プロローグ:勇者、魔王を溺愛する
「セシリー、何か食べたいものある? ケーキがいいかな、それともセシリーみたいにふわふわした可愛いマシュマロがいいかなぁ?」
「セシリアです。食べたいものは特にありません」
今日も勇者の家からは、こんな明るい会話が絶えない――。
魔王、セシリア・フルスティ。
彼女は、勇者であるオリヴェルに――それはもう、海よりも深く溺愛されている。
まるで夜明けのような青みがかった灰色の瞳は、しかしオリヴェルを写しはしない。金がかった水色の髪はゆるい三つ編みにして、それを指先でくるくると遊ぶ。
討伐をするために行った魔王城から、何を思ったのか連れ去って自分の屋敷に閉じ込めてしまうくらいに勇者は魔王を愛してしまったのだ。
淡々とした静かなセシリアの声が、勇者に拒絶を伝えた。何も必要はないと、何度も告げて首を横に振る。とろんとした眠そうな瞳は、何事にも興味はないのだと告げているかのよう。
ふかふかのソファに腰かけ、膝には本を載せている。読書するということを理由にして、話しかけるなというオーラを前面に押し出す。
しかしそんな拒絶する言葉は聞こえていないのか、オリヴェルは笑みを深める。ゆっくり彼女の前に膝をつき、首を傾げるように問いかける。
「お腹が空いてないのかな? それなら、一緒に買い物に行く?」
「……私は本を読んでいますから、お気遣いなく」
眠そうな瞳で、セシリアはぱらりと本をめくる。
一五二センチという小柄な体系は、オリヴェルの庇護欲をとても刺激する。守ってあげなければと、思ってしまうのだ。
ゆったりとした裾の長い服に、ハーフパンツ。ちらりと覗く太ももが愛おしいなと、勇者の思考回路は今日も残念運営だ。
つれない返事を寂しく思いながらも、オリヴェルは読書をしているセシリアのために紅茶を淹れる。
いらないとは言われたけれど、一緒にクッキーを用意することも忘れない。食べないと言いつつも、用意しておくとなんだかんだで手を伸ばしてくれるのがセシリアだ。
けれど、そう思っていたのも束の間。
屋敷の周りからざわざわとした声が響く。カチャカチャした金属の音は、近所迷惑以外の何物でもない。その様子に、オリヴェルは「またか」とため息をつく。
「いったい、いつになったら止めてくれるんだろうね?」
「貴方が私を解放したら、収まるのではないですか?」
「それは了承できかねる」
「…………」
近所に散歩へいくような軽い乗りで、オリヴェルはセシリアに「行ってくるね」とにっこり微笑む。その青い瞳はには、すぐに戻るから待っててねと書いてあるかのようだった。
壁に立てかけてあった愛剣を腰に差して、オリヴェルはゆっくりと部屋を後にした。
「……はぁ」
一人きりになった部屋で、セシリアはそっとため息をつく。ソファの上に体育座りをして、自分の膝に顔を載せる。実はこの体勢が密かなお気に入りなのだが、オリヴェルがいるときにしてしまうと正面からガン見してくるために出来ないのだ。
何に対しても興味は薄いが、羞恥心がないわけではない。
ちらりと窓の外を覗き見れば、たくさんの兵士。魔王であるセシリアを捕縛し討伐するために、王命の下、王城から使わされているのだ。
しかしそれをよしとしないのは、セシリアを溺愛してしまっている勇者であるはずのオリヴェルだ。
本来であれば、彼が魔王を倒してこの世界の英雄となるはずだった。しかし、彼はこともあろうことか魔王を助け、お持ち帰りをしてしまった――! のだから、笑えない。
魔王を討伐するためにパーティを組んでいたメンバーは驚き、もちろんすぐに彼を止めようとした。
だが――誰も、勇者であるオリヴェルの強さには敵わなかったのだ。
自分の体をぎゅっと抱きしめるようにして、セシリアはそっと瞳を閉じる。考えるのは、どうしてこんな状況になってしまったのかということ。
「勇者は、私をどうしたいのでしょう……? 何かに、利用するつもりなのでしょうか」
一目惚れをして魔王セシリアをお持ち帰りしたオリヴェルだが、残念なことに――その思いは彼女に届いていない。
正確に言うと、伝えているけれど本気にされていないというのが正しいだろうか。
首を傾げて「むー」と、声に出しながらセシリアはその可能性を考える。
「何かの儀式の生け贄、とかでしょうか。私は魔王だから、きっと召喚の媒体に都合がいいはずです」
オリヴェルにこそ負けはしたが、セシリアはとても強い。魔力は膨大にあるし、鈍感という点を除けば頭脳も大変優秀だ。
魔王という呼び名に、恥はしないだけの理由がある。
「私には、たくさんの利用価値がある」
けれど、勇者が自分を連れ帰って邸宅に置かれていることだけは、いまいち理解が出来ないでいた。さっさと自分を利用するなりすればいいのに、まったく手を出してこない。
何か機会を伺っているのだろうが、それもセシリアには掴めない。もちろん、オリヴェルは溺愛しているだけなのでそんな機会がくることは一生ないけれど。
「…………」
――いっそのこと、殺してくれたらいいのに。
そうしたら、こんなに不安な毎日はなくなるだろう。
何かを企むように、自分を優遇して甘やかそうとする勇者。いつか酷いことをするから、今のうちに手なずけてしまおうと思っているに違いない。
「やっぱり、私を生け贄にするという線が濃厚かしら……」
結論を紡ぐセシリアの澄んだ綺麗な声は、しかし残念なことにオリヴェルには届かない。
届いていたら可愛いといいながら、「生け贄になんてしないよ俺の可愛い人」と砂を吐くほどに甘い台詞を並べ立てたことだろう。
それを言うであろう人物は、屋敷の外。
兵士たちと爆音を響かせながら人間離れした戦闘を繰り広げていた。百人の兵士VSオリヴェル。一瞬の遅れも取らず倒していく姿が窓から見えるのだが、残念なことに愛しの魔王はそれを見ようとはしない。
室内では、セシリアが静かに本をめくる音がするだけ。
けれど、テーブルの上に置かれている紅茶とクッキーは少しだけその量を減らしていた。
読んでいただきありがとうございます!
2017/9/11~
修正したものに差し替えしたりしています。