三途の川でもう一度
「三途の川でもう一度」
原案・SHIN
著・まきこ
夕暮れ時、意識をふわふわさせながら自宅の玄関を開ける。2人の部屋を柔らかな日差しと伸びる影が占領している。飲み慣れないお酒を出されるがまま飲んだせいか、おぼつかない足取りでベッドに倒れこんだ。
ベッドの隅の写真立てが反動で布団に沈んだ。それを感覚の曖昧な指先で摘んで立て掛ける。写真立ての中で、景色の一部として切り取られた君がにこやかに微笑んでいる。今日も変わらない笑顔で、満面の笑みを浮かべて、こちらを向いている。
ふと、懐かしい君の匂いがしたような気がした。あれは君の胸に顔を埋めた時の、取り込んだばかりの洗濯物と君の身体の匂い。それと同時に、記憶の中の君の声が聞こえる。実際に耳には届こえやしないが、確かに、鼓膜の震える感覚と共に言葉が浮かんでは消えていく。
『あなたは、笑顔が1番似合うから』
「でもたまには泣きたい時だってあるよ」
『その時は私が涙を拾ってあげるから』
「じゃあ、その時まで待ってる」
目を開けると、そこにはきらきらと金色に輝く川があった。酔っ払ってふらふらと徘徊してしまうほど、僕は酒癖の悪い男ではなかったように思っていたが。これは近所を流れるあの川だっただろうか。よくベランダからこの川を眺めながら二人で煙草を吸っていたな。
ちらりと横を向くと、君がちょこなんと座っていた。禁煙をすると言いながら、火の点いていない煙草を一本、四六時中咥えていた君は、今日もそれを咥えている。
『ねえ、私が死んじゃったらどうするの?』
「そりゃあ追いかけるよ、一人で居るの嫌だし」
『一人でいるのもオツなもんよ?』
「でも嫌だよ、一緒にさ……」
『三途の川で待っててあげるよ』
僕は無言で頷いて、胸ポケットに入っている煙草を一本取り出すと、火を点けないまま、しばらくそれを咥えていた。河のせせらぎが心地良く、たまに後ろを通り過ぎる子供達のきゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえてくる。
「三途の川で待ってる、か。」
僕は久々に、左手の薬指に填められている結婚指輪をまじまじと見つめた。捨てておいてって言われてたけれど、これは僕の指輪だからって言い張って、それきりだったな。
川岸から、彼女がこちらを見ているような気がした。彼女の優しい眼差しが僕を捕らえて放さない時に感じる、あの胸の高鳴り。気のせいと言われてしまったら、それまでなのだが。彼女はこんな風に、三途の川の川岸で、今も僕のことを待っていてくれているのだろうか。
きっと待っててくれていると信じて、僕は2人の愛の巣へ帰る。
(了)