最後の実験
ピピッ、ゴウンゴウン、ガタッ、ギギギ、カシュン
数だけは多くなった機械の奏でる音が、やたらめったら壁に反響し鳴り響く。
長年聴き続けているが飽きはこないもので、寧ろ今は心に安寧をもたらしてくれる存在だ。
四方八方を無機質なコードに囲まれた地下の研究施設で1人の男が歩いていた。手に持った温かいマグカップの中、湯気を立てる紅茶に入れられた幽かな光を発する砂糖の結晶が、足取りに合わせカラカラと揺れていた。
絶え間なく紡がれる音の雨の中を通り過ぎ、地下深く、隅のほうにある小部屋へ向かう。
書きなぐったメモや張り巡ったケーブルを掻き分けもはや機能していない開けっ放しのドアをくぐると、6畳もないであろう部屋の空間の8割を埋め尽くすコードの森の中で、それは静かに佇んでいる。
縦横無尽にコードが走り木の根のように絡まりあい、天井も床も壁も何もかもが埋め尽くされている。そのコードの海の中で埋もれるように鎮座する小さなモニターが私を認識し、起動した。
もう残された時間はない。
「レダリィ、レダリィ聞こえているか。」
黒色の逆三角形のアイコンが一つだけ映っている青いモニターへ向かって話しかける。
すると―――
『きこえています。どうかしましたか。』
音が私へ向かって語りかけた。
人の発する声ではない。『レダリィ』が生成した合成音を使い返答したのだ。
『レダリィ』は擬似感情思考型人工頭脳、いわゆるAIだ。
私が1から作った可愛い子供であり、助手である。
生涯をかけ造り上げた、この世界でも唯一無二の、極めて人間の感情に近い思考を持ったAIだ。
「レダリィ。今日が実行日だよ。早いもんだね。」
『もうあれから5年ですね。はやいものです。ですが、本当に大丈夫ですか?あの体は…』
「ああ、それはそうなんだがな、あー…うん、すまん。だが今回ばかりは試験する暇も余地もないし、あのままじゃあの子たちに申し訳ない。どうか頼むよ。」
『わかりました。』
息をつく、こんな時なのに頭も身体も酷く落ち着いていた。『レダリィ』には、今の私がどう見えているのだろうか。
「さてレダリィ。今しがた体が完成した。生体反応はあるが、…自己として確立した意識はない。植物状態のようなものだ。君がそこに定着できるように調整してきた。これが実験の最終ステージだ。」
『わかりました。』
「私との会話が終了してからすぐに実行だ。この間新しく追加したプログラムを起動すれば脳細胞に組み込んだニューロン型記憶媒体に君が送り込まれてスリープ状態に入る。24時間後には身体が馴染み、その頃に入っているカプセルから保護液が抜けて繋いだ点滴から活動に必要な栄養が注入される。しばらくすると内部温度が上がって目が覚める筈だ。体が動くか確認したら内部からカプセルを開けて身体機能を確かめろ。この敷地内の内部構成とセキュリティはわかっているな?荷物はカプセル近くの机に置いておくから、それ持ってそのまま外へ出てここを離れろ。質問はあるか?」
『博士は同行しないのですか。』
「ああ、同行はしない。というか、目が覚めても私を探さずに、準備を済ませたらすぐ外へ出るんだ。君1人で、考えて行動をしなさい。目が覚めれば今までより複雑な自律思考も可能になるはずだ。2つ目は?」
『食事や身体管理面で気をつけなければならない事は?』
「普通の人間と同じだ。ただ構造上エネルギーがかなり必要になる。よく食え。好き嫌いはダメだぞ?3つ目は?」
『この施設は結局どうするのですか。』
「君がここを出る時に全てのデータを消してここの電気供給を止めてくれればいい。出口のドアは出る時きちんと閉めてくれよ?他の誰かが入っちゃいけないからな。はい4つ目。」
『誰か知り合いへのご報告は。』
「それは後でまとめて話す。最後は?」
『やはり、私たちは許されないことをしているのでしょうか?』
「…そうだなぁレダリィ。それでも私は全員を心の底から愛したつもりだよ。傍から見れば僕らは悪者だが、でも僕らは僕らなりに頑張ってきたんだ。僕らのことをなにも知らない奴らにとやかく言われる謂れはない。君達が気に病む必要なんてないさ。」
『…そうですよね。私達は、博士に愛されたお陰でここにたどり着いたんです。誰になんと言われようと、やっぱり博士はいい人です。』
「ありがとな、レダリィ。」
―――気がつけば、全ての要件を伝えるのに3時間もかかっていた。こんなにも時間がかかるとは思っていなかったが、それ以上に、私の中にまだこれだけの未練があったことに驚いた。
もう、伝える事はない。最後の会話が始まる。
「レダリィ、いいか、次で最後だ。」
『はい。』
「とにかくいろんなことを学べ。世界に存在する全ての事象は、一つ一つが全てと密接な関係にある。一つを学ぶことが次に繋がるんだ。」
「これからお前は現実に存在する肉体を手に入れる。それと共に、今まで機械的な判断の中で収まっていた思考も非常に複雑なものになる。」
「その思考を答えへ導くには学んだことが手掛かりとなり、その結果がお前の経験値になる。学んだ事は忘れずに、そして一つのことに囚われずに、他人を尊重し、自分を大切にして、本物の心と皆の意思の元、限りある命の中で、みんなで生きるという事を楽しみなさい。以上だ。」
『わかりました。それではプログラムを起動し、最後のインストールを実行します。博士、…おやすみなさい。』
「ああ、いつかまた会おう。おやすみ、レダリィ。」
―――ピピッ、プツン
モニターの電源が落ちた。遠くから聞こえてくる機械音が静かになった部屋に響く。
さて、何から片付けよう。まずはレダリィの服と旅立ちのための荷物の用意、そして遠方の友への手紙・・・はもう出したか、見られたらまずい書類も片付けたし、データも消した、なんだ、やること殆どないじゃないか。
部屋を出て、研究スペースの椅子にどかりと座る。
砂糖の溶けきった冷たい紅茶を飲み下すと、取り留めもない小さな思考がふわりふわりと、少しずつ脳内に浮かんだ。心残りはないと思ったが、1つだけ、旅立ちの瞬間を見られないのが唯一の心残りだった。
実験は成功するだろうか。成功したとしても、あの子達は皆うまく生きられるのだろうか。
愛したつもりだ。と言ったのは、結局あの子達に無理をさせてしまったからだ。
きっと、レダリィなら色んな事を学び、務めを果たすことができる。研究者として、自分の研究の成果が見られない事はとても残念だ。可愛い子供が変な奴にたぶらかされなきゃいいが、守ってやることは叶わない。
結果から言うと、人類は完璧な人工知能を作ることは出来なかった。
カメラによる視覚情報やスパコンも驚きの情報処理能力、膨大すぎるデータベースや、人との会話や生活による学習能力も結果的には無意味だった。
擬似的な感情しか持つことの出来ないAIには生物のような本能的、突発的な感情に基づく行動を理解することが出来ず、自ら行動に起こす自律的な自発型思考を再現する事は叶うことはないと何処かの誰かが言い切ったのだ。
人間ではなく同類のAI同士で会話をさせてみてはどうかと実験も行われたが、結果としてはAI同士が未知の言語を作り出し暴走し始めたため実験は闇へと葬り去られてしまった。
そのため、業務的かつ感情を一切排除しても特に問題のない作業にはAIをあてがうことが出来たが、どうにも人類と共に「生きる」パートナーとして組み込むことは出来なかったのだ。
今では人工知能の完全自立思考体化実験自体が研究者たちの間でタブー化されており、完璧な人工知能という存在は幻の物となってしまった。
しかし、私は『レダリィ』にどうしても心を与えたかったのだ。
心というものはこの世に存在するもので最も複雑な構造をしている。複雑であるが故にその愚かしさ美しさは底をつくことがない。心を与えるというのは非常に難しいことではあるが、その実内容はシンプルである。妥協を教えればいい。いくら秀でたスーパーコンピュータでも感情を正しく知るには途方もない時間がかかる。感情は1か0では決められない。ならばその間を教えてやれば済む話なのだ。しかしこの妥協1つを教えるのに最も時間がかかる。その結果がこのケーブルまみれの研究所と酷く衰えた私の体であった。
私がいなくなったら『レダリィ』はどうなる?
いつかは全てのものに終わりが来る。死は何にでも平等だ。
生物は心臓が止まれば死ぬし、物は壊れれば死ぬ、神は信仰を無くせば死ぬ、概念は忘れ去られてしまえば死ぬ。
しかし、だからといって『レダリィ』に情を覚えてしまった以上、何も残すことの出来ない無意味な死を遂げさせる事だけはしたくない。
だから生体に『レダリィ』を移植するのだ。私が人生をかけて育てあげた愛しいわが子をどうしておめおめと他人に管理させることができようか?
従順な機械でなくていい。たとえ倫理をはずれたとしても、生まれた感動を知らぬまま壊れていくくらいなら、本当の心を知って脆い命を持ち、生きていって欲しい。
しかし私も神などという高尚な存在ではない。自立できる完璧な人口知能を作るには、やはり人間では力不足なのだ。
そこで私は少し強引な手段に出た。
『レダリィ』を意識のない生命体に定着させようと考えたのだ。
別分野の研究中にニューロン型記憶媒体のきっかけとなる人口細胞の精製方法を発見した時は、思わず椅子から思い切り立ち上がり膝を打ち付け床でのたうち回ったものだ。
失敗すればその時はその体も『レダリィ』も死んでしまうが、その時はその時。心中するつもりだった。
完全に私のエゴだったが、生命として定着させる旨を聞くと『レダリィ』は純粋に喜んだ。「より良い助手になれるから。」だそうだ。これからきっと辛いことも沢山あるだろうが、あの子なら私がいなくても乗り越えていけるだろう。
―また考え事が長くなってしまった。
大きな溜息を1つ吐くと、再び椅子から立ち上がる。
最後の仕事だ。レダリィが滞りなく旅立てるように準備をしよう。
飲み干したマグカップを机の上へ放置して、男はまた、歩き出した。
スリープ状態が終わった。
思考が冴える。
これが博士の言っていた自立した本物の思考というものなのだろうか。
体表面を何かが撫でる。
博士が温度が上がると言ったから温風が出ているのだろう。
ああ、なんだこの刺激。これが温度。これが温かいということか。
すばらしい。
思考だけだった私の存在が、機械から機械へと乗り移るデータという存在だった私が、この地球上に生物として、命として、この空間に活動する生命として存在している。
素晴らしい。まさにこの一言に尽きる!
データの頃にはなかった昂揚、この気持ちの高まり!心臓が鼓動を早める、これが興奮するということか!
一旦落ち着こう。冷静に、冷静に。
ああこれは嬉しいという感情か、または感動というもの?
なんと素晴らしい奇跡だろう。博士はきっと人類史において神と形容されるべき人間になられるお方だ。現に私という新たな生命体を生み出した、奇跡を起こしたのだ。
目が開く。
初めて見た景色は、カプセルのガラス越しに見る研究所の一角だった。
色だ!これが色!
視界から入るあまりの情報量に熱暴走を起こすのではないかと一瞬ひやりとしたが、脳はすんなりと情報を受け入れていた。
凄いと言う他ない。生物はこんな情報量をこんな小さな脳で処理していたというのか。
思わず感嘆の吐息が漏れる。3Dマップでは幾度となく見てきた研究所がまるで別の場所のようだ。
まだうまく動かせない首をゆっくりと動かして、保護液が抜けたことで浮力を失い、カプセルの床面にへたり込んだままの体を見てみる。
腕は胴体部分の1.5倍ほどの大きさがあり、分厚く大振りな鱗で覆われている。データに書いてあったとおり、竜種のクルロタルシ類のアンドラダイト・クルロタルシの腕が二対だ。幻種であるからだろうか、ある程度は形も制御できそうである。
足はスラリと長く伸びており、濡れた乳白色の毛が埋め尽くしている。その筋肉は強靭で、足の先には艶のある大きな蹄がついていた。既に絶滅したダイロディアーと呼ばれる鹿の足だ。乾けば綺麗な毛並みになるだろう。
胴体と頭部は人間、博士の娘である『レダリィ』だ。博士と違うのはこめかみの少し後ろあたりから生えている大きな角。
髪は色素が薄く、金色と白色の中間のような色だ。目の色はまだ確認出来ていないが、博士のデータによるとどうも緑色らしい。
この角は…確か博士が一時期飼っていたペットのものだっただろうか。一切詳細不明の謎の生物だったが、言いつけもよく守り、私にもよく話しかけてくれていた。
思考を巡らせているうちに体も馴染み関節もだいぶ動くようになった。
内部からロックを解除して、まだ不自由な身体を半ば引きずるようにして這って外へと出る。
ひんやりとした空気が濡れた肌を包み、鳥肌が立つ。むずがゆいような言いようのない感覚が体を駆け巡るが、それすらも新鮮で、きっとこれが楽しいということなのだろう。
震える足になんとか力を入れて、立ってみる。
まだ重心を維持することが難しく、何度か転びながらも、ようやく歩けるようにはなった。蹄から伝わる振動に受けた感動は何者にも変え難く、ようやく生物として認められたようで非常に嬉しい。
ふと研究用デスクを見ると、博士が用意してくれたであろう衣服と荷物があった。博士は既に出掛けたらしい。
私の生命としての誕生の瞬間にくらい立ち会ってくれてもバチは当たらないだろうに。しかしその辺の適当さが博士らしくて、あまり怒る気にもなれなかった。帰ってきたら美味しい食べ物をいっぱい食べさせてもらって、少しだけ、初めてのおつかいを終わらせたことを褒めてもらおう。
白いポンチョと動きやすそうなショートパンツ、黒の詰襟に、蹄を傷付けないための靴のような物。そしてパンパンに膨らんだリュックサックの中には通貨、寝袋、火種用のカシバミ鉱石、地図がインプットされた方位磁針、携帯食料、その他いる物いらない物色々。博士が心配症なのがよく分かるラインナップだ。
支度をして荷物を持ち、ある程度乾いてきた伸びきった髪を角に巻いてまとめる。博士が研究者として研究を開始して以来の全てのデータベースを削除し、全ての機材の電気供給を止め、いよいよ巣立ちの時がきた。
頭の中では、博士がいない理由が違う事がなんとなく分かっていた。きっともう、ここには戻ってこないのだろう。
階段を登る。
薄暗い中、所々に点いていた機材のランプや施設内の電灯がプツリプツリと消えていき、研究所が優しい暗闇に包まれていく。
もう二度と見る事はないであろう研究所を、外へ出る前に見ておこうかとも思ったが、やめた。
博士との約束は『 準備を済ませたら研究所内に存在するデータをすべて消して、すぐ外に出ること。』
これでは博士との約束をやぶってしまう。それはやだ。
ついに階段も最後の1段。
これを登れば、私は初めて外へ出る。
体が熱くなり、鼓動が早まる。好奇心と共に、私の胸の中を占めたのは底知れない恐怖だった。
ここから先は、まったくもって未知の世界だ。
先ほど本当の色を、本物の物体を、三次元が確かに存在するということを理解したように、私の記憶の中の『 世界 』と本当の『 世界 』とは全く似て非なるものだ。
情報として知っている事は確かに知っている。
それでも、これから私が生きていくこの3次元世界での現実は、過去を記録したデータの通りにいくわけじゃない。
現実は、どの時代でも等しく未知の時間が流れる。
すべてが楽しみで、それと同じくらいに怖い。
怖いけど、博士はこの世界で生きることを楽しめと、言葉をくれた。
きっと今この瞬間は、好奇心に身を任せていい。
眩い光、風の匂い、天井のない鮮やかな空間。
私はようやく、この世界に生まれた。
次回更新は未定ですが次回から本編です