表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強黒竜は私の料理に弱すぎる~追放令嬢の魔境キッチン~  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/15

第2話 魔境の王へ捧ぐ、骨付き肉の饗宴

私の目の前に、死が具現化したような黒い山がそびえ立っている。

全長は優に二十メートルを超えるだろうか。

鋼鉄よりも硬そうな漆黒の鱗。

剣山のように逆立った背中の突起。

そして、私など一口で飲み込めそうな巨大な顎。


伝説の魔獣、黒竜。

魔境グラトニーにおける食物連鎖の頂点にして、出会えば即ち死を意味する災害そのものだ。


普通の令嬢なら、悲鳴を上げて気絶するか、恐怖で失禁している場面だろう。

だが、私は冷静だった。

私の視線は、竜の口元からダラダラと垂れ落ちる粘液に釘付けになっていたからだ。

地面に落ちるたび、ジュッという音と共に岩を溶かしているあれは、間違いなく消化液を含んだよだれだ。


(お腹、空いてるのね……)


私は妙な親近感を覚えた。

先ほどの私と同じだ。

空腹は理性を奪う。

美味しい匂いを前にして、我慢できる生き物などいない。


『グルルルゥ……』


黒竜の喉の奥から、地響きのような唸り声が漏れる。

金色の瞳が、私の背後にあるクーラーボックス(魔法で保冷中)と私を交互に見ている。

「肉を出せ、さもなくばお前を食う」という分かりやすい脅迫だ。


私はゆっくりと、敵意がないことを示すように両手を上げた。


「待ってて。今、もっと美味しいのを焼いてあげるから」


言葉が通じるかは分からない。

けれど、私の声に含まれた「料理人としての自信」は伝わったらしい。

黒竜は鼻をフンと鳴らすと、ドスンと地面に腰を下ろした。

その衝撃で焚き火台が跳ねそうになるのを、私は慌てて足で押さえる。


「さて、お客様は超大型。ちまちましたステーキじゃ満足できないわね」


私は『収納アイテムボックス』から、先ほど解体したビッグボアの半身を取り出した。

狙う部位は背中側。

肩から腰にかけて伸びるリブロースだ。

あばら骨ごと切り出して、斧のような形にする。


通称、トマホークステーキ。

骨付きの肉は、骨から染み出す髄液の旨味うまみと、骨周りの結合組織コラーゲンが熱でゼラチン化することで、濃厚な味わいになる。

重量は約二キログラム。

厚さは五センチを超える極厚カットだ。

人間ならパーティー用だが、この竜にとってはスナック感覚だろう。


「まずは下拵えね」


私は肉の表面にオリーブオイルをたっぷりと塗り込む。

こうすることで肉の乾燥を防ぎつつ、熱伝導率を高める。

次に、シーズニングだ。

岩塩と黒胡椒をベースに、ガーリックパウダー、オニオンパウダー、そして隠し味にパプリカパウダーを少々。

これを肉の表面全体に、親の敵のように擦り込む。

分厚い肉の場合、表面の味付けは「少し塩辛いかな?」と思うくらいでちょうどいい。

中まで味が染みるわけではないので、食べた時の口内調味のバランスを計算する必要がある。


「いくわよ、『神の劫火』」


私は指先で小さく弾いた。

焚き火台の炭が、私の意思に応えて一気に熱量を増す。

今回は網焼きだ。

直火の遠赤外線で、表面をカリッと焼き上げる。


ジュワァァァァァッ!!


巨大なトマホークを網に乗せた瞬間、先ほどとは桁違いの爆音が響いた。

落ちた脂が炭に触れて炎となり、肉を包み込む。

本来、BBQで炎が上がる「フレアアップ」は、肉をすすけさせる原因になるので避けるべき現象だ。

だが、私は慌てない。


(酸素遮断、不完全燃焼抑制)


魔法で肉の周囲の酸素濃度を調整し、炎が上がりすぎないように制御する。

同時に、炭の熱線だけを効率よく肉に届ける。

これが私の真骨頂だ。


BBQの最大の敵は「生焼け」と「焼きすぎ」だ。

特に骨付き肉の場合、骨の周りは火が通りにくい。

表面が炭になっても中は冷たい、なんて失敗は素人がよくやるミスだ。


だが、私には魔法がある。

私は肉の内部水分を魔力でスキャンした。

中心温度はまだ一五度。

これを、六〇度まで持っていく必要がある。


内部加熱マイクロウェーブ、開始」


私は火魔法の波長を変化させ、電子レンジのように肉の内部水分子を振動させた。

外側からは炭火の遠赤外線。

内側からは魔法による分子振動。

ハイブリッド加熱だ。

これにより、五センチの厚みがある肉塊に対し、表面を焦がすことなく、中心部まで均一に火を通すことができる。


『グルゥ……?』


竜が鼻をヒクつかせた。

香りが変わったことに気づいたのだ。

肉の焼ける香ばしさに、溶け出した脂の甘い香り、そして焦げたスパイスの刺激的な香りが混ざり合う。

さらに、私が『収納』から取り出したローズマリーの枝を炭に放り込むと、爽やかなハーブの香煙が立ち上り、肉の獣臭さを完全に消し去った。


肉の表面がきつね色から、深い飴色へと変わっていく。

トングで肉を押してみる。

親指の付け根を押した時のような、程よい弾力。

ミディアム・レアだ。


「よし、焼き上がり!」


私はトマホークを網から下ろした。

だが、まだ食べさせない。

ここからが最も重要な工程、「レスティング(休憩)」だ。

焼きたての肉は、内部の肉汁が沸騰し、暴れ回っている状態だ。

ここで切ってしまうと、せっかくの肉汁が全て流れ出てしまう。

アルミホイルで肉を包み、人肌程度の温かい場所で数分間休ませることで、肉汁を繊維の中に落ち着かせるのだ。


『ガァッ!』


竜が「なぜ食べさせない!」とばかりに吠えた。

私は人差し指を立てて「チッチッチ」と振った。


「待て。美味しく食べるための魔法をかけてるの」


犬のしつけと同じだ。

私はアルミホイルの中で起きている肉汁の再分配を魔力で監視する。

肉の中心に集まっていた熱と水分が、全体に行き渡っていく。

今だ。


私はホイルを開いた。

湯気と共に、凝縮された旨味の香りが爆発的に広がる。

まな板の上に乗せ、骨に沿ってナイフを入れる。


ザクッ、スゥーッ。


抵抗がない。

まるでバターのようにナイフが入る。

断面は、輝くようなバラ色。

ロゼ色のグラデーションが美しく、溢れ出る透明な肉汁が断面をキラキラと濡らしている。


「特製ソースは、これよ」


私はスキレットでサッと煮詰めたソースをかけた。

赤ワインとハチミツ、醤油、そして粒マスタードを合わせた「ハニーマスタード・ヴァンルージュ」。

酸味と甘味が、ビッグボアの濃厚な脂を中和し、いくらでも食べられる味にする。


「はい、召し上がれ。ビッグボアのトマホークステーキ、特製ソースがけよ」


私は二キロの肉塊を、巨大な皿(予備のまな板)に乗せて差し出した。

黒竜が顔を近づける。

その巨大な鼻息で、私の前髪が舞い上がる。


パクリ。


黒竜は一口で肉を吸い込んだ。

咀嚼音。

クチャ、クチャ……。


動きが止まる。


数秒の沈黙の後。

黒竜の金色の瞳が、カッ! と見開かれた。


『!?』


声にならない衝撃が伝わってくる。

次の瞬間、黒竜は首を天に向けて突き上げ、咆哮した。


『グオオオオオオオオォォォッ!!』


それは威嚇ではない。

歓喜の歌だった。

あまりの美味さに脳が揺さぶられ、本能が震えているのだ。

カリッと香ばしい表面の食感、ジューシーで柔らかい赤身、そして骨周りの濃厚な旨味。

それらが口の中で渾然一体となり、ハニーマスタードの甘酸っぱさが絶妙なアクセントとなって喉を通り過ぎていく。


黒竜の全身が、まばゆい光に包まれた。


「えっ? まぶしっ!」


私は腕で顔を覆った。

巨大な質量が、光の中で急速に圧縮されていく。

光が収まると、そこには一人の男が立っていた。


濡れたような黒髪。

鍛え上げられた褐色の肌。

上半身は裸で、無駄な脂肪が一切ない筋肉質の肉体美を晒している。

頭の横には、竜の名残である小さな黒い角が生えていた。

顔立ちは、彫刻のように整っているが、どこか野性的な鋭さを秘めている。

いわゆる、超絶イケメンだ。

ただし、その口元はソースで少し汚れており、目はまだ陶酔の色を浮かべている。


「……美味い」


男が、腹の底に響くような低音で呟いた。

そして、私の方へと歩み寄ってくる。

その迫力に、私は思わず一歩後ずさった。

人間の姿になっても、捕食者のオーラは消えていない。

彼は私の目の前まで来ると、私の両肩をガシリと掴んだ。


「お前、名は?」

「あ、アリス……アリス・バーネットです」

「アリスか。俺はレオナルド。このグラトニーの支配者だ」


レオナルドと名乗った男は、私の顔をまじまじと見つめ、そして真剣な眼差しで言った。


「アリス、俺の城に来い」

「……はい?」

「俺の専属になれ。お前が焼く肉には、魂を揺さぶる『熱』がある。これほどの料理、数百年この地を統べてきたが、一度も食ったことがない」


彼の瞳は、獲物を見る目ではなく、もっと熱っぽくて、執着に満ちたものに変わっていた。


「俺の胃袋は、今、お前に掴まれた。責任を取ってもらおうか」


どうやら私は、とんでもないものを餌付けしてしまったらしい。

史上最低の王子に捨てられたと思ったら、今度は史上最強の竜に拾われる。

私の波乱万丈な人生は、まだ始まったばかりのようだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ