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「聖女になりたいなんて言うけど、そもそもスミレって読み書きも高度な算術もできるんだから、高収入の文官補佐だけで食べていけるじゃない。なんでこんなとこで働いてるのよ?」
ここで働き始めた頃、ベッティに心底不思議そうな顔で聞かれたことがある。
そう、文官補佐はいい仕事で、非正規雇用の私にも福利厚生が手厚い。
計算ができて無断欠勤しない者。清潔感と人当たりの良さがあれば尚可。そんな非常勤職員募集の張り紙を見て応募したのが3年前。
採用試験代わりだと、秘匿事項のない書類の計算を任されてこれくらいなら問題なくこなせると答えたらその場で雇用契約書を差し出された。
試用期間も設けずいきなりの好待遇だったので、もしやブラックなのかとお断りしようとしたら、面接を担当した一級書記官のノエル・オルブライトさんにがっちりと腕を掴まれてしまった。
「優秀な人材は囲い込んでおかないとすぐ引き抜かちゃうからね。この短時間でこれだけ処理できるなら、それなりの待遇をさせてもらうのは当然だよ。」
私には間口の広い採用条件に見えたけれど、この世界でそれなりに計算ができる人間は既に商会のお抱えや正規の文官になっているらしい。
爽やかにほほ笑んでいるけれど、掴んでいる腕の力は結構強い。顔はいいけど、なんかヤベー人かも。
うっすらそう感じたけど、実際働いてみると直属の上司になったオルブライトさんがチャラ男なこと意外はすごくいい職場だった。
ホワイトすぎて時間も体力も余裕があるので、こうして食堂で副業しているってわけ。
確かに、週4短時間勤務でも、贅沢をしなければそれだけで暮らしていけるだけのお給料はもらっている。じゃあなんでかけもちって聞かれたら、単純に週休3日で生きていくにはこの世界にはあまりに娯楽が少なかったから。
ここで働いて、冒険者のいざこざを見聞きしたり、ベッティやおかみさんと休憩時間にお喋りしている方がよっぽど娯楽だ。
あと単純にまかないがめちゃくちゃ美味しいのも大事だし、貯金も増えて安心だ。
そんなことを一言でまとめて「老後のためかな。」と答えたら、ベッティに死んだ魚の目でため息をつかれてしまった。
今日も無事に閉店を迎えて、私はベッティと食堂を出る。この時の、ちょっとした解放感が好きだなぁと思いながら石畳を歩く。
「ねぇ、スミレ。明日からの休暇は本当にどこにも行かないの?実は秘密の恋人と旅行とかじゃなくて?」
「ごめん、ベッティを楽しませられるような話は皆無だよ。明日から徹底して在宅して、力の限りだらだらする。」
ベッティはさっきよりもさらに深いため息をついた。
そう、こっちにやってきてから3年。なんだかんだとまとまった休みがなかったから、明日から4連休を取ってあるのだ。
今週末は女神祭りがある。一年に一度、国を護る女神様とその現身だった聖女に感謝と祈りを捧げる日なんだって。
文官と食堂の仕事で1日ずつ、休息日とこの祝日をくっつけてゲットした休暇。有給なんて制度はないから、こういうお休みは滅多にとれない贅沢だ。
嬉しくて嬉しくて、2か月前から楽しみにしてたんだよね。
この世界にコンビニも缶チューハイもウーバーイーツもないけれど、料理長に頼んでとくべつに作ってもった煮込みを持ち帰る。
少しずつ買いためておいたお酒やお菓子、それにパンや果物もあるから、これで外に出なくてすむ。
積み本をひたすら読み、ちょっといい入浴剤で朝からのんびりお風呂に浸かる。
なんて贅沢な休暇、と思うのは私だけみたいだけど。
「女神祭りに行かずに一人で家で過ごすなんて信じられない。」
「ベッティは楽しんできてね。いい人見つかったって報告楽しみにしてるよ。」
「もちろん!こうなったらスミレの分まで頑張ってくるわよ。」
女神祭りは、パートナーがいない人は男女ともに腕に青色のリボンを結ぶそうだ。愛の女神の恩恵を受けて、このお祭りをきっかけに付き合ったり結婚する人が多いんだって。ま、私には縁のない話だけど。
私はベッティのかわいそうな子を見るまなざしを浴びつつ、いっぱいつくってもらった肉の煮込みを鍋ごと持ち帰ったのだった。
「ふぁ~~~~~~。」
休み二日目、昼前に目が覚めた。
昨日はゆっくり朝風呂して、だらだら飲んで食べて、本を読んで、気が付いたらベッドで寝落ちしてた。もちろん今日も同じスケジュール。
窓を開けると秋の気持ちいい風が入ってきた。隣の商家のお嬢さんが練習しているピアノも聞こえてくる。
はぁ、平和だ。オーディオ機器のないこの世界では音楽は贅沢品。だからこうやって窓をあけるだけで心地よい音楽が聞こえてくるこのアパートは、本当にあたり物件だった。
私は窓辺の安楽椅子に座ってピアノの音に耳を傾けながら本を開いた。
今読んでいるのは「ふざけるな。異世界転移者、みんながみんなチートでざまぁでスローライフしてると思うなよ。」という20年前の日本人が書いた本だ。
ある日突然トラックにひかれた会社員ヤマダが、不慣れな異世界暮らしに毒を吐きつつ、時に郷愁やこの世界への愛も呟き、でもやっぱり異世界にキレまくっているというエッセイ集。
一部の読者層には大ウケだったみたいで、この国の若者の間でカルト的な人気を誇っている。
キラキラ転移者界隈では「日本人の黒歴史」って言われてたけど、やっと入手して読んでみたらこれがめちゃくちゃ面白い。
特に、日本人はなんでも作れると信じているドワーフたちに質問攻めにされ、のらりくらりとかわしていたら技術秘匿だと罵られて、柱にくくりつけられて答えるまで絶対に返さないと監禁されたくだりが最高だ。
ただの社畜に作れるのはチャーハンだけだと熱弁しても信じてもらえず、解放されるまでひたすらブラック会社の愚痴を唱え続けながらキレちらかし、最終的にチャーハンのレシピを伝授する様子は何度読んでも笑える。
最後の『異世界に馴染めない読者が、これを読んで笑ってくれたらいい。お前もがんがれよ』とさらって書いてあるのもちょっと泣けてくる。
いやぁ、名作すぎる…。私はどっぷりとヤマダワールドに浸り、好きな時に飲み食いして、充実した一日を終えた。
いい大人だから歯磨きだけはしっかりする。風呂はまあ、キャンセルでね。
家から一歩も出てないし、誰に会う予定もないし。お休み最後の日に入ればいいよ。生きてるだけで十分立派、みつを。と自分に言い聞かせてベッドに入る。
明日の予定がなにもない、という解放感に身を浸しながら、私は日本にいたころのことを思い出していた。
会社ではサビ残と女子力を、実家に帰れば孫の顔。異世界にきたらなにかすごいことを求められ。…いやできるわけないじゃん。
確かにこの世界に比べたら日本の教育水準やモラルはかなり高い方だけど、ずぼらな人間がトラックにひかれて異世界に来たところでずぼらにかわりはない。
真面目に働いてゆっくり休むことの何が悪いのか。
そんなわけで私は3日目も確固たる意志をもって引きこもり、4日目女神祭りの日もつつがなく家で過ごすつもり、だった。




