05 陥穽
宮殿の立派な回廊の果てには、またもや立派な扉が待ち受けていた。
そしてその場に、公女エリシュカと副官のマロシュが待ちかまえている。ステラを護送した武官たちが敬礼をすると、エリシュカは無言のまま首肯して扉のほうに向きなおった。
槍を掲げた守衛たちの手で、両開きの扉が開かれる。
その向こう側に広がっていたのは、豪奢なる謁見の間であった。
足もとはぴかぴかに輝く白大理石で、出入り口から向かいの壁までは一直線に真紅の絨毯が敷かれている。そして、その絨毯の左右には甲冑姿の近衛兵たちがずらりと立ち並んでいた。
それらの近衛兵たちに見守られながら、ステラはふかふかの絨毯を踏みしめて前進する。その最果てに、エリシュカの父たる大公と兄たる第一公子が待ちかまえていた。
両名は、ごてごてと装飾が施された座席に収まっている。
その背後には、公国バルツァードの紋章である鷹の公国旗が掲げられていた。
大公たちの座席まであと五メートルといった地点で、エリシュカとマロシュは膝を折る。ステラもまた、鉄枷の鎖を握る武官に肩を小突かれて、ひざまずくことになった。
「第一公女エリシュカ、ただいま帰参いたしました」
エリシュカが凛然とした声で告げると、「うむ……」という濁った声が答えた。
「百名の魔女の討伐を、わずか二日で果たしたか。さすが、公国バルツァード始まって以来の魔法士と評される公女将軍であるな」
言葉の内容におかしなところはないものの、その声には悪意と嘲弄しか感じられない。またそれは、その顔つきからも明らかであった。
大公と第一公子は、どちらもぶくぶくと肥え太っている。立派な装束を身に纏い、じゃらじゃらと飾り物をさげているが、まるでガマガエルの王様とでもいった風情だ。顔中の肉がたるむにたるんで、顎の下には三つの段ができていた。
(ああ……ダメだね、こりゃ)
お地蔵様のように取りすました顔を保持しながら、ステラは内心で溜息をついた。
ステラに溜息をつかせたのは、大公たちの目つきである。たるんだまぶたの下に光るその目には、どろどろとした情念だけが渦巻いていたのだった。
同じ情念でも、エリシュカやミルヴァとはまったく異なっている。まあ、すでに心を浄化されているエリシュカはさておき、この世を激しく憎悪しているミルヴァでさえ、これほど濁った目つきはしていないのだ。というよりも、ミルヴァの憎悪はきわめて純化されているために、このような濁りとはもっとも縁遠いのだった。
『破戒』の恐れがあるのは、ミルヴァのような人間である。純粋なる憎悪の念を抱くには、純粋な心が必要であるのだ。ミルヴァはもともとエリシュカやリューリに負けないぐらい清廉な心根を有しているがために、『破戒』の危険をはらんでいるのだった。
(こーゆー目つきをした人たちって、どんな目にあっても『破戒』しないもんねー)
ステラが心中でつぶやくと、その背中にひそんでいるジェジェも(うん)と応じた。
(欲得に強烈な執着を抱く人間は、他者を蹴落としてでも生き延びようとするものだからね。これは『破戒』する人間ではなく、他者を『破戒』に追い込む側の人間だろうと思うよ)
(実際問題、エリシュカさんは『破戒』しちゃったもんねー。もー、こっちの世界に来てから、ロクなお父さんに会わないなー)
(ともあれ、大公を『破戒』させて邪念を除去するというキミの作戦は、あえなく水泡に帰したわけだね)
(うん。あとはテキトーにやりすごして、エリシュカさんの作戦通り動くしかないねー)
そうしてステラとジェジェの内緒話が終了した頃、玉座の肘掛けに頬杖をついた大公が悪意の粘つく声で語り始めた。
「そやつが百名の魔女を皆殺しにしたという、異国の魔法士であるか。たったひとりで百名もの魔女を皆殺しにするとは、実に豪気な話であるな。しかし、そう考えると……其方ではなくそやつに勲章でもくれてやるべきなのかもしれんな」
大公が濁った笑い声をこぼすと、第一公子も追従するように似たような笑い声を響かせた。
まるでクローンか何かのように、そっくりの親子である。いっぽうエリシュカは、外見にも内面にもまったく似たところが見当たらなかった。
「それで……そやつが操る異国の魔法の正体を解明すれば、我が国に大きな恩恵をもたらすであろうという話であったか?」
「はい。私はそのように考えて、これなる者を連行いたしました。これなる者の操る魔法は、二千名に及ぶ兵士たちを一瞬にして――」
「よい。報告は、すでに聞いておる。そやつは、獄舎に移送せよ」
恭しげに頭を垂れたまま、エリシュカはうろんげに眉をひそめた。
「失礼ながら、白翼宮の別室ではなく、獄舎に移送するのでしょうか?」
「うむ。今宵は、祝賀の宴であるのだからな。そやつが騒ぎでも起こしたら、興ざめであろうよ。とっとと移送するがよい」
エリシュカは顔を伏せたまま、ステラのほうをちらりと見やってくる。
なんとなく、感情が定まっていないような眼差しだ。こちらにしてみれば、禁呪の結界が存在しない獄舎のほうが都合がよかったのだった。
「もう日没までは、いくばくもなかろう。其方も自室に戻り、準備を整えるがよい。今日も数多くの者たちが、其方の美しき姿を期待しているであろうからな」
そう言って、大公は下卑た笑い声を響かせる。
やっぱりそれは、国の頂点に立つ人間とは思えないような笑い声であった。
◇
そうしてステラは大公たちとひと言も言葉を交わすことなく、獄舎に移送されることになった。
ステラの側でも、会話の必要性をいっさい感じなかったのである。あのように性根の腐った人間を改心させるすべを、ステラは持ち合わせていなかった。
(だからエリシュカさんも、力ずくでどうにかするしかなかったんだなー。こればっかりは、止めようがないや)
ステラは再び馬車に押し込められて、移送された。
連れていかれたのは、白翼宮と同じ区域に存在する獄舎である。ステラとしては宮殿と獄舎が同じ場所にあるというのは不思議な感じがしたが、二重の城壁で守られた区域であれば脱走も難しいという利点が存在するのかもしれなかった。
馬車を降りると、目の前に四角い無機的な建物が建ちはだかっている。
その背後には、全長百メートルに及ぼうかという灰色の塔が屹立していた。
(ふむふむ。あそこの天辺に、妹さんが閉じ込められてるわけね)
ステラに残されているのは、エリシュカの妹を救出するというミッションのみである。大公たちに見切りをつけたステラは、心置きなくその任務に集中する所存であった。
塔の位置を薄目で確認しながら、ステラはしずしずと歩を進める。
四角い建物の入り口には白装束の門衛が立ちはだかっており、その片方が重そうな扉を開いた。
四名の武官に前後と左右を囲まれながら、ステラは建物の内側に連行される。
建物は灰色の石造りで、何の装飾も施されていない。壁の高い位置に明かりとりの窓が切られているが、昼下がりとは思えない薄暗さであった。
じめじめとした通路の果てにはまた扉と門衛の姿があり、その先に待ち受けていたのは地下に通ずる階段だ。
こちらは日が差さないため、間遠に燭台が掛けられている。
その階段を下った先が、牢獄であった。
通路は果てもわからないほど延々と続いており、その左右に鉄格子で区切られた牢屋が並んでいる。ステラは突き飛ばされるようにして、牢屋のひとつに押し込められた。
「貴様の審問は、明朝に執行される。それまで、大人しくしておけ」
武官は居丈高に語ったのち、横合いを振り返った。そこにたたずむのは、貧相な身なりをした小男の獄卒だ。
「こやつには、水も食事も必要ない。おかしな騒ぎを起こさぬよう、しかと見張るのだぞ」
「へ、へい。承知いたしやした」
小男は両手をもみしぼりながら、ぺこぺこと頭を下げる。鼻づらがせり出ていてきゅっとすぼまった、アナグマのような面相であった。
武官たちは立ち去って、ステラと獄卒だけが取り残される。
鉄格子ごしにステラの姿を見やりながら、獄卒は気の毒そうに眉を下げた。
「こんな可愛らしい娘さんが、牢屋にぶちこまれるなんてねぇ。お前さん、いったい何をしでかしたんだい? 貴族様の服に茶でもぶっかけちまったのかい?」
「…………」
「それとも、夜伽を命じた貴族様を、ひっぱたいちまったとか? ああ、嫌だ嫌だ。こんな可愛らしい娘さんが処刑される姿なんざ、むごたらしくて見てられねえよ」
「…………」
「なあ、お前さんを逃がしてやろうか? ここには、俺だけが知る秘密の抜け道ってもんがあるんだよ。……もちろん、タダでは教えてやれねえけどさ」
と、獄卒の顔がふいに色欲に引き歪んだ。
ステラは聖母マリアのように穏やかな面持ちで、「いえ」と応じる。
「わたしはすべての運命を享受する覚悟でございます。ご厚意には感謝いたしますが、どうぞお捨て置きください」
「なんだ、つまらねえ」と、獄卒はすべての関心を失った様子で椅子に座り込み、懐から取り出した金属製の平たい酒瓶をあおった。
ステラはじっとりと湿った石の床に、ふわりと座り込む。すると、背中のジェジェが心の声でこっそり囁きかけてきた。
(キミの大暴れは報告されているはずなのに、ずいぶん雑な扱いだね。三日間は魔法を使えないっていうエリシュカの報告を、完全に信じ込んでいるのかな?)
ステラは置物のように座したまま、(そうなんじゃない?)と心の声を返す。
(ふうん。でも、エリシュカには監視がつけられているっていう話だったよね。そんな相手の言葉を鵜呑みにするなんて、なんだか対応がちぐはぐだなぁ)
(……そのココロは?)
(ボクの推察は、必要ないようだよ。あとは自分の目で確かめることだね)
ジェジェのそんな言葉とともに、だらしなく座っていた獄卒が大慌てで起立した。
「こ、こいつはどうも。何か危急のご用件で?」
「貴様などに用事はない。下がれ」
そのように答えたのは、澱んだ血のように赤黒いフードつきマントを纏った男であった。
フードを深く傾けている上に、不気味な仮面で素顔を隠している。それはペストマスクのように巨大なくちばしが生えた、鷹を模した仮面であった。
「で、ですが、この娘は入念に見張れと言いつけられておりますので……」
「……聞こえなかったのか? 私は、下がれと命じたのだ」
仮面の男が威圧的な視線を向けると、獄卒の小男は「ひいっ」と震えあがって立ち去っていった。
「さて……貴様は異国の魔法士という話であったが……いったい、何のために帝国の領土に踏み入ったのだ?」
不気味にくぐもった声音で問いかけられたステラは、お地蔵様のような面持ちで「はい」と答えた。
「わたしは『破戒物』というモンスターとの戦いで、この世界に弾き飛ばされてしまったのです」
「ふん……それでどうして、魔女などに加担することになったのだ?」
「わたしの使命は、困っている人を助けることなのです。魔女さんたちはとても困っているようでしたので、協力することになりました」
「それが仲間割れをして、魔女どもを殲滅か。……実に、浅はかな策略だな」
仮面の男は、感情の欠落した声音で言い捨てた。
「どうせ貴様は、公女エリシュカと共謀しているのであろう。何かよからぬ真似をするために、この神聖なる公都にまで連れ込まれたというわけだな」
「いえいえ。わたしはあの金髪クソ女のせいで捕らわれの身となってしまったのです。かなうことならば、耳の穴に手を突っ込んで奥歯をガタガタいわせてやりたいぐらいでございます」
「何でもかまわん。貴様には、消えてもらう」
仮面の男が右手をかざすと、手の平の上にぼうっと小さな火の玉が浮かびあがる。
ステラはお地蔵様のように細めた目でこっそりその姿をうかがっていたが――仮面の男は、その火の玉を自分の足もとに叩きつけた。
火の玉をくらった床の一部が、炎のような真紅に染まる。
それと同時に、ステラの座していた床がぱっくりと二つに割れた。
「あ~れ~」と気の抜けた声をあげながら、ステラの身は暗闇の底に落ちていく。
二つに割れた床は音もなく口を閉ざし、仮面の男は赤黒いマントをひるがえして立ち去った。
いっぽう、落とし穴の罠にハマったステラである。
ステラが暗闇の中を落下しながら腕を振りかざすと、どこからともなく魔法のステッキが出現して、手首を拘束する鉄枷が消え失せた。
「アルスヴィズ・レジェロ!」の呪文およびピアノの旋律とともに魔法のホウキが出現して、ステラはその柄をひっつかむ。
そしてさらに「ヘイムダル・アダージョ!」と唱えると、ゆるやかなフルートの音色とともに輝かしい光の玉が出現して、ホウキの柄の先端にひっついた。
「あー、びっくりした。まさか、こんなワナが仕掛けられてるとはねー」
光の玉に照らされながら、ステラはひょいっとホウキの上に座り込む。
その背中から這い出たジェジェが、肩の上で本来の姿を取り戻した。
「ここは天然の鍾乳洞のようだね。地下牢の囚人を秘密裡に処刑するために設計されたのかな」
「うんうん。こんな高さから落とされたら、普通は助からないもんねー」
その落とし穴は十メートルほどの深さであり、ステラはちょうど真ん中の辺りで浮遊している格好である。周囲はごつごつとした岩盤で、天井だけが鉄板でふさがれていた。
「さてさて、これからどうしよっか? 日が暮れるまで待機の予定だったのに、ここじゃ昼か夜かもわからないよねー」
「それよりも、エリシュカの考えは敵方に筒抜けであるようだよ。もう見切りをつけて、手を引くべきじゃないかな?」
「エリシュカさんだったら、きっと大丈夫さ! わたしはわたしの使命をやりとげるだけだよ!」
そう言って、ステラはにぱっと笑った。
「それに、作戦が失敗したら逃げることになるんだろうから、どっちみち妹さんは助けておかなきゃでしょ! よーし、まずはここから出ないとねー! どこかに出口はあるかなー?」
鼻歌まじりに、ステラは魔法のホウキを急降下させる。
そんなさなか、ジェジェが「あのさ」と声をあげた。
「さっきキミはこんな高さから落ちたら助からないと言っていたけれど、風の魔法が使えればどうとでもできるよね」
「おー、確かに! と、いうことは?」
「そんな人間でも確実に始末できる手立てが講じられているだろうね」
ステラたちは、あっという間に暗闇の奥底に到着した。
そこは広々とした鍾乳洞であり、底には地下水が溜められている。その水底のあちこちに、赤い輝きが灯された。
ステラは「うひゃー」と驚嘆の声をあげる。
その赤い輝きは、生ける屍グールの眼光であったのだ。何十体ものグールが水しぶきをあげながら身を起こし、飢餓に狂った眼光を空中のステラへと突きつけた。
「これは、処刑された囚人たちの成れの果てかな? 古い個体はほとんど骨になっているから、ずいぶんな歴史が積み重ねられているようだね」
「うえー、気持ち悪い! でもでも、空を飛んでれば安全だね!」
「それはどうだろう?」というジェジェの言葉とともに、グールの群れが奇怪な動きを見せた。宙に浮かぶ魔法のホウキの足もとで、何十体ものグールが寄り集まり始めたのだ。
後続のグールが遠慮なく押し寄せるため、中央のグールたちの身はぐしゃぐしゃと押し潰されていく。
腐った肉と骨が絡み合い、ひとつの巨大な屍の塊となっていき――やがてそれは不気味な粘土細工のように、体長五メートルはあろうかという巨人の姿に成り果てた。
融合したグールもところどころで原型を保っているため、あちこちから手足や肋骨や臓物が垂れ下がっている。そして、人数分の赤い目が爛々と燃えさかった。
「これで、安全ではなくなったみたいだね」
「もー! カンベンしてってばー!」
そうしてステラは魔法のホウキを旋回させて、屍の巨人と不毛な鬼ごっこに興ずることに相成ったのだった。




