その1 魔王と勇者の出逢い:前編
魔王は、魔物を従えこの世に絶望を与える存在である。そう告げた王は、選らばれし勇者に魔王討伐の任を命じた。
勇者オリヴェル一行はそれに従い、魔王を倒して世界に平和をもたらすはずだった。オリヴェルは強く、誰も勇者の敗北なんて考えもしなかった。
それはもちろん、勇者オリヴェルでさえも、だ。
しかしそんな現実は、いとも簡単に――崩れ落ちる。
◇ ◇ ◇
まるで魔王を祝福しているのでは? なんて言いたくなってしまうような雷鳴が、深い深い森の中に鳴り響く。勇者一行を最初に迎えたのは、打ち付けるような雨だった。
この森にくるには、人間の大陸から船に乗り一ヶ月ほど時間がかかる。そして抜けるためには、さらに一週間という時間を旅しなければならない。
精神的にも、普通の人間では耐えられないだろう。
勇者のパーティメンバーは、五人。
防御役のアウリス。短く揃えた藍色の髪に、がっしりとした高身長の体格。その手に持つ大きな盾で、メンバーを攻撃から守る大事な役目をしている。
魔法使いのライネ。細身で、魔法にのみ執着している男。しかしその腕は絶大で、オレンジ色の髪を靡かせ魔法を使う姿は美しい。
回復役のエルナ。この国の王女でありながら、回復魔法のエキスパート。ふわりとした桃色の髪を揺らしながら微笑む姿は、まるで天使のようだと国民からの支持も厚い。
弓使いのイリナ。旅をしていたところ、オリヴェルにスカウトされたはぐれエルフ。狙った的は、百メートル先でも狂うことはなく正確に当てることができる。
これが、国に選ばれし勇者のパーティ。誰もが自分の腕に自信を持ち、仲間を信頼している。背中を預けるのであれば、互いしかいないと確信しているメンバーだ。
「……魔王の城まで、あと少しですね」
「魔族の大陸だから仕方ないけど、馬車がないのは不便で仕方がない」
王女であるエルナの言葉に頷きながら、ライネは濡れてしまった全員の服を風魔法でパッと乾かす。そのまま洞窟の壁に背中を預け、座り込む。
現在地は、森の中で見つけた浅めの洞窟。
勇者一行は、休憩と魔王討伐作戦の最終確認をしようとしているところだった。各自が自分に絶対的な自信をもっているため、手持ちのアイテム確認や連携に関することが主題となる。
「ねぇ、オリヴェル。ポーションはこれで全部だよね?」
「ああ。最上級のエリクサーが一つと、上級ポーションが十個だな。とりあえず、アウリスは防御がメインになるから大目に持っておいてくれ」
イリナの問いにオリヴェルは頷いて、ポーションをパーティメンバーへ振り分ける。
「わかった」
前に立つアウリスにポーションを五個、俊敏性に欠けるライネに二個、残りは一個ずつ。何かあったら迷わず使うように、笑顔で告げることも忘れない。
魔王城とはもう、目と鼻の先。
だというのに、オリヴェルが緊張の欠片もなくあどけない笑顔を見せるのは――自分より強い存在なんていないと思っているからだ。
勇者、オリヴェル。
ダークレッドの髪は何の色にも染まることはないと告げ、その強さを示しす。青い瞳は星が宿っているかのようにキラキラと輝いていて、無限の可能性を秘めている。
鍛えられたしなやかな体には、一切の無駄がない。
この世界で最強とされ、勇者に選ばれた青年。すさまじい剣技は、その切っ先を誰にも読ませはしい。魔力量も多く、器用という本人の性格も相成ってどんな魔法も使いこなしてしまう。
まさに隙のない、完璧人間であると言っても過言ではない。
残り一つしかないエリクサーはオリヴェルが持ち、一晩休んでから出発しようと告げる。全員がそれに同意し、明日のことを話し合う。
「取るべき首は、魔王ただ一人。そのほかの魔物に関しては、放置でいいだろう」
魔王討伐とはいえ、オリヴェルは勇者だ。あまり無益な殺生はしない方がいいと考える。
それはパーティメンバーのエルナも同様の考えだ。
王女である心優しき自分を国民にアピールしているのに、勇者と魔物を殺しています……とは、たとえ国のためであっても言えはしない。
「もし魔物の数が多ければ俺が食い止めるから、その間に魔王を見つけ出せばいい」
何かあったとしても、攻撃はすべて自分が防ぐとアウリスは盾としての役目に誇りを持っている。それにオリヴェルは満足気に笑って、「任せた」と一言だけ告げた。
「でも、最後の戦いが雷とは嫌よね」
くすくす笑いながら、「歓迎されていないみたい」とイリナは肩をすくめる。しかしそれを否定するように頷くのは、魔法使いの男だ。
「自分たちを倒す相手を、歓迎するわけがないだろう」
「わかってるわよー! 言うくらい、別にいいじゃない。魔王を倒して国に帰ったら、私たちは英雄ね」
「イリナは英雄になりたかったの?」
きょとんとしながら、エルナがころころと表情を崩しながら笑う。王女である彼女は、魔王を倒すことは当たり前であって絶対に成し得なければならないことと認識しているのだ。
「王女様は、そんなことに興味なんてないのよね」
ぷくぅと頬を膨らませて、イリナは「つまらないの」と声を上げた。
◇ ◇ ◇
深い深い森の先、そこで静かにたたずむ魔王城。
誰かに暴かれるのを嫌うように、その周囲はうっすらと霧がかっている。雨の上がった森の木々が朝日を反射して、その場を神秘的に見せる。
魔王城は、たくさんの日差しを取り込めるように窓が多く付けられている。それはこの城の主――魔王に、心安らかに生活してほしいという配下の願い。
朝露を視界に入れ、魔王であるセシリアはまどろみながら座った椅子に寄りかかる。
「……あったかい」
裾のあまる大きめな服にホットパンツを着用し、片膝をあげてそこに顔を乗せている。いつでも昼寝ができますねと、はたから見たら笑われてしまうかもしれない格好だ。
金色がかった水色の髪は、ゆるい三つ編みに。毛先を指で遊ぶのが好きで、気付けば右手が自分の髪先に触れていることが多い。
眠そうな瞳は、青から灰色へと色を変えている。まるで夜明けのようだと褒めてくれたのは、今はもう亡き父――先代の魔王だ。
彼女の名前は、セシリア・フルスティ。
今代の魔王。
外見は、一五二センチ、十五歳といったところだろうか。
しかしその実態は、二百歳以上を生きる魔族だ。百三十年前に父親が人間に殺されて、魔王として跡を継いだ。
とは言っても――。
「…………ひま」
魔王という職業は、正直に暇だった。
お仕事と言えば、人間を滅ぼすことだろうか。しかし興味を持てないセシリアは、配下や魔物に任せっきりにして関わろうとはしない。
その魔物たちも、セシリアが興味を持たないため人間に何かをしたりはりないないけれど。
父親を殺した人間に恨みはないと言えば、きっと嘘になるだろう。しかし、対立が激しい種族なのだから仕方がないともセシリアは思っている。
確かに人間に殺されたが、父もまた、魔王としてたくさんの人間を殺したのだ。
――私は、淡白なんだろうか。
例えば、今日は魔物が何匹人間に倒されましたと言われても、正直どうでもいいとセシリアは思うのだ。魔であるセシリアたちと人間が分かち合うことはないと、そう思っている。
だから、きっといつか魔王城にも人間が攻めてくるのだろうと考えているのだ。
「確か、強い勇者がいるって噂があったはず……。でも、私はお父様みたいに強くないし」
それに、あんなに強かった父も人間にやられてしまったのだ。
とてもではないが、か細いセシリアが敵うとは思えない。魔力だけはとても多いけれど、肉弾戦に持ち込まれてしまえば勝機はないだろう。
「…………」
――勇者なんて、こなければいいな……。
願わくば、平和に過ごさせてください。
そう、思ってしまったのがいけなかったのだろうか。
大きな爆発音が魔王城へ響き、嫌な汗が流れる。まさかと、心臓が音を立てる。自分の体をぎゅっと抱きしめて、もう一度――今度は意識して窓の外を見る。
魔物たちが逃げまどっている姿が目に映り、ああ、ついにこのときがきてしまったのだと瞳を閉じる。
ゆっくりと深呼吸をして、部屋の外から聞こえる慌ただしい足音をセシリアの耳は捉えた。
先ほどまでは暇だったのに、世界はこうも簡単に日常を崩してしまう。
ドンドンと勢いよく叩かれた扉に、すぐ「どうぞ」と告げると息を切らした配下が飛び込んでくる。
「セシリア様、ゆ、ゆ、ゆゆ、ゆっ!」
涙目になりながら、小さな緑色の体をガタガタ震える配下は可哀想だった。自分より遥かに強い者が攻めてきたのだから、今は恐怖に包まれてしまっているのだろう。
それでも震える足を必死に押さえつけている配下――ゴブリンに、セシリアは落ち着くように優しく微笑みかける。
そして、ゴブリンが言えなかった言葉をセシリア自身が告げる。
「……勇者?」
「そ、そうだと思われます……。城内にいる魔物たちは、皆やられてしまっています。あいつら、化け物のように、恐ろしいくらいに、強いです」
これではどちらが魔王なのか! と、ゴブリンは悲鳴のような声をあげる。
――ゴブリンでは、勇者に敵うことはないですからね。
魔族は、高位魔族と魔物という二種類のカテゴリーに分けられる。
セシリアのように人間の姿をとっている、高位魔族。魔力がとても高く、人間となんら変わらないと言っていいだろう。外見から魔族だと判断することは、不可能。
そしてゴブリンのような、魔物の魔族。言葉を理解するものと、理解しないものがいる。ゴブリンは前者で、魔王城に仕えている者はすべて不自由なく思考を持つ。逆に、言葉を持たない魔物は世界各地に発生し無差別に人を襲ったりしている。
そのことからもわかるように、魔王城であり、魔族が住んではいるのだけれど――ここは、今まで平和だったのだ。
そのため、セシリアと魔物たちの仲も良い。
部屋の中に駆け込んだゴブリンは、一直線に走ってきてセシリアの手を掴む。
「早くお逃げください、セシリア様! 勇者たちは我々がなんとしても食い止めますから、どこか――」
どこか遠くに、勇者が追いつくことのできない場所にお逃げください。ゴブリンは、そう伝えたかった。けれど、セシリアはゆっくりと首を振ってそれを拒む。
「駄目。私は、魔王だから……」
「いけませんセシリア様! どうか、どうかそのようなことは考えないでください!!」
セシリアは座っていた椅子から立ち上がり、クローゼットから体をすっぽりと覆ってしまうマントを取り出して羽織る。
金色で装飾された羽根のブローチで合わせ目をとめて、くるりと翻す。
仕上げに、壁にかけられた父の形見である魔王の仮面を付ける。角が一本だけ生えているそれは、魔物の魔力がふんだんに込められていて人間が嫌悪感を示すものだ。
逃げてくれと、目に涙を浮かべながらゴブリンが懇願するが――そんなことが、出来るわけはないのだ。
セシリアは「大丈夫。あなたこそ、逃げなさい」と、仮面の下でゴブリンに優しく微笑んだ。
「私は、魔王。――逃げることは、しない」
「……っ、セシリア様」
顔を仮面で覆い、体は漆黒のマントで包むと可愛らしい姿はもうどこにもなく――どこからどう見ても立派な魔王の外見となったセシリア。……ただ、残念なことに身長が一五二センチと可愛らしいので、どこか威厳はない。
セシリアが歩くと同時に、ふわりと揺れるマント。
開かれたままだった扉を通ると、部屋の前にはほかの魔物たちが集まっていた。誰もがセシリアを心配している様子で、自分はここまで配下に愛されていたのだと改めて実感する。
「みんなは、逃げて。私は魔王としてのけじめを、つけてきます」
「…………っ」
凛としたセシリアの声を聞き、集まった魔物全員がその場で息を呑む。
ここに集まっている魔物たちは、戦闘に特化していない魔物が多い。大怪我をしている者がいないことだけ横目で確認し、セシリアはマントを翻す。
赤い絨毯の敷かれた廊下を真っすぐに歩き――向かう先は、魔王の玉座。
セシリアの後ろ姿を見送りながら、ゴブリンは膝をついて涙を流す。セシリアの力量と、勇者の力量を考えると、こちらの勝率はあまりにも低い。
「セシリア様、行かないでください……っ」
必死に縋るようなゴブリンの声を、セシリアは聞こえないふりをする。今振り返ってしまったら、きっと魔王としての決意が揺らいでしまうだろう。
――私、ゴブリンの淹れてくれた紅茶が好きだったな。
ゴブリンはずっとセシリアのお世話係として、小さなころから仕えてくれていた。
きっとこの城の中で、一番セシリアのことを思ってくれているのがゴブリンだろう。そしてセシリアも、ゴブリンには生きていてほしいと願っている。
――みんなが逃げる時間だけでも、どうにかして稼がないと。
そんなことを考えながら廊下を進むと、ちらほらと怪我をしている魔物たちがセシリアの視界に入ってくる。動けなくなり、廊下にうずくまっている者もいる。
城の魔物たちは、セシリアが魔王としての姿で歩いていることを見て震えた。普段はゆったりした服で過ごし、のんびりと生活していたのだから。
「セシリア様……」
誰もがセシリアの決意に気付き、涙ぐみその名を呼ぶ。いつもであれば、廊下の端でセシリアに礼を尽くす。今日もいつもと同じように、すぐさま廊下の端で跪き魔王へ最高の礼をなし――は、しなかった。
魔物たちは、今まであげたことのないような大声でセシリアに叫んだ。
「セシリア様、なんて格好をしているのですか!」
「お逃げくださいとゴブリンが来たでしょう!?」
「勇者が来たんですよ! 魔王様がターゲットなんです、早く逃げてください!」
「ここは我々が食い止めますから!!」
「…………」
魔物全員が、魔王に――セシリアにすぐ逃げろと言ってきたのだ。それはこの城の者であれば、誰もがそう叫ぶ。
けれど、セシリアの決意が揺らぐことはない。
「私は魔王です。城を、みんなを置いて逃げることはしません」
「セシリア様……。ですが、我々はセシリア様に逃げて欲しいのです」
生きていて欲しいと、魔物たちが必死にセシリアへ訴える。
直接言うことはないが、それは自分たちが死んででも止めるから、その間に逃げろと言っているのだ。魔物である彼らが、倒されないはずがないのに。それはもちろん、魔王であるセシリアもなのだけれど……。
だからセシリアは、それを受け入れることはしない。
「……駄目です。私に、魔王の仕事をさせてください」
淡々と喋っていたはずのセシリアの声が、震える。
誰もが互いを大好きなのだ。だから魔物はセシリアに死んで欲しくないし、セシリアも魔物に死んで欲しくないのだ。
仮面の下でぎゅっと瞳を閉じて、セシリアは大きく息を吸った。
――大丈夫。
「……行きます」
「セシリア様……っ!」
振り返ることをせずに、セシリアは魔王としてその一歩を踏み出した。
※2017/9/11 修正