第8話 魔境BBQ大会!
「ごちそうさまでしたぁぁぁッ!!」
中庭に、野太い絶叫が響き渡った。
三十匹のウェアウルフたちが、一斉に空になった皿を掲げ、地面に額をこすりつけている。
彼らの瞳は涙で潤み、その表情はまるで悟りを開いた僧侶のように穏やかだった。
つい先刻まで殺気立っていた魔獣とは思えない。
「お粗末さまでした。骨までしゃぶり尽くしてくれて、料理人冥利に尽きるわ」
私は満足げに頷いた。
結局、彼らは私の作った串焼きの残りと、急遽追加で焼いた野菜串を全て平らげた。
アイアンウッドの串に残ったタレまで舐め取る勢いだった。
『アリス様……この御恩は一生忘れません。我ら牙狼族、今日より貴女様を「飯の親」と崇めます』
「親というか、ただの通りすがりのキャンパーよ」
私が苦笑していると、背後でレオナルド様が腕を組んで鼻を鳴らした。
「おい犬っころ共。腹が満ちたならさっさと消えろ。アリスは俺の番だ。これ以上近づくと焼くぞ」
彼の全身から、赤黒い闘気が立ち昇る。
竜の威圧。
生物としての格の違いを見せつけられ、ウェアウルフたちは「ヒィッ!」と悲鳴を上げて森へ逃げ帰っていった。
「ふん、騒がしい連中だ」
「まあまあ。彼らのおかげで、マンドラゴラ・オニオンの在庫処分ができましたし」
私がレオナルド様を宥めていると、再び森の奥からガサガサと音がした。
今度は一方向からではない。
東の林から、西の岩場から、北の茂みから。
無数の視線を感じる。
「……チッ、まだいやがるのか」
レオナルド様が殺気立つ。
しかし、現れた魔物たちは襲いかかってこなかった。
ゴブリン、オーク、リザードマン、さらには巨大なカマキリのような魔物まで。
彼らは一定の距離を保ち、モジモジとこちらを見ている。
その手には、それぞれ何かが握られていた。
『ア、アノ……』
代表して、身長二メートルはあるオークが恐る恐る進み出てきた。
彼は背中に背負っていた巨大な肉塊を、ドスンと地面に置いた。
『イイ匂イ、シタ。俺タチ、コレ持ッテキタ。焼イテ、クレナイカ?』
置かれたのは、霜降りの見事な牛肉だった。
いや、ただの牛ではない。
切り口から微かに炎のような揺らぎが見える。
『ボルケーノ・バイソン』の肉だ。
火山地帯に生息する猛牛で、その脂は常温でも溶け出すほど融点が低い極上品。
他の魔物たちも、次々と貢ぎ物を差し出した。
巨大なキノコの山。
川で獲れたばかりの銀色の怪魚。
甘い香りを放つ謎の果実。
「……これは」
私の目が輝いた。
食材の宝庫だ。
自分で探しに行く手間が省けるどころか、現地のプロ(魔物)たちが厳選した最高級品が集まってくるなんて。
「レオナルド様! やりましょう!」
「あ? 何をだ」
「『魔境・持ち寄りBBQ大会』です! 彼らが食材を提供し、私が調理する。レオナルド様も、もっと色々な料理が食べたいですよね?」
レオナルド様は一瞬渋い顔をしたが、私の「色々な料理」という言葉にピクリと反応した。
彼の胃袋はすでに私の手中にある。
「……毒見は奴らにさせるんだな?」
「もちろんです。それに、これだけの食材があれば、私の作りたかった『アレ』ができます」
私はバイソンの肉を見てニヤリと笑った。
焼肉屋の王様。
ご飯泥棒の筆頭。
「許可する。ただし、一番美味い部分は俺のものだ」
「交渉成立ですね!」
私は袖をまくり上げ、魔物たちに向かって宣言した。
「いいわよ! みんな、持ってきた食材をこっちに運んで! 今夜は朝まで宴よー!」
『ウオオオオオッ!!』
魔境の森に、歓喜の咆哮がこだました。
◇
日が暮れ、中庭に魔法の明かりを灯す。
焚き火台を三つ追加し、炭火をガンガンに燃やす。
会場の熱気は最高潮だ。
まず取り掛かるのは、オークが持ってきたボルケーノ・バイソンだ。
この肉は脂が濃厚すぎるため、そのまま焼くと少し重い。
そこで登場するのが、地下の宝物庫で見つけた「陶器の壺」だ。
高さ三十センチほどの蓋付きの壺。
これを使って、アレを作る。
「『壺漬け一本カルビ』よ!」
バイソンのバラ肉を、包丁を入れながら長く、長く切り出す。
途中で切断しないように、慎重に蛇腹状の切り込みを入れる。
こうすることでタレが繊維の奥まで染み込み、食感も柔らかくなる。
伸ばせば一メートルにもなる長い肉を、特製のタレに漬け込む。
タレは、醤油ベースにコチュジャン(これも前世の記憶で再現した辛味噌)、すりおろしリンゴ、ハチミツ、そして大量のニンニクとごま油。
甘辛く、濃厚で、中毒性のある味。
これを肉と一緒に壺に入れ、私の魔法『熟成促進』をかける。
本来なら数日寝かせるところを、微弱な熱振動で数分に短縮する。
「よし、染みたわね」
私は壺からトングで肉を引き上げた。
ズルズルズル……と、タレを纏って艶やかに輝く肉が姿を現す。
そのビジュアルだけで、周囲のゴブリンたちが涎で水たまりを作っている。
「いくわよ!」
熱した網の上に、長い肉をとぐろを巻くように乗せる。
ジュワァァァァァッ……!!
濃厚なタレが焦げる音。
脂が炭に落ちて炎が上がるが、それすらも演出だ。
煙と共に立ち昇る、甘くスパイシーな香り。
ニンニクと焦がし醤油、そして脂の甘い匂い。
これは暴力だ。
嗅覚へのテロリズムだ。
「ハサミで切って食べるのが流儀よ」
表面がこんがり焼け、脂がフツフツと沸き立ってきたところで、私はアダマンタイトのキッチンバサミを取り出した。
チョキ、チョキ。
一口サイズに切り分ける。
断面はまだピンク色。
そこをサッと炙り、焼き上がり。
「はい、レオナルド様。あーん」
「……衆目の前だぞ」
レオナルド様は顔を赤らめたが、口は素直に開いた。
私はサンチュ(に似た葉っぱ)に肉とキムチ(風の漬物)を包み、彼の口に放り込んだ。
「むぐっ……!」
咀嚼する。
彼の眉間が快感で歪む。
「……濃い。だが、それがいい。噛んだ瞬間に肉の繊維が解け、タレの旨味が洪水のように溢れ出す。葉っぱの苦味が脂をリセットし、いくらでも入る」
「でしょう? さあ、みんなも食べて!」
私が合図すると、魔物たちが列をなして網に群がった。
争いは起きない。
レオナルド様が睨んでいるからだ。
彼らは秩序正しく、切り分けられた肉を受け取り、涙を流して食べている。
『ウマイ……コンナ美味イモノ、初メテ……』
『生キテテヨカッタ……』
感動のあまり進化して、オークがハイオークになりかけている気がするが、気にしないでおこう。
次は、魚介料理だ。
リザードマンたちが持ってきた、巨大な川魚『リヴァイアサン・トラウト』と、湖のイカ『クラーケン・スクイッド』。
これらは臭みが出やすいが、私の火力なら問題ない。
使うのは、宝物庫にあった直径一メートルの巨大パエリア鍋……の代用としての浅鍋。
ここに、オリーブオイルをなみなみと注ぐ。
ボトル十本分は入れただろうか。
そこに、包丁の腹で潰したニンニクを五十片、鷹の爪を鷲掴みで投入。
弱火でじっくり香りを出す。
「魔境風、具沢山アヒージョ!」
一口大に切ったトラウトとイカ、そして森で採れたエリンギのようなキノコを、煮えたぎるオイルの中に投入する。
グツグツグツグツ……!
オイルの中で食材が踊る。
魚の水分が抜け、代わりにニンニクの香りを吸い込んだオイルが染み込んでいく。
揚げ物とは違う、オイル煮の世界。
「パンも焼いたわよ!」
即席のバゲットを薄く切り、炭火で軽く炙る。
それを、アヒージョのオイルに浸す。
ジュワッ。
パンがオイルを吸って、黄金色のスポンジになる。
その上に、ホロホロに崩れるトラウトの身と、プリプリのイカを乗せて食べる。
「熱っ! ……でも、んん〜〜っ!」
私はハフハフと息を吐きながら身悶えた。
魚の旨味が溶け出したオイルが、パンに染みて最高に罪深い味がする。
トラウトは川魚特有の臭みゼロ。
ふっくらとした白身が、ニンニクオイルと絡んで至高の味わいだ。
「レオナルド様、これもどうぞ」
「……お前、俺を太らせて食うつもりか?」
「竜って太るんですか?」
「比喩だ。だが、止まらん」
レオナルド様はバゲットをオイルに浸し、次々と口に運んでいる。
お酒が進む味だ。
魔物たちが持ってきた謎の木の実の酒も、アヒージョにはよく合う。
宴は深夜まで続いた。
魔物たちは持参した食材が極上の料理に変わる魔法に酔いしれ、踊り出した。
ゴブリンが即興で太鼓を叩き、ウェアウルフが遠吠えでコーラスを入れる。
なんてカオスで、なんて楽しい空間だろう。
「アリス」
ふと、レオナルド様に呼ばれた。
彼は少し離れた岩場に座り、夜空を見上げていた。
手にはワイングラス。
月明かりに照らされた横顔が、絵画のように美しい。
「はい?」
「……礼を言う」
「お礼なんて。私が好きでやってることですし」
「いや、飯のことだけじゃない」
彼は視線を私に向けた。
金色の瞳が、焚き火の反射で優しく揺れている。
「この城は、ずっと静かすぎた。俺は強すぎて、誰も近づかない。部下たちも俺を恐れて遠巻きにするだけだった。……こんなふうに、誰かと火を囲んで笑い合うなど、数百年ぶりだ」
彼の声には、長い時を孤独に過ごしてきた王者の哀愁が滲んでいた。
最強であるがゆえの孤独。
それを、ただの焼肉が壊してしまったのだ。
「……賑やかなのは、お嫌いですか?」
「悪くはない。お前がいるならな」
彼はさらりと言って、グラスを傾けた。
私は顔が熱くなるのを感じた。
焚き火のせいだけじゃない。
このドラゴン公爵様、天然でたらし込んでくるから困る。
「じゃあ、これからも賑やかにしましょう。私、まだ作りたい料理がたくさんあるんです。ピザ窯も作りたいし、燻製小屋も建てたいし」
「ああ、全部作れ。この魔境全土を、お前の厨房にしていい」
「ふふ、じゃあレオナルド様は毒見役ですね」
「望むところだ」
私たちは顔を見合わせて笑った。
足元では、酔っ払ったゴブリンが幸せそうに寝息を立てている。
平和だ。
ここが「死の魔境」だなんて、誰も信じないだろう。
その時だった。
宴の喧騒を切り裂くように、上空から一羽の鳥が舞い降りてきた。
真っ白な鳩だ。
足には、王家の紋章が入った筒が括り付けられている。
伝書鳩だ。
「……王家から?」
私は眉をひそめた。
こんな魔境の奥地まで、よく届いたものだ。
よほど強力な追跡魔法がかけられていたのだろう。
レオナルド様がスッと目を細め、空気が冷たくなる。
「あのクズ王子か」
「開けてみますね」
私は鳩から筒を外し、中の手紙を取り出した。
羊皮紙には、見覚えのある乱雑な筆跡で、こう書かれていた。
『アリスへ。
魔境での生活はさぞ辛いだろう。寒さと飢えに震えていることと思う。
だが、俺様は慈悲深い。今なら特別に許してやる。
すぐに戻ってきて、王宮の暖炉に火をつけろ。
ただし、正妃の座はミランダのものだ。お前は側室……いや、地下室の暖房係として雇ってやる。
感謝して、急いで帰還せよ。
追伸:ミランダが寒いとうるさい。早くしろ』
読み終えた私は、数秒間沈黙した。
そして。
「ぶっ……あははははは!」
堪えきれずに爆笑した。
何これ。
ギャグ?
寒さと飢え?
目の前には山積みのカルビとアヒージョがあるのに?
しかも「暖房係」って。
まだ自分の立場が分かっていないらしい。
「アリス、何と書いてある」
「なんか、寝言が書いてありました。『寒くて死にそうだから助けて〜』って」
「……貸せ」
レオナルド様が手紙をひったくった。
彼は一瞥し、次の瞬間、手紙は彼の手の中で塵となって消滅した。
魔法ではない。
握力と怒りの熱量だけで原子分解したのだ。
「……俺の番を、暖房係だと?」
低い、地獄の底から響くような声。
周囲の魔物たちが一斉に震え上がり、音楽が止まった。
気温が急激に下がる……いや、これは彼の殺気だ。
レオナルド様の背後に、巨大な黒竜の幻影が立ち昇る。
「あの虫ケラ、以前から気に入らなかったが……どうやら、俺の逆鱗に触れたいらしいな」
「レ、レオナルド様? 落ち着いてください。ただの紙切れですよ」
「アリス。返事は書かなくていい。代わりに、俺が直接『挨拶』に行ってやる」
彼の目は本気だった。
挨拶(物理)に行く気だ。
国が滅ぶ。
間違いなく滅ぶ。
「ま、待ってください! 行くなら私も行きます! せっかくなら、美味しいお土産(飯テロ)を持って!」
私は慌てて提案した。
彼一人で行かせたら、王都が更地になってしまう。
私が同行して、あくまで「平和的なざまぁ」に留めなければ。
「……ふん。お前が行くなら、少しは手加減してやるか」
彼は少しだけ気を鎮めたようだが、その瞳の奥には冷酷な光が宿ったままだ。
クロード殿下、ご愁傷様。
あなたが呼びつけたのは、暖房係ではなく、世界を滅ぼせる魔王と、その胃袋を握る料理人です。
こうして、私たちの「王都への里帰り(殴り込み)」が決まった。
魔境BBQ大会は、これから始まる「王国炎上祭」の前夜祭に過ぎなかったのだ。




