02 虜囚
2026.1/1
・明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
「見よ! 火の手があがったぞ!」
魔女の森の手前で布陣を敷いていた兵士たちの中から、驚きの声があげられた。
森の中央から、黒煙がのぼり始めたのだ。そして、そこから生まれた紅蓮の炎が、じわじわと森に燃え広がっていった。
「これは、如何なることだ? 姫様は、いったい……」
公女エリシュカに代わって軍を統率していた副官のマロシュは、憔悴しきった面持ちで歯噛みをする。灰色の髪を武人らしく短く整えた、初老の武官である。その茶色の瞳が、やがて安堵の光を浮かべた。
「姫様! ご無事であられましたか!」
「うむ。いらぬ心配をかけてしまったな」
森の中から、エリシュカが颯爽とした足取りで姿を現す。
エリシュカはその手に鉄鎖を握っており、それはステラの両手首を拘束する鉄枷に繋げられていた。
「そやつは先刻の、あやしげな魔法士ですな。これは、如何なる状況で?」
「こやつは魔女どもに加担する、異国の魔法士であった。しかし、こやつと魔女どもが諍いを起こして、同士討ちを始めたのだ」
凛然とした面持ちで、エリシュカはそう言い放った。
「結果、魔女どもはすべて息絶え、こやつは魔力を使い果たすことになった。浅ましき魔女どもには、相応の末路であったな」
「ひゃ、百名の魔女どもを、こやつがひとりで殲滅したと申すのですか?」
マロシュは愕然とした面持ちで、腰の長剣を引き抜いた。
「こやつは、危険です! すぐさま、処断いたしましょう!」
「案ずるな。魔力を使い果たしたこやつは、三日間ほど如何なる魔法も使えぬという話であるのだ」
その言葉に、マロシュは小首を傾げた。
「おのれの限界を超える魔法を駆使したならば、しばしの休息が必要となるのは道理でありましょう。しかし、三日も魔法が使えなくなるなどという例は、聞いた覚えがございませんな」
「こやつは異国の手管でもって、それだけ大がかりな魔法を行使したということだ。その力の凄まじさは、我々が味わった通りだな」
そう言って、エリシュカは傲然とステラを見下ろす。ステラは目を閉ざし、お地蔵様のように取りすました顔であった。
「た、確かにこやつは、得体の知れない術式を使っておりましたな。先刻などは姫様が黒き竜に変じたように見えたのですが、あれはいったい……?」
「あれは人間に魔物を憑依させて、自らの配下とする手管であったのだ。しかし私は心を支配しようとする魔法にあらがい、こやつを討ち倒そうとした。それでも力及ばなかったため、捕虜の身となり反撃の隙をうかがっていたのだ」
マロシュはいっそう難しげな面持ちで、「なるほど」と考え込んだ。
「それは確かに、恐るべき手管ですな。なおさら、この場で処断するべきでありましょう」
「否。異国の術式を我が物にできれば、公国バルツァードの安寧もいよいよ盤石となろう。よって、こやつは公都まで連行する」
「こ、このように危険な魔法士を、公都に?」
「うむ。大公殿下が無用と判ずれば、その場で処断されることになろう。三日間は安全なので、案ずる必要はない」
そうしてエリシュカは、兵士たちに向かって腕を振りかざした。
「それでは全軍、帰還する! 速やかに出立の準備を整えよ!」
「お、お待ちください。その前に、魔女どもの亡骸を確認しなければ……」
部隊長のひとりがおずおずと進言すると、エリシュカは「ほう?」と冷徹な視線を向けた。
「百名からの魔女は、残らず死に絶えた。この私の言葉を疑おうという心づもりか?」
「い、いえ。ですが、大公殿下からも確実に殲滅せよという勅命が下されておりますし……」
「その勅命を拝命したのは、私だ。もしも生きのびた魔女どもが再び世を騒がすようなことがあれば、私が責任をもってこの首を大公殿下に捧げよう」
エリシュカの静かな気迫に気圧されて、部隊長は引き下がった。
そして、マロシュはどこか満足そうに口もとをほころばせる。
「姫様はこのわずかな時間で、いっそう精悍になられましたな。やはり死地こそが、人の心根を磨くのでしょう」
「……兵士たちの前であるぞ、副官マロシュよ」
「これは失礼いたしました、公女殿下。それでは、出立の準備を整えます」
そうして二千名で編成されたバルツァード公国軍は、撤収の準備を開始することになった。
まだ雷撃の痛手が残されている兵士たちは、ふらつく足取りで巨大な軍船に乗り込んでいく。そんな中、ステラはエリシュカ自身の手で連行された。
跳ね橋を渡り、飾り気のない通路を踏み越えて、ステラとエリシュカは船倉へと向かう。船倉はいくつかのブロックに分けられており、エリシュカが選んだのは往路で役目を終えた一室であった。
「私はこちらで捕虜の尋問をする。準備が整い次第、出航せよ」
マロシュにそのように命じてから、エリシュカはステラの身を船倉に押し込んだ。
その一室には、空になった木箱や樽などが所狭しと押し込められている。船倉であるので窓はなく、出入り口は扉ひとつだ。
エリシュカはその扉に魔法陣を描いて結界の魔法を施してから、ステラとともに腰を落ち着けた。
「これでしばらくは、余人の耳をはばかる必要もない。ステラ殿の尽力に、心よりの感謝を捧げる」
「ううん。じーっとしてるだけだったから、楽ちんだったよー」
お地蔵様のような無表情を取りやめて、ステラはにぱっと笑った。
すると、どこからともなくジェジェの声も響きわたる。
「それで、ボクはいつまでこの窮屈さに耐え忍ばないといけないのかな?」
「公都までは、軍船で丸一日の道程となる。しかし、私が同席している間は、楽にしてもらいたい」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」と、ステラの背中から青くて平べったいものが這い出ようとする。ステラは、「うひゃひゃ」と笑い声をあげた。
「ジェジェ、くすぐったいよー。そんなもぞもぞ動かないでってば」
「ボクだって、好きでこんな場所にひそんでいたわけじゃないよ。すべては、キミたちの都合だろう?」
ステラの背中から這い出した物体は肩の上でぷるぷるとスライムのように蠢きながら、やがてウサギのぬいぐるみめいた姿を取り戻した。
「とりあえず、上手くいったみたいだねー! これでわたしも、正面から公都って場所に入り込めるよ!」
ステラの元気な言葉に、エリシュカは「うむ……」と心配げな顔をする。
「ステラ殿のおかげで、魔女たちを殲滅したという報告にも真実味を持たせられたように思う。しかし、ステラ殿が捕虜として公都に乗り込むというのは、あまりに危険ではなかろうか?」
「えー? でもでも、エリシュカさんだってわたしを公都って場所にお招きしたかったんでしょ?」
「それは魔女たちと同様に、決起の瞬間に乗り込んでいただきたかったのだ。大公たちの前に姿を見せるというのは、あまりに危険な行いであろう」
「いいんだよー! もし大公さんたちが『破戒』するようだったら、それが一番手っ取り早いしねー!」
ステラの言葉に、エリシュカは「うむ?」と小首を傾げた。
「それはつまり、大公たちが私のように怪物を生みだし……その末に、改心するということであろうか?」
「うん! 家族と争わずにすんだら、エリシュカさんも嬉しいでしょ?」
「ステラ殿のお気遣いには感謝の言葉もないが……しかし、あやつらが世界の滅びを望むとは思えんし……あやつらが改心する姿など、想像することもできんな」
そう言って、エリシュカは切なげに溜息をついた。
「まがりなりにも肉親に対してこのような言葉を吐くのは忸怩たる思いであるのだが、あやつらはケダモノが人間の皮をかぶっているようなものであるのだ。きっとあやつらはどのような窮地に陥ろうとも絶望することなく、意地汚く生きのびようとあがき続けることだろう」
「あはは! まあ、『破戒』の見込みがなさそうだったら何もちょっかいはかけないし、その後はエリシュカさんの作戦通りに動くからさ! とにかくわたしは、希望を捨てずに頑張りたいんだよー!」
ステラはあくまで、あっけらかんとしている。
しかしその瞳に渦巻くのは、星のように明るいきらめきだ。そのきらめきに不安の思いを蹴散らされたかのように、エリシュカは「そうか」と首肯した。
「ステラ殿の覚悟と誠心に、心よりの敬意と感謝を捧げる。それでも大公らとの接見で得るものはなかろうから、どうか手はず通りにお願いしたい」
「うん! それじゃーその作戦を、もういっぺんおさらいしてもらえるかなー?」
「うむ。我々が今回の任務から凱旋した折には、祝賀の宴が開かれる予定になっている。その間隙を突いて、私は大公と第一公子を捕縛する算段であるのだ」
凛然とした面持ちで、エリシュカはそう言った。
「同志たる第二公子が準備を進めているはずだが、問題となるのは兵舎に待機している大公らの親衛隊だ。魔女の一団には、そちらの制圧をお願いしている」
「ふむふむ。それでわたしは、妹さんを助けてあげればいいんだね?」
「うむ。妹を人質に取られてしまっては、私も身動きが取れなくなってしまうのでな。しかし、妹は塔の最上階に幽閉されているので、普通であれば近づくこともままならぬのだが……」
「それは、だいじょーぶ! どんな高い場所でも、魔法のホウキでひとっとびだから! 光の魔法で、姿も隠せるしねー!」
「うむ。ステラ殿の協力を得られて、本当に得難く思っている。私は自らの命を惜しむつもりはないが……妹だけは、幸福な生を全うしてもらいたいのだ」
エリシュカが切迫した目つきになると、ステラはいっそう朗らかに笑った。
「エリシュカさんは妹さんが心配で、『破戒』しちゃったんだもんねー! そんなに家族を大切に思えるって、素敵なことだよ!」
「うむ……私が任務に失敗したならば、妹は下衆な貴族の慰み者として献上されると言い渡されていた。そんな運命を享受するぐらいなら、世界そのものを滅ぼしたほうがよほど安楽だ……という妄念に見舞われてしまったのだ」
そう言って、エリシュカはいくぶん気恥ずかしそうに微笑んだ。
「しかし、ステラ殿のおかげでそんな妄念からも解放された。今後はどのような窮地に陥ろうとも、絶望せずに運命を切り開いてみせよう」
「うん、頑張ってね! わたしも、めいっぱい応援するからさ!」
ステラはあくまで、無邪気な笑顔である。
それにつられたように、エリシュカも「うむ」と澄みわたった微笑をたたえた。




