その1 魔王と勇者の出逢い:後編
魔王のためにある、玉座の間。
通じるためにある漆黒の扉は、銀色の縁取りで装飾がなされている。キラキラ輝く扉は、魔王こそがこの世の至上であると告げているようだ。
その扉を開き、部屋の中を進み最奥にある椅子へと腰を下ろす。ここで勇者を待ち構えるのが、セシリアが魔王として出来る最期の仕事だ。
――私は今日、勇者に倒される。
死にたくはないはずなのに、自然と震えはない。
怖いはずなのに、凛と、背筋を伸ばして前を見据えることができた。
さっきまではあんなに震えて怖かったのに、一人になった途端……すっと頭の中が冷めたような、落ち着いたような感覚を覚える。
「大丈夫」
――私は、魔王。
今まで魔王らしいことは何一つしてこなかったけれど、れっきとした先代魔王の娘。ほんの少しの誇りくらいならば、その心の中に残っている。
――勇者パーティは、すでに魔王城に侵入している。
無意識のうちに、息を呑む。
玉座の間はとても静かで、争い事が起きているようにはとても思えない。しかし、セシリアに事実であると突きつけるように玉座の間にある豪華な扉がゆっくりと開いた。
ここに入ってくる人物は、一人しかいない。膝にのせていた手をぎゅっとにぎりしめて、瞬きをするのも忘れてまっすぐ扉を見つめる。
「…………勇者」
ぽつりと、セシリアの小さな口から声が漏れる。
扉を開いて姿を見せたのは、聖剣を携えた勇者オリヴェルだ。その後ろには、四人のパーティメンバーが構えている。
ところどころ衣服が汚れ、傷を負っている。それはこの城にいる魔物たちと戦った証。不甲斐ない魔王でごめんなさいと、セシリアは心の中で告げる。
――みんな、頑張ってくれたんだ。
倒されてしまった魔物とは、もう会えない。涙が溢れそうになるのをぐっとこらえて、セシリアは勇者を迎え入れた。
「お前が魔王か……。魔物すべてを統べる、王」
オリヴェルの澄んだ声は、玉座の間によく響く。低いそれに、セシリアの体が一瞬たじろぎを見せる。それを堪えながら、言葉を返す。
「……それが、何だというのですか」
「いいや。一応言っておくが、俺は勇者だからな。城の魔物は一匹も殺してはいない」
「――っ!!」
俺はお前とは違い、無益な殺生はしない。
暗に、そう言われている気がした。けれど、今はそんなことを気にしている余裕はない。セシリアは、勇者の言葉に目を見開いた。
仮面で見ることは叶わないが、綺麗な夜明けのような瞳から、ぽろりと小さな涙がこぼれた。
――みんなが、生きている?
それだけで、セシリアは心が満たされた。
彼女にとって怖いのは、自分を大切にしてくれた魔物たちが殺されてしまうこと。城外にいる魔物にまで感心をもてはしないが、せめて庇護のもとにいる魔物だけでも助けたかったのだ。
「しかし、魔王であるお前だけは殺せと――王命を受けている」
「!」
勇者が一歩足を踏み込み、聖剣を構える。
それに応えるように、セシリアも立ち上がり杖を構える。頭の片隅で分が悪いなと考えて、しかしどうしようもない現実だからとあまんじて受け入れる。
セシリアは、魔法に長ける。
間違っても剣で戦うなんていうことは、出来ない。
そもそも日向ぼっこをしていることが多いセシリアだ。腕立て伏せなんて三回が限界だし、五十メートルを走ってもそのタイムは十三秒かかる。
絶望的なほど、体力がない。素早い動きも出来ないし、危機を察知し無意識に体が動くなんて都合のいいことももちろんない。
詰んだな、と。セシリアは思った。
せめてもう少し体を鍛えておけばよかったと思うが、すでに遅い。けれど、もちろんただで命をくれてやるつもりは毛頭ない。
――防御魔法を展開すれば、少しは時間を稼ぐことができるはず!
「夜より深い闇よ、我に纏い護りを与えなさい」
キラキラと輝いた闇の力が、セシリアを包み込むようにして降り注ぐ。それと同時に、オリヴェルの聖剣がセシリアに向かって切りつけられる――が、それは闇魔法によって防ぐことができた。
「……んっ!」
――速い!
間違いなく、物理的に避けることも防ぐこともいなすことも、セシリアにはできない。速いだけではなく重い一撃は、あっさりとセシリアの闇魔法を打ち砕いた。
――まさか、一回で防御が砕けるなんて。
これでは、時間を稼ぐこともままならない。みんなが生きているけれど、勇者たちがいるここから逃げてほしいという思いは変わっていない。
「へぇ……」
オリヴェルの口が弧を描いて、にこりと笑う。感心したようなその様子に、セシリアは眉をひそめる。
「俺の攻撃を防ぐなんて、さすがは魔王だ」
「っ!」
セシリアからしたら、たった一回しか防ぐことのできなかった方が驚きだったのに。涼しい顔をして、オリヴェルはそれがすごいと褒めた。綺麗な微笑みで、嘲笑ったのだ。
――こんなにも、私と勇者に力量の差があったなんて。
考えていたよりも、ずっとずっとセシリアの劣勢だった。もしかしたら、魔法で勝つことができるかもしれない――なんていう可能性は小指の先ほどもない。
攻撃は一回しか防げない。ならば、攻撃を仕掛けるのみだ。
「闇の力よ、輝きなさい!」
「させない――!」
セシリアが高らかに声をあげて、自身の周りに闇魔法の球を呼び出す。
これを勇者たちにぶつけて攻撃をするのだが――それより早いスピードで、オリヴェルがセシリアの懐に入り込んだ。
眼前に見えるのは、聖剣を持ったオリヴェルだ。
「――っく、うあっ」
聖剣の一線は、簡単にセシリアの幼い体を斬りつけた。
焼けるような熱い痛みに、彼女は呻く。
「残念。あっけなかったね、魔王。――これで終わりだ」
その場に崩れ落ち、セシリアは自分の死を悟った。
「ええぇぇっ! 嘘でしょ、魔王ってこんなに弱いの?」
「まぁ。違いますよ、イリナ。オリヴェル様がお強いのです」
二人の戦いを見て、驚いたのはパーティメンバーだ。こんなにもあっけなく魔王を倒してしまえるとは、まったく考えてもいなかったのだから。
エルナが微笑みながらオリヴェルの強さを讃える。
「確かにオリヴェルは最強だけど……。これなら、魔王よりも城内の魔物の方が強かったんじゃない?」
――間違いなく、魔物の方が強いです。
セシリアが勝てるとしたら、魔法くらいだ。
朦朧とする意識だというのに、心の中で返事をしてしまうセシリア。五十メートル走をして、ゴブリンに一度も勝てなかった過去が走馬灯のように駆け巡った。
生まれ変わったらきっと、体を鍛えよう。……なんて、思いながら。
息一つ乱すことなく、オリヴェルは魔王セシリアに勝利した。
聖剣を鞘に戻し、こんなにもあっけないのかとひとりごちる。あとは王に討伐の報告をすれば、この任務は完了だ。
足元に倒れる魔王を見て、思っていたよりも背が低いのだなと思う。魔族だから人型だということはわかるが、人間で見れば子供でもおかしくはない。
「……ふぅ。魔王も虫の息だから、もう大丈夫だろう」
「やったー! 帰ったらご馳走を食べよう!!」
「ああ。っと、どうせなら魔王の顔でも拝んでおくか……」
笑いながら、オリヴェルはセシリアの仮面をはぎ取った。が、その瞬間――雷に打ち抜かれたような衝撃が、彼の中を駆け巡った。
――魔王、超可愛い!!
思わず、自分の口元を手で押さえてオリヴェル息を呑む。
きつく閉じられた瞳は、長い睫毛が少し震えている。その瞳を見ることができないのが、今はひどくもどかしい。
マントの合わせ目から見えた服は、ゆったりとしたハーフパンツの魔王っぽくない服装。さらりとした三つ編みの毛先が太ももにかかっていて、妙に艶かしく見える。
戦闘時は問題なかったはずなのに、今更ながら動悸と息切れを起こしてしまいそうだ。
「……え? これが、魔王なのか……」
「女の子だったんですね」
「偽物?」
「いや。闇魔法の魔力は強大だったから、魔王で間違いはないはずだ」
四人のパーティメンバーが、オリヴェルの後ろからセシリアを覗き込んで話し合う。結論として、魔法使いが魔力量で魔王と判断をした。
「…………」
オリヴェルは、おもむろに自身の腰に下げていた鞄から最上級の回復薬――エリクサーを取り出した。ふたを開けようとしたところで、アウリスがその手首を掴み止める。
「おい、オリヴェル。それをどうしようって言うんだ。お前、怪我なんてしてないだろ?」
「どこか怪我をしているなら、私が回復魔法をかけますよ?」
心配したエルナが「まだ余力はありますから」と申し出るも、オリヴェルは無言で首を振る。
くるりと手首を回すようにし、アウリスの拘束からいとも簡単に抜け出して――オリヴェルはそのエリクサーを、なんのためらいもせずに魔王セシリアへふりかけた。
「お前! それはとっても貴重な、高い、エリクサーだぞ!?」
「どうして!? その子は女の子だけど、魔王だよ!?」
突然の行動に、メンバーは焦りオリヴェルにそれは魔王で倒すべき存在だと口々に言う。
けれど、彼にその言葉は聞こえていない。
だってこんなにも可愛くて、愛しいと思えるような人が眼前に現れたのだ。落ち着いていられるだろうか? いられるはずがない。
「俺、先に帰るから」
「えっ? どういうことよ、オリヴェル!?」
引き留める仲間たちの声は聞こえないふりをして、横たわった魔王の体を優しく抱き上げる。落ちないようにしっかり横抱きにして、満足そうに微笑む。
そして――仲間を置き去りにして、オリヴェルは転移魔法で王都へと跳んだ。
※2017/9/11 修正