その8 半裸勇者:後半
ベッドで熟睡していたゴブリンだが、ふいに目を覚ました。
魔王城が襲われてから、彼の眠りはとても浅くなってしまっている。今までだったら、夜中に起きることなんてなかったのに。
「……セシリア様がご無事だったのだ。もう、大丈夫だ」
たとえ勇者に攫われていたとしても、ここの生活は穏やかだとゴブリンは感じていたのだ。セシリアに危険はないのだからと、必死に自分を安心させようとする。
もう一度寝ようと再びベッドへ横になるが、なかなか寝付くことができない。セシリアを見たいが、夜も遅い時間なのでそれも敵わない。
明日、もう一度セシリアと話をしようとゴブリンは考える。
「しかし、勇者の溺愛ぶりを見ると……セシリア様を魔王城へ連れて返るのは難しそうだ。いったいどうしたら……」
勇者の強さを考えると――魔王城で暮らす魔物すべてが束になっても、敵うことはないだろう。しばらく様子を見るしかないかもしれない。と、ゴブリンは肩を落とす。
「……水でも飲んで、寝直そう」
セシリアのことを考えると、どんどん頭が冴えてしまう。これでは駄目だと自分に言い聞かせ、水を飲んで寝ようと考えた。
しかし、水はこの部屋にはない。
キッチンへ下りても大丈夫だろうかと、不安がよぎるが――すぐに戻ればいいだろうと、結論づけてリビングへ向かうことにした。
廊下は薄暗く、物音も聞こえはしない。
セシリアやオリヴェルが部屋で休んでいる可能性もあるため、ゴブリンはゆっくりと物音を立てないように廊下を歩き階段を下りた。
「あれ? リビング、明かりがついてるぞ……」
もしかしたら、まだオリヴェルが起きていたのかもしれない。
「セシリア様がいつも寝ている時間というだけであって、普通の人間にはそこまで遅い時間ではないのかもしれないな」
魔族と人間では、生活リズムが違うのかもしれない。
直接家主に水が欲しい旨を伝えよう。そう思ってリビングの扉に手をかけたのだが――はたと、ゴブリンは動きを止めた。
セシリアの声が、聞こえてきた。
「んぅ……。どうして、こんなことを……」
「だって、セシリアがとっても可愛いから」
ドアノブを握るゴブリンの手に、じわりと汗が浮かぶ。
「ほら、セシリア。口を開けて? ……そう、いい子」
「……も、う。無理、です」
――セシリア様!?
まさか、勇者と恋仲だったのではとゴブリンの顔が青くなる。
仮にもセシリアは魔王だ。無抵抗で勇者に手込めにされるということは、考えにくい。この屋敷が崩壊する魔法くらいならば、使うだろうとゴブリンは思ったのだ。
そっとドアの隙間からリビングを覗くと、そこにはセシリア専用のソファに座るオリヴェル。と、その膝の上に座らせられているセシリアの姿があった。
「…………!!」
ゴブリンは大きく目を見開く。
なぜならば、オリヴェルの上半身が裸だったからだ。
ゴブリンの中では、一つの公式が出来上がっていた。
勇者オリヴェルの溺愛 × セシリアの気持ち = 恋仲! と。
「やはり、恋仲だった……!?」
ただしこの計算式には、致命的な欠陥がある。
例えオリヴェルの溺愛が一〇〇〇だったとしても、セシリアの気持ちが〇であれば結果は残念なことに〇なのだ。
上半身裸のオリヴェルの膝に、ゴブリンの目からは大人しく座っているように見えるセシリア。
いったい何をしているのかと目をこらすが、いまいちよくわからないオリヴェルの手が、セシリアの口元にあるということだけはかろうじてわかるのだが。
「ど、どうしよ――ハッ!!」
ゴブリンが判断に困った瞬間、オリヴェルがリビングの入り口……ゴブリンを見たのだ。
目が合ったということを、瞬間的に理解した。目撃してはいけない場面を見てしまったのだと、ゴブリンは焦る。
――殺される!?
オリヴェルに斬られることを覚悟したゴブリンだったが、幸いなことにそのような状態にはならなかった。
ゴブリンを見たオリヴェルが、自分の口元に指を当ててにこりと微笑んだ。「しー」と、静かにするジェスチャーは、しっかりとゴブリンに伝わった。
慌ててリビングを離れて、ゴブリンは与えられた部屋へと戻る。
「セシリア様は……勇者が好き?」
いったいいつからだろうと考えるが、今までセシリアは魔王城から出たことはなかった。そうなると、勇者が魔王城に乗り込んできたとき……と考えるのが自然だろう。
「いや、ここで一緒に暮らすようになってからという可能性もある」
いったいセシリアとオリヴェルの関係はなんなのだろうとぐるぐる考えながら、ゴブリンはそのまま眠りについた。
明日、セシリアに確認しようと心に決めて……。
◇ ◇ ◇
「……ふぅ」
「……?」
「いや。セシリーが、可愛いなって」
「……セシリア、です」
リビングでは、ゴブリンが見たままの光景の二人の姿。
オリヴェルのお願いとは、セシリアを膝に乗せて椅子に座ってお菓子を食べさせたいというものだったのだ。
いったいそれになんの意味があるのかとセシリアが首を傾げるが、考えてもきっとわからないだろうとオリヴェルの好きにさせることにした。
そんなセシリアを見て、オリヴェルは顔がゆるみきって仕方がない。
「……もう、そんなに食べられません」
「そう?」
クッキーを持ったオリヴェルの指が、セシリアの唇にそっと触れる。
――すごく柔らかい。ずっと触っていたいくらいだ……。
ふにふにとセシリアの唇を指で触ってみる。少しふるふると震えていて、とても可愛い。
「んぅ……っ」
セシリアの口から、吐息がもれる。
ぞくりとした感覚がオリヴェルを襲い、やばいなと思う。
――可愛くて、止まらなくなりそうだ。
交換条件だと思っているセシリアは、嫌だと思いつつもその行為を素直に受け入れていた。
ぎゅっと瞳を閉じてふるえるその姿は、まるで子猫だ。
「……そろそろ、寝ようか。部屋まで送るよ」
「っ! 大丈夫です、自分で行けます」
「そう? 残念」
膝からセシリアを降ろすと、たたたたーっと一目散にリビングのドアまで走る。
本当に子猫みたいだとオリヴェルが笑いながらその後ろ姿を見ていれば、最後にこちらをちらりと見て――しかしすぐに自分の部屋へと帰っていった。
その顔が少し赤く見えたのは、オリヴェルの勘違いだろうか。
「あーもう。どうしてあんなに可愛いんだろう」
しんと一人きりになったリビングには、嬉しそうなオリヴェルの声だけが響いた。





