第3話 魔王城へご招待? いいえ、拉致です
「行くぞ」
レオナルド様は短く告げると、私の返事も待たずに片腕で私を抱き上げた。
まるで米袋か何かのような扱いだ。
地面が遠ざかる浮遊感に、私は慌てて彼の首にしがみついた。
「ちょ、ちょっと! 荷物がまだそのままです!」
「あ? 面倒だな」
彼は不満げに舌打ちをすると、空いた左手を軽く振った。
すると、私が展開していたテントや焚き火台、クーラーボックスがふわりと浮き上がり、黒い霧のような魔力に包まれて消えてしまった。
私の『収納』とは違う、闇属性の空間魔法らしい。
「後で部屋に届けてやる。しっかり掴まっていろ」
レオナルド様の体が再び光に包まれる。
次の瞬間、私の体は硬い鱗の上に投げ出されていた。
彼は再び、あの巨大な黒竜の姿に戻っていたのだ。
私は背中の突起の間にすっぽりと収まり、振り落とされないように角のような突起を握りしめた。
『舌を噛むなよ』
頭の中に直接響く念話と共に、世界が反転した。
強烈なGが全身にかかる。
黒竜は爆発的な加速で空へと舞い上がった。
「きゃあああああっ!」
悲鳴は風にちぎれて後ろへ吹き飛んでいく。
速い。
ジェットコースターなんて目じゃない。
戦闘機にしがみついているようなものだ。
風圧で目を開けるのもやっとだが、私は魔法で防風の結界を張り、なんとか下界を見下ろした。
そこには、恐ろしくも美しい光景が広がっていた。
紫色の瘴気が漂う樹海。
マグマが川のように流れる火山地帯。
そして、遥か彼方に見える氷の山脈。
人間が「魔境」と恐れるこの場所は、手つかずの大自然そのものだった。
あそこの森にはどんなキノコが生えているだろうか。
あの火山の熱を利用すれば、石窯焼きピザが焼けるのではないか。
あの氷山の氷で作るカキ氷は、さぞ美味しいに違いない。
恐怖よりも先に、食材への探究心が湧いてくるあたり、私も大概だとは思う。
『着くぞ』
数分の飛行の後、前方に巨大な建造物が見えてきた。
切り立った断崖絶壁の上にそびえ立つ、黒曜石で作られた城。
尖塔が天を突き刺し、周囲には雷雲が渦巻いている。
いかにも「ラスボスの居城」という佇まいだ。
黒竜は城のバルコニーのような広いテラスに音もなく着地した。
光が収縮し、再び人間の姿に戻ったレオナルド様が、私を軽々と抱き下ろす。
「ここが俺の城、ドラグニル城だ。今日からここがお前の家だ」
「家……ですか。ずいぶんと……風通しが良さそうですね」
私は城を見上げて、引きつった笑みを浮かべた。
近くで見ると、その荒廃ぶりがよく分かる。
壁にはツタが絡まり放題、窓ガラスは割れている箇所もあり、床には埃が積もっている。
掃除、という概念がここにはないらしい。
使用人はいないのだろうか。
「俺は一人暮らしだからな。部下の魔物たちは森に住まわせている。城に入るにはデカすぎるからな」
「なるほど。……あの、調理場はどこでしょうか?」
まずはそこだ。
生活環境の改善も大事だが、料理ができなければ私は死んでしまう。
「こっちだ」
案内されたのは、城の奥にある広大な厨房……だった場所だ。
かまどは冷え切って蜘蛛の巣が張り、調理台は石造りの頑丈なものだが、長年使われた形跡がない。
唯一あるのは、部屋の隅に山積みにされた生肉の山と、酒樽だけ。
彼は普段、ここで生のまま肉を食らっていたのだろうか。
食文化の欠片もない。
「……やりがいがありそうですね」
私は腕まくりをした。
まずは掃除魔法『浄化』を全力で発動。
部屋中の埃と汚れを一瞬で消し去る。
ピカピカになった調理台を見て、レオナルド様が目を丸くした。
「便利な魔法だな」
「生活の知恵です。さて、レオナルド様。到着祝いに何か作りましょうか。小腹が空きましたよね?」
私が尋ねると、レオナルド様のお腹がグゥと正直に答えた。
先ほどのステーキは、彼にとっては前菜程度だったらしい。
「肉がいい。あと、酒に合うやつだ」
「承知しました。では、最高のおつまみをご用意します」
私は『収納』から食材を取り出した。
今回使うのは、魔境に来る途中で見かけた際に「これは使える」と思って回収しておいた獲物だ。
『コカトリス』。
鶏と蛇が混ざったような魔物で、その肉は地鶏のように弾力があり、噛めば噛むほど味が出る。
石化の毒を持つと言われているが、毒袋さえ綺麗に取り除けば、これほど美味い鶏肉はない。
「作るのは『魔鶏の唐揚げ』です」
私はコカトリスのモモ肉を一口大にカットしていく。
唐揚げの極意は、肉の大きさを揃えること。
火の通りを均一にするためだ。
ボウルに肉を入れ、下味をつける。
すりおろした生姜とニンニクをたっぷりと。
そこに醤油、酒、そして少量の砂糖をもみ込む。
隠し味に、ごま油をひと回し。
このまま一五分ほど漬け込み、味を肉の芯まで浸透させる。
待っている間に、レオナルド様が酒樽からジョッキにエールを注いで待機していた。
「まだか?」
「焦らしもスパイスのうちですよ」
漬け込みが終わったら、衣をつける。
ここが一番のポイントだ。
私は小麦粉と片栗粉を、一対一の黄金比で混ぜ合わせた。
小麦粉は肉の旨味を閉じ込め、片栗粉はカリッとした食感を生み出す。
肉の表面に粉をまぶし、余分な粉をはたき落とす。
薄く、均一に。
粉がダマになっていると、そこだけ油を吸ってベチャッとしてしまう。
鍋に油を注ぎ、加熱する。
使うのは、魔境で採れるナッツから絞った植物油だ。
さっぱりとしていて、揚げ物に最適だ。
油の温度は一六〇度。
まだ低めだ。
「いきますよ」
肉を静かに油へと滑らせる。
シュワァァァ……。
優しい泡が肉を包み込む。
一度にたくさん入れすぎない。
油の温度が下がると、カラッと揚がらないからだ。
今回は「二度揚げ」をする。
最初は低温でじっくりと中まで火を通し、一度取り出して余熱で芯まで熱を伝える。
そして最後に高温で表面をカリッと仕上げる。
これが、外はカリカリ、中はジューシーな唐揚げを作る唯一の正解だ。
肉の色が薄い狐色になったところで、一度バットに引き上げる。
数分休ませた後、油の温度を一九〇度まで上げる。
パチパチと油が弾ける音が鋭くなった。
「仕上げです!」
肉を再び油へ投入。
ジュワアアアアッ!!
激しい音が厨房に響く。
水分が爆発的に蒸発し、衣が硬化していく音だ。
香ばしい醤油とニンニクの香りが、油の匂いと共に立ち上る。
この匂いだけで、ご飯が三杯はいける。
エールを持ったレオナルド様の喉が、ゴクリと鳴ったのが聞こえた。
きつね色が、深い褐色に変わる寸前。
私は網ですくい上げた。
油切れの良い音。
カラン、コロン。
皿の上に山盛りに積んでいく。
文字通りの「唐揚げタワー」だ。
最後に、レモン……に似た酸味のある柑橘「シトロン」を添えて完成。
「お待たせしました。揚げたてをどうぞ」
私が皿をテーブルに置くと、レオナルド様は待ちきれない様子で手を伸ばした。
フォークなど使わない。
指で直接、熱々の唐揚げを摘み上げる。
「熱っ……いや、構わん」
彼はそのまま口に放り込んだ。
カリッ、ザクッ。
素晴らしい音だ。
衣が砕ける音の直後、ハフハフと熱い空気を吐き出す音が続く。
「ッ……!!」
レオナルド様が目を見開く。
口の中で、熱々の肉汁が爆弾のように炸裂したのだ。
コカトリスの強い弾力を歯で断ち切ると、醤油ベースの濃厚な味付けが舌を蹂躙する。
ニンニクと生姜の香りが鼻に抜け、脂の甘みが口いっぱいに広がる。
「なんだこれは……皮はパリパリなのに、中は水風船のように肉汁が詰まっている……!」
「二度揚げの効果です。さあ、そこでエールを流し込んでください」
私が勧めると、彼はジョッキを煽った。
ゴキュッ、ゴキュッ、ゴキュッ、プハァッ!
「くぅぅっ! 合う! 悪魔的に合うぞ!」
脂っこくなった口内を、冷たい炭酸と苦味が洗い流す。
そしてリセットされた舌が、次なる唐揚げを求める。
無限ループだ。
「止まらん……手が勝手に動く……」
最強の竜である彼が、たかが揚げ物に翻弄されている。
次々と唐揚げが消えていく。
タワーがあっという間に解体されていく様は圧巻だ。
「アリス、お前は天才か? それとも魔女か?」
「ただの料理好きですよ。気に入っていただけて光栄です」
私は自分用の唐揚げを一つ摘み、かじりついた。
うん、完璧。
サクサクの衣と、プリプリの肉。
これぞ唐揚げ。
これぞ家庭の味。
公爵家では「庶民の食べ物」として禁止されていたけれど、やっぱり揚げ物は正義だ。
「決めたぞ」
レオナルド様は最後の一つを飲み込み、満足げに腹をさすりながら言った。
その瞳は、獲物を狙う肉食獣のように鋭く、そして熱っぽく私を射抜いていた。
「お前を一生、ここから帰さない」
「……え?」
「俺の舌はもう、お前の料理以外を受け付けない。他の飯など泥と同じだ。だから、死ぬまで俺のために焼いて、揚げて、煮込め」
それはプロポーズにしてはあまりに実用的で、雇用契約にしてはあまりに重い言葉だった。
「お前が欲しいものは何でもやる。金銀財宝、希少な素材、なんなら隣国の一つや二つ、滅ぼして土地をやってもいい」
「い、いえ! 国は結構です! 平和に料理ができればそれで!」
隣国を滅ぼすとか物騒なことをサラッと言わないでほしい。
でも、素材の提供は魅力的だ。
魔境には、まだ見ぬ食材がたくさんあるはずだ。
「では、契約成立だな。俺の番よ」
「えっ、番? それって料理人って意味ですよね?」
「……似たようなものだ」
彼はニヤリと意味深に笑った。
その笑顔は、危険なほど魅力的で、私の心臓が少しだけ跳ねた。
いやいや、これは吊り橋効果だ。
あるいは唐揚げのカロリーによる動悸だ。
そう自分に言い聞かせる。
こうして、私の魔王城での生活が幕を開けた。
元婚約者に捨てられ、魔境に追放された私だったが、どうやらここでは「胃袋の支配者」として君臨することになりそうだ。
一方その頃。
私を追放したフレイム王国では、冷え込みが厳しくなっていることに、まだ誰も気づいていなかった。




