02 陰謀
祝賀の宴の会場である大広間を目指して、エリシュカは白翼宮の回廊を闊歩した。
先頭を歩くのは案内役の侍女であり、エリシュカの後に続くのは二名の武官だ。表向きは公女たるエリシュカの護衛役であるが、その実態は監視役であった。
この白翼宮では帯剣を禁じられているが、エリシュカの後に続く武官たちは立派な長剣をさげている。それはすなわち、彼らが大公の忠実な親衛隊であることを示してていた。
しかしまた、親衛隊の主たる役割は白翼宮を外から守ることである。宮殿の内部に詰めているのはほんの二十名ていどで、三百名の本隊は兵舎で待機しているのだ。そちらの足止めを、ミルヴァ率いる魔女の一団に願ったわけであった。
(今日で、すべてを終わらせる。そして、新たな時代を切り開くのだ)
美しい宴衣装を纏ったエリシュカは戦場におもむく騎士のごとき面持ちで、扉の前に立った。
両開きの、巨大な扉である。槍を掲げた守衛たちが、その一枚ずつに手をかけて扉を開いた。
「第一公女殿下エリシュカ様、ご入場です」
侍女の澄みわたった声とともに、エリシュカは大広間に足を踏み入れる。
普段であれば、賑やかな歓声と拍手に見舞われるべき場面であったが――本日その場に待ち受けていたのは、嘲弄に満ちた笑い声であった。
「よく来たな、エリシュカよ! 今日も見てくれだけは、実に立派ではないか!」
父たる大公の聞き苦しい声が響きわたる。
エリシュカはすかさず腰を落とし、あるはずもない刀を求めて腰のあたりをまさぐることになった。
「……大公殿下、これはどういった余興でありましょうか?」
「なに、大役を果たした其方をねぎらおうという趣旨に変わりはない。しかし、其方の祝宴嫌いは有名であるからな。ちょっと趣向を凝らしただけのことだ」
豪奢な絨毯が敷かれた大広間は、無人である。
ただその代わりに、大勢の人間が大広間を見下ろしている。左右と奥側に設置されたバルコニー席に、数十名もの貴族たちが居並んでいるのだ。それはこの大広間で剣技の御前試合が行われる際に使用される座席であった。
奥側の席では、父たる大公と兄たる第一公子がふんぞり返っている。
ぶくぶくと肥え太った、よく似た姿だ。酒杯を掲げた大公は、おぞましい喜悦に醜い顔を歪めていた。
そして、周囲の貴族たちも大差のない面がまえをしている。
とても公女を見るような目ではない。そして、年齢はさまざまであったが、すべてが男の貴族であった。
エリシュカの背後で、扉がぴったりと閉められる。
ともに入室したのは二名の武官だけで、侍女の姿はなかった。
「……まったくもって、意味がわかりません。剣技の勝負でもご所望なのでしょうか?」
エリシュカが感情を押し殺した声で問い質すと、大公はせせら笑った。
「女が剣を振るう姿を見て、誰が喜ぶのだ? 其方もいい加減に、女人としてのつつしみを覚えるがよいぞ」
「……ですが私は、将軍の座を拝命した身となります」
「うむ。今後も其方には、大いに働いてもらおう。何せ其方は、大公家始まって以来の魔法士であるからな。……しかし、それだけの力を持つ者には、やはり丈夫な首輪が必要となろう」
したたるような悪意を剥き出しにして、大公はそう言った。
「どうやら妹の身柄ひとつでは、其方をしつけることも難しいようであるからな。我々を押しのけて玉座を狙うなど、本来であれば斬首の刑であるのだぞ?」
「……お言葉の意味がわかりかねます」
「左様であるか。世話の焼ける娘であるな」
大公がひらひらと手の先をそよがせると、新たな人影が座席に現れた。
その姿を見て、エリシュカは唇を噛む。それは痩せぎすで学者のような風体をした、第二公子に他ならなかった。
第二公子は飼い主のご機嫌をうかがう犬のように、へらへらと笑っている。
そしてその骨張った首には、赤く輝く解呪の秘石が――エリシュカに託したはずの首飾りが煌々と輝いていた。
「……なるほど。そういうことであったのですか、第二公子よ」
「す、すまないね、エリシュカ。だけど、父たる大公殿下に逆らえるわけがないじゃないか」
第二公子は悪びれた様子もなく、にっと白い歯を剥き出しにする。
エリシュカは隠しポケットから取り出した偽物の首飾りを、床に叩きつけた。
「まあ、そういうわけだ。こやつを使って其方の本心を探ろうと考えたのだが、まさか玉座を狙おうとはな。それほどの罪には、罰が必要であろう?」
「……叛逆罪に対する罰は、斬首しかありえないでしょうね」
「しかし其方は、我の愛し子であるからな。寛大な心でもって、其方を許すことにしよう」
いよいよおぞましい顔つきになりながら、大公は左右の座席に両腕を差し伸べた。
「それでは、競売を開始する。公国バルツァードの第一公女エリシュカを一夜の妻とするのは、誰であろうかな?」
数十名の貴族たちが、獣のような歓声を響かせる。
エリシュカは歯を食いしばり、吐き気をもよおすほどの怒りをこらえた。
「大公、あなたは……そうまで、私が憎いのか?」
「ふふん。我の首を狙ったのは、其方であろうが?」
「ですがあなたは、幼き頃から私を憎んでいた。おおかた、母君の不義を疑っていたのでしょう?」
エリシュカの言葉に、大公は憎悪の形相で笑った。
「其方の瞳は、あの忌まわしき近衛兵長めと同じ色合いをしている。そしてあやつも男児でありながら、生まれながらに魔法の力を授かった身であった。疑う理由としては、十分以上であろうな」
「そうだな。そして私も、それが真実であることを祈るとしよう。あなたの血がこの身に流れているなどとは、どうにも我慢がならんからな」
そうしてエリシュカがエメラルドグリーンの瞳を怒りに燃やすと、大公は「その目だ!」とわめき散らした。
「人を人とも思わぬ、その高慢な目……! 貴様らは、洗礼なくして魔法を扱えぬ人間を見下しているのであろう! 貴様らこそ、この世の理に背く化け物だ!」
「何がどうでも、かまいはしない。あなたの同類でなければ、十分だ」
「……貴様はまだ、救いの手が差し伸べられると期待しておるのか? 貴様が連れ帰ったあの魔法士めは、とっくに始末しておるのだぞ?」
そんな言葉とともに、今度は赤黒いフードつきマントの姿で鷹の仮面をかぶった男が出現する。
そして、その男が仮面を外すと――その下から現れたのは、人形のように表情のない老騎士マロシュの素顔であった。
「……そうか。其方が、大公の目であったのだな」
エリシュカはひとたびぎゅっとまぶたを閉ざしてから、すぐさま倍する勢いで眼光を燃やした。
(私は最初から、孤立無援であったわけだ。であれば、ここから這い上がるしかない)
魔法少女ステラによってこの世を呪う情念を打ち砕かれたエリシュカは、この段に至っても絶望していなかった。
(ステラ殿……それに、魔女たちも……貴殿らには、大変な迷惑をかけてしまった。どうか、無事に逃げのびてくれ)
そうしてエリシュカが押し黙ると、その場には彼女の値段を決めるための蛮声が響き始めたのだった。
◇
「……こりゃあいったい、どういうことさぁ?」
遥かなる下界を見下ろしながら、ミルヴァはうろんげな声をこぼした。
魔女の一行は、宙に浮いた馬車の窓から下界の様子をうかがっている。ステラが準備した八本脚の黒馬の力によって、目当ての兵舎の頭上まで移動したのだ。
その兵舎から、大勢の人影がわらわらと飛び出している。
その先に立ちはだかるのは、遠目にも異形と知れる巨大なモンスター――鍾乳洞から這い出した、屍の巨人に他ならなかった。
立派な宮殿は無事であるが、その前庭は大きく陥没している。そこから出現した屍の巨人が、宮中の人々を脅かしているのだ。事情を知らない魔女たちは、困惑するばかりであった。
「あれって、グール・ロードじゃん。なんで公都のど真ん中に、あんな魔物がわいてるのさ?」
ラダが不審の声をあげると、ミルヴァは「さてねぇ」と肩をすくめた。
「そんなことは、あたしらの知ったこっちゃないけど……さてさて、どうしたもんかねぇ」
「どうするもこうするも、もう足止めなんてする必要もなくなったじゃん」
兵舎から飛び出した衛兵は三百名という人数であったが、魔法士は三十名のみである。そして、屍の巨人グール・ロードが大地の魔法を発動させると、いっぺんに二十名ばかりの兵士が地の底に沈められた。
「ほらほら、あのボンクラどもがグール・ロードを仕留めるには、ずいぶん時間がかかりそうだからね。あーあ、勇んでたのがバカみたいだよ」
「ふふん……でも、あのボンクラどもにこの騒ぎを収められるのかねぇ?」
「いくらボンクラでも、グール・ロードの一匹ぐらい――」
と、ラダはそこで息を呑んだ。前庭の陥没した箇所から、同じ巨大さを持つ二体のグール・ロードと、無数のグールが出現したのだ。
「あっ! あの場所には、兵士さん以外の人もいるみたいです!」
怖々と下界を見下ろしていたリューリも、震える声をあげた。
前庭では、侍女や小姓が逃げ惑っている。それが邪魔になって、衛兵たちはいっそう身動きが取れないようであった。
「……ま、どっちが勝とうと時間かせぎにはなるでしょ。もうあたしらの役目は残されてないってことさ」
ラダがそのように言い捨てると、リューリが愕然と振り返る。そちらをにらみ返しながら、ラダは「何さ?」と眉を吊り上げた。
「あいつらだって、帝国の犬なんだよ。あんなやつらが皆殺しになったって、あたしらには関係ないさ」
「本当に……本当にそう思ってるんですか? ジェジェさんが言っていた通り、あなたたちは自分だけが絶対の正義だと思ってるんですか?」
リューリは必死の面持ちで、ラダの顔を見つめ返す。
その眼差しの清廉さに気圧された様子で、ラダは「な、なにさ?」と後ずさった。
「それじゃああんたは、あいつらを助けろとでも言うつもり? どうしてあたしたちが、見ず知らずの人間のために命を張らなきゃいけないのさ?」
「……そうだね。あたしたちの目的は、帝国をぶっ潰して真っ当な人生を取り戻すことさ。それ以外の話で、命を張る理由はないねぇ」
ミルヴァは皮肉っぽい笑いを含んだ声で、そう言った。
リューリは「そんな……」と青ざめる。そのさまにくつくつと笑ってから、ミルヴァはさらに言いつのった。
「それで……あの金髪女が玉座をぶん取ったら、領民のすべては帝国をぶっ潰すための手駒ってわけだ。だったら、みすみす手駒が減っちまうのを見過ごしてはいられないねぇ」
「はあ? ミルヴァ、本気で言ってるの!?」
ラダが愕然とした声をあげると、ミルヴァは妖艶な笑顔で腕を振り上げた。
「あたしの言うことは、変わらないよぉ。ついてきたいやつだけ、ついてきなぁ」
ミルヴァが腕を振り下ろすと、八本脚の黒馬は雷鳴のごときいななきとともに滑空する。
そうして馬車が地上に到着したならば、すべての魔女が光の魔法を突き破って戦乱の場に飛び出したのだった。




