第8話 人狼ゲーム⑧「イルカと天馬」
紅子とそよぎが中庭で話し込んでいた頃。
イルカはカップ麺を持って屋敷の厨房を訪ねていた。
「ふぅ。食料を買い込んできて正解でしたね」
この島は六郎太の私有地であり、島内にコンビニや飲食店といったものは存在しない。
もちろん三度の食事は出るが、菓子や軽食のたぐいは部屋にも用意されていなかった。
「さて、どれにしますかね。醤油かカレーか、シーフードか……」
厨房の電気ケトルを借りて湯を沸かしながら、イルカはコンビニ袋から取り出したカップ麺三種のセレクトを始める。
と、その時、廊下の方から声がした。
「いや。本当に適当なものでいいんですよ。ちょっと腹が減っただけだから、食パンの余りでもかじらせてもらえれば……」
「とんでもない。お坊ちゃまに余り物を食べさせるなど、そのようなことはできません」
「すぐに料理人を起こしてまいりますので、しばらくお待ち下さい」
「そこまでしなくていいんですって。ほんと、マジで」
見ると、本家付きのメイドたちと天馬が押し問答をしていた。
「とにかく、天馬様にそのような無礼を働けば我々の面目が立ちません。一時間ほどくだされば、ちゃんとしたお夜食をお作りしますので」
「だからちゃんとしてなくていいんだって……」
天馬はうんざりした様子だが、メイド二人は頑として譲らない。
イルカが来たときは「適当に使っていいわよ」と簡単に入れてくれたのだが、天馬相手にはカチコチに慇懃な態度である。それが本家の流儀なのだろう。炎城寺家とは違った世界だ。
イルカは見かねて進み出た。
「天馬くーん。ワガママ言ってご迷惑かけたらだめですよー」
「千堂……」
「カップ麺ならあるけど、食べる? シーフード好きだったでしょ」
五輪一族のVIPに対してヘラヘラ笑いかけるイルカに、本家のメイド達は啞然として目をむいた。
「ちょっと、あなた……! 天馬様に向かってなんて口を……」
「いいんだ、構わない」
非難の声を上げる彼女らを、天馬は手を上げて制した。
「ありがとな千堂。もらうよ」
「はいはい。二人でカップ麺食べるの、久しぶりですねぇ」
「いやー、まさか『VIPと個人的な友達になって気安く声をかける』ってシチュエーションを実際に体験できる日が来るとはね。人生でやってみたいことベストスリーに入りますよ、これは」
夜の海を眺めるバルコニーで、イルカはカレー麺をすすりながらにやにやと笑う。
「変わってないな、お前は。まあ名古屋で別れてからまだ一か月だ、変わるはずもないか」
天馬はシーフードを手に苦笑していた。
「意外と早い再会でしたね」
「ああ、お前が紅子のところのメイドだったとはな……。しかし今思えば、なんで気付かなかったのか不思議なくらいだ」
「そうですか?」
「お前、『前の職場ではお嬢様のツッコミ役だった』とか言ってたじゃないか。千堂がツッコミに回る相手なんて、この世に紅子か紫凰くらいしかいないだろ」
「あははは、それは確かに」
空峰家の御曹司である天馬と、炎城寺家のメイドであるイルカ。二人はかつてお互いの立場を知らずに出会い、友人となった。そしてまた、この島で予期せず再会したのだった。
「しかし紅子と千堂の組み合わせなんて、とんでもない爆弾コンビだな」
「ふふ、それはもう。わたしたちが打ち立てた『キーボードクラッシャー・クレナイ』の伝説の数々を聞かせてあげましょうか」
「たとえば?」
「えーと、Twiter始めた初日にアクセス禁止にされたり、知恵フクロウをアクセス禁止になったり、ブログを荒らしてアクセス禁止になったり……そうそう、お嬢様って自分のファンサイトまでアクセス禁止にされたんですよ」
「アク禁ばっかじゃないか」
「小説のネタに使っていいですよ」
「使わねーよ」
イルカがふざけて、天馬が呆れる。たまに二人で声をそろえて笑う。
名古屋の喫茶店で、なんの背景もない若者同士として過ごした頃と同じテンポで会話は進んでいく。
立場の差が明白になった今でも、二人の友情に変わりはなかった。
――――という、美談に見せかけて。
「ところで『人狼』くん」
イルカは不意打ちで切り込んだ。
だが、そんなことで動揺してボロを出す天馬ではない。
「俺は『村人』だ」
イルカの奇襲などお見通し、と言わんばかりに天馬の表情筋は一ミリたりとも動かない。
「はーやれやれ。不毛な探りでしたね」
イルカはため息をついて、残っていたカレー麺をすすりこんだ。
「ズルズル、もぐもぐ、ご馳走さま。……気を取り直して、ところで天馬くん。今度はマジな話なんですが」
「なんだよ」
「そよぎ様のこと、本当なんですか」
「…………ああ」
天馬はわずかにためらった後、肯定した。
「現在の海原家当主に実子はいない。子供の出来なかった海原家が養子に迎えたのがそよぎだ」
「わたし、十年以上前から炎城寺家にいますけど、そんな話全然聞いたことなかったですよ」
「大っぴらに話すことでもないからな。それに、そよぎが海原家に引き取られたのは生後半年くらいの時だ」
その頃のイルカは小学生になったばかりだ。そういう大人の話に気付かなかったのも無理はない。
「ふーむ……。そよぎ様には悪いかも知れませんが、なるほどなって思っちゃいますね」
「そよぎだけ俺たちと性格が違うって言いたいんだろう。まあ、分かるよ」
紅子、天馬、紫凰、王我、美雷。この五人は程度の差こそあれ皆、激しい気性と戦闘本能の持ち主だ。
そよぎだけが大人しい平和主義者。
五輪一族としては珍しい……とイルカは思っていたが、そもそも彼女は五輪の血を引いていなかったのだ。
「五輪一族と五輪グループの上層部は皆、この事を知ってる。それで露骨にそよぎを敵視する人間も少なくない。王我みたいにな」
「いまどき血統ってのがそんなに大事ですかねぇ。まさに今、五輪本家だって分家から跡継ぎを選出しようとしているのに」
「くだらない考えだとは思うが、実例があるからな」
「実例?」
「紫凰に王我に美雷……そしてある意味、紅子の存在がそよぎへの風当たりを一番強くしているところはある」
「ああ、なるほど。紫凰様は剣道日本一。王我様はあの歳で土橋グループの事業を仕切って目覚ましく業績を伸ばしている。美雷様はEスポーツ界で有名なんでしたっけ? そして紅子お嬢様は、格闘技の全米チャンピオン。天馬くんも今や業界注目の小説家ですし。……これだけ揃えば、五輪の血統はやはり凄いと思わされますね」
数々の問題行動を差し引いても、「五輪一族の血統」には偉大なブランド価値があるのだ。
それを持たず一族の末席に座らされた、海原そよぎの心中はいかほどか。
さすがのイルカも、あの幼い少女が気の毒に思えた。
「天馬くん。もう一つ聞きたいんですが」
そよぎに対する詮索は終わりにして、イルカは話題を変えた。
「ん?」
「天馬くんはこのゲーム、勝つ気はあるんですか?」
「家を継ぐ気のない俺に勝つメリットはないから、紫凰と結託してあいつを勝たせるか、ってことか」
「まあ、そうです」
紅子と違って天馬は頭がよく話も早い。
わずかな言葉でイルカの言いたいことを的確に汲み取ってくれた。
「それは絶対しない。俺も紫凰もそんな姑息な手段は嫌ってる。なにより、負ければ紅子たちに見下される。そんなことは我慢ならないからな」
こういうところは、紅子と似ている。
「やはり天馬くんも五輪一族ですね。冷静ぶっていても性根は闘争心の塊ですか」
「たとえ恩人のお前でも、『人狼』だと思えば吊るすからな。クルーザーが手に入らなくても恨むなよ」
「いやいや、わたしは『村人』ですって。信じてくださいよ。ってか、そんなこと言って天馬くんこそ『人狼』なんじゃないですかぁ?」
「違う」
「ほうほう。じゃあ聞きますけど、『村人』のカードの背景に薄く透かし文字が入ってましたよね? あの文字が『CITIZEN』だったか『FORMER』だったか答えてください」
「透かしなんて入ってなかった」
「……はあ。やっぱり、こんな引っかけは無駄ですか」
イルカはやれやれと首を振った。
「そもそも人狼ゲームのシステムを考えたら、間近で見ないと分からない特徴をカードにデザインするはずないだろ」
「おっしゃる通りで。やはり天馬くんが『人狼』だとしたら手強そうですね」
「お前もな。正直言って、俺はお前が『人狼』だったときが一番怖いよ」
そう言いながらも、天馬は不敵に笑った。
「ま、とはいえやはり天馬くんと紅子お嬢様とは敵対したくないですね。できればお二人には村人チームでいて欲しいものです」
「そうだな……おっと、もう11時半を過ぎてるな」
天馬がスマホを見て言った。
一日目の夜フェイズが、あと30分で始まるのだ。
「そろそろ部屋に戻ったほうがいいな」
「ええ。いよいよ始まりですね」
二人は空になったカップ麺の容器を持って、屋敷の中に戻る。
廊下で別れ際、最後になるかもしれない挨拶を交わした。
「お互い、明日の朝まで生きてまた会いたいですね」
「そうだな。けど、こればっかりは運だからな」
かなりの高確率で、今夜さっそく誰か一人が脱落するのだ。
それが誰になるかは……まだ、誰にも分からない。