第10話 断罪の広場
「さむッ……! さ、寒い……!!」
王宮前広場。
雪が降りしきる中、半裸の男の悲鳴がこだました。
フレイム王国第一王子、クロード殿下である。
レオナルド様の指パッチン一つで、彼の着ていた最高級のガウンや軍服は灰となり、今はシルクのパンツ一枚というあられもない姿を晒している。
本来なら悲劇的な光景のはずだが、不思議と喜劇にしか見えない。
彼が今まで私に向けてきた冷たい仕打ちを思えば、因果応報という言葉がこれほど似合う状況もないだろう。
「アリス! なんだその目は! 貴様、笑っているのか!?」
クロード殿下がガチガチと歯を鳴らしながら、私を指差した。
その指先は紫色に変色し始めている。
「滅相もございません。あまりに寒そうなので、心配しているのです」
私は無表情で答えた。
嘘ではない。
人間、極度の低体温症になると幻覚を見るというし、彼の頭がこれ以上おかしくならないか心配ではある。
「貴様……! 今すぐその化け物に命じて、僕に服を着せろ! そして暖炉に火をつけろ!」
「断る」
答えたのは私ではなく、レオナルド様だった。
彼はクロード殿下を見下ろし、ゴミを見るような目で鼻を鳴らした。
「俺はアリスの番であり、下僕ではない。貴様ごときが指図するな」
「ひぃッ……!」
レオナルド様が一歩近づくと、クロード殿下は情けなく尻餅をついた。
冷たい雪がお尻に直撃し、さらに体を震わせる。
その時、バルコニーから慌ただしい足音が近づいてきた。
衛兵に守られながら広場に出てきたのは、国王陛下だった。
分厚い毛皮のコートを着込んでいるが、その顔色は土気色だ。
「ま、待ってくれ! 黒竜公爵よ!」
国王陛下が叫んだ。
「余はフレイム国王だ! 息子の非礼は詫びる! だが、これ以上の狼藉は許さん! 我が国には騎士団も魔導師団もいるのだぞ!」
国王の合図で、広場を取り囲んでいた兵士たちが一斉に槍を構えた。
屋根の上には魔導師たちが杖を向けている。
数百対二。
普通なら絶体絶命の包囲網だ。
しかし、レオナルド様はあくびをした。
「騎士団? 魔導師団? ……ああ、あの焚き火にもならないマッチ棒どものことか?」
彼は軽く右手を払った。
ただそれだけの動作。
魔法ですらない、単なる風圧。
ドオオオオオオッ!!
暴風が巻き起こった。
構えていた兵士たちは木の葉のように吹き飛び、屋根の上の魔導師たちは雪崩のように転がり落ちた。
一瞬で、包囲網が崩壊する。
「な、なんだと……!?」
国王陛下が腰を抜かした。
これが、最強種の実力。
国一つを滅ぼせると言われる伝説の竜にとって、人間の軍隊など蟻の群れに等しい。
「さて、王よ。貴様らの国の『火』が消えた理由を、まだ理解していないようだな」
レオナルド様は私の肩を抱き寄せ、国王たちの前に突き出した。
「このアリスこそが、貴様らの国を支えていた『炉』そのものだ。彼女の追放により、契約は破棄された。貴様らは自らの手で、ライフラインを切断したのだ」
「そ、そんな馬鹿な!」
クロード殿下が叫んだ。
「アリスの魔法は『着火』だけだ! ただ火をつけるだけの無能だぞ!? そんな女に、国全体を温める魔力などあるはずがない!」
「そうだ! あたくしもそう思いますわ!」
後ろで震えていたミランダも便乗した。
彼女は私を睨みつけながら、必死に自分を正当化しようとしている。
「あたくしの方が魔力は高いはずです! アリス様なんて、いつも煤だらけで、料理ばかりしていた卑しい女じゃありませんか!」
「……卑しい、か」
レオナルド様の空気が変わった。
温度が下がる。
物理的に、周囲の雪が氷へと変わっていく。
「アリスの料理を、卑しいと言ったな?」
あ、これマズい。
地雷を踏んだ。
レオナルド様にとって、私の料理への侮辱は、自分への侮辱よりも重罪だ。
「アリス。あれを見せてやれ」
「あれ、ですか?」
「お前の『火』だ。この愚か者たちに、格の違いを教えてやれ」
彼はニヤリと笑った。
なるほど、実演販売ということですね。
私はため息を一つつき、一歩前へ出た。
「では、少しだけ。……『神の劫火』、限定解放」
私は指先を天に向けた。
魔力を練り上げる。
今までは隠していたけれど、もう遠慮はいらない。
私の魔力回路を全開にする。
ボッ。
指先に灯ったのは、小さな火種だった。
クロード殿下が鼻で笑う。
「なんだそれは! やはりマッチ棒ではないか!」
「……展開」
私は囁いた。
その瞬間。
ズゴオオオオオオオオオオッ!!!
小さな火種が、爆発的に膨張した。
それは天を焦がす巨大な火柱となり、雲を突き抜け、王都の上空に太陽のような熱球を作り出した。
一瞬にして、広場から雪が消える。
石畳が乾き、周囲の気温が急上昇する。
真冬から真夏へ。
いや、灼熱の砂漠へ。
「あ、あつい……!?」
「な、なんだこの熱量は!?」
兵士たちが鎧を脱ぎ捨て、魔導師たちが杖を取り落とす。
クロード殿下もミランダも、汗だくになってへたり込んだ。
「これが私の『着火』です。対象の燃焼効率を極限まで高め、万物をエネルギーに変える力。今までこの国の聖火台に注いでいたのは、この力のほんの残り火ですよ」
私は淡々と告げた。
炎を制御し、私たち(とレオナルド様)の周囲だけを適温に保ちつつ、クロード殿下たちの周りだけサウナ状態にする。
嫌がらせの微調整も完璧だ。
「う、嘘だ……こんな……こんな力が……」
クロード殿下は絶望の表情で私を見上げた。
信じたくない現実。
自分が見下していた「無能」が、実は国を支える「神」だったという事実。
それが今、圧倒的な熱量となって彼を焼いている。
「アリス様……! アリス様だ!」
広場の外から、民衆の声が上がった。
暴動を起こしかけていた人々が、柵を乗り越えて雪崩れ込んできたのだ。
「この温かさ……間違いねえ! アリス様が戻ってきてくれたんだ!」
「おお、アリス様! どうか我々をお救いください!」
「あの馬鹿王子が追放したせいで、俺たちは凍え死ぬところだったんだ!」
民衆の手のひら返しは早かった。
彼らは私に向かって祈りを捧げ、そしてクロード殿下たちに向かって石や雪玉を投げ始めた。
「国賊め!」
「王子を捕らえろ!」
「無能はどっちだ!」
「ひぃっ! やめろ! 僕はこの国の王子だぞ!」
「きゃああっ! 服が汚れるじゃない!」
クロード殿下とミランダは、民衆の怒りの波に飲み込まれていく。
王である父に助けを求めるが、国王自身も民衆の殺気に怯え、柱の陰に隠れている始末だ。
統治機能の完全な崩壊である。
「……ふん。見苦しい」
レオナルド様は興味を失ったように吐き捨てた。
そして、私の方を見て、少し期待したような顔をした。
「アリス、喉が渇いたな」
「あ、そうですね。私も少し小腹が空きました」
私はリュックを下ろした。
周囲が阿鼻叫喚の地獄絵図となっている中で、私たちは優雅にティータイムを始めることにした。
これが一番の「ざまぁ」になるからだ。
余裕を見せつけることこそ、最大の復讐である。
取り出したのは、保温機能付きの魔法瓶と、二つの木製カップ。
蓋を開けると、ふわりと甘い香りが漂った。
「これは?」
「『超濃厚コーンポタージュ』です。魔境のトウモロコシ『ゴールドラッシュ』を裏ごしして、生クリームとバターをたっぷり使いました」
トポトポトポ……。
黄金色の液体をカップに注ぐ。
湯気が立ち昇る。
その香りは、殺伐とした広場にはあまりにも不釣り合いなほど、平和で、甘美なものだった。
「クルトンの代わりに、カリカリに焼いたベーコンビッツを浮かべますね」
パラパラとトッピング。
私はレオナルド様にカップを手渡した。
「いただきます」
「……うむ」
私たちは並んでスープを口にした。
「……ッ」
濃厚だ。
トウモロコシの自然な甘みが、口の中で爆発する。
生クリームのコクが全体をまろやかに包み込み、バターの塩気がアクセントになっている。
そして、時折カリッと弾けるベーコンの旨味。
冷え切った(はずの)体に、温かさが染み渡る。
まあ、私は最初から寒くなかったけれど、精神的な温かさが違う。
「美味い。……やはりお前の料理は、心を溶かすな」
レオナルド様がほうっと息をつく。
その吐息は白く、甘い香りがした。
その光景を、民衆に揉みくちゃにされていたクロード殿下が見ていた。
彼は痣だらけの顔で、私たちを呆然と見つめていた。
口の端からよだれ……いや、空腹による胃液が垂れている。
「ス、スープ……」
彼が掠れた声で呟いた。
「温かい……スープ……よこせ……」
彼は這いつくばって、こちらへ手を伸ばした。
王族の誇りもプライドもない。
ただの、飢えた哀れな男だ。
かつて高級レストランで「冷たい」と料理をひっくり返していた彼が、今は一杯のスープを求めて泥を這っている。
私はカップを持って、彼の方へ歩み寄った。
彼は期待に目を輝かせた。
「ア、アリス……やはりお前は優しい……僕を愛して……」
「殿下」
私は冷徹に見下ろした。
そして、残っていたスープを飲み干した。
ゴキュッ、プハァ。
「……美味しい」
私はわざとらしくカップを逆さまにした。
一滴、残りのしずくが地面に落ち、ジュッと音を立てて蒸発した。
「残念。売り切れです」
「あ……あぁ……」
クロード殿下の目から光が消えた。
彼はガクリと崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
気絶したようだ。
「……行くぞ、アリス」
レオナルド様が私の肩を抱いた。
「この国にはもう、用はない。俺たちがいるべき場所はここではない」
「そうですね。食材も現地調達できましたし(カツサンドのこと)、帰りましょうか」
レオナルド様は再び巨大な黒竜の姿へと戻った。
私もその背中に飛び乗る。
民衆たちが「待ってください!」「行かないで!」と叫ぶが、もう遅い。
私は一度捨てられたのだ。
都合よく戻るつもりはない。
『さらばだ、愚かな人間ども』
黒竜が翼を広げた。
その風圧で、王宮の屋根瓦が全て吹き飛ぶ。
私たちは空高く舞い上がった。
眼下には、再び雪に閉ざされつつある王都が見える。
私が消した残り火が尽きれば、今度こそ永遠の冬が訪れるだろう。
クロード殿下とミランダがどうなるか。
王家がどう責任を取らされるか。
それはもう、私の知ったことではない。
「さあ、帰りましょう! 今夜はシチューにしませんか?」
『いいな。肉をたっぷりと入れろ』
「ホワイトシチューもいいけど、ビーフシチューも捨てがたいですね」
私たちは楽しげに会話をしながら、魔境の空へと消えていった。
後ろを振り返ることは、一度もしなかった。




