03 公都の軍勢
「わー、すごいねー! 本当に船が地面を走ってるよー!」
荒野を進軍する軍船を遥かなる高みから見下ろしながら、ステラはそう言った。
ステラとリューリは魔法のホウキに乗っており、姿を隠す光の球体に包み込まれている。頭上にそんなものが浮いているとはつゆ知らぬまま、二艘の軍船は粛々と行軍していた。
千名の人間が乗船できる巨大な船体に、戦車のようなキャタピラが搭載されている。そして、船体の後部に設置された噴射装置から白い炎を噴き出しながら、荒れ地を突き進んでいるのだ。あまりに巨大であるために緩慢とした動きに見えるが、実際には時速百キロに及ぶスピードであった。
「やっぱりあれって、魔法の力なんだよねー? いったいどうやってるのかなー?」
「細かい部分はわからないけれど、火と水と風の魔法をうまく融合させているのかな。やっぱり支配層の側は、魔法の研究に余念がないようだね」
ステラとジェジェがそんな言葉を交わしている間も、二艘の軍船は荒れ地の草木を蹴散らして前進していく。
そうして魔女たちがひそむ森の手前まで到着したならば、船体の側面に縦長の出入り口が開かれて、それがそのまま跳ね橋として地面に渡された。
そこから下船した兵士たちが、森の手前で布陣を敷いていく。
二千の兵士で編成された、公国バルツァードの軍隊である。
その全員が白銀の甲冑を纏っており、先頭に配置された一団は巨大な盾を背負っている。そして、百名ずつの兵士を指揮する部隊長だけが馬にまたがっていた。
「わー、お馬さんだー! どうしてお馬さんなんて連れてるんだろー?」
「戦場では機動性が重要だろうし、指揮をとるのにも都合がいいのじゃないかな。あとは、魔法を使う際の利便性なんかも考慮されているのかもね」
「おー、なるほど! あんな密集してたら、仲間に魔法を当てちゃいそうだもんねー!」
ステラとジェジェが呑気に言葉を交わしていると、リューリが不安そうに声をかけた。
「あ、あの、それでこれから、どうするんですか?」
「うーん。わたしは戦争に関われないからなー。かと言って、知らん顔で立ち去ることもできないしねー」
「どうしてさ? 彼らはそれぞれの理念に従って戦うんだろうから、部外者のキミが介入する必要はないだろう?」
そんな風に言ってから、ジェジェは肩をすくめた。
「まあ、その末に誰かが『破戒』すれば、キミの出番というわけか」
「あはは! やっぱりジェジェは、何でもお見通しだねー!」
「でも、あんまり推奨はできないね。きっとキミは、戦争というものを目の当たりにした経験もないんだろうしさ」
「うん? それって、どういう意味?」
「説明している時間はないようだよ。せいぜい後悔しないようにね」
眼下では、ひときわ立派な房飾りを兜になびかせた人物が最前列に馬の歩を進めさせていた。
「聞け、魔女ども! 私はバルツァード公国の第一公女、エリシュカ・ディン・バルドラドである! このたびは父たる大公殿下より、貴様ら魔女を討伐する任務を拝命した! 大人しく投降するならば、安楽な死をくれてやろう!」
凛々しい女性の声が、荒野に響きわたる。
黒い森は、何かもかもが死に絶えたように静まりかえっていた。
「しかし貴様らが抵抗するならば、この世に生まれ落ちたことを後悔するほどの苦痛を味わうことになろう! 降伏の意思あらば、十を数える内に姿を現すがいい!」
しかし、黒い森は静まりかえったままである。
白銀の兜で表情を隠したまま、公女エリシュカは右腕を振り上げた。
「降伏の意思はないものと見なし、殲滅を開始する! かの森を、灰に還せ!」
二列目に並んだ兵士たちがロボットのように統制された動きで、斜め上方に弓を構える。そうして二百名に及ぶ兵士が一斉に矢を放つと、二人の部隊長が馬上で杖を振りかざした。
すると、宙を駆けるすべての矢が炎に包まれる。
二百本の矢は、紅蓮の雨と化して黒き森に襲いかかった。
しかしそれらが森に到達する前に、どこからともなく颶風が吹き荒れる。
二百本の炎の矢は見えざる力に押し返されて、砂の地面に墜落した。
そして、軍の両翼に混乱が生じる。
砂の地面から巨大なモンスターの群れが出現して、兵士たちに襲いかかったのだ。
「おー、アレはあのときのモンスターさんだねー」
ステラの言葉に、リューリはきゅっと眉をひそめる。それはリューリに襲いかかって返り討ちにされた、蛇ともミミズともつかない巨大なモンスター――サンドワームの群れであった。
「なるほど。魔女の側には、モンスターを操作できる人間が複数名存在するようだね」
「そっかそっか! それじゃあ、魔女さんたちにも勝ち目はあるのかな?」
「それはどうだろう。軍隊のほうは、魔法の扱い方がより洗練されているようだよ」
ジェジェの言う通り、両翼の部隊もすぐに混乱を収めて、サンドワームの退治に取りかかっていた。
そちらも百名に一名の割合で部隊長が配置されており、その杖が振られるたびに雷撃や炎撃の魔法が発動される。それで援護された兵士たちが長剣を振りかざし、サンドワームの巨体を切り刻んだ。
「どうやら、魔法を扱えるのは部隊長だけのようだね。人数は、ざっと二十人ってところかな」
「ふむふむ! 魔女さんたちは百人もいるから、やっぱり有利だね!」
「いやいや。魔法でサポートされる二千人規模の軍隊っていうのは、そんなに簡単な相手じゃないと思うよ」
サンドワームの撃退は両翼の部隊に任せて、中央の部隊が前進した。
指揮官たる公女エリシュカは後方に下がり、最前列には大きな盾をかざした一団が密集している。そのまま森を押し潰してしまいそうな迫力であった。
すると今度は、森の中から雷撃や炎撃が飛来する。
しかし、随所に配置された部隊長たちが杖をかざすと、障壁の魔法陣が出現してそれらの攻撃を無効化した。
そして、二列目の一団が矢を放ち、そちらには炎の魔法が仕掛けられる。
再びの颶風が炎の矢を打ち払ったが、その間に兵士たちは着々と距離を詰めていた。
「森には踏み入らず、火を放て! 魔女どもをいぶり出すのだ!」
公女エリシュカの冷徹なる命令が下される。
すると――ついに、黒衣の魔女たちが森から飛び出した。
雷撃と炎撃が、近い距離から繰り出される。
しかしそれらは、すべて巨大な盾と障壁の魔法陣で粉砕された。
すると今度はいくつもの竜巻が出現し、頭上から兵士たちに襲いかかる。
障壁の魔法陣をすりぬけた竜巻が、兵士たちの一部を薙ぎ倒した。
しかし、白銀の甲冑を纏った兵士たちは痛手を負った様子もなく起き上がる。
そこからは、熾烈な乱戦が繰り広げられた。
「怯むんじゃないよ! 訓練の成果を、こいつらに見せつけてやりな!」
魔女の側で指揮を取るのは、ミルヴァである。
その声に従う魔女たちは、軍隊に負けないほどの統制を見せていた。
強力な魔法には呪文の詠唱と多少のインターバルが必要であるため、魔女たちもしっかり隊列を組んでいる。最前列の部隊が魔法の攻撃を仕掛けている間に、二列目の部隊が詠唱を進めるのだ。それを繰り返すことで、息をつく間もない波状攻撃を完成させていた。
それに対してバルツァード公国軍は、部隊長が魔法の防御に専念するという戦法を取っている。雷と氷は障壁の魔法陣で、炎と風は盾や甲冑で受け止めるのだ。
もちろん公国軍の魔法士は百人にひとりという割合であるため、すべての魔法を防ぎきれるわけもない。また、いかに頑丈な甲冑でも魔法の攻撃をまともにくらえば無傷ではすまないし、ミルヴァの繰り出す風の魔法には数名の兵士をいっぺんに吹き飛ばすほどの威力が備わっていた。
そうして兵士が傷ついたならば、それも魔法の力で治癒される。
またそれは、魔女のほうも同様であった。魔法の攻撃をくぐりぬけた兵士の剣や槍によって傷つけられた魔女は仲間の手で後方に引きずられていき、治癒の魔法を施された。
そうしておたがいに傷ついたそばから治癒されるため、なかなか戦況は大きく動かない。
しかしそれでも、魔女たちはじわじわと追い詰められていった。やはり二十倍の人数差というのは、致命的であるのだ。百名の魔女たちはどんどん押し込められていき、黒き森に退路をふさがれることになった。
「これで森に逃げ込んだら、今度こそ丸焼きにされてしまいそうだね。早くも、勝敗は見えたかな」
そのように語りながら、ジェジェはステラの顔を覗き込んだ。
「どうだろう? ステラがあんまり後悔していないといいんだけど」
「後悔なんて……してるに決まってるじゃん!」
魔法のホウキに乗ったまま、ステラは空中で地団駄を踏んだ。
「このままじゃ、本当に誰かが死んじゃうよ! それなのに、どうして誰も『破戒』しないの?」
「今は戦うのに必死で、この世を呪うゆとりもないんじゃないのかな。絶望するのは、すべての決着がついた後だと思うよ」
「それじゃあ、手遅れだよ! 死んだ人は、魔法の力でも生き返らないんだからね!」
「うん。それが自然の摂理というものだね」
ジェジェは、あくまで落ち着き払っている。
いっぽうステラは、決然とした面持ちでスカイブルーの瞳を輝かせた。
「それじゃあやっぱり、わたしが何とかするしかないね! リューリは、ここで待っててよ!」
そのように言い放つなり、ステラは魔法のステッキをリューリの肩に押し当てる。
すると、リューリの頭上にスカイブルーの魔法陣が天使の輪のように浮かびあがった。
「これでリューリも、わたしの魔法を受け継ぐことができるから! それじゃー、いってきまーす!」
「あ、ス、ステラさん!」
慌てて声をあげるリューリを魔法のホウキに置き去りにして、ステラは地上に身を投じた。
ジェジェを肩に乗せたまま、ステラは真っ逆さまに墜落していく。そして、砂の地面が数メートルの先に迫ったところで、ステラは魔法のステッキを振りかざした。
「ミョルニル・ペザンテ!」
重々しい大太鼓とピアノの重低音が響きわたり、ステラの手の中でステッキが凄まじい輝きを爆発させる。
その輝きが消え去ると、魔法のステッキが光のハンマーに変化した。
それを携えるステラ自身よりも巨大な図体をした、光のハンマーである。
墜落の勢いのままに、ステラはその巨大ハンマーを大地に叩きつける。
すると、黄金色の音符が雷撃と化して地上を駆け巡り、百名の魔女と二千名の軍隊すべてを包み込んだ。
二千と百名の絶叫が響きわたり、すべての人間が倒れ伏す。
ただし、馬だけはきょとんとしており、その背中から滑り落ちた部隊長たちも次々と地面に沈んだ。
「お邪魔しちゃって、ごめんなさい! でもでもやっぱり、暴力はよくないよ!」
光のハンマーを消し去ったステラは、累々と横たわる人々の前でそのように宣言した。
すると、魔女の側からよろよろと半身を起こす者がいる。それは、束ね役のミルヴァであった。
「ふざけるんじゃないよ……それじゃあ、あんたは何なのさ……?」
「加減はしたから、誰もケガとかはしてないはずだよ! でも、しばらくは暴れることもできないだろうからさ! その間に、平和的な解決の道を探そうよ!」
「本当に……心底、腹の立つ野郎だねぇ……」
ミルヴァも立ち上がることはできないまま、懸命に両腕で身を支えている。その切れ長の目が、すくいあげるようにステラをにらみつけた。
「だけどまあ……あのままじゃ、あたしらに勝ち目はなかった……そのまま兵士どもをぶっ殺してくれたら、勘弁してやらなくもないよ……」
「だから、暴力はダメだってばー! とりあえず、おたがいの責任者が話し合ったらどうだろー?」
「そう言うだろうと思ったよ……この、クソッタレの水色頭……」
ミルヴァが苦笑を浮かべたので、ステラも「あはは!」と笑った。
すると――反対の側からも、身を起こす者がいた。
「ふざけるな……貴様、何者だ……?」
それは、公女エリシュカであった。
白銀の兜はどこかに落ちて、素顔があらわになっている。公女エリシュカはいまだ十代の美しい少女であり、輝くような金髪で、エメラルドグリーンの瞳と白い肌をしていた。
「わたしは正義と秩序の魔法少女、ステラだよ! そっちは、あなたが責任者なのかな?」
「私の邪魔をするな……私は、魔女どもを殲滅するのだ……」
「それはダメ! また暴れるつもりだったら、何度だってミョルニル・ペザンテをお見舞いしちゃうよー!」
「そんな真似をさせてなるものか……私は……私は何としてでも、任務を遂行しなければならないのだ……」
凄まじい気力で立ち上がったエリシュカは、エメラルドグリーンの瞳を炎のように燃やす。
だが――その目はすぐさま、漆黒に変じた。
ステラは「ありゃりゃ?」と小首を傾げる。
その間に、エリシュカの目は二つの黒い穴と化し、そこから噴きこぼれた漆黒が涙のように頬に垂れた。
「魔女さんじゃなくって、こっちが『破戒』しちゃった! これは予想外だったなー!」
エリシュカの姿は、すぐさま黒い竜巻に包み込まれる。
そしてそのまま、エリシュカは黒い怪物に変容したのだった。




