02 魔女の隠れ家
「どうもみなさん、はじめましてー! わたしは正義と秩序の魔法少女、ステラだよー!」
リューリに片腕を取られたまま、ステラは決めポーズを取ってウインクを飛ばす。
百名からの魔女を代表して、ミルヴァは「ふん」と鼻で笑った。
「あたしらをさんざんコケにしておいて、その態度かい。つくづく礼儀がなってないねぇ」
「アレは意見が対立しただけでしょ? わたしは話し合いによる平和的な解決を希望いたします!」
「へーえ。いざとなったら、武力で制圧とか言ってたんじゃなかったっけ?」
ミルヴァが黒い人垣に横目をくれると、小さな人影が進み出る。黒いフードつきマントを纏った、十二、三歳の少女である。赤茶けた髪をぼさぼさにのばしており、長い前髪の隙間からじっとりと暗い目が覗いていた。
「こいつは、確かにそう言ってたよ。で、戦を起こす気もなくしてやろうとかほざいてたね」
そのように語る少女の足もとに、ワイバーンがひょこひょこと近づいていく。
ステラはその少女ににっこりと笑いかけた。
「あなたがそのコを操ってたんだね! あらためまして、こんにちは! あなたのお名前はなんていうのかな?」
「あたしは、ラダだよ。……あんた、これだけの人数を相手にして、本気で勝てると思ってんの?」
「わたしがやっつけるのは、『破戒物』だけだよー! 人間ともモンスターとも、争うつもりはないからねー!」
ラダはいっそうじっとりとした目つきになりながら、ミルヴァのほうを振り返った。
「確かにこいつは、さっきもそんな風に言ってたんだよね。あたしには、さっぱり意味がわからないんだけどさ」
「あたしだって、さっぱりだよ。その『破戒物』ってのは、何なんだい?」
「『破戒物』はねー、人の悪い心が生み出すモンスターなの!」
ステラの元気な返答に、ミルヴァは「へえ……」と唇の片端を吊り上げる。
「つまりは、あたしがそんな化け物を生み出すような極悪人だってことかい」
「ちがうちがう! えーとえーと……ジェジェ、なんて言ったら伝わるのかなー?」
「『破戒物』は、この世を呪う情念が臨界を突破したときに具現化する精神生命体だよ」
ウサギのぬいぐるみにしか見えないジェジェがすました顔で発言すると、周囲の魔女たちがざわめいた。モンスターを操る魔女たちにとっても、ジェジェは驚愕に値する存在なのである。
「また、『破戒物』の出現は世界の秩序が失われて混沌に呑み込まれる前兆でもあるんだ。つまり、この世界は滅びに瀕しているということだね」
「ふふん。まさしくあたしたちは、このクソッタレな世界をぶっ潰すために算段を練ってる真っ最中だよ」
「そういう抽象的な意味ではないんだよね。キミたちが望んでいるのは、帝国の支配と封建主義の打倒なんだろう? 『破戒物』はエントロピーを加速化させて、万物を無に帰そうとしているのさ」
「はん。ますます意味がわからないねぇ」
「わたしもよくわかんない! わたしのときみたいに、簡単に説明してってば!」
ジェジェはひとつ溜息をついてから、言葉を重ねた。
「『破戒物』は、生あるものをすべて抹殺しようとする。これでいいのかな?」
「うん! それなら、わかりやすい!」
ステラは笑顔を取り戻して、ミルヴァたちのほうに向きなおった。
「この世を恨む気持ちが強いと、『破戒物』が生まれちゃうの! その『破戒物』をやっつけるのが、わたしの使命なんだよ!」
「へえ……それで、あたしがそんな化け物を生み出すってのかい?」
「うん! あなたはすごく、気持ちが強そうだからね!」
すると、ジェジェが「ただし」と割り込んだ。
「負の情念は、正の情念に相殺される。普通はどれだけの怨念を溜め込んでも、この世を慈しむ気持ちで制御されるものなんだ。そのバランスが崩れない限り――つまりはこの世に絶望しない限り、『破戒物』が生まれることもないわけさ」
ジェジェの言葉に、リューリはそっと目を伏せる。リューリはまさしくこの世に絶望して、『破戒物』を生みだした身であるのだ。ステラはリューリの肩に優しく手を置きながら、あらためてミルヴァに笑いかけた。
「あなたはこんなにたくさん仲間がいるから、『破戒物』を生み出すことはないのかもね! それなら、わたしも出番はないよ!」
「ああ、そうかい。それじゃあ今度は、こっちが語る番だねぇ」
ミルヴァは切れ長の目を細めて、いっそう妖艶に微笑んだ。
「帝国の連中をぶっ潰すために、力を貸しな。それが嫌なら、ここで死んでもらう」
「いやいや! だから、話し合いで平和的な解決の道を探ろうってばー!」
「この世には、平和も正義も秩序もないんだよ。あんたが帝国の側についたら厄介だから、仲間にならないなら始末するしかないのさ」
「わたしが助けるのは、困ってる人だけだよ! このリューリみたいにね!」
ステラは澄みわたったスカイブルーの瞳で、魔女たちを見回した。
「だから、あなたたちが困ってるなら、わたしは助けたいと思ってるよ! もちろん、暴力以外の話でね!」
「なんだい、そりゃ? あたしらが望むのは、クソッタレな帝国の滅亡だけだよ」
「それじゃあどうして、帝国を倒したいの? 帝国を倒したら、あなたたちは幸せになれるの?」
「当たり前だろ」と、ラダが仏頂面で言い捨てた。
「ていうか、帝国を倒さない限り、あたしらはこそこそと隠れて生きるしかないんだよ。あたしらがどんなにみじめな生活を送ってるか、あんたにはわかってるのかい?」
「うーん? それはちょっと、よくわからないんだけど……あなたたちは、魔法を使いこなせるようになったんだよね? それなら、どこかの町でこっそり平和に生きていくことはできないの?」
「素性を明かすことのできない人間が町にもぐりこむなんて、できるわけないだろ。どんな辺境の町でも、公都の兵士が目を光らせてるんだからさ」
「うーん、そっかー。それじゃあ、この森にこっそり新しい町をつくっちゃうとかは?」
「そんなもん、すぐさま公国の連中に見つかっちまうよ。あいつらもこういう使い魔を飛ばして、辺境のすみずみまで見回ってるんだからさ」
ステラは「むーん」と腕を組んで考え込んだ。
「なかなか徹底してるんだねー。でもでも実際のところ、帝国を倒すことなんてできるの? 負けて死んじゃったら、なんにもならないじゃん」
ステラの言葉に、ミルヴァが妖しく笑った。
「勝算は、あるよ。何せ帝国の連中は、ごく限られた人間しか魔法を使えないんだからね。こんな辺境区域だったら、ひとつの町でせいぜい十数人ってところだろうさ」
「ほうほう。でもでも、王様なんかはがっつり守りを固めているのでは?」
「帝都に侵攻する前に、片っ端から辺境の町を落として、まずは五大公国をひとつずつ潰していく。最後はそいつらを支配下において、帝都を包囲してやるのさ」
「なるほどー。あなたは本当に、戦争を起こすつもりなんだねー」
ステラは眉を下げて、悲しげな表情を浮かべた。
「でもでも、戦争になったら無関係の人まで傷つけちゃうんじゃない?」
「帝国の領民である限り、無関係の人間なんていやしないよ。クソッタレな掟を守ってる時点で、どいつもこいつも同罪さ」
「でもそれは、キミたちが魔女としての才能を開花させたからだよね」
と、ジェジェがふいに発言した。
「それまでは、キミたちも帝国の従順な領民だった。そして、これから傷つけようとしている人間の中には、未来の魔女たちも含まれているかもしれない。たまたまこの時期に集まったキミたちだけが絶対的な正義であると主張する論拠は、どこにあるのかな?」
「……そんな御託で、あたしらが引くとでも思ってるのかい?」
「いや。ボクはボクなりの雑感を口にしただけだよ。聞かせたい相手は、ステラだしね」
そんな風に言ってから、ジェジェは肩をすくめた。
「まあ、この世界がどうなろうと、ボクには関係ないんだけどさ。ステラはずっと相棒として頑張ってきた仲だから、なるべく後悔の少ない道を歩んでほしいんだよ」
「うん……わたしは魔女さんたちを助けてあげたいけど……やっぱり、戦争には協力できないよ」
ステラが申し訳なさそうに伝えると、ミルヴァは「そうかい」と目をすがめた。
「それじゃあ、残された道はひとつだけだねぇ」
「ううん。わたしはあなたたちとも争うつもりはないよ」
「そっちになくても――」と、ミルヴァが言いかけたところで、まぶたを閉ざしたラダが「ちょっと待ったー!」と声を張り上げた。
「ミルヴァ、やばいよ! 軍船が、森に近づいてる!」
「あん? どこの国の連中さ?」
「こいつは、公国バルツァードの紋章だね! 千人規模の軍船が、二艘だよ!」
魔女たちの間に、惑乱の気配があふれかえる。
そして、一部の魔女たちがステラに殺気のこもった視線を向けた。
「きっとそいつらが、手引きしたんだ! そいつらは、帝国の犬だったんだよ!」
「いやいや、それはぬれぎぬだよー! わたくしステラは潔白の身であると主張いたします!」
すると、ラダがぶっきらぼうに声をあげた。
「そいつらを案内したのは、このあたしだ。尾行されないようにめいっぱい警戒してたんだから、こいつらは関係ない」
「そうそう! ラダさんは、わかってるねー!」
「うるさいよ。あんたたちが厄介なことに、変わりはないんだからね」
「そうさ」と、ミルヴァは右腕を振りかぶる。
「こんな連中を抱えてたら、戦に集中できないからねぇ。憂いは、断たせていただくよ」
他の魔女たちも続々と腕を振り上げて、呪文の詠唱を開始する。
それらの呪文が完成される前に、ステラはステッキを振り上げつつ「バルドル・ペルデーンドシ!」と呪文を唱えて、姿を消し去った。




