03 出陣
「さぁて。それじゃあ、こっちも出陣だねぇ」
そのように声をあげたのは、魔女の束ね役たるミルヴァであった。
その頭上には、スカイブルーの魔法陣が天使の輪のように輝いている。今度はミルヴァが、ステラから魔法の力を借り受けることになったのだ。
場所は、もともとの隠れ家であった森の背面である。
森の火は、バルツァード公国軍が立ち去った時点で消し止められている。もはやこの地には二度と戻らない覚悟であったが、さりとて罪なき森を焼き尽くすつもりはなかった。
「でもさ、本気であの女を信用するつもり?」
百名に及ぶ魔女の一団から、モンスター使いのラダが不満げな声をあげる。
ミルヴァは皮肉っぽい横目で、そちらをねめつけた。
「あの女ってのは、どっちのことさ? ふざけた水色頭かい? それとも金髪のお姫さんかい?」
「どっちもだよ! 失敗したら、あたしらは公都のど真ん中で兵士どもに囲まれることになるんだからね!」
「それが嫌ならここに残って、好きに生きるがいいさ。あたしの酔狂につきあう義理なんざ、どこにも存在しないんだからねぇ」
「……あたしらは、みんなミルヴァに救われた身じゃん」
ラダが子供っぽく口をとがらせると、ミルヴァはくつくつと咽喉で笑った。
「あたしはこの森にかくまっただけで、あとはあんたたちが自力で生き延びたんだよ。あんたたちはようやく帝国の支配から逃れたんだから、あたしなんざに支配される必要はないさぁ」
「だからって、あんたのことを見殺しにはできないでしょ」
ラダが憤慨すると、リューリがおずおずと声をあげた。
「き、きっと大丈夫です。ステラさんは、すごい力を持っていますし……困っている人を助けるのが使命だと言っていましたから……いざとなったら、みなさんのことも助けてくれるはずです」
「ふん! あんただって、あの水色頭と出会ったばかりなんでしょ? それでどうして、そんな風に信用できるのさ?」
「それは、わたしもステラさんに救われた身だからです。わたしもあのエリシュカ様と同様に、怪物を生みだしてしまった身ですので……」
周囲の魔女たちはどよめいたが、ミルヴァは「ふふん」と鼻を鳴らした。
「やっぱり、そういうことだったのかい。あんたもあの金髪女と、同じ目つきをしてやがるもんねぇ」
「そ、そうなんですか? 自分ではわからないのですけれど……」
「ふふん。生まれたての赤ん坊みたいに、目を輝かせやがってさ。いけ好かないったらありゃしないよ」
ミルヴァは妖艶なる微笑でリューリを恐縮させてから、周囲の魔女たちを見回した。
「何にせよ、あたしには力が足りてないってことを思い知らされた。クソッタレの帝国をぶっ潰すには、公女でも何でも利用するしかないってことさぁ」
魔女たちは、真剣そのものの面持ちでミルヴァの姿を見返している。
それらの眼差しを悠然と受け止めながら、ミルヴァはさらに言いつのった。
「あたしの目的は、なんにも変わっちゃいない。馬鹿なあたしについてくるかは、あんたたちの自由だよ。つきあってもいいっていう馬鹿だけ、このふざけたシロモノに乗り込みなぁ」
ミルヴァが指し示す方向には、八本脚の黒馬に繋がれた馬車が鎮座ましましている。馬車は貴族が乗るような豪奢な造りで、外見上はほどほどの大きさであったが、魔法の力で百名が乗り込めるように細工がされているという。これはステラの魔法、『スレイプニル・アッラ・マルチャ』であり、その姿は百名の魔女ともども『バルドル・ペルデーンドシ』の魔法である光の球体の中に隠されていた。
まずはミルヴァが馬車に乗り込むと、リューリが身を縮めながら追いかけようとする。すると、ラダの手がその襟首をひっつかんだ。
「あのさ、あんたは仲間づらしてるけど、水色頭の手下でしょ?」
「は、はい。でも……」
「そんなやつに先を越されたら、あたしらの面子が立たないんだよ」
ラダはべーっと舌を出してから、リューリを押しのけて馬車に乗り込んだ。
すると、残りの魔女たちも粛々と続いていく。リューリは嬉しそうに目を細めつつ、最後に馬車へと乗り込んだ。
馬車の内部は広々としていて、百名の人間が乗り込んでも窮屈なことはない。
足もとには立派な絨毯が敷きつめられており、あちこちに革張りの長椅子や瀟洒な円卓が配置されている。さらに天井には豪奢なシャンデリアが下げられて、まるで宮殿の一室のような絢爛さだ。そして、四方の壁には大きな窓が設えられており、外界の様子を不自由なく見回すことができた。
「けっきょく、全員ついてくるのかい。まったく、酔狂な連中だねぇ」
前側の窓を背後に取ったミルヴァは、にんまりと笑いながら右腕を振りかざした。
「あとで泣き言をほざくんじゃないよ? ……それじゃあ、出陣だ」
ミルヴァの頭上でスカイブルーの魔法陣が輝き、八本脚の黒馬が雷鳴のようないななきをあげる。そうして次の瞬間には百名を乗せた馬車もろとも、天の高みに駆けあがった。
風の魔法による飛行を体験したことのない魔女たちは、子供のように驚嘆の声をあげている。
なおかつ、風の魔法の使い手たちも、驚きと無縁ではいられなかった。飛行の魔法では自分の身を浮かせるのが精一杯であり、百名もの人間を乗せた馬車が宙に浮かぶなど通常では考えられない事態であったのだ。
ものの数秒で広大なる森の頭上を駆け抜けた黒馬と馬車は、さらなる勢いで天空を疾走していく。
するとすぐさま、足もとに二艘の軍船が見えてきた。
「おっと、ちっとは加減しなよ。あんまり近づくと、音や気配でバレかねないって話だったからねぇ」
ミルヴァがそんなつぶやきをもらすと頭上の魔法陣がちかちかと瞬き、黒馬の速度が減じられる。そのさまに、リューリが感嘆の声をあげた。
「ミ、ミルヴァさんは、ステラさんの魔法を自由に使いこなせるんですね。わたしなんて、なんにもできなかったのに……」
「あんたは自分の魔法すら制御できないんだから、当たり前の話でしょうよ」
そんな風に応じてから、ミルヴァは皮肉っぽい眼差しを頭上に向けた。
「しかしこいつは、とんでもない魔法だねぇ。なんていうか……天を覆いつくす大巨人の小指でもつまんでるような気分だよ」
「何それ? 意味わかんないんだけど」
ふかふかの長椅子に腰をうずめたラダが文句をつけると、ミルヴァは嫣然と肩をすくめた。
「あたしらは、世界に満ちた精霊の力を借りて魔法を使ってる。だけどこいつは、空の上から降り注ぐ魔力を受け止めてるような感覚なんだよ。宇宙の力がどうのっていう御託も、まんざらデタラメでもなかったのかもねぇ」
「宇宙って、空の果てのことでしょ? そんなもん、想像もつかないよ」
「あたしらが立ってるこの大地も、空に浮かんでる星のひとつに過ぎないって説があるんだよ。つまり、あたしたちは星の力で魔法を使ってるけど、水色頭はそんな星が無数に浮かぶ宇宙の力を使ってるってことさぁ」
「だから、想像がつかないってば。……あいつがバケモンだってことは、理解してるつもりだけどさ」
「ああ。あいつがその気になったら、帝国だってひとひねりなんだろうねぇ。……でも、そんな尻馬に乗っかったって、なんにも面白いことはないさ」
そう言って、ミルヴァは黒い瞳に情念の火を燃やした。
「だからあたしらは、あいつの力を利用して帝国をぶっ潰す。皇帝だか何だかは、この手で玉座から引きずりおろさないと気がすまないからねぇ」
「そうだそうだ!」と、魔女の一団から賛同の声があげられる。
その勢いに、リューリは思わず身を縮めてしまったが――しかし、恐怖は感じていなかった。
(この人たちは、『破戒物』っていうものを退治されたわけじゃないのに……何だかもう、恨みの気持ちを忘れちゃってるみたい)
そこに満ちているのは怨念ではなく、理想を成し遂げようとする情念の炎である。
もしかしたら彼女たちはステラの途方もない力を見せつけられたことで、帝国の打倒も夢ではないという希望を手にしたのかもしれなかった。




