第33話 人狼ゲーム㉝「奥義開放」
(そんな……。こ、こんなことって……)
この三日間、そよぎが積み上げてきた物証とロジック。そのすべてを、たった一枚のコインが吹き飛ばした。
「そよぎ、分かったでしょ! あんたは天馬に騙されてたの! 本当の『人狼』はこいつなのよ!」
紅子が勢いづいたようにまくし立てる。
「ち、違う……! こんな……」
天馬は慌てて口を開こうとしたが、それにかぶせる様に紅子が再び叫ぶ。
「違わないわ! おととい十円玉ゲームをしたとき、美雷が『誰かコイン持ってないか』って聞いて、あんたはっきり言ったわよね? 『持ってない』って! あのときのあんたも、今と同じジャケット着てたわよ!」
その通りだ。
それは、そよぎもはっきり記憶している。
「この島に店は一軒もないから、現金を使うことなんてない! ポケットにコインが入る機会なんてないのよ! あの十円玉ゲームのとき以外はね!」
「ふざけるな! こんなコインは、お前が仕込んだに決まってるだろうが!」
そう。普通に考えればそうに決まってる。
天馬を『人狼』に仕立て上げるための、紅子のマッチポンプだ。
だが――――。
「どうやって? 服の外側のポケットならともかく、内ポケットよ? あんたに気付かれずに、どうやってそんなとこに仕込むのよ?」
「…………っ……!」
天馬が言葉に詰まる。
(そうだ。そんなこと、出来るはずがない……)
いくら紅子が最強でも、最速でも、天馬に気付かれず胸の内ポケットにコインを入れるなど出来るはずがない。
美雷を手刀で気絶させた時とは話が違うのだ。
紅子のそんな動きを、天馬が見えなかったなどありえない。
(それ以外の方法……? 部屋の中で天馬さんがジャケットを脱いでシャワーを浴びている時とか、寝てる時に、お姉ちゃんが忍び込んで? ……それもない。部屋の鍵をこじ開けようが、窓ガラスを割って入ろうが、必ず痕跡が残る……)
そよぎは混乱する頭を必死に回転させる。
だが、目の前の状況に合理的説明をつけられる理論は、まるで考え付かなかった。
「……5時55分。投票5分前じゃ」
六郎太が制限時間を告げた。
「く……」
天馬は動揺を抑えつけるように声の調子を変え、紅子に言った。
「紅子、逆に聞くぞ。俺のポケットにコインがあることを、なぜお前は知ってたんだ? 『コインが俺のポケットにあることを知っていた』ってことが、イコールこれがお前の仕込みである証明じゃないか」
「それは……あんたがキョドってて怪しかったから! 胸ポケットのあたり抑えながらソワソワしてたからよ!」
「してねーよ、そんなこと」
「してた! わたしの目は誤魔化せないわよ!」
強引に決めつけて、紅子はそよぎの方を向いた。
「ね、そよぎ。天馬を処刑するのよ。それでわたしたち村人チームの勝ちよ」
「……………………」
「そよぎ!」
「仮に……」
そよぎは、ぽつり、ぽつりと思考を整理しながら喋りだした。
「仮に、天馬さんが『人狼』だったとして。一日目の午前中に取ったコインを、三日目の夕方までポケットに入れっぱなしにする? こんな致命的な証拠を? ありえないよ」
「…………」
「……でも……お姉ちゃんが、天馬さんに気付かれずにポケットにコインを仕込んだっていうのは…………もっとありえない気がする……」
「そよぎ……」
今、勝負の行方はそよぎ自身の選択に委ねられていた。
紅子か天馬、どちらを信じるのか。どちらに投票するのかで、勝敗は決まる。
(どっち……どっちなの……? 『人狼』はコインを持ってた天馬さん? それとも、やっぱりお姉ちゃんなの? 世界最強の炎城寺紅子のゾーンなら……空峰天馬の目を盗んでコインを仕込むことは出来る……?)
無理。
不可能。
ありえない。
ならば――――『人狼』は天馬ということになる。
(そんな……。わたしはずっと、天馬さんの手の上で踊らされていたの? わたしがやってきたことは、しょせん子供の浅知恵だったの……?)
迷走する思考。いくら考えても分からない。
120%確信していた筈の勝利が、 夕闇にかすんで消えていく。
「5時57分。投票3分前」
タイムリミットを告げる六郎太の声が、無慈悲に響く。
そよぎの頭脳は、もはや崩壊寸前に追い詰められていた。
(………………追い……詰められた……?)
だが。
追い詰められた猛獣ほど、恐ろしいものはないのだ。
紅子がそうであったように。
「そうか……」
「そよぎ?」
「わたしに、五輪一族の資格があるのなら……今こそ……」
今こそ、覚醒の時だ。
そよぎは大きく息を吸い――――そして吐き出した。
「そよぎ、惑わされるなよ。『人狼』は紅子だ」
天馬が訴えてくる。
「そよぎ、わたしを信じて! 天馬が『人狼』なのよ!」
紅子が叫ぶ。
どちらも、今のそよぎにとって有益な情報ではない。
無視して深呼吸を続けた。
「…………すう………はあ……すう……はあ……」
「ちょっとそよぎ! 聞いてるの!?」
「黙れ」
「え……」
「二人共、もう喋らないで。次騒いだらその人に投票するから」
その言葉で、紅子も天馬も金縛りにあったように口をつぐんだ。
「…………すう………はあ……すう……はあ……」
残り3分。
海原そよぎは、真実を解き明かすための最後の勝負に挑む。
脳内の記憶領域、その最深部まで潜るための瞑想を開始する。
大きく大きく、大きく、息を吸い込み――――。
そよぎは、目を閉じた。
「記 憶 の 宮 殿……!」