


 それは紅子にとって、驚愕の事実であった。


「なんでよ! わたしは十七歳で世界チャンピオンになった、天才少女なのよ!」


「十七歳で、チャンピオンで、天才で、女だから嫌われるのです」


「わけわかんないわよ! ちょっと、そのアンチスレとやらを見せてみなさい!」


「あー、見ないほうがいいのに……」


 

【炎城寺アンチスレ975】

 

 324

『炎城寺のTwiter凍結されたwwwww』

 

 325

『早すぎだろww』

 

 326

『みんなで頑張って荒らしたかいがあったな。よかったよかった』

 

 327

『八百長ゴリラが低能晒して垢BAN! いえーいゴミ女ざまああ』

 

 328

『てゆーか運営に通報したの、絶対ここの誰かだろwww』

 


「こ、こ、こいつらぁ……! Twiter追い出されたのは、こいつらのせいか……!」


 紅子は歯ぎしりした後、掲示板のタイトルを見てイルカに聞く。


「この『炎城寺アンチスレ975』の数字ってどういう意味?」


「975スレッド目、ということです。1スレッドにつき1000コメントまで書き込めますから、お嬢様はこれまでに累計97万4328回ディスられた、というわけです」


 イルカが、いちいち細かい数字まで解説してくれる。


「今回のTwiter騒動でまた燃料が投下されたから、今夜中に1000スレを超えるでしょうね。おめでとうございます、見事に100万ディスのミリオン到達ですよ」


「ふ、ふん。しょせん、こんなもの下等生物どもの戯言よ。世界最強、この世の頂点である炎城寺紅子は、有象無象のゾウリムシ相手になんの怒りも沸かないわ」


 声をふるわせながら紅子は言う。


「だから、わたしはあくまで冷静に、大人の対応で反論するわよ」


「ですから反論せずにスルーしてくださいよ」


「やかましい! わたしがこいつらと戦ってる間に、あんたはティータイムの用意してきなさい!」


「紅茶にしますか、コーヒーになさいますか」


「プロテイン五十グラムを豆乳で割って持ってこい!」


 へいへい、と呆れたようにイルカは部屋を出ていった。


 ひとり残った紅子は、ゴキゴキと指を鳴らして紅蓮の瞳を怒りに燃やす。


「さて、わたしの一片の隙もない完璧な反論で、コイツらを大泣きさせてやるわよ。えーと……あなた達がやっていることは、と……」


 

『あなた達がやっていることは、名誉毀損だから犯罪です。今すぐ反省しなければ、警察に通報します。そうすれば、あなた達は刑務所に行くことになります。すぐ謝ってください』


 

「これでよし。警察呼ばれるなんて聞けば、こいつらは泣きながら頭下げてくるでしょ。インターネットで人の悪口を書き込んだやつは逮捕されるのよ。それくらい知ってるんだから」


 実際には、ネットの書き込みで逮捕されるのは脅迫や威力業務妨害のたぐいであり、名誉毀損で刑事事件にまで発展することはまずないのだが、紅子がそんなことを知るはずもない。


「あとは……ああ、ここに名前とメールアドレスを入れるのね」


 紅子は掲示板の書き込み欄にある、『名前』と『E−mail』の欄に律儀に入力する。


「名前は炎城寺紅子、メールは……ええと、これか。firebkoros37564……@okn.ko.jp……と。よし、これでOKね。くらえアンチ共! ファイヤー!」


 紅子は意気揚々と『書き込み』ボタンを押した。




「うぎゃああーーー!」


 イルカが、プロテインの豆乳割りを盆にのせて紅子の部屋の前まで戻ってきたとき、その悲鳴は聞こえた。


 イルカは慌てて駆け込んだ。


「お、お嬢様、どうされたんですか」


 机に向かっていた紅子が、振り返った。


「パソコンが壊れたの!」


「は……? ああ……そういうことですか」


 おおかた、アンチに煽り返されてムキになった紅子が、またキーボードを破壊したのだろう。そう思ったイルカは、安心して紅子をなだめにかかる。


「大丈夫ですよ。落ち着いてください、お嬢様。壊れたのはキーボードであって、パソコン本体ではないでしょう」


「違うわよ! ほんとにパソコンが壊れたの!」


 そのとき、イルカの耳にもパソコンの鳴らす電子音が聞こえてきた。


 ―――― ピー! ピー! ピー! ピー! ピー!


 けたましい警告音を立てるパソコンのモニタには、異様な数のメッセージウインドウが表示されていた。


 

『SystemEroor!』

 

『SystemEroor!』

 

『SystemEroor!』


 

「あわわわわ……」


「お嬢様、一体何をしたんですか?」


「なにもしてないのに壊れたのよ!」


「嘘つけ」


「本当よ! あんたわたしとパソコンのどっちを信じるのよ!」


「パソコンに決まってるでしょう。パソコン初心者が『なにもしてないのに壊れたー』と言って、その言葉が正しかったという事例は、コンピューターの歴史五十年を振り返っても一度たりともありません」


 そんな問答をしているうちに、モニタには新たなメッセージが表示された。


 

『システム損傷率90.6%』

 

『今すぐ下のボタンをクリックして、リンク先のサイトであなたのクレジットカード番号を入力して、システム修復を開始してください』

 

『システム修復を行わない場合、このパソコンは60秒後に爆発します』


 

「ば、爆発!?」


 大慌てで紅子はマウスを握る。


「あわわ……すぐ止めなきゃ! このボタンを押せばいいのね!」


「やめなさいアホ」


 イルカが、いまにもボタンをクリックしそうな紅子の手から、マウスを奪い取った。


「なにするの、返しなさいよ! 爆発するのよ!」


「しませんから」


 

『爆発まであと59秒……58秒……』


 

「ほらなんかカウントダウン始まったし! 爆発するわ!」


「だからしませんって」


 呆れたように言って、イルカは電源ボタンを押してパソコンをシャットダウンした。


「こら! 駄目でしょいきなり電源ボタン押したら! ちゃんと電源オプションから、終了を選んで終わらないとデータが消えちゃうのよ! それくらい常識でしょ!」


「あなたが常識を語りますか。再起動にはこれが一番手っ取り早いんですよ。そもそも、このパソコンにデータなんて1バイトも入れてないでしょう」


 電源が落ちたので、ピーピー鳴いていたパソコンは、ひとまず大人しくなった。


「さ、もう一度スイッチオンしますよ」


「いやよ! 爆発……」


「しません」


 イルカが電源ボタンを押すと、真っ青な画面に白文字の羅列が表示された。


 紅子には、なにが起こっているのかさっぱりわからないが、イルカは特に驚くことなく、いくつかキーを叩き、やがて先程までと同じWindowsの画面が表示された。


 『SystemEroor!』や『爆発』といったメッセージは現れない。


「だ、大丈夫なの……?」


「はい、問題ないですよ。念の為ウイルスソフトでスキャンしておきましょうね」


「ふう……よかった。……ところでイルカ、あんたさっきわたしのことアホって言わなかった?」


「言ってませんよ。敬愛するお嬢様を、アホなどと呼ぶはずがありません。たとえパソコン買って一時間で暴走させる人でも」


「わたしのせいじゃないわよ! なにもしてないのに壊れたんだって!」


「はいはい。じゃあ、わたしが目を離している間に、なにがあったのか話してください」


「……えっと。まず、このアンチスレの卑怯なやつらに、わたしは正々堂々と反論したわ。これが書き込みね」


 紅子は2ちゃねる掲示板を開き、数分前に書き込んだ自分のコメントを示した。


「……メルアド、晒したんですか」


「当たり前でしょ。ここに『E−mail』って書いてあるじゃない。わたしだってメールの使い方くらいわかるのよ、ふふん」


「なぜそんなに誇らしげなんです。むしろ全くわからないほうが、被害に合うこともなかったのですよ」


 

 347 炎城寺紅子

『あなた達がやっていることは、名誉毀損だから犯罪です。今すぐ反省しなければ、警察に通報します。そうすれば、あなた達は刑務所に行くことになります。すぐ謝ってください』

 

 348

『信者顔真っ赤wwwwwあのブスの成りすましかよwww』

 

 349

『まあバナナ食って落ち着けよゴリラ』

 

 348

『刑務所に行くことになりますwww』

 

 349 炎城寺紅子

『わたしはブスではありません。美しすぎるアスリートという雑誌の特集で取材されたこともあります。それに八百長とか弱いとか言うなら、正々堂々わたしに挑戦してください。わたしはいつでも誰とでも戦います』

 

 350

『信者さん、ゴリラごっこして楽しい?』

 

 351

『大富豪のパパにチャンピオンベルト買ってもらってよかったねw』

 

 352 炎城寺紅子

『どうして正々堂々と勝負できないんですk』

 

 353

『こいつアホすぎて面白いなww』

 

 354

『ブスゴリラの信者は脳みそがチンパンジーなんだww許してやれwwwww』

 

 355 炎城寺紅子

『いいかげんにしろよひkymのわたしのdふぉうがbすだよひとのこをjbすならおまえtくぃ』

 

 356

『バーカ』

 

 357 炎城寺紅子

『ころs』


 

「……これを書いてる途中でキーボードが壊れたのよ」


「壊したんですね」


「で、そのあとメールが届いたのよ」


「そのメールを開いたら、さっきのようにパソコンが暴走したのですね」


「そうよ! おかしいでしょ!」


「ウイルスメールを送りつけられたのですね。簡単に言えば、パソコンを破壊したり個人情報を抜き取ったりするメールです」


「なんでよ!?」


「メアドを公開したからですよ……。お嬢様、知らない相手に不用意にメールアドレスを知らせてはいけませんし、知らない相手から送られてきたメールを開いてはいけません。……本来、こういうことは学校で教わるものなのですけどね」


「しょーがないじゃない、わたし高校行ってないんだし! あんた、わたしのこと中卒ってバカにしてんの!? 知ってるわよ、それ学歴マウントってやつでしょ!」


「小学校で習ったはずですが」


 身体能力、美貌、家柄、すべてを最高のレベルで持って生まれた代償なのか、紅子は絶望的に頭が悪かった。


「とにかく、もうこのような輩に関わるのはやめてください。お嬢様のITスキルでネットの魑魅魍魎と口論するのは、あまりに分が悪すぎます」


「いやよ! もう少しで勝てるんだから!」


「どこをどう見ればそう思えるんですか?」


「こいつらは間違っていて、わたしは正しいからよ」


「…………ではせめて、本名とメアドを晒すのはやめてください。そういう場所じゃないですから、この掲示板は」


「いやよ! 匿名で安全な場所から隠れて攻撃するなんて、卑怯者のすることよ!」


「…………」


 イルカは、しばし紅子を哀れみの目で見つめたのち、ため息をついて、おもむろに語りだした。


「どうやらお嬢様は、勘違いされているようですね」


「勘違い?」


「お嬢様はネットの口論、すなわち『レスバトル』の本質を勘違いしているのです」


「……どういうことよ」


「お嬢様はレスバトルを格闘技の試合と同じ目線で捉えています。ネットの煽り合戦を、まるでスポーツの試合みたいに考えて、正々堂々だの、卑怯だの、本名晒せだの、正しいだの間違ってるだの、そんなこと言ってたら馬鹿にされるのは当たり前ですよ」


「なんですって」


「お嬢様、レスバトルの本質とは『試合』ではなく『戦争』なのですよ」


「はあ?」


「戦争の極意は、いかに自分は傷つかず、安全な場所から相手を攻撃するかです。この思想のもと、人類は素手から剣、剣から槍、槍から銃火器と、攻撃の間合いを広げることに腐心してきました。近年ではついに無人戦闘機が実用化され、本国のオフィスからリモートで戦闘機を操作して、地球の反対側にいる敵兵を蹂躙する事すら可能になりました。さて、お嬢様はこれを卑怯と呼びますか?」


「それは、まあ……戦争ならしょうがないけど……」


「ですよね。戦争では卑怯が当たり前。自分だけ隠れて安全な場所から攻撃できるなら、やるに決まってます。そのためには、個人情報は秘密にするのが当たり前。兵士の名前や住所を晒すなんて、もってのほかです。そしてなにより、戦争に、正しいだの間違いだのといったレッテルは、なんの意味もないのです。いつもいつでも勝ったほうが正義なのです。レスバトルも同じだと思ってください」


 やたら早口でイルカは語る。


「いや、インターネットの悪口合戦と実際の戦争は違うでしょ」


「同じですよ」


「えっ」


「インターネットがこれほど普及した現代では、ネット上での勝利は現実の勝利であり、ネット上での死は現実の死に等しいのです。お嬢様が目指しているインフルエンサーというたぐいの人々は、まさにネットの勝利者。彼らは莫大な収入と名声を手にして、現実でも左うちわで暮らしています。逆にネットで敗北した人々はどうなるか? ネットで叩かれた芸能人は落ちぶれて、企業や商店は売上が急落し、それに関わる人々の人生まで狂わせます。ネットの炎上が原因で自殺までした人間もいることは、お嬢様だって知っているでしょう。政治家のプロパガンダ合戦だって、今やネットが主戦場なんです。……いかがです。ネットの戦いとは、まさに富・誇り・生命を奪い合う現実の戦争に等しいでしょう」


「いや、それは……どう……なの?」


「なにか反論ありますか?」


「う……いや……」


「反論ないならわたしの勝ちですね。はい、このレスバトルは千堂イルカが勝利しました」


「これってレスバトルだったの!? ずるいわよ、先に言いなさいよ!」


「はあ……またそれですか。たった今、レスバトルに卑怯もなにもないと説明したばかりでしょうが。『いまからレスバトル仕掛けますね』などと宣言してくれる、親切な相手がいると思いますか」


 紅子としてはそんな言い分にはとても納得できないが、では具体的にどう反論するかと考えると、なにも思いつかない。


「いまのお嬢様は、二十一世紀の戦場で『やあやあ我こそは』などとのたまう、時代遅れの武人気取りでしかありません。このままでは、毎日キーボードを破壊することになりますよ」


 完全勝利、とばかりに偉そうな説教をしてくるイルカに対して、紅子はぐぬぬぬ……と歯ぎしりする。


「とにかく、キーボードが壊れた以上、今日はもうネットに書き込むことはできないでしょう。プロテインを飲んだらおやすみになって、ボケた頭を冷やしてください」


 イルカが、机のすみに置きっぱなしになっていた、豆乳割りプロテインを紅子に差し出した。


「あ、今のは時差ボケという意味であって、決してお嬢様のことを脳がボケた馬鹿と言ったわけではありませんよ」


「いちいち説明しなくていいわよ」


「それでは、おやすみなさいませ」


 イルカが部屋を出ていくと、紅子は憤然としてプロテインシェイカーを引っ掴み、一気に飲み干した。


「うー、イルカのやつー! ちょっとパソコンできるからっていい気になって!」


 紅子は、使用人を馬鹿にするような主人は大嫌いだ。そういう輩を見れば、即座にぶん殴ってきた。だからといって使用人が主人を馬鹿にするのはいいのか、といえばそんなはずはなく、そういう舐めた態度の使用人も、当然ぶん殴ってきた。


 しかし、口論で言い負かされたイルカを暴力で黙らせたところで、真の勝利は得られない。


 レスバトルの雪辱は、レスバトルで果たすしかないのだ。


「この炎城寺紅子が、このまま引き下がると思わないことね! 明日こそ、アンチ共を黙らせてやるんだから!」




 次の日。


 昨日イルカがネット通販で注文した新しいキーボードが、昼過ぎに到着した。


 さっそくパソコンに接続し、昨日同様2ちゃねるの掲示板を開くと、はたして紅子のアンチスレは、イルカの予想通り1000スレを突破していた。


「ちっ、カスどもが相変わらず好き勝手ほざいてるわね。ほんとうざい連中だわ」


「それでお嬢様、今日はどうする気ですか」


 今日もそばに控えているイルカが聞く。


「……わたしは昨日一晩考えて、このアンチ共の正体を突き止めたわ」


「正体?」


「そう。こいつらがなぜ、平日の昼間から仕事もせず学校へも行かず、せっせとわたしへの中傷を書き込んでいるのか、その動機を理解したのよ」


 紅子は腕を組み、鼻息荒く椅子の背もたれにふんぞり返った。


「こいつらはね、わたしに嫉妬してるのよ!」


「は……?」


「こいつらは匿名の掲示板では強がっているけど、現実ではなんの実績も築けず、才能もなく努力もせず、いじめられっ子でウジウジしてるような負け犬の集団なのよ。だから、華々しく活躍して成功している、わたしのことが妬ましくて仕方ないの」


 この世の真理を解明した、とばかりに紅子は語る。


「ふふん、どうかしら? この洞察は?」


「いや、そんな当たり前のことをいまさら言われても」


 イルカは呆れたように答える。


「そんな連中の嫉妬心、コンプレックスを突いてやれば、こいつらは簡単に泣かせてやれるのよ。つまりこうね」


 紅子はそう言って、書き込み欄に昨日よりはだいぶ速くなったタイピングで文章を打ち込んだ。


 

『お前たち本当はチャンピオンになったわたしに嫉妬してるんだろ(笑)』


 

「どうよ! こうやって図星つかれたら、アンチ共は悔しくて発狂間違いなしね!」


 イルカは、どう答えるか散々迷ったあげく、言った。


「えーと……。まあ。いいんじゃないですか、とりあえずそれで」


「そうよね。これでこいつらは大泣き確定よ」


「そこまでは言ってませんが。ただ、カッコ笑いは百年前のセンスなので、草に変えませんか。そっちの方が煽り効果高いですよ」


「草?」


「こういうやつのことですよwww そんなこともwww 知らないんですかwww」


「……なるほど。確かに使われるとイラッとくるわね」


「ついでに、わたしも『やめたれ』で援護しましょうか」


 次第に乗り気になってきたイルカが提案した。


「やめたれ?」


「『そんな酷いことを言うのはやめておあげなさい。ほら、相手の人たち悔しくて泣いちゃったでしょ』の略です。これを言われるとすごく悔しいんです」


「そうなんだ。よし、じゃあそれでいくわよ」


 紅子は、書き込み欄の文章の末尾のカッコ笑いを削除し、ダブリューを猛烈に連打して書き込んだ。


 

 422

『お前たち本当はチャンピオンになったわたしに嫉妬してるんだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww』


 

「草の四十一連発とは、ものすごい気合ですね。お嬢様」


 そう言いながら、イルカはスマホを操作する。


「ちょっとイルカ。早くその『やめたれ』ってやつ書き込みなさいよ」


「まあ、お待ちください。あまり早く書き込むと、わたしとお嬢様が結託しているとバレちゃいますからね。ある程度時間をおかないとだめなんです」


「なるほど。レスバトルにもいろいろテクニックがあるのね」


「テクニック以前の問題ですよ、こんなの」


 三十秒ほど待って、イルカはスマホから書き込んだ。


 

 422

『お前たち本当はチャンピオンになったわたしに嫉妬してるんだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww』

 

 423

『やめたれ』


 

 かくして紅子とイルカのレスが並ぶ。


 それから五分ほど反応を見守っていたが、誰からも書き込みがなかった。


「……だれも反応しないわよ」


「反応がないってことは、効いてるってことですよ。レスバトルは言い返せなくなったら負けなんです」


「え、本当!? じゃあわたしの勝ちじゃん! やったあ!」


 紅子は両手を上げて万歳する。


「やれやれ。この程度で黙っちゃうんですか、今の2ちゃねるの住人は。レベルが下がっているとは聞いていましたが、ここまでとはね」


 イルカはなにやら偉そうな感想を漏らした。


 だが、その時新しいレスが書き込まれた。


 

 424

『べつにお前なんかに嫉妬してませんが? 俺は超大手IT企業の社長で、資産が一兆円あって都心の百階建てのタワマンに住んでるからw』


 

「ええっ! 一兆円!?」


 小学生以下の知能である紅子は、書き込みをいとも容易く信じ込みそうになる。


「お嬢様……こんなの嘘に決まってるでしょうが……」


「そ、そうよね。うん、わかってるわよ。当たり前じゃない。この野郎、こんな嘘でわたしに逆らってきやがって。どうしてやろうかしら」


「こういう奴には、証拠見せろって言ってやればいいんですよ」


「なるほど」


 紅子は、自称IT企業社長にレスを返した。


 

 425

『そんな嘘に騙されるかバーカ! 本当なら一兆円持ってるって証拠見せてみろカス!』


 

「よし、これでこいつも涙目ね。ふふふ」


 だが、意外にも敵はさらなるレスを返してきた。


 

 426

『はい証拠。これ一兆円入ってる俺の通帳の写真な htttps://i.ingur.com/Burakura.jpg』


 

「ええ!? しょ、証拠出してきたわよ! マジで!?」


 驚愕する紅子。


 だがイルカの反応は極めて冷ややかであった。


「はあ……なんと低レベルな、まさに児戯ですね。こんなくだらないひっかけが通用すると思ってるんでしょうかねえ。お嬢様、これはですね……」


 しかし、イルカがため息を付きながら解説をしようとした時、紅子はすでに書き込まれたリンクを押してしまっていた。


「ああああっ!」


 イルカは即座に首を振って、パソコンのモニタから目を背ける。


「……?」


 わけのわからぬ紅子は、当然、リンク先で開かれた画像を直視することになった。


「ぎぇえええええええええええええええーーーーーーー!!!」


 絶叫し、悶絶し、驚愕し、意識は吹き飛びそうになる。


 紅子がいかに最強だろうと、天才だろうと、ゴキブリと蛆虫の大群が何かの臓物に群がる画像などを直視して、平気でいられるわけがない。


 イルカが、モニタを見ないように手探りで電源スイッチを探し当て、シャットダウンした。


 昨日に引き続き二度目の強制終了であった。


「はあ……」


 イルカはようやく顔を上げた。


「大丈夫ですか、お嬢様」


 大丈夫なわけがない。


 紅子がリンクを開いてからモニタが消灯するまで五秒もなかっただろうが、その間に画像の記憶はすっかり脳に刻み込まれてしまった。


「な、な、なによあれはああ!?」


 紅子はまさに涙目になっていた。


「精神的ブラクラというやつですよ。相手を騙して、グロい画像を見せつける攻撃方法です。その様子では、相当やばいのを見せられたようですね」


「ご、ごき、ゴキブリが……」


「いや、言わなくていいです」


 イルカは手を振って紅子の言葉を止めた。


「こ、こんなことになるってわかってたんなら、止めなさいよ!」


「止めようとしたのに、お嬢様が聞かずに勝手にリンク開いたんですよ」


「くそっくそ! これくらいで勝った気になるなよIT社長め!」


「だからそれ嘘ですって。てゆーか、ブラクラ開いた時点でお嬢様の負け確定ですよ」


「く、く、くそおーーー!」


 怒りのまま、紅子は拳を眼前の机に叩きつける。


 その下には、一時間前に配達されたばかりのキーボードがあった。


「あっ」


 世界最強の拳が炸裂し、またしても新品のキーボードは半壊した。

 

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