その7 訪ねてきたゴブリン:前編
屋敷に兵士が攻めてきてから数日が経った。
それ以来、特に大きな動きがあるわけでもなく、オリヴェルは毎日セシリアを眺めながら幸せな日々を送っていた。
新婚生活かな? なんて脳内を花畑にしているオリヴェルは、今日も甲斐甲斐しくセシリアの世話をする。
家事全般はすべてオリヴェルが行い、セシリアはそれをぼーっと眺める毎日。
いったいどんな生活だとツッコミを入れたいところだが、オリヴェルはとても幸せなのだから仕方がない。
「今日もセシリーは可愛いなぁ」
「……セシリア、です」
「つれないね。もう、こんなにセシリアを愛してるのに」
「意味がわからないです」
リビングで午後のティータイムを優雅にすごしながら、オリヴェルは今日もセシリアを鑑賞する。
バルーンタイプのミニスカートに、セピア色のジャケット。胸元には可愛らしいリボンがついているのだが、これはなんとオリヴェルの髪色をイメージしたダークレッドだ。見ているだけで幸せになれるとは、まさにこのことだろう。
俺の色に染まってるみたいですごくイイ! と、興奮した様子のオリヴェルにセシリアがドン引きしたのは記憶に新しい。
「……どうして、このようなことをするのですか。あなたにメリットなどないでしょう?」
――殺す人に対して、ここまで優遇することはないのに。
相変わらず、セシリアはそのように思う。地下牢がないにしても、どこかに閉じ込めておけば楽なのではないかと思っている。
わざわざ自分を懐柔して、いっそ魔物でも殺させようとしているのだろうか? そんなことになるならば、セシリアは死を選ぶ。
「メリットなら、ありすぎるよ。可愛いセシリアをずっと見てられる」
「…………」
この屋敷にきた当初よりは、ほんのわずかではあるがセシリアの口数も増えた。
とはいえそれは、すべて否定の言葉だけれども。
どうしたらこの想いを素直に受け取ってもらえるのだろうと、オリヴェルは考えた。
けれど、自分の言葉に困惑しつつ否定するセシリアも可愛くて……最近では、しばらくはそのままでいいかもしれないとすら思う。
――ああ、可愛い。可愛いカワイイかわいい。
定位置のソファに座るセシリアを愛でながら、オリヴェルはお茶菓子のクッキーを口に含む。いつかセシリアと一緒にお菓子を作るのもたのしそうだと妄想しながら、顔をにやけさせる。
可愛いエプロンを付けたセシリアと一緒にキッチンにならぶ……まさに、まさに誰もが羨む新婚生活だ。
「ほーら、セシリアも食べて。美味しいよ?」
「……ん」
オリヴェルがクッキーを勧めると、一瞬ためらいながらもセシリアが手に取って口に含む。小さな口でもぐもぐと食べてくれるのが嬉しくて、次はどんなお菓子を用意しようか考えただけで心が弾む。
「セシリアは、何が好き? チョコレート、マドレーヌ、マカロン……なんでも用意するよ」
「……別に」
「ああ、全部? セシリアは可愛いから、甘いお菓子でできてるって言われても信じちゃうね」
「…………」
何を言っているんだこの勇者は……と、セシリアは頭を痛くする。
おそらく言葉のキャッチボールができないのだろうということは気付いていたけれど、ここまでだとは思っていなかった。
もう、ただただ相槌を打っているだけが平和なんだろうなとセシリアは諦めている。
そんなとき、屋敷の呼び鈴がなった。
「ん? 来客の予定はないけど、なんだろう」
「この気配は……!」
せっかくセシリアとのんびりしていたのにと、オリヴェルは拗ねた態度をとる。が、セシリアの声を聞いてすぐに納得して頷いた。
「ああ、セシリアのお客さんかぁ」
「…………」
懐かしい気配を屋敷の外に感じて、セシリアは急いでソファから立ち上がる。
すぐにでも会いに行きたいが、オリヴェルがそれを許可するとは思えなかった。なにせセシリアは魔王だ。配下の魔物と接触など、させてもらえるわけがない。
立ったまま押し黙ってしまったセシリアを見て、オリヴェルは肩をすくめる。
「会いたい?」
「…………はい」
オリヴェルが優しく尋ねれば、少し迷いつつもセシリアは素直に頷いた。
もちろん、ここですぐにオリヴェルが許可を出すこともできるのだが――それでは少しもったいない。せっかくなので、何かお願いを聞いてもらいたいなと考えた。
ちょっとどころかかなりずるい自覚はあるけれど、セシリアと距離をぐっと近づけることができる。それはオリヴェルにとって、またとないチャンスだ。
……もちろん下心だってあるに決まっているけれど。
「そうだね。会わせてあげる変わりに、俺のお願いを一つ聞いてくれる?」
「……っ!」
くすりと笑うオリヴェルに、セシリアの体はすくむ。いったい何を言われるのか、まったくもって想像がつかない。
けれど、それをのまなければ会うことはできないだろう。
セシリアは小さく頷いて、「わかりました」と声に出した。
「驚いた。了承されるとは思わなかったよ。役得かな?」
「…………」
正直なところ、オリヴェルは拒否されると思っていた。セシリアの反応がみたくて意地悪をしただけだったのだが、まさか了承をもらえるなんて。
もちろん、了承されたら最高だとは思っていたけれど。
オーケーをもらったからぜひお願いはするつもりだが、あまり無理なことを言うことはないだろう。
そうセシリアに伝えて安心させてあげるのもいいけれど、何をされるかわからずびくびくしているセシリアも可愛くて何も告げずに行くことにした。
「じゃあ、見てくるから少し待っていて」
「……はい」
セシリアを一人リビングに残し、オリヴェルは玄関へと出向く。
そこにいたのは、セシリアの配下である魔物のゴブリンだった。
勇者であるオリヴェルが攻め入ったときの怪我が治っていないようで、包帯がまかれている姿が痛々しい。魔物がこの怪我でよくここまで来れたものだと、関心してしまう。
「……っ!」
勇者が目の前に現れ、ゴブリンは無意識に体が震わせた。
魔物なのだから、この場で切り捨てられても文句は言えない。そもそも、魔物という存在で屋敷の前まで来られたことが奇跡なのだ。
震える相手に向かって、オリヴェルはにこりと微笑んだ。
「やぁ、いらっしゃい。セシリアの配下でしょう?」
「あ、はい……。こ、ころさないんですか?」
「そんなことはしないよ。セシリアが悲しむからね。おいで、彼女はこっちだ」
――セシリアは、配下に愛されているね。
まぁ、あの可愛いセシリアが配下に愛されていないわけがない。なんだか妬いてしまいそうだけど、今後セシリアから離れる予定はないからぐっと我慢しよう。
オリヴェルの言葉を聞いて、ゴブリンは目を大きく見開いた。こんなすんなりと会わせてもらえるなんて、誰が考えただろうか。
「セシリア様は、ご無事なのですか?」
「うん。今日もセシリアは可愛いよ」
ゴブリンの言葉に返事をし、「クッキーを食べてるよ」と伝えるとさらに目を大きく見開いた。いったいどうなっているのだろうと、ゴブリンの頭にはクエスチョンマークが浮かんでいる。
オリヴェルはあっさりとゴブリンを屋敷に迎え入れ、セシリアがいるリビングへと案内した。





