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第五十二話 悪しき実

 感情表現はとても難しい……


 自分の温度感と相手の温度感が同じになる奇跡なんてないのだから

 それでも相手にその気持ちを伝えたいと思ってしまう

★葵


「あ、星咲くん。ちょっとお願いしたいことがあるんだけど……いいかな」とクラスメートが百合を呼ぶ。

「ああ、今行く。羽柴、これを終わらせたら向かうよ」

「うん、わかった。オレは先に屋上にいっているね~」

 オレは二人分のペットボトルの水を買い、足取り軽くぴょんぴょんと屋上前の階段の踊り場へ向かう。

 今度こそ! 百合君にアンバト部に入ってほしいと伝えるんだ!

 オレのヒーローと一緒に青春を送りたいんだ!

 そんなことを思っていると階段を登る音が聞こえてくる。

「葵~み~つけた」

 後ろから聞き覚えのある嫌な声がしてくる。聞かなかったことにしよう。無視をしてそのまま歩き続ける。声を聞くだけで突然、断崖絶壁から海に落とされたような感覚になる。

「え~無視しないでよ~」


 聞こえない、聞こえない……。

 もがいてももがいてもどんどん海の底へ沈んでいく。

 海の底に吸い込まれるかのように落ちて行く。

 ゴホゴホゴホ……息もできないくらいに苦しい。


 落ちれば落ちるほど光は小さくなり真っ黒な空間になる。

 目は開いているのに何も見えなくて、オトも聞こえない。


 急にカラダに力が入らなくなって目の前もよく見えなくなり、手探りで屋上に上って行き屋上のドアに手をかける。

「無視すんなよ、葵」

 兄貴は屋上のドアに壁に手を押し当て、オレは身動きが取れなくなる。兄貴は目を見開いた本気の表情をしている。

「あ、兄貴。この前ぶりだね。男に? 弟に? 壁ドンとかさ~ないんじゃないかな……ってか近すぎじゃ……」

 オレはニコニコ顔を保ってい入るが突然の出来事に額から大量の汗が流れる。

「だってさ、無視するからさ。こうしないと逃げられちゃうじゃない」

 兄貴はオレのおでこの熱を計るかのようにおでこを密着させる。

「いや……だから近いですよ~お兄様~。逃げないからちょっと離れて欲しいかな」

 兄貴は壁ドンをしたまま少し距離を取る。

「で、お兄様、今日は何用でしょうか」

 オレはニコニコしたつもりが、どうしても苦笑いになってしまう。

「あ~そうそう、話があったからさ、わざわざ来たって訳ね」

「あ、そうなんですね。それでなんでしょうか、お兄様」

「お前さ、なんであのチビを部活に入れないの」

「えっと……色々と諸事情がありまして……」

「へ~。でもさ、あのチビのこと追いかけてここに来たんだろ」

「そうですね……。というかチビじゃなくて、百合って名前があるんで……そう呼んでくれませんかね」

「実際チビだし、チビでいいんじゃね」

「まあまあ、名前がちゃんとあるんで」

「うっさいな、わかったよ。んで、次に勝負するときは百合もメンバーに入ってくるんだよな」

「そこらへんは、なるようになるとしか」

「なんだそれ」

「こちらにも色々あるんですよ」

「色々ね……」

「はい、色々あるんです」

「今のお前見てるとさ、本当にうざいんだよね。アンバトに夢中になって、なんか楽しそうで試合も一生懸命でさ、いっちょまえにキラキラしたオーラ放っちゃったりして青春してますみたいな感じが本当に気持ち悪いんだよね。お前は何でもできちゃう感情のない機械人形でいいのにオレの背中だけ追いかけていればよかったのに……空っぽのままでいいのにさ、なんで人間ぽくなってんの? マジ気持ち悪いわ」

「兄貴……?」

「あ、チビのせい? そうか、チビのせいか……あいつが悪いのか……あいつ……本当にうざいな……」と兄貴は鬼の形相に変わっていく。

「兄貴!」

「はあ、何? 口答えすんの? お前が?」とオレの首を押さえつける兄貴。

「あ、兄貴……く、くるしっ……」

「ねえ、昔のお前に戻ってよ。オレの後を可愛く付いてくるお前にさ。お前にはオレだけいればいいんだよ。そうだろ。なんでオレから離れていくんだ。ねえ、なんでだよ。寂しいじゃないか」

「あ、兄貴が……離れろっていったんじゃないか……」

 オレの首を更に強く押す兄貴。

「ぐっ……」

「わからないの、オレは空っぽのままでオレのいうことを素直に聞いてオレのことを追いかけて欲しかったんだよ。自分ってものなんかお前にはいらないんだよ。オレがお前のこと面倒見てやるのに。なんでだよ」

「……あに……き」

 息が出来なく意識が朦朧としはじめる。


「やめろ!」

 殺気立った顔をした百合が兄貴の手を振りほどく。

「お前が……お前が全て悪いんだあーーーーー」

 兄貴は百合を壁に投げ飛ばし、百合の頭をガンっと強く壁に押し付ける。オレは咄嗟に兄貴を掴み投げ飛ばす。

「ってーなぁーーーー」

 兄貴は殺気立った形相でオレを睨みつける。

「百合君は関係ないだろ!!」

「うっせーな。そいつのせいでオレの葵は……」

「だから! 関係ないっていってるだろ、もうここからいなくなってよ……」と目から涙が溢れ出す。


「なんか上から凄い音が聞こえない」と階段下から声が聞こえてくる。

「ちっ。今日は帰るよ……。お前は感情なんか持つな、機械人形でいろよ。そして戻ってこい」

 そう言って、兄貴は立ち上がり階段を下りていく。

「ごめん、ごめん。まだ上にあると思って上がっちゃって~。そしたら転んじゃったんだよ~大きな音たててごめんね~」

「あ、そうなんですね。いやあ、盛大に転んだんですね、すごい音でしたよ」

「そうそう、なんか使われてない? 掃除してないとこだったみたいで滑っちゃってさ~」

 集まってきた人をはけさせる兄貴。人が捌けていき、静かになる。


「百合君、ごめんね。怪我とかしてない、大丈夫?」

 オレは壁に寄りかかって座り、百合の顔を見せずにいると百合は心配そうにオレに視線を向けているのがボヤっとみえる。

「俺は大丈夫だ。羽柴こそ、大丈夫か……」

「うん、なんも問題ないよ~」

「なら、よかった……」

 オレは百合と何を話していいかわからない。百合には悪いけど、今は一人になりたい。早くここから居なくなってくれないかな……。

「変なところ見せちゃってごめんね、あと巻き込んでごめんね。さっきの~見なかったことにしてくれると嬉しいな。兄弟喧嘩とかさ、恥ずかしいじゃない……」とまた目から涙が溢れる。涙を隠すために腕で顔を覆う。

「はし………。俺、教室に戻るよ」

 百合は立ち上がり階段を下りていく、何度も立ち止まり振り返りながら。


 百合はどこから話を聞いていたんだろう。聞かれたくなかったな、見られたくなかったな……。百合はこれからオレと普通に接してくれるだろうか……。百合と距離が近くなったと思うとまた遠くなって……なかなか距離が縮まらない。

 そして兄貴は何が言いたいんだ、何がしたいんだ。突き放したと思ったら寂しいとか……何を言ってるんだ。確かに昔のオレは兄貴しか見てなくて、兄貴といる場所がいつも輝いていて、兄貴といる場所が大好きで、兄貴さえいれば友達とか仲間とかいらなくて……。兄貴が大好きだから、なんでも兄貴の真似をして兄貴のように何でもできる完璧を目指して兄貴が喜びそうなことをやって……兄貴さえいれば良かったのに。

「お前はさ、これからもオレの背中ばかり追いかけてばっかの人生送るの? そんなんで楽しいの? 自分ってものはないわけ。つまんねーやつ。中身空っぽじゃん」

 兄貴はあの時……そう言ってオレを突き放した。オレの世界の中心にいた兄貴はオレの世界からいなくなって……楽しい日々も幸せな日々もなくなって真っ暗の世界に変わった。

 真っ暗の世界に光をくれたのが百合で……オレは百合がいたから真っ暗の世界から抜け出すことができた。直接手を差し出してくれたわけではないが誰かの輝いている姿を見て、世界が変わることがあるんだなと実感した。


 普通にそこに存在してくれているだけで救われる人はいるもので、それがプラスにしろマイナスにしろ未来をつくっていく。プラスのものだけでなくマイナスのものがあるからこそ今があって、過去にどんなことがあったとしても辛いことばかりだったとしても今があるのは、その過去があるからで『過去にこうしていれば』というのは今の自分をつくれなくなってしまうから全てを受け入れていこうと思う。

 相手を傷つけて後悔することもあるけど、それは過去を後悔するのではなく……起きてしまったことを受け入れた上で今できることをやればいいと思う。過去があるからこそ切り拓けた道があるのだから……。


 ああ……オレは何をやっているんだろう。

 百合を巻き込んで、こんなところ見られて……。

 百合にどう接すればいい……。

 もうぐちゃぐちゃだ……。

 涙が止まらない……。

お読みいただきありがとうございました!

次回もよろしくお願い致します!

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