04 黒き風の竜
黒い竜巻と化したエリシュカは、天空に舞い上がる。
その竜巻が膨張しながらのたうち回ると、やがてその姿は漆黒の巨大なドラゴンと化した。
蛇のように長い胴体に、悪魔のような翼を生やした、和洋の竜を混合させたような姿である。
全長十メートルはあろうかというその巨体は竜巻の名残を残して常に渦を巻いており、目の部分にはエメラルドグリーンの炎が宿されている。そして、細長い胴体の中央には、胎児のように身を丸めた公女エリシュカの姿がぼんやりと透けていた。
「わーっ、これってリューリの『破戒物』より強そうじゃない?」
「うん。やっぱり魔法の力が上乗せされてるんだろうね」
ジェジェとそんな言葉を交わしてから、ステラは「アルスヴィズ・レジェロ!」と呪文を唱える。新たに生まれた魔法のホウキに横座りになって、ステラもまた天空に舞い上がった。
黒き竜たる『破戒物』は苦しげに巨体をよじりながら、燃える双眸でステラを睨み据える。
そして、その巨大な口が咆哮をあげると、ところかまわず颶風が吹き荒れて、地上の人々に悲鳴をあげさせた。
「ちょっとちょっと! 他の人たちを巻き込んじゃダメだってばー! カーリ・フェローチェ!」
金管楽器を主体にした荒々しいオーケストラの旋律が鳴り響き、ピーコックグリーンの音符が吹き乱れる。それが新たな颶風と化して、地上の人々を呑み込んだ。
百名の魔女たちも、二千名の兵士たちも、乗り手を失った馬たちも、颶風にさらわれて遠くに運ばれていく。それで半径五百メートルの範囲は、無人となった。
「リューリも、あっちで待っててねー!」
ステラがステッキを振りかざすと、光の球体に包まれたリューリも誰にも知られぬまま遠ざけられた。
「ではでは、いざ尋常に勝負! ……でもでも、風属性の『破戒物』は厄介だよねー!」
「うん。ステラは行動が雑だから、素早い相手が苦手なんだろうね」
「言い方! わたしは何でも、正面からぶつかりたいんだよー!」
そんなステラを嘲るかのように、『破戒物』は空中でのたうった。
それで生まれた新たな颶風が、ステラに襲いかかる。ステラは慌てて障壁の魔法陣を生みだしたが、颶風を受け止めると簡単に粉砕されてしまい、ステラはホウキに乗ったまま弾き飛ばされた。
「やっぱり、つよーい! 攻撃まで素早いよー!」
「これじゃあ結界に封じるのもひと苦労だね。ボクたちの余生も、ここまでかな?」
「だから、あきらめがよすぎるってば! 知恵と勇気と魔法があれば、どんな相手だって――」
そこに、新たな颶風の槍が飛ばされる。
障壁の魔法陣はまた呆気なく粉砕されて、ステラの身はさらに遠方に弾き飛ばされた。
『破戒物』は悦に入っている様子で、うねうねと身を躍らせている。
それを遠くに見やりながら、ステラは魔法のステッキを振りかざした。
「今度は、こっちの番だよー! まずは、勇気!」
ステラは真っ直ぐ、『破戒物』に突撃した。
『破戒物』は臆した様子もなく、次々に颶風の槍を繰り出す。しかしステラは、いっさい防御しようとしなかった。
颶風の槍が激突するたびに、ステラの身からは鮮血のように七色の輝きが弾け散る。
ステラの陰に隠れながら、ジェジェは「ちょっとちょっと」と声をあげた。
「そんな無防備で攻撃を浴び続けたら、本当に寿命が尽きてしまうよ?」
「でも、わたしが守りを固めたら、きっとあいつは逃げちゃうだろうからね! だから、勇気!」
自らの攻撃がステラの生命を削っていると察した『破戒物』は、逃げもせずに攻撃し続ける。
七色の輝きを尾に引きながら、ステラは『破戒物』に肉迫した。
「次は、知恵!」
目の前に迫った『破戒物』が、ひときわ巨大な颶風を射出する。
それをノーガードで受け止めながら、ステラはステッキを振りかざした。
「ミョルニル・ペザンテ!」
巨大な光のハンマーが出現して、『破戒物』の頭部をしたたかに打ちのめす。
そのままステラが通りすぎると、『破戒物』は憤激の咆哮をあげながら追いかけてきた。
地上では、魔女や兵士たちが惑乱の声をあげている。
それらの頭上をあっという間に通り過ぎて、ステラと『破戒物』は天空を駆け巡った。
「えーと、今のどこが知恵だったのかな? 風に雷を当てても、大したダメージは見込めないよ?」
「だから、油断とイライラを誘ったんだよー! きっとあっちは、わたしが大した相手じゃないと思ってるだろうねー!」
ステラが魔法のホウキの全速力で逃げ惑うと、『破戒物』は真っ直ぐ追いかけてくる。スピードはあちらがまさっているので、どんどん間合いは詰まっていった。
そこでステラが急降下すると、『破戒物』も執拗に追ってくる。
追撃の颶風が背中に激突したが、ステラは痛痒を覚えた様子もなくステッキを振り上げた。
「そして、最後は魔法! フィヨルギュン・エネルジコ!」
力強いオーケストラの演奏とともに大地が割れて、黄金色の音符が噴出する。
それが光り輝く巨人の腕と化して、『破戒物』の胴体をわしづかみにした。
ぎりぎりと胴体を締めあげられて、『破戒物』は苦悶の絶叫をほとばしらせる。
そこでステラは、「フォールクヴァング・マエストーソ!」と呪文を重ねた。
荘重なるオーケストラの演奏とともに色とりどりの音符が飛び交い、宮殿の結界を現出させる。
さらにステラは、「フィヨルギュン・エネルジコ!」と繰り返した。
壮麗なる宮殿の大広間にて、床や壁や天井から次々に巨人の腕が生えのびる。
ある腕は首を、ある腕は翼を、ある腕は尻尾をつかみ取り――そして、『破戒物』の巨体をバラバラに引き千切った。
断末魔の絶叫が、宮殿の内部に反響する。
そして、宮殿と巨人の腕はガラスのように砕け散り――『破戒物』も、黒い塵と化した。
あとに残されたのは、白銀の鎧を纏った金髪の少女のみである。
ステラは「ふいー」とかいてもいない汗をぬぐってから、公女エリシュカのもとに舞い降りた。
「いやー、よかったよかった! 無事に『破戒物』を退治できたねー!」
「でもキミは、あまりに無茶をしすぎだよ。あんな大がかりな魔法を連続で発動させたら、どれだけの負担になると思っているんだい? しかも、無防備で攻撃をくらい続けるなんて……今の戦いだけで、キミは年単位の寿命を消費したはずだよ」
「えー? 今さら、どーしたの? 世界を守るためなら、しかたないさ!」
「だからここは、管轄外の異世界なんだってば」
珍しく、ジェジェは不満げな様子である。
ステラはにっこり笑いながら、ジェジェの頬をふにふにとつついた。
「心配してくれて、ありがとう。だけどわたしはどんな世界でも、魔法少女として頑張りたいんだよ」
「……ようやく魔法少女としての責務から解放されたっていうのに、酔狂なことだね」
「あはは! わたしはいつだって、自分の好きなように生きてるつもりだよ!」
おひさまのような笑顔でジェジェをなだめてから、ステラはエリシュカのもとに屈み込み、その顔を覗き込んだ。
「お疲れさまー! あなたも大変だったねー!」
エリシュカは、公女に相応しい凛然とした面立ちをしている。しかしその寝顔は、幼子のようにあどけなかった。
「もしもーし。だいじょうぶー? ケガとかはしてないはずだよねー?」
ステラがふにふにと頬をつつくと、エリシュカは「ううん」とむずかるような声をあげながら顔をそむける。それからようやく、しかたなさそうにまぶたを開いた。
「うむ……? これはいったい……?」
「あなたがこの世を憎む気持ちが、『破戒物』を生みだしたんだよー。でも、心が浄化されて、スッキリしたでしょ?」
ステラがにこりと微笑むと、エリシュカもつられたように口もとをほころばせる。
しかし、次の瞬間には切迫した面持ちになって、ステラの胸ぐらをわしづかみにした。
「おい……私を拘束しろ」
「うにゅ? それはいったい――」
「私は、父たる大公に監視されているのだ。頼むから、私を捕虜として拘束してくれ。さもなければ……妹の身が、危うくなってしまうのだ」
エリシュカは必死の形相で、そんな言葉を囁いた。




