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僕は、恋愛ができない  作者: 琴々
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第1話 僕は、憂鬱な日常を生きる

キーンコーン、カーンコーン。

ガララッ。

「ちょっと、海老原くん」

予鈴と同時に颯爽と現れた海老原理玖えびはらりくは、教室に入るなり腕を引っ張られた。

「え、なになに、僕に用でも?」

好奇の目を光らせた女子数名にサッと包囲される。

茶色混じりの癖っ毛を片手でクルクルといじりながら、理玖は戸惑いの色を浮かべていた。

「こんな大人数でどうしたのさ」


「実咲と付き合ったって本当?」


中野凛なかのりんの遠慮ない質問に、周囲の女子がキャーと声を上げる。


「知らない。もう授業始まるよ」

理玖は気怠げに包囲網を押しのけると、窓際の自席に向かった。


「なによ、あの態度」

「実咲ちゃんがかわいそー」

「あんな男のどこが良いんだか」


女子の声は聞こえないフリをして、理玖はリュックを机に下ろす。中から教科書を取り出しつつ、教室内を見渡して江東実咲えとうみさきの姿をさがす。


見つからないまま授業は始まった。

「教科書46ページを開けー」

先生の声が遠くから聴こえる。理玖は頬づえをつきながら、ぼんやりと黒板のあたりを眺めていた。


あ、いた。


最前列、先生のすぐ近くに、江東実咲の席はあった。


なんだ、いるんじゃん。

僕が見つけられなかっただけか。


理玖はふぁーと伸びをした。


江東実咲。

クラスメートの女子。15か16歳。昨日、僕に告白してきた。顔は良い。黒髪ロング。僕と付き合っているらしい。


それしか知らない。し、それ以上のことを知りたいともあまり思わない。

付き合っているとかいないとか、そんなこと知ったこっちゃない。


と言いたいところだが、昨日曖昧な返事をした僕が悪かった。

向こうは僕と付き合った気でいるかもしれない。僕にそんな気はないけれど。


でも、ひょっとしたら彼女が僕を変えてくれたり

……しないかな、なんて。


理玖は窓の外に目をやった。

喪ったぬくもりを求めて。


やっぱり君に会いたいよ、波瑠はる



「海老原。おい、海老原、聞いているのか」

思い出に浸っていた理玖は、先生の怒声で現実に引き戻された。

「はい、なんでしょう」

慌てて先生を見る。江東実咲の顔が視界の隅にチラと映った。


「問3の答えは」


「……興味ありません」


クスクスと、周囲から笑いが洩れる。先生は呆れたようにハーとため息をついた。

「海老原。授業が終わったらすぐ、私のところに来なさい。話がある」

「はいはい」

返事をすると、理玖はまた頬杖をついて窓の方を向いた。


ねぇ、波瑠。

波瑠がいないだけで、どうしてこうも世界はつまらなくなってしまうのかな。


愛しい笑顔を瞼の裏に描きながら、いつしか理玖は眠りに落ちていた。



「海老原くん、起きて」

「凛ちゃん、やめてよ」

おぼろげな夢を遮られて、理玖は顔を上げた。中野凛と江東実咲が目の前に立っていた。寝ぼけ眼を擦り擦り、

「まだ僕になにか用?」

と訊く。


凛が実咲の背中をドンと押しやる。実咲は押されて一歩前に出た。


「そ、その、先生が、放課後職員室に来て、って……」

声が尻すぼみになる。俯いているから、表情はよく見えなかった。


「海老原が寝てるから、先生呆れて帰っちゃったわよ……って、そのことじゃないでしょ、実咲」

「私のことはもう良いって」

実咲は隠れるように凛の後ろにまわった。

「良くないでしょ」

「良いってば」


「昨日のことでしょ?」

理玖は腰を上げながら言った。

「昨日は悪かったね。それじゃ」


「ちょっと待ちなさいよ」

カーディガンの裾を引っ張られる。

「付き合ってるの、付き合ってないの、どっちなの」

凛が上げた声に、何事かと周囲が振り向く。


「僕も知らない。付き合ってないんじゃないの」

理玖は、カーディガンを掴んでいた凛の手を払いのけた。


「じゃあ、昨日の言葉は」

実咲が声を上げる。


理玖は実咲をジッと見つめた。


「そのまんまの意味さ。挑戦してみなよ」

理玖は小さく笑うと、実咲に背を向けた。


「それと、もう同じ質問はして来ないでね」

昨日と同じように、ひらひらと手を振りながら、理玖は教室を出た。

と同時にチャイムが鳴り響く。


しかし、理玖はそのまま教室を離れて歩き出した。


特に行くあてなど無かった。

けれど、足は明確な目的地でもあるかのように、淀みなく進む。


いつの間にか、学校の最寄駅にまで来ていた。この時にはもう、理玖は自分がどこに向かっているのか気付いていた。


そう。波瑠との思い出が眠る、あの場所へ。


理玖は定期券に手を伸ばそうとして、しかしその手は空を掴んだ。

「定期教室に置いてきちゃったよ」

自分に呆れて、思わず呟く。


ハァーと大きなため息をひとつ吐くと、理玖は改札から離れ、外に出た。


空は、苛立つほど見事な青をしていた。


理玖は、駅のすぐ外にあるベンチに腰掛けた。何をするでもなく、駅前にたむろう鳩をボンヤリと眺める。


荷物を取りに、もう一度学校に行かなきゃな。

だけどまだ授業中だから、次の休み時間までここで時間を潰そうか。


「あーあ、暇だな」

誰もいないのをいいことに、大きな声を出す。驚いた鳩が、バサバサと音を立てて飛び去った。


今度こそ本当に誰もいなくなっちゃったな。


理玖は制服のポケットからケータイを取り出すと、画像フォルダを開いた。


波瑠、君も。

僕を置いていっちゃった。


今日はいつにも増して君が恋しいよ。

どうしてかな。


ふと、頭の中で、クラスメートの長い黒髪が揺れた。彼女は、照れたような笑みを浮かべた。


そうか、もしかしたら僕も、君から離れようとしてるのかな。その反動かもしれな……。

いいや、そんな筈ない。そんなの、イヤだ。絶対に。ぜっっったいに。


理玖は、写真の男の子の黒くてまっすぐな髪を、画面越しにそっと撫でた。


そういえば一度、波瑠が髪を染めてきたことがあったな。

全然似合ってなかったけれど。

でも、カッコよく見せようと背伸びしてるのが可愛くて、茶髪をクシャッと撫でたら、陽だまりの猫みたいに目を細めて、嬉しそうに笑っていたっけ。

可愛かったな。本当に。


理玖は、自然と頬が弛むのを感じた。


波瑠、好きだよ。

いつまでも。いつまでも。



「お前、男が好きなの?」


突然頭上から降ってきた声に、理玖はハッと身を強張らせた。とっさにケータイの電源ボタンを押す。


恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのはクラスメートの藤木優弥ふじきゆうやだった。「不思議の藤木ちゃん」と呼ばれるこの男は、小柄な体に似合わない、大きな黒縁眼鏡をかけている。

「ちげーよ」

乱暴に答える理玖の心臓は、今にも破裂しそうだった。

「だって、男の写真見ながらニヤニヤしてたじゃん」

優弥は純粋な疑問の色を浮かべて、首をかしげた。

「それでも違うって言うの?」

「違うって言ってるだろうが。てゆーかお前、こんな時間に何やってんの」


理玖は優弥を睨みつけた。優弥はそんな理玖に怖気付く様子もなく、いつも通りの声音で答える。

「僕はこれから学校に行くところだよ。そっちこそ、何やってるの。授業サボって片想いのおと……」


「ふざけんな!」


理玖は声を荒げた。

「知ったような口利いてんじゃねーよ、この盗み見野郎」

理玖は優弥を睨みながら、立ち上がった。

「ケータイ見たのは悪かったよ。でもさ」

「もういい」

理玖は振り返らずに、スタスタと歩き出した。

優弥は追ってこなかった。




「クソッ」

理玖は泣きたい気分だった。


俺も死ねば、誰にも邪魔されずに波瑠と二人で笑っていられるのかな。


いや、波瑠が悲しむから、俺……じゃなくて僕は、ちゃんと生き続けるよ。

だから安心して。


でも波瑠。

僕は、生きている実感がないんだ。

だって、ずっと、波瑠との思い出の中に生きているから。



視界の隅に映ったカラスは、真っ黒な瞳でジッと理玖を見ていた。


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