05 決断
風の魔法で白翼宮を飛び出したエリシュカは、自らが生み出した竜巻に追いついた。
その竜巻の内側では、大公家の三名がぎゅるぎゅると渦を巻いている。ひっきりなしに全身をシェイクされている三名は涙とよだれを撒き散らしながら、すでに半分がた正気を失っているようであった。
「た……たすけ……」
「ガタガタぬかすな。今、助けているさなかだ」
エリシュカは冷然と言い捨てて、竜巻ともどもさらなる天空に舞い上がった。
もはや『破戒物』が長い腕をのばしても届かない高みである。
すると『破戒物』は再び咆哮をあげて、その巨体を振動させ始めた。
周囲の空間が、ぴしぴしと軋んでいく。
そして、『破戒物』の巨体がじわじわと上昇し始めた。
「おー、いい感じ! エリシュカさんは、さすがだねー!」
「うん。でも、これだと十分な距離を取る前に追いつかれてしまうんじゃないかな?」
「だいじょーぶ! 魔法少女ステラに、秘策あり!」
ひゅんひゅんと飛び交うホウキの上で、ステラは無邪気に笑う。
その間に地面から浮き上がった『破戒物』は、両腕を突き出してエリシュカを追い始めた。
最初は緩慢であったその動きが、じわじわとスピードをあげていく。
この『破戒物』は、空間を消滅させる反作用のエネルギーを推進力に転化しているようであるのだ。その厄介さは、ステラも二日ほど前に体感していた。
『破戒物』の飛行速度が最高潮に達する前に、ステラはエリシュカのもとに駆けつける。
風の魔法で飛翔しながら、エリシュカはステラを振り返った。
「ステラ殿、これで問題はなかろうか?」
「うん! それでね、わたしがあの『破戒物』をやっつけたら、中から妹さんが出てくるはずだから! 下に落ちちゃわないように、受け止めてくれる?」
「承知した。命にかえても、妹の身は救ってみせよう」
凛々しい面持ちでうなずいてから、エリシュカはふっと微笑んだ。
「姉妹そろって、大変な世話をかけてしまったな。妹の分まで、私が報いると約束しよう」
「あはは! 『破戒物』の退治はわたしの使命なんだから、お礼なんていらないよー! むしろ、わたしが近づいたせいで、エリシュカさんたちは『破戒』が早まっちゃったんだろうしね!」
「しかし私は、それで救われた。ステラ殿には、感謝の思いしかないぞ」
「ありがとう」と、ステラは嬉しそうに微笑む。
その瞬間、黒い疾風が吹き抜けて――ステラの背中に、風穴をあけた。
背後に迫り寄る『破戒物』が、虚無の魔法を射出したのだ。
ステラの腹と背中から玉虫色の輝きが噴出して、エリシュカに「ステラ殿!」と悲鳴をあげさせた。
「だ、だいじょーぶ!」と、ステラはサムズアップする。
その口からも、玉虫色の輝きがごふっと吐き出された。
「これっぽっちも大丈夫ではないね。損傷した臓器が再生されるまでは、最大出力の魔法も使えないよ」
「だ、大丈夫って言ったら、大丈夫! きっとエリシュカさんは狙われないだろうから、あっちの人たちを守ってあげてね!」
腹にあいた穴を押さえながら、ステラはエリシュカににっこりと笑いかけた。
しかし、傷口はなかなかふさがらない。腕よりも複雑な構造をした臓器は、再生させるのに若干の時間が必要であるのだ。
「でも、今のはちょっと想定外だったなー! 風の魔法みたいな素早さだったじゃん!」
「それもやっぱり、『破戒物』を生みだした人間の資質が関わっているのかもね。ここは大人しく、目的の品を差し出すべきじゃないかな?」
「それはダメー! 人を殺しちゃったら、妹さんがショックを受けちゃうもん!」
「でも、あんな攻撃を繰り出す『破戒物』に、近づくすべはあるのかな?」
ステラは高速で上空を駆け巡りつつ、「むー」と背後の『破戒物』を振り返る。
ステラたちのほうに突き出された右腕の先では、黒い球体が生み出されているさなかであった。
直径数メートルの大きさであった球体が、見る見る内に凝縮されていく。
それは小型のブラックホールのごとき、危険な虚無の魔法である。それを限界まで凝縮させることで、射出のスピードを上昇できるようであった。
「あれはやっぱり、元の人間の才覚だろうね。魔法を使える人間が『破戒』すると、かくも厄介ということさ」
「うーん! あの攻撃は、魔法のバリアーでも防げないしなー! とにかく逃げ回りながら近づくしか――」
ステラがそのように語ったとき、『破戒物』の横っ面に炎の弾丸が炸裂した。
『破戒物』の頭の一部が黒い塵と化し、不快そうな咆哮をあげさせる。
そうして『破戒物』が術者のほうを振り返ると、今度はその後頭部に竜巻の槍が叩きつけられた。
「あーっ! ミルヴァさんにラダさんに、リューリまで! みんな、どーしたの?」
「どうしたもへったくれもないよ! この化け物は、なんなのさ! あれだけの魔法をくらって、ビクともしないじゃん!」
そのようにわめき散らしたのは、モンスター使いのラダである。彼女は飛翔するグリフォンにまたがっており、同乗しているリューリの小さな身体を懸命に支えていた。
『破戒物』をはさんで反対側を飛んでいるのは、ミルヴァだ。彼女はエリシュカと同じように、颶風の翼で宙を駆けていた。
「そいつの魔法はどうやっても防げないから、気をつけてー!」
ステラがそのように叫ぶと同時に、『破戒物』がミルヴァへと虚無の魔法を射出した。
ミルヴァは「ふふん」と不敵に笑いながら、燕のように旋回する。漆黒の弾丸はそのなびく黒髪をかすめつつ、空の向こうに消えていった。
そしてその隙に、リューリが「えーい!」と右腕を振り下ろす。
すると、リューリの身よりも巨大な炎の奔流が渦を巻き、『破戒物』の脇腹に叩きつけられた。
「すごいすごーい! リューリも魔法を使いこなせるようになったんだねー!」
「み、みんなステラさんのおかげです!」
恐怖に身体を震わせながら、リューリは健気に微笑む。
『破戒物』は憤激の雄叫びとともに、今度は両手の先にそれぞれ虚無の球体を生みだした。
「また来るよ! その魔法をひきつけてくれたら、わたしが『破戒物』をやっつけるから!」
「くそったれ! そんな簡単な話じゃないんだよ!」
不平の声をあげながら、ラダはグリフォンを操作して『破戒物』を威嚇する。
そして、リューリとミルヴァが左右から魔法の攻撃を『破戒物』にあびせかけた。
『破戒物』は両腕を真横に突き出して、極限まで縮めた虚無の球体を一発ずつ射出する。
ステラはその間隙を突いてUターンをして、『破戒物』の鼻先に肉迫した。
「みんな、ありがとー! 頑張って、素敵な国を作ってね!」
虚無の魔法を回避するために、グリフォンは激しく旋回する。
その背中にしがみつきながら、リューリは「え……?」と顔を上げようとしたが――その頃には、ステラは魔法のステッキを振りかざしていた。
「フォールクヴァング・マエストーソ!」
荘重なるオーケストラの演奏とともに、ステラと『破戒物』の身が色とりどりの音符に包み込まれた。
そして次の瞬間には、巨大な玉虫色の球体と化す。その球体は空中でぴたりと静止したため、天を駆けていた魔女たちもまた急停止した。
「これは……結界の魔法か。一瞬でこれだけの結界を構築するとは、驚くべき手腕だな」
エリシュカのつぶやきに、ラダは「ふん!」と鼻を鳴らす。
「これでほんとに、あの化け物を始末できるっての? あいつがしくじったら、今度はあたしらの番なんだよ?」
「ふふん。まずはあいつのふざけた手並みを拝見するしかないだろうさぁ」
そんな言葉が交わされる中、玉虫色の巨大な球体はすべてを拒絶するかのように静まりかえっていた。
いっぽう、球体の内部である。
そちらに広がるのは、白翼宮よりも豪奢な大広間の様相だ。ステラがくるりとターンを切ると、『破戒物』は飛翔の勢いのままに壁に激突した。
『破戒物』は憤激の咆哮をあげつつ、巨大な拳で宮殿の壁を殴りつける。
そのさまを見下ろしながら、ジェジェは「やれやれ」と溜息をついた。
「これがキミの言う、秘策なのかな? 結界の中で次元爆発なんかを起こしたら、それこそ助からないと思うよ?」
「でもでも、結界を張らないとみんなまで巻き込まれちゃうからねー!」
元気いっぱいに笑いながら、ステラは腹を押さえていた手をおろした。
そこにあいていた風穴は、綺麗にふさがっている。ステラが「よしっ!」と魔法のステッキを振り上げると、ジェジェが「ステラ」と神妙な声をあげた。
「その前に、ひとつ聞いてほしい。どうやらあの『破戒物』は、ボクたちが元の世界で出くわした『破戒物』と同一の個体であるようだよ」
「んー? 確かにまあ、見た目も属性もそっくりだよねー」
「そっくりではなく、同一なんだ。じっくり時間をかけて、解析することができたからね」
そのように語りながら、ジェジェは青いビーズのような目をちかちかと明滅させた。
「究極魔法である『ラグナロク・スピリトーゾ』は、『破戒物』を次元の彼方に消し去る魔法だ。そして、あの『破戒物』もまた、次元に干渉できる力を持っている。その二つの力がぶつかることで次元爆発が生じて、ボクたちはこの世界に弾き飛ばされることになったんだ」
「うん。それがどうかした?」
「だからね、この場で同じことを繰り返したら、あの『破戒物』は次元の彼方に弾き飛ばされて――ボクたちの世界に出現するんだと思う」
「うむむ?」と、ステラは小首を傾げた。
「ごめんね、いきなりわかんなくなっちゃった。えーと、あの『破戒物』がこの前の『破戒物』と同一人物で、この場で次元爆発を起こすと元の世界に現れる……? でもでも、あれは昨日の話だよー?」
「他なる次元に弾き飛ばされるんだから、一日ぐらいの時間は誤差さ。それが十年前や十年後であったとしても、ボクは驚きはしないね」
「えーと……それじゃあ、どういうことになるのかな?」
「あの『破戒物』に『ラグナロク・スピリトーゾ』を使わなければ次元爆発が起きることもなく、ボクたちの世界に現れることもない。そして、ボクたちが元の世界であの『破戒物』と遭遇したという過去が改変されて……ボクたちは、元の世界に戻れるかもしれないね」
ステラは、逆の方向に小首を傾げた。
「でも、あいつをこの場でやっつけないと、わたしたちもこの世界と一緒に消滅しちゃうよね?」
「そんなことはないよ。だって、あの『破戒物』には『本体』があるんだからね」
普段通りの落ち着いた口調で、ジェジェはそう言った。
「ボクたちが元の世界で出くわした『破戒物』には、『本体』が存在しなかった。きっとこの場で次元爆発を起こすと、『本体』である少女はこちらの世界に取り残されるんだ。だから、この場で『本体』を破壊すれば、次元爆発を起こすことなく『破戒物』を退治できて、ボクたちは元の世界に戻れる可能性が生まれるというわけだね」
「あはは! つまり、妹さんを殺しちゃえってこと? そんなこと、できるわけないじゃん!」
ステラが無邪気な笑顔を返すと、ジェジェはいつもの調子で肩をすくめた。
「まあ、キミならそう言うだろうと思ったよ。『破戒物』を倒すには『本体』を破壊するのが一番手っ取り早いのに、キミは一度として試したこともないものね」
「そりゃーそーでしょ! それなのに、ジェジェはどうして長々と説明してくれたのかなー?」
「選択肢を提示するのが、ボクの役割だからね。今回は元の世界に戻れるっていう要素も加えられるから、キミの回答に変化が生じる可能性もなくはなかったしさ」
「そっか。でも、わたしの使命は、困ってる人を助けることだからね」
そう言って、ステラはちょっと大人びた表情で目を細めた。
「いつもわたしにつきあわせちゃって、ジェジェには申し訳なく思ってるよ。わたしなんかを魔法少女に選んじゃったことを、後悔してない?」
「だから、選んだのはキミだよ、ステラ。ボクにできるのは、キミの選択を見守ることだけさ」
ステラは「ありがとう」と、ジェジェの小さな手をつまむ。
その瞬間、分厚い金属の板を引き裂くような轟音が鳴り響いた。『破戒物』が、宮殿の壁に虚無の魔法を叩きつけたのだ。
宮殿の壁に、ぴしぴしと亀裂が入っていく。
ステラは力強い笑顔を取り戻して、『破戒物』のもとに魔法のホウキを走らせた。
「そうはさせないよー! あなたを倒すのが、わたしの使命だからね!」
『破戒物』はステラのほうに向きなおり、新たな虚無の魔法を練りあげる。
そちらに向かって、ステラは魔法のステッキを振り下ろした。
「ラグナロク・スピリトーゾ!」
あらゆる魔法の中でもっとも壮麗なるオーケストラの演奏が響きわたり、宮殿の内部にあらゆる色彩の音符があふれかえる。
『破戒物』は憎悪の咆哮とともに、漆黒の虚無を爆発させた。
目の眩むような輝きと漆黒の虚無が絡み合い、空間を捻転させて――二日前と同じように、次元爆発が起きた。
魔法の結界たる宮殿は、ガラスのように砕け散る。
そして外界においても、玉虫色の巨大な球体が砕け散り――そこから生まれ出た少女が、落下した。
「ヨハナ!」と叫んだエリシュカが、すぐさまそちらに飛翔する。
返り血に濡れたエリシュカの手が、少女のほっそりとした身体をしっかりと抱きとめた。
「ヨハナ……心配をかけてしまったな」
慈愛の思いがあふれた眼差しで、エリシュカは妹に微笑みかけた。
くすんだ金色の髪をした少女ヨハナは、赤子のように安らかに眠っている。
するとそこに、ミルヴァとグリフォンが駆けつけた。
「ふふん。そいつが、あの化け物の正体ってわけかい」
「まったく、わけがわかんないなー! ま、終わったんなら、どーでもいいけどさ!」
「で、でも、ステラさんは……?」
リューリの声を合図に、エリシュカとミルヴァとラダも頭上を振り仰ぐ。
しかしそこには、雄大なる星空が広がるばかりであった。




