第4話 魔王城大改革! 朝の目覚めは厚切りベーコンエッグと共に
石造りの天井を見上げて、私は瞬きをした。
ひんやりとした空気が頬を撫でる。
カーテンのない窓からは、魔境特有の紫がかった朝陽が差し込んでいた。
「……あ、そうだった。私、魔王城に就職したんだった」
寝ぼけた頭で現状を把握する。
昨晩は唐揚げ祭りの後、レオナルド様に案内された客室で泥のように眠ってしまった。
ベッドだけは最高級の羽毛布団だったおかげで、背中の痛みはない。
しかし、部屋の隅には綿埃がコロコロと転がり、壁には古びたタペストリーが今にも崩れ落ちそうにぶら下がっている。
「まずは、生活環境の整備ね」
私はベッドから跳ね起きた。
前世からの性分で、汚い部屋にいると落ち着かないのだ。
それに、美味しい料理は清潔な空間から生まれる。
これは料理人の鉄則である。
私は窓を大きく開け放った。
冷涼な風が吹き込み、淀んだ空気を入れ替える。
眼下には、見渡す限りの樹海が広がっていた。
絶景だ。
ここでコーヒーを飲んだら、さぞ美味しいだろう。
「よし、掃除開始!」
私は指先を鳴らした。
発動するのは『神の劫火』の応用編だ。
私の炎は、対象を選んで燃やすことができる。
木材や布を燃やさず、表面に付着した埃やダニ、カビの菌糸だけを焼き尽くす。
名付けて『熱消毒』。
部屋中に極薄の熱波を行き渡らせる。
ジッ、という微かな音と共に、長年の汚れが瞬時に消滅した。
黒ずんでいた床石は本来の白さを取り戻し、曇っていた窓ガラスはクリスタルのような輝きを放つ。
「ふふ、完璧」
この調子で城中をピカピカにしてやろう。
私はエプロンの紐を締め直し、部屋を出た。
廊下を歩きながら、目につく汚れを片っ端から浄化していく。
蜘蛛の巣は一瞬で灰になり、錆びついた手すりは熱で酸化皮膜が剥がれて新品同様に。
私の魔法、本当に便利だわ。
実家では「火遊び」と馬鹿にされていたけれど、家事スキルとしては最強なんじゃないかしら。
大広間を抜けて、厨房へと向かう。
昨晩のうちにここだけは掃除しておいたが、朝の光で見るとまだまだ改善の余地がある。
だが、まずは腹ごしらえだ。
レオナルド様はまだ起きてこない。
今のうちに朝食の準備をしておこう。
「朝はやっぱり、スキレット料理よね」
私は『収納』から愛用の鋳鉄製スキレット(六インチ)を取り出した。
キャンプの朝といえばこれだ。
鉄の蓄熱性を活かした、シンプルかつ豪快な焼き料理。
食材は、昨日の残りのコカトリスの卵。
そして、魔境に来る前に市場で買い込んでおいた「オークキングの燻製ベーコン」だ。
これは普通の豚肉ではない。
魔力を帯びたオークの肉を、桜のチップで一週間じっくり燻した逸品だ。
ブロックの状態で保存してあるので、好きな厚さに切ることができる。
「厚さは……そうね、一センチは欲しいわね」
ナイフを入れる。
ずっしりとした手応え。
断面は鮮やかな赤と白のストライプ。
燻製の芳醇な香りが鼻をくすぐる。
かまどに炭を組む。
私の魔法で一瞬で熾火を作る。
五徳の上にスキレットを置き、プレヒート(予熱)を開始する。
白い煙がうっすらと立ち上るまで熱するのがポイントだ。
鋳鉄のフライパンは、十分に熱しておかないと食材がくっついてしまう。
「いい熱さね」
私は油を敷かず、そのままベーコンを投入した。
ジュウウウウウゥッ……!
小気味よい音が厨房に響く。
ベーコン自身の持つ脂が溶け出し、鉄鍋の上で踊り出す。
脂が透明になり、赤身の部分がカリッとしてくるまでじっくりと焼く。
焦げ目がつくかつかないかのギリギリのライン。
ここだ。
ベーコンを端に寄せ、溶け出した黄金色の脂の海を作る。
そこに、コカトリスの卵を割り入れる。
パカッ。
ボトッ、ジュワワワワッ!
白身の縁が、高温の脂で揚げ焼きになり、レースのようにチリチリと泡立つ。
黄身はぷっくりと盛り上がり、鮮やかなオレンジ色をしている。
「フライドエッグ」だ。
目玉焼きには二種類ある。
水を入れて蒸し焼きにするしっとりタイプと、多めの油でカリッと焼くクリスピータイプ。
BBQやキャンプなら、断然クリスピータイプが正解だ。
香ばしさが違う。
白身のカリカリ感と、黄身のとろりとした濃厚さのコントラストを楽しむのだ。
仕上げに、空いたスペースにスライスしたライ麦パンを放り込む。
ベーコンの旨味をたっぷりと吸った脂で、パンをトーストするのだ。
これを「背徳のトースト」と呼んでいる。
カロリーなど気にしてはいけない。
朝だから大丈夫、という謎の理論で自分を納得させる。
最後に粗挽きの黒胡椒をパラリ。
完成だ。
「……ん」
背後で気配がした。
振り向くと、厨房の入り口にレオナルド様が立っていた。
寝癖で黒髪が爆発し、不機嫌そうに目を細めている。
上半身は裸だ。
相変わらず素晴らしい筋肉だが、今の彼は覇気がない。
「おはようございます、レオナルド様」
「……ああ。いい匂いがして目が覚めた。……眩しい」
「朝ですからね」
彼はのっそりとテーブルにつき、頬杖をついた。
どうやら低血圧らしい。
魔境の支配者にも弱点はあるようだ。
「朝ごはんです。熱いうちにどうぞ」
私は木製の鍋敷きの上に、熱々のスキレットを直接置いた。
ジュウジュウという音はまだ続いている。
その音が、レオナルド様の眠気を刺激したらしい。
彼は片目を開け、スキレットの中身を覗き込んだ。
「……なんだこれは。昨日の肉とは違うな」
「『魔王城特製、厚切りベーコンエッグのスキレット朝食』です」
彼はフォークを手に取り、まずはベーコンを突き刺した。
そのまま口へ運ぶ。
カリッ、ジュワッ。
「……ッ!」
レオナルド様の目がカッ! と見開かれた。
覚醒したようだ。
「美味い……! なんだこの塩気と、鼻に抜ける煙の香りは!」
「燻製ベーコンです。炭火で炙ったので、香りが倍増しているんですよ」
ベーコンの塩気は強烈だ。
だからこそ、淡白な卵との相性が抜群なのだ。
彼は次に、半熟の黄身にナイフを入れた。
とろり、とオレンジ色のソースが流れ出し、カリカリに焼けた白身とベーコンに絡みつく。
それをパンに乗せて、一気に頬張る。
「むぐっ……!」
言葉にならない呻き声。
カリカリのパン、ジューシーなベーコン、濃厚な黄身。
それらが口の中で渾然一体となり、暴力的なまでの旨味ラッシュを引き起こす。
「パンが……肉の味がするぞ!?」
「ベーコンの脂を吸わせましたからね」
「天才か……! お前はやはり天才なのか!?」
レオナルド様は猛烈な勢いで食べ始めた。
さっきまでの不機嫌さはどこへやら。
フォークが止まらない。
合間に、私が淹れたてのコーヒーを差し出す。
酸味を抑え、深煎りの豆を使った苦味の強いコーヒーだ。
脂っぽくなった口の中を、ビターな香りがリセットする。
「はぁ……生き返る……」
あっという間に完食し、彼はコーヒーを啜りながら満足げに息を吐いた。
「アリス。俺は数百年生きているが、朝に飯を食ったのは初めてだ」
「えっ、そうなんですか?」
「竜は一度食えば数ヶ月は持つからな。だが……こんなに美味いものなら、毎日でも食いたい」
彼は真剣な眼差しで私を見つめた。
「毎日作れ。三食だ。いや、おやつも入れて四食でもいい」
「ふふ、材料がある限りは作りますよ。あ、そういえば」
私は城の現状について切り出した。
「このお城、少し汚れていますよね。勝手ながら掃除させていただいてもよろしいですか?」
「ああ、好きにしろ。俺は住めれば何でもいいが」
「ありがとうございます。それと、調理器具や食器が足りません。どこか倉庫のような場所はありますか?」
レオナルド様は少し考え込み、首から下げていた鍵を外して私に投げ渡した。
「地下の宝物庫だ。人間たちが『国宝級』とか呼んで置いていったガラクタが山ほどある。金貨も宝石も魔道具も、好きなだけ使え」
「えっ、宝物庫の鍵を!? こんなあっさりと?」
「俺にとっての宝は、今はお前だけだ。お前が快適に過ごせるなら、城ごと燃やして建て直しても構わん」
さらりと重いことを言う。
竜族の求愛行動はスケールが大きすぎて、いまいち現実味がない。
私は「あはは、冗談がお上手ですね」と軽く流し、鍵を受け取った。
「では、お言葉に甘えて。今日はお城の大掃除と、キッチンのリフォームをします!」
「手伝うことはあるか?」
「いえ、レオナルド様はゆっくりしていてください。……あ、でも」
私は思いついた。
強力な物理攻撃力を持つ彼にしかできない仕事がある。
「昼食は『串焼きBBQ』にしようと思うのですが、ちょうどいい串がないんです。裏の森から、鉄のように硬い『アイアンウッド』の枝を数本、へし折ってきてくれませんか?」
「串か。安い御用だ」
彼はニヤリと笑い、立ち上がった。
その背中には、朝の不機嫌さは微塵もなく、むしろ「昼飯のために働く」という強い意志が感じられた。
彼が森へ向かった後、私は一人で地下へと向かった。
渡された鍵は、ずっしりと重い黒金でできている。
地下階段を降り、巨大な扉の前に立つ。
鍵穴に差し込み、回す。
ゴゴゴゴゴ……。
重苦しい音と共に扉が開く。
その先には、目がくらむような光景が広がっていた。
「うわぁ……」
山積みの金貨。
煌めく宝石の山。
壁一面に飾られた伝説の剣や杖。
だが、私の目はそれらには止まらなかった。
部屋の奥、埃を被った棚に置かれた、一式の道具セットに釘付けになったのだ。
「あれは……ミスリル銀の鍋!? こっちはアダマンタイトの包丁!?」
かつて伝説の勇者パーティが置いていったのだろうか。
錆びず、欠けず、魔力伝導率も最高の、夢の調理器具たち。
さらに、氷結石が埋め込まれた『魔導冷蔵庫』まである。
「すごい……! これがあれば、アイスクリームも作れるし、熟成肉も管理できる!」
私は金貨の山よりも嬉しくて、その場で小躍りした。
これで私の料理ライフはさらに加速する。
待っててね、レオナルド様。
あなたの胃袋、二度と他の料理に戻れないように、徹底的に甘やかしてあげるから!
意気揚々とミスリルの鍋を抱え、私は地上へと戻った。
一方その頃、祖国フレイム王国では、朝になっても寒さが厳しく、薄暗い曇天の下で人々が震え上がっていることを、私はまだ知らなかった。




