01 それぞれの運命
「おお、姫様! すっかり見違えましたな!」
副官にして世話役の老騎士マロシュが感服しきった声をあげると、公女エリシュカは面白くもなさそうに「ふん」と鼻を鳴らした。
エリシュカは祝賀会に参席するために、華麗なドレスに着替えさせられている。白地に金の刺繍が入った見事な細工で、ふわりと広がったスカートの裾は大輪さながらだ。湯あみをして金色の髪も綺麗にくしけずられているため、もともと美麗な容姿にさらなる磨きがかけられていた。
「軍事行動の達成を祝う宴で、どうして指揮官たる私がこのような格好をしなければならないのだろうな」
「ははは。姫様のお言葉はごもっともでありますが、この輝かしさの前では小官も口をつぐむしかありませんな」
「ふん。こんな衣装は、好色な輩を喜ばせるだけであろうが」
と、エリシュカは大きくあけられた襟ぐりを無造作に引っ張る。甲冑姿では隠されているエリシュカの色香が、今は余すところなく開放されていた。
「……しかし、このような姿をした小娘に捕縛されたならば、大公たちは屈辱のあまり悶死してしまうやもしれんな」
エリシュカがそんな言葉をこぼすと、好々爺さながらであったマロシュの顔が一気に引き締まった。
「姫様、くれぐれもご用心を。祝宴が開始された折には、小官もすぐさまおそばに馳せ参じますが……この白翼宮では魔法が封じられる上に、帯剣も許されませんからな」
「わきまえている。……爺には、世話をかけてしまうな」
「なんのなんの。大公家の息女たる姫様に忠義を捧げるのは、当然のことでありましょう」
マロシュは精悍な表情のまま、我が子を見るように優しげな眼差しになった。
「唯一無念であるのは、玉座を第二公子殿下にお譲りすることでありますな。姫様が新たな大公となられれば、小官も感無量なのですが」
「この公国バルツァードにおいて、公女が玉座に座った例は一度としてないぞ。大公と第一公子を蹴落とすだけでも悪評はまぬがれないのだから、余計な無理を重ねることはできん」
「だからこそ、姫様に初の栄誉を味わっていただきたかったのですが……そのように嘆いても、詮無きことですな」
「うむ。兄君はいささか頼りない面もあるが、志を同じくしているのだ。私は死力を尽くして、兄君を補佐する所存だぞ」
そこで扉がノックされたため、両者はぴたりと口をつぐんだ。
「ぼ、僕だよ。エリシュカ、いるんだろう?」
頼りなげに震えた声が、扉ごしに聞こえてくる。
マロシュが扉を開くと、当の第二公子が入室した。
エリシュカよりも三歳年長である第二公子はひょろりと痩せていて、学者のような風体をしている。その気弱そうに瞬く目がエリシュカの姿をとらえるなり、うっとりと細められた。
「ああ、エリシュカ……なんて美しい姿だろう……君は本当に、母君に生き写しだね」
二人の兄は第一公妃、エリシュカは第二公妃、妹は第三公妃の子なのである。そしてその全員が、すでに若くして魂を返していた。
「お待ちしていました、兄君。それで、例のものは?」
エリシュカが鋭く問いかけると、第二公子は慌てた顔で懐をまさぐり、赤い宝石の首飾りを取り出した。
公国バルツァードの紋章である鷹の翼をモチーフにした純銀の盤に、炎のような色合いの宝石が嵌め込まれている。それを受け取ったエリシュカは、剣士の眼差しで検分した。
「これが解呪の秘石ですか。これほど間近に目にしたのは、初めてのことです」
「うん。それさえあれば、この白翼宮でも魔法を行使できるからね。ただし、迂闊に魔法を発動させたら、結界を張っている魔法士たちに察知されてしまうよ」
「わきまえています。これを使うのは、大公と第一公子を捕縛するときです」
エリシュカがますます鋭い目つきになると、第二公子は恐れ入ったように首を縮めた。
「き、君にばかり危険な役割を押しつけてしまって、本当にすまないね。でも、僕がそれを持っていても、父君と兄君を制圧することはできそうにないから……」
「兄君の苦労は、これからです。何せこの後には、大公の座を預かるという大役が待ち受けているのですからね」
「う、うん。僕なんかにそんな大役が務まるのか、本当に心細いところだけど……でも、これ以上は父君の横暴を許すこともできないからね」
第二公子は懸命に、勇ましい顔を作ろうとする。
それを励ますために、エリシュカは微笑んだ。
「君主に必要なのは蛮勇ではなく、慈悲の心です。兄君であれば、きっと立派に公国を治められることでしょう」
「う、うん。君が隣で支えてくれたら、僕も心強い限りだよ」
そんな風に言ってから、第二公子はまたうっとりと目を細めた。
「それにしても、君は本当に美しいね、エリシュカ。もしも可能であるならば……君を妃に迎えたいところだよ」
「おたわむれは、おやめください。兄と妹の身でそのような言葉を口にするのは、あまりに道理に反していましょう」
「でも、僕と君は母親が違っているし……もしもあの風聞が真実であったなら、父親さえもが違っているわけだからね」
するとマロシュがこらえかねた様子で、「第二公子殿下」と声をあげた。
「公子たる身でそのような風聞に惑わされて、何としますか。なおかつそれは、第二公妃殿下の不義を疑う言葉であるのですぞ」
「わ、わかっているよ。でも、エリシュカにしてみれば、その風聞が真実であれと願いたいぐらいなのじゃないかな?」
そう言って、第二公子は切なげに息をついた。
「僕は君が、羨ましいとさえ思うよ。あの父君の血がこの身にも流れているのかと考えると……それだけで、僕は誰にも顔向けできないような心地になってしまうんだ」
「それは兄君が、大公の横暴に真摯な怒りを向けているためでしょう。だからこそ、あなたが大公の座につくべきであるのです」
エリシュカは果然たる態度で、そのように言い放った。
「人の価値を決めるのは、血統ではなく志です。どうかその義憤を力にかえて、大公家を正しき道にお導きください」
「……うん。大義が成ったら、ヨハナと三人で食事でもしようね」
最後にゆるんだ顔を見せて、第二公子は退室していった。
扉を閉めたマロシュは、「やれやれ」と息をつく。
「やはりあの御方は、いささかならず頼りないですな。しかも、姫様にあのような目を向けるというのは……まさしく、悪しき好色の血筋を受け継いでいるのやもしれませんぞ」
「それでも我々が頼りにできるのは、兄君だけだ。こうして無事に、役割を果たしてくれたからな」
エリシュカは解呪の首飾りをぎゅっと握り込み、宴衣装の隠しポケットに忍ばせた。
「これで準備は整った。必ずや、大公と第一公子を捕らえてみせよう」
「はい。姫様ならば、必ずや成し遂げてくださるでしょう」
そのとき、扉が再びノックされた。
「エリシュカ公女殿下、お支度はよろしいでしょうか? 間もなく開会の刻限となりますので、大広間にご案内いたします」
「承知した。……では、またのちほどな」
「はい。どうか、ご武運を」
忠臣マロシュに見送られて、エリシュカは控えの間を後にした。
◇
「さて、そろそろ頃合いだねぇ」
束ね役のミルヴァがそんなつぶやきをこぼすと、百名の魔女たちがひと息に表情を引き締めた。
荒野の西の果てに、太陽が沈んでいこうとしている。作戦を決行する時間がやってきたのだ。殺気立つ魔女たちの姿を見回したミルヴァは、最後にリューリのもとで視線を止めた。
「……で、あんたはどうするんだい? あんたは誰とも争う気はないってんだろう?」
「は、はい。だけど……みなさんが命をかけて戦おうとしているのに、わたしひとりだけ逃げ出すことはできません」
小さく肩を震わせながら、リューリは懸命に言いつのる。
すると、隣のラダがその頭を小突いた。
「まともに魔法も使えないあんたを連れていったって、危なっかしいだけなんだよ。……あんた、人を焼き殺す覚悟はできてるのかい?」
「い、いえ……でも、わたしもステラさんみたいに、自分の力を人のために使いたいんです!」
「……あたしを燃やそうとしたら、遠慮なくこいつらをけしかけるからね」
ラダの頭上では、何頭ものワイバーンが旋回している。普段は荒野に配置している七頭のワイバーンを、すべて招集したのだ。また、他なる魔女たちの手管によって、その場には魔犬バーゲストの群れも集められていた。
「それじゃあ最後に、確認しておくよ」
ミルヴァがあらためて声をあげると、百名の魔女たちは一心にそちらを見つめた。
「あたしらの役割は、兵舎に詰めてる衛兵どもの足止めだ。総勢で三百人はいるらしいけど、べつだん皆殺しにする必要はない。宮殿であの金髪女が騒ぎを起こせば駆けつけようとするはずだから、そいつを足止めすりゃあいいっていう簡単な話さぁ」
「ふん。それで、魔法を使えるやつはほんの一割って話だったよね?」
「ああ。それでも三十人だから、昨日よりは多いってことになるねぇ。逃げるんだったら、今が最後の好機だよぉ」
「ここで逃げるぐらいなら、最初っからついてこないよ。話が終わったんなら、さっさと出発しようよ」
ラダがむくれた声で言うと、ミルヴァはにやりと不敵に微笑んでから右腕を振りかざした。
「それじゃあ、出陣だ」
八本脚の黒馬が雷鳴のごときいななきをあげて、目の前に立ちはだかる城壁よりも高い位置に跳躍した。
◇
「うひゃー!」と雄叫びをあげながら、ステラは暗闇の中を逃げ惑っていた。
地下牢のさらに地下に広がる、鍾乳洞においてのことである。魔法のホウキに乗ったステラを追い回しているのは、体長五メートルに及ぶ屍の巨人であった。
鍾乳洞は蟻の巣のように入り組んでいるため、ステラも普段ほどスピーディーにホウキを操作することができない。ステラはそれこそ羽虫のようにひゅんひゅんと飛び交いながら、腐汁を撒き散らす巨人の腕から逃げている格好であった。
「こんなことしてたら、約束の時間になっちゃうよー! 出口は、どこなんだろー?」
「そもそも出口なんて、ないんじゃないのかな。そんなものがあったら、あのモンスターが外に出てしまうしね」
「それじゃー、どーしたらいいの!? 魔法で天井に穴を開けたりしたら、たぶん大騒ぎになっちゃうよ!」
そのとき、巨人が振りかざした手の先がステラの鼻先に迫った。
大きく開いた手の平に、腐った人間の顔や頭蓋骨がひしめいている。その目はいずれも真紅に燃えあがり、口からは怨嗟のうめき声がこぼされた。
ステラは間一髪のタイミングできりもみ回転をして、巨人の魔手から逃げのびる。
そののちに、「もー!」と憤然たる声をあげた。
「ちょっと落ち着いて考えたいから、大人しくしてもらえるかな? ミョルニル・ペザンテ!」
大太鼓とピアノの重低音とともに、魔法のステッキが巨大な光のハンマーに変化する。
ステラはそのハンマーで、巨人の頭部に該当する位置をしたたかに打ちのめした。
黄金色の音符が弾け散り、巨人の姿が雷光に包み込まれる。
その雷光が消え去ると、巨人は立ち眩みでも起こしたように後ろざまにひっくり返った。
足もとには地下水が溜められているため、盛大に水しぶきがあげられる。それを回避しながら、ステラは「ふいー」と光のハンマーを消し去った。
「さー、じっくり考えよー! 天井に穴を開けちゃうよりは、最初の牢屋に戻ったほうが騒ぎにならないかなー?」
「それはそれで、けっこうな騒ぎになりそうだけどね。見張りの人間は、この罠のことを知らないのだろうしさ」
「でもでも、最初から光の魔法で姿を隠しておけば、いきなり床に穴が開くだけだよね? それなら、ちょっとした怪奇現象の枠におさまるかも!」
ステラが会心の笑顔でそのように言い放つと同時に、巨人が水中から身を起こした。
「ありゃ、もう起きちゃった。でもでも、あとは引き返すだけだから――」
そのように言いかけたステラの足もとで、巨人の巨体が青白い燐光を帯びた。
そして、周囲の空気がびりびりと振動していく。そのさまに、ステラは「あれあれー?」と小首を傾げた。
「もしかして、このコも魔法を使えちゃったりするのかなー?」
「さあ? だけどまあ、屍の中に魔法士というものも含まれているのなら、生前の記憶を活用することができるのかもしれないね」
「なるほどー! でもでも、こんなせまい場所でおかしな魔法を使ったりしたら――」
ステラの言葉は、巨人の雄叫びによってかき消された。
そして、世界が鳴動する。巨人が発動したのは、大地の魔法であったのだ。
鍾乳洞の天井や壁面に、びしびしと亀裂が走り抜けていく。
そうして鍾乳洞は、呆気なく崩落した。
「どひゃー!」とわめき声をあげながら、ステラは頭上から降り注ぐ岩塊をすいすいと回避していく。
ひときわ巨大な岩塊が頭上に迫ると、それは障壁の魔法陣で弾き返した。
そうしてステラが急上昇すると、向かう先に光の亀裂が浮かびあがる。
ステラは「バルドル・ペルデーンドシ!」の呪文で身を隠す光の球体を生みだしてから、その亀裂を突き破った。
その勢いのままに、ステラは天高く舞い上がる。
足もとでは宮殿の前庭が地盤沈下を起こして、侍女や小姓たちに悲鳴をあげさせていた。
「いやー、あぶないとこだったねー! でも、おかげで外に出られたよー!」
「うん。幸か不幸か、タイムリミットぎりぎりのようだね」
太陽は、すでに西の果てに没しかけている。
その朱色の夕陽に目を細めながら、ステラは朗らかに笑った。
「ではでは! 妹さんの救出だー! 他のみんなも、頑張ってるかなー!」
ステラは意気揚々と、塔に向かってホウキを走らせる。
下界では屍の巨人が地上に這い出そうとしているさなかであったが、ステラがそれに気づくことはなかった。




