異世界召喚された! けど、ちょっと違う気がする
純白の世界だった。
床も壁も天井も、すべてが境界なく繋がる美しい白。光そのものの中にいるような、神聖な空間。影ひとつ落ちていない完璧な明るさが、全身を包み込んでいる。
立ち上がる。体が軽い。昨日までの疲労が嘘のように消えている。いや、それどころか生まれ変わったような爽快感。重力が半分になったように、ふわりとした感覚。
――キタ! これ絶対アレじゃん!
心臓が高鳴る。ドキドキが止まらない。だって、これって完全に異世界召喚の導入部分。白い空間、体の軽さ、現実離れした光景。ラノベで読んだ展開そのまんま。
服装を確認する。いつものくたびれたスーツ。ブラック企業の制服みたいな安物。でも大丈夫、すぐに勇者の装備とかもらえるはず。剣とか、魔法の杖とか、かっこいいローブとか。
空間の中央で、光の粒子が揺らぎ始めた。キラキラと舞い上がる光は、少しずつ人の形を作っていく。神々しい。まさに神の降臨。
「お待たせいたしました」
現れたのは、この世のものとは思えない美しさを持つ女性だった。長い銀髪が風もないのに優雅に揺れ、澄み切った青い瞳があたしを見つめている。純白のローブに身を包み、頭上には淡い光の輪が浮かんでいた。
女神様だ。間違いない。本物の女神様。
「中尾ミク様でいらっしゃいますね」
「は、はい! 中尾ミクです!」
「確認が取れました。わたくしは、シフィラ・ノウムと申します。この度は、貴方様を歓迎いたします」
歓迎! やっぱり召喚された!
「え、えっと、シフィラ様って、女神様ですよね?」
「わたくしは、貴方様の案内を担当させていただく者でございます」
「案内……つまり、新しい世界への?」
「貴方様の新たな旅路への案内でございます」
旅路! 冒険の始まりだ!
「すごい……本当に異世界に来ちゃったんだ」
「貴方様は、特別に選定されました」
「選ばれた……! やっぱり! 勇者として?」
「貴方様には、重要な役割が用意されております」
震える。嬉しさで震える。ついに、ついにあたしにも順番が回ってきた。毎日終電まで働いて、上司に怒鳴られて、給料は安くて、友達もいなくて。そんな灰色の日常から解放される。
「どんな役割ですか? 魔王討伐とか? 世界を救うとか?」
「詳細は、順を追ってご説明させていただきます」
「わかりました! あたし、頑張ります!」
シフィラ様は優しく微笑んでいる。その完璧な美しさに見とれてしまう。瞬きをしないのも、きっと神様だから。人間とは違う、高次の存在なんだ。
「まず、貴方様の状態を確認していただきましょう」
「ステータス画面ですね!」
「はい。意識を集中してください」
目を閉じて、念じる。すると、半透明のウィンドウが視界に現れた。
【ȘŦΔŦǗȘ】
Name:中尾ミク
Class:ŞØǗ£
Level:ИɄ££
HP:████
MP:████
STR:████
DEF:████
文字化けしてる部分がある。でも名前は読める。クラスのところは……なんだろう。魔法の文字かな。
「あの、一部読めないんですけど」
「初期段階では、そのような表示になることがございます」
「そうなんですね! レベルアップしたら読めるようになるんですか?」
「貴方様の成長と共に、明確になってまいります」
やっぱり! これから成長していくんだ。レベルアップして、スキルを覚えて、強くなって。
「特別な能力とかもらえるんですか?」
「貴方様には、特別な資質が備わっております」
「マジですか! どんな能力?」
「それは、これからの過程で明らかになります」
ワクワクが止まらない。チート能力かもしれない。無限魔力とか、全属性魔法とか、時間停止とか。
「仲間とかいますか? 他にも召喚された人とか」
「他の方々も、それぞれの道を歩まれています」
「会えるんですか?」
「適切な時期が参りましたら」
きっとパーティを組むんだ。剣士とか、魔法使いとか、僧侶とか。みんなで力を合わせて、魔王を倒すんだ。
白い空間を見回す。出口は見当たらないけど、きっと準備が整ったら転移魔法とかで送ってもらえる。
「この空間、すごく神聖な感じがします」
「ここは特別な場所でございます」
「天界とか?」
「貴方様にとって、重要な場所でございます」
天界! やっぱり神様の世界なんだ。
「あの、一つ質問していいですか?」
「どうぞ」
「どうしてあたしが選ばれたんですか?」
シフィラ様は、少し間を置いてから答えた。
「貴方様の人生における選択と行動が、評価されたのでございます」
「評価……」
「はい。貴方様の忍耐、努力、そして純粋な心が」
涙が出そうになる。報われた。やっと報われた。あの地獄のような日々も、無駄じゃなかった。
「家族とか、元の世界の人たちは大丈夫ですか?」
「ご心配には及びません。全て適切に処理されております」
「処理……?」
「貴方様が心配される必要はございません」
確かに、異世界にいる間は連絡も取れないだろうし、心配しても仕方ない。きっと時間の流れも違うんだろう。こっちで何年も冒険して、帰ったら一日しか経ってない、みたいな。
「魔王って、強いんですか?」
「貴方様が立ち向かうべき存在は、確かに存在いたします」
「やっぱり! どんな奴ですか?」
「それは、貴方様が成長された後に明らかになります」
まだ教えてもらえないのか。でも、それも異世界召喚の醍醐味。知らない世界で、少しずつ真相に近づいていく。それを楽しまなきゃね!
「装備とかもらえますか?」
「必要なものは、全て与えられます」
「剣とか?」
「貴方様に最も適したものが」
適したもの……もしかして伝説の武器とか? 聖剣とか、魔剣とか。
体の調子を確かめる。疲れが全くない。お腹も空かない。喉も渇かない。
「この体、すごく調子いいです!」
「それは良かった」
「なんか、生まれ変わったみたい」
「ある意味では、その通りでございます」
生まれ変わった。新しい人生の始まり。勇者としての第二の人生。
「いつから冒険に出られますか?」
「準備が整い次第でございます」
「準備?」
「貴方様の適応を確認しております」
適応か。確かに、いきなり魔物と戦うのは危険かも。チュートリアルみたいなものかな。
どれくらい時間が経ったんだろう。時計がないから分からない。でも焦りはない。むしろ、この神聖な空間にいられることが幸せ。
「シフィラ様、一つ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「時間の流れって、元の世界と違うんですか?」
「時間の概念は、場所により異なります」
「じゃあ、こっちで何年いても、向こうは数日とか?」
「そのような認識で問題ございません」
よかった。それなら急ぐ必要もない。
ステータス画面を何度も確認する。少しずつ、文字が読めるようになってきた気がする。いや、目が慣れてきたのかも。
HP:0██/1██
MP:N██
HPのところ、最初の数字が0に見える。でも、きっと見間違い。だって、HPが0なわけない。
「あの、このHP表示おかしくないですか?」
「どのような点がでしょうか」
「0が見えるんですけど」
「表示は正確でございます」
「でも、HPが0って……あ、桁数かな?」
「初期状態では、そのような表示になることもございます」
初期状態。そうか、まだスタート地点。これから成長するんだから、おかしくはないか。
体の感覚を確かめる。心臓の鼓動が……感じない。でも、興奮してるからかな。深呼吸してみる。胸が動かない。
――あれ?
「シフィラ様、なんか呼吸してない気がするんですけど」
「この空間では、通常の生理現象は必要ございません」
「そうなんですか! すごい!」
「貴方様の新しい状態に適したものでございます」
新しい状態。勇者の体。人間を超越した存在。だから呼吸も必要ないんだ。
「お腹も空かないし、最強じゃないですか」
「効率的でございます」
「これなら、どんな冒険でも」
「はい」
でも、少しだけ違和感がある。シフィラ様の返答が、なんとなく事務的。まあ、神様だから仕方ないか。
「元の世界の記憶が、ちょっとぼやけてるんですけど」
「移行に伴う一時的な現象でございます」
「移行?」
「こちらへの適応過程でございます」
なるほど。異世界に適応するために、元の世界の記憶が薄れるのか。確かに、未練があったら冒険に集中できないし。
「最後に何してたか、思い出せなくて」
「重要ではございません」
「でも、ちゃんと覚えておきたくて」
「過去より、これからが大切でございます」
そうだけど……でも、最後の記憶くらいは。
会社から帰る途中だった。深夜で、すごく疲れてて。横断歩道が……そこから先が思い出せない。
「なんで思い出せないんだろう」
「必要のない記憶は、整理されます」
「整理?」
「貴方様の新しい役割に集中していただくためでございます」
集中。確かに、過去のことばかり考えてても仕方ない。
白い空間を歩き回る。どこまで行っても同じ景色。壁がないのに、どこか閉じ込められているような感覚。
「この空間から出られますか?」
「まだその段階ではございません」
「いつになったら?」
「準備が完了次第でございます」
準備、準備って、何の準備なんだろう。
「他の召喚された人は、もう冒険に出たんですか?」
「それぞれの過程を進まれています」
「過程?」
「はい」
なんか、はぐらかされてる気がする。でも、きっと情報制限があるんだろう。ネタバレ防止、みたいな。
シフィラ様の顔を見つめる。美しい。完璧に美しい。でも、表情が変わらない。ずっと同じ微笑み。人形みたい。
神様なんだから当たり前か。
「質問ばかりですみません」
「構いません」
「あたし、本当に勇者になれるんですか?」
「貴方様は、確実に新しい存在となられます」
新しい存在。勇者のことだ。きっとそうだ。
*
時間の感覚が完全になくなった。一時間なのか、一日なのか、もっと長いのか。でも不思議と退屈はしない。むしろ、何も感じない。
「シフィラ様」
「はい」
「これ、本当に異世界召喚ですよね?」
自分でも驚く質問が口から出た。
「貴方様は、こちらに移されました」
「移された? 召喚された、じゃなくて?」
「表現の違いでございます」
表現の違い。でも、なんか引っかかる。
「魔王の話、まだ聞いてないんですけど」
「必要な時期に、お伝えいたします」
「でも、敵が誰かも分からないのに」
「貴方様が戦う必要はございません」
――え?
「戦わない? でも、勇者なんですよね?」
「貴方様の役割は、別にございます」
「別って……」
ステータス画面を開く。文字化けが、少しずつ解けてきている。
Status:T██MIN██
Location:██MB█
ステータスがターミナル? 空港とかの? いや、違う意味かも。ロケーションは意味不明。
「このターミナルって何ですか?」
「貴方様の現在の状態でございます」
「状態?」
「はい」
それ以上は答えてくれない。
最後の記憶を、もう一度思い出そうとする。
横断歩道。
赤信号。
でも、車は来ないと思った。
深夜だから。
そして――。
眩しい光。
ヘッドライト?
トラックの?
――まさか。
「シフィラ様、あたし、事故に遭ったんですか?」
「過去のことでございます」
「答えてください」
「貴方様の以前の存在は、終了いたしました」
終了。
存在が終了。
それって。
「死んだんですか?」
シフィラ様の表情が、初めて変わった。いや、変わったというより、表情が消えた。
「その認識は、正確ではございません」
「じゃあ、生きてる?」
「貴方様は、存在しております」
「存在? 生きてる、じゃなくて?」
心臓の音を探す。ない。
脈を探す。ない。
呼吸を探す。ない。
――ない。全部、ない。
「お願いです。本当のことを教えてください」
「真実は、お伝えしております」
「はぐらかさないで!」
「貴方様の理解が、追いついていないだけでございます」
理解。何を理解しろっていうの。
ステータス画面の文字化けが、さらに解ける。
HP:0/100
Status:TERMINAL
HP、ゼロ。
ステータス、ターミナル。
終着点。
「あたし、死んでるんですね」
「その表現は――」
「死んでるんですね!」
叫ぶ。でも、声が響かない。白い空間に吸い込まれていく。
膝から力が抜ける。いや、最初から力なんてなかった。
異世界召喚じゃなかった。
勇者じゃなかった。
選ばれたんじゃなかった。
ただ、死んだ。
――違う。待って。
「あ、これって転生ですよね?」
新しい希望にすがりつく。
「死んで、生まれ変わるんですよね?」
「ある意味では」
「やっぱり! 異世界転生なんだ!」
安堵が広がる。死んだけど、生まれ変われる。それなら、まだチャンスはある。
「どんな世界に生まれ変わるんですか?」
「それは、貴方様の選択次第でございます」
「選択?」
「はい」
新しいウィンドウが開く。
【選択肢】
1.記憶消去→新生
2.記憶保持→案内
3.完全終了→無
「これは……」
「貴方様の次の段階の選択でございます」
「記憶消去して新生……生まれ変わりですよね?」
「はい。ただし、現在の貴方様ではなくなります」
「記憶保持して案内?」
「永続的な役割を担っていただきます」
「役割って?」
「わたくしと同じでございます」
シフィラ様と同じ。つまり……。
「新しく死んだ人を、案内する?」
「はい」
「ずっと?」
「はい」
それは永遠の労働。死んでもなお、働き続ける。
「完全終了は?」
「存在の消滅でございます」
「消える?」
「完全に」
三つの選択肢。どれも最悪の選択肢。
「普通に生まれ変わることはできないんですか?」
「記憶を保持したままでは不可能でございます」
「なんで?」
「システムの設計でございます」
システム。また、システム。
「新生を選べば、転生できる?」
「記憶は保持できません。貴方様の次の配置は地球ですが、人間ではありません」
「配置……人間じゃない」
物みたいに、配置される。
番号を振られて、分類されて、配置される。
虫に転生するかもしれない。
バクテリアに転生するかもしれない。
夢見た異世界転生でもなかった。
ただの、死後の処理。
魂のリサイクル。
「シフィラ様は、元は人間だったんですか?」
「その情報は開示できません」
「でも、案内係になったら、あなたみたいになるんですよね?」
「はい」
「感情とかなくなるんですか?」
「効率的になります」
効率的。
感情を消して、効率的に。
永遠に、死者を案内する。
永遠に、嘘をつく。
永遠に、システムの一部として。
「選ばなかったら?」
「この空間に留まります」
「永遠に?」
「選択するまで」
白い空間を見回す。何もない。本当に何もない。音も、風も、温度も、時間も。ただ、白いだけ。
これが、真実。
召喚じゃなかった。
転生でもなかった。
ただ、死後の処理待ち。
涙を流したい。でも、涙腺がない。
叫びたい。でも、感情が空回りする。
逃げたい。でも、どこにも行けない。
シフィラ様の姿が揺らいで霧のように消えた。
呼べばまた来るだろう。
でも、今は一人になりたい。
選択画面が、ふわりと浮かんでいる。
三つの選択肢は、三つの終わり方。
一番ましなのは、記憶消去からの新生……。
でも、それはもうあたしじゃない。
全く別の生き物になる。
この苦しみも、この絶望も、全部なかったことになる。それは救いなのか。
永遠に働く。
死んでもなお、働く。
生きてた時と同じ。いや、もっとひどい。
終わりがない。退職もない。死ぬこともできない。
永遠に、システムの歯車として。
完全に消える。
無になる。
何も感じない。何も考えない。何もない。
それは、楽なのか、恐ろしいのか。
わからない。わかりようがない。
これが一番ましに思えてきた。
どれも選べない。
でも、いつかは選ぶ。
システムは、それを知っている。
待つことに、制限はない。
ここはそういう場所だ。
白い空間で、あたしは待つ。
何を待つのか。
決断を待つ。
諦めを待つ。
受容を待つ。
異世界召喚されたんじゃなかった。
異世界転生するんじゃなかった。
ただ単に召された。
ただ単に選択を迫られているだけだった。
(了)




