第9話 人狼ゲーム⑨「夜が来る」
10月4日、午後11時55分。
「失礼します、紅子様」
日付の変わる5分前、紅子の部屋のドアがノックされた。
やって来たのは本家付きの中年のメイドだった。
「ん、あんたは?」
「小田桐と申します。当主様より命じられて、ゲームの進行をお手伝いいたします」
「はあ」
小田桐は部屋の中に入ってくると、かしこまって説明を始めた。
「ただいま23時55分。既にゲーム参加者全員は自室に戻られています。これより5分後に1日目の夜フェイズが開始します」
「うんうん」
「まず0時ちょうどになりますと、ゲーム参加者のなかの『騎士』役が自室を出て、当主様のいらっしゃる書斎に出向きます。そこで、今夜誰を護衛するかを指定します」
「それってさ、『騎士』にとっても『人狼』が誰かは分からないんだから、『人狼』のプレイヤーを護衛対象に選んじゃうこともあるわけよね?」
「はい。その場合は護衛の権利を無駄にしたことになりますね」
「ふーん」
「護衛対象を指定したあと『騎士』は自室に戻ります。そして0時10分になると、今度は『人狼』……すなわち紅子様の行動開始です」
「おっけー」
「紅子様も自室を出て当主様の書斎へ向かってもらいます。そこで、もうひとりの『人狼』と話し合い、今夜襲撃するプレイヤーを指定していただきます。それが終われば自室へ戻ります。そして全プレイヤーは0時30分まで自室で待機。その後は自由です」
「襲撃してぶっ殺した奴はどうなるの?」
「『人狼』に襲撃されたプレイヤーは、明朝5時にその旨を通知し、即座に別館へ移動していただきます」
「朝5時にいなくなるってことは、明日の朝食には誰か1人が欠けてるってわけか。ほんと凝ってるわね。孤島で人がバタバタ死んでいく推理小説みたいだわ」
説明を聞いているうちに、部屋の置き時計はついに0時を示した。
「……0時になりましたね」
「ついにゲームスタートか。ワクワクしてきたわね」
とりあえず今夜死ぬ心配のない紅子としては余裕である。
「これより『騎士』が動き出します。言うまでもありませんが、紅子様を含む『騎士』以外のプレイヤーは、自室から出ることを禁じます。また、電話などを使って『騎士』や『人狼』が誰かを探る行動も禁止です」
「は? 電話使って『騎士』が誰か探るって、どうやるの?」
「……分からないのならいいのです」
◆――――◆――――◆
六郎太の書斎のドアが開き、『騎士』が入って来た。
「こんばんは。よく来たの」
「………………」
『騎士』は、無言で軽く頭を下げた。
「では護衛対象の指定をしてもらおうか」
「――――を指定します」
「ほう……。それでいいのか?」
「はい」
「よし、分かった。もどってよいぞ」
『騎士』は、また軽く頭を下げて書斎を出て行った。
「ふぅむ……こうきたか……。意外……いや、意外でもないのかの……? それとも単に適当に選んだだけか……」
六郎太は頭をひねる。
「理由くらい聞いておけばよかったかの。次からはそうするか」
書斎の時計を見ると、0時5分。
「さて、次に来るのは『人狼』か。あの二人じゃな」
◆――――◆――――◆
同刻。
天津風美雷は、自室の机に座りノートパソコンを一心不乱に打ち込んでいた。
「…………うーん……」
「美雷様……まだパソコンゲームをされているのですか。それより今は目の前のゲームに集中されたほうが……」
美雷の部屋に監視役として派遣された、メイドの江藤が見かねて口を出した。
「失礼ね、私だって年がら年中ゲームばっかやってるわけじゃないわ」
美雷は憮然として振り返った。
「では何を?」
「この人狼ゲームの勝率をシミュレーションしてたのよ」
「シミュレーション……ですか?」
ゲームマニアの美雷は、新コンテンツの戦略や立ち回りを研究するため、多少のプログラム解析を嗜んでいる。
ニート同然の暮らしをしている美雷だが、やろうと思えば大抵のことはこなせるのだ。これも五輪一族の血がなせる業である。
もっとも、本人は血統の恩恵など頑として認めず、全ては己が努力の賜物と思い込んでいるのだが。
「今回のゲームのルールでは特殊役が少ない分、解析モデルは作りやすいわ。構成は『人狼』2名、『村人』4名、『騎士』1名。先行は『人狼』。この条件で、わたしの組んだプログラム上で勝敗をシミュレートした結果……」
「どうなるのですか?」
進行役という立場を忘れ、江藤はつい身を乗り出した。
「人狼チームが勝率87パーセント」
「87パーセント……!? それは……ちょと不公平すぎる条件な気もしますね……」
「べつに。こんなものは単純確率……プレイヤー全員がランダムに行動したら、という仮定のもとでの参考値でしかない。村人チームが推理を全くしないなら人狼側が有利で当然でしょ。少なくとも、あたしは当てずっぽで動くような木偶人形じゃないわよ」
「そうですか……」
「さーて、果たして『人狼』は誰なのかしらね。紅子や紫凰みたいなバカが引いていてくれるとありがたいんだけど」
「………………」
そのバカが引いていますよ……とは、もちろん江藤は口に出せない。
時計が0時10分を示した。
「時間になりましたね。『騎士』は自室に戻り、『人狼』が動き出します」
美雷は立ち上がり、各部屋に備え付けの内線電話に手を伸ばした。
「よし。じゃあ内線で他の連中の部屋に電話かけて、誰が外出してるか確かめるか」
「ダメです。そのような行為は禁止すると言っておいた筈です」
「はっ。まあそうよね。そんなに甘くはないわよね」
美雷は肩をすくめて受話器を戻した。
「じゃ、シャワーでも浴びてくるかしら」
バスルームへ向かおうとした美雷を、江藤が再び止める。
「シャワーも禁止です。スマホを持ち込んで電話されるかもしれませんので」
「ちっ」
この人狼ゲームは事前に六郎太があらゆる対策を講じ、反則・イカサマを封じている。
基本的に五輪一族に卑怯者はいないのだが、美雷は数少ない例外である。彼女にとって「五輪一族の誇り」など、唾棄すべきものでしかないからだ。
「0時30分までは皆様の行動は完全に監視させていただきます。大人しくご待機ください」
「はいはい。さて……今まさに暗躍している『人狼』は誰なのかしらね」
『村人』である美雷は、ベッドに腰掛けて頭をひねるのだった。
◆――――◆――――◆
「お爺ちゃん、入るわよ」
紅子はそう言って、ノックもせず書斎のドアをぞんざいに開けた。
大量の本棚に囲まれた部屋の奥、デスクチェアに六郎太が座っていた。
「ようこそ紅子、『人狼』よ」
「もうひとりの『人狼』は?」
「すぐに来るじゃろう。それが誰かは、ま、会ってからのお楽しみじゃ」
「オーケー。そっちの方がワクワクするしね」
紅子は手近な本棚にもたれかかった。
「さて紅子よ。初めての人狼ゲームで『人狼』役になった感想はどうじゃ?」
「どうって言われてもね。まだゲーム始まったばかりだし。ま、ただの『村人』になるよりは恐怖の『人狼』の方が性に合ってる気がするわね」
「ふっ。普通なら最初は無難に『村人』をやりたがるもんじゃがな。やはりお前は異才じゃ。……五輪一族の中にあっても飛びぬけて、な」
――――コンコン。
ドアがノックされた。
もうひとりの『人狼』がやって来たのだ。
「入りなさい」
六郎太が声をかけ、ドアがゆっくりと開かれる。
(よし、とりあえず紫凰じゃないわね。よかった)
もし紫凰なら、ドアをノックもせずぞんざいに開けるはずだ。
最悪の馬鹿コンビが誕生する事態は回避され、紅子は安堵する。
(さて……パートナーは誰になるのか。頭のいい奴だといいんだけどね、そよぎとか天馬とか……。でも、やっぱり第一希望は……)
炎城寺紅子は、強大な星の下に生まれた人間である。
およそ頭脳以外のあらゆるものに恵まれている。
金、力、美貌、家柄……そして、さらに。
強運、なのである。
「失礼します……あれ、お嬢様? お嬢様も『人狼』なんですか」
パートナーの顔を見て、紅子は歓喜と共に拳を握りしめる。
「よし、勝った!」
もうひとりの『人狼』は紅子の第一希望。
この世で最も信頼する腹心にして親友、千堂イルカだった。