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異世界召喚された! けど、ちょっと違う気がする

作者: 藍沢 理
掲載日:2025/09/02

 純白の世界だった。

 床も壁も天井も、すべてが境界なく繋がる美しい白。光そのものの中にいるような、神聖な空間。影ひとつ落ちていない完璧な明るさが、全身を包み込んでいる。


 立ち上がる。体が軽い。昨日までの疲労が嘘のように消えている。いや、それどころか生まれ変わったような爽快感。重力が半分になったように、ふわりとした感覚。


 ――キタ! これ絶対アレじゃん!


 心臓が高鳴る。ドキドキが止まらない。だって、これって完全に異世界召喚の導入部分。白い空間、体の軽さ、現実離れした光景。ラノベで読んだ展開そのまんま。


 服装を確認する。いつものくたびれたスーツ。ブラック企業の制服みたいな安物。でも大丈夫、すぐに勇者の装備とかもらえるはず。剣とか、魔法の杖とか、かっこいいローブとか。


 空間の中央で、光の粒子が揺らぎ始めた。キラキラと舞い上がる光は、少しずつ人の形を作っていく。神々しい。まさに神の降臨。


「お待たせいたしました」


 現れたのは、この世のものとは思えない美しさを持つ女性だった。長い銀髪が風もないのに優雅に揺れ、澄み切った青い瞳があたしを見つめている。純白のローブに身を包み、頭上には淡い光の輪が浮かんでいた。


 女神様だ。間違いない。本物の女神様。


「中尾ミク様でいらっしゃいますね」

「は、はい! 中尾ミクです!」

「確認が取れました。わたくしは、シフィラ・ノウムと申します。この度は、貴方様を歓迎いたします」


 歓迎! やっぱり召喚された!


「え、えっと、シフィラ様って、女神様ですよね?」

「わたくしは、貴方様の案内を担当させていただく者でございます」

「案内……つまり、新しい世界への?」

「貴方様の新たな旅路への案内でございます」


 旅路! 冒険の始まりだ!


「すごい……本当に異世界に来ちゃったんだ」

「貴方様は、特別に選定されました」

「選ばれた……! やっぱり! 勇者として?」

「貴方様には、重要な役割が用意されております」


 震える。嬉しさで震える。ついに、ついにあたしにも順番が回ってきた。毎日終電まで働いて、上司に怒鳴られて、給料は安くて、友達もいなくて。そんな灰色の日常から解放される。


「どんな役割ですか? 魔王討伐とか? 世界を救うとか?」

「詳細は、順を追ってご説明させていただきます」

「わかりました! あたし、頑張ります!」


 シフィラ様は優しく微笑んでいる。その完璧な美しさに見とれてしまう。瞬きをしないのも、きっと神様だから。人間とは違う、高次の存在なんだ。


「まず、貴方様の状態を確認していただきましょう」

「ステータス画面ですね!」

「はい。意識を集中してください」


 目を閉じて、念じる。すると、半透明のウィンドウが視界に現れた。


【ȘŦΔŦǗȘ】

Name:中尾ミク

Class:ŞØǗ£

Level:ИɄ££

HP:████

MP:████

STR:████

DEF:████


 文字化けしてる部分がある。でも名前は読める。クラスのところは……なんだろう。魔法の文字かな。


「あの、一部読めないんですけど」

「初期段階では、そのような表示になることがございます」

「そうなんですね! レベルアップしたら読めるようになるんですか?」

「貴方様の成長と共に、明確になってまいります」


 やっぱり! これから成長していくんだ。レベルアップして、スキルを覚えて、強くなって。


「特別な能力とかもらえるんですか?」

「貴方様には、特別な資質が備わっております」

「マジですか! どんな能力?」

「それは、これからの過程で明らかになります」


 ワクワクが止まらない。チート能力かもしれない。無限魔力とか、全属性魔法とか、時間停止とか。


「仲間とかいますか? 他にも召喚された人とか」

「他の方々も、それぞれの道を歩まれています」

「会えるんですか?」

「適切な時期が参りましたら」


 きっとパーティを組むんだ。剣士とか、魔法使いとか、僧侶とか。みんなで力を合わせて、魔王を倒すんだ。


 白い空間を見回す。出口は見当たらないけど、きっと準備が整ったら転移魔法とかで送ってもらえる。


「この空間、すごく神聖な感じがします」

「ここは特別な場所でございます」

「天界とか?」

「貴方様にとって、重要な場所でございます」


 天界! やっぱり神様の世界なんだ。


「あの、一つ質問していいですか?」

「どうぞ」

「どうしてあたしが選ばれたんですか?」


 シフィラ様は、少し間を置いてから答えた。


「貴方様の人生における選択と行動が、評価されたのでございます」

「評価……」

「はい。貴方様の忍耐、努力、そして純粋な心が」


 涙が出そうになる。報われた。やっと報われた。あの地獄のような日々も、無駄じゃなかった。


「家族とか、元の世界の人たちは大丈夫ですか?」

「ご心配には及びません。全て適切に処理されております」

「処理……?」

「貴方様が心配される必要はございません」


 確かに、異世界にいる間は連絡も取れないだろうし、心配しても仕方ない。きっと時間の流れも違うんだろう。こっちで何年も冒険して、帰ったら一日しか経ってない、みたいな。


「魔王って、強いんですか?」

「貴方様が立ち向かうべき存在は、確かに存在いたします」

「やっぱり! どんな奴ですか?」

「それは、貴方様が成長された後に明らかになります」


 まだ教えてもらえないのか。でも、それも異世界召喚の醍醐味。知らない世界で、少しずつ真相に近づいていく。それを楽しまなきゃね!


「装備とかもらえますか?」

「必要なものは、全て与えられます」

「剣とか?」

「貴方様に最も適したものが」


 適したもの……もしかして伝説の武器とか? 聖剣とか、魔剣とか。


 体の調子を確かめる。疲れが全くない。お腹も空かない。喉も渇かない。


「この体、すごく調子いいです!」

「それは良かった」

「なんか、生まれ変わったみたい」

「ある意味では、その通りでございます」


 生まれ変わった。新しい人生の始まり。勇者としての第二の人生。


「いつから冒険に出られますか?」

「準備が整い次第でございます」

「準備?」

「貴方様の適応を確認しております」


 適応か。確かに、いきなり魔物と戦うのは危険かも。チュートリアルみたいなものかな。


 どれくらい時間が経ったんだろう。時計がないから分からない。でも焦りはない。むしろ、この神聖な空間にいられることが幸せ。


「シフィラ様、一つ聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「時間の流れって、元の世界と違うんですか?」

「時間の概念は、場所により異なります」

「じゃあ、こっちで何年いても、向こうは数日とか?」

「そのような認識で問題ございません」


 よかった。それなら急ぐ必要もない。


 ステータス画面を何度も確認する。少しずつ、文字が読めるようになってきた気がする。いや、目が慣れてきたのかも。


HP:0██/1██

MP:N██


 HPのところ、最初の数字が0に見える。でも、きっと見間違い。だって、HPが0なわけない。


「あの、このHP表示おかしくないですか?」

「どのような点がでしょうか」

「0が見えるんですけど」

「表示は正確でございます」

「でも、HPが0って……あ、桁数かな?」

「初期状態では、そのような表示になることもございます」


 初期状態。そうか、まだスタート地点。これから成長するんだから、おかしくはないか。


 体の感覚を確かめる。心臓の鼓動が……感じない。でも、興奮してるからかな。深呼吸してみる。胸が動かない。


 ――あれ?


「シフィラ様、なんか呼吸してない気がするんですけど」

「この空間では、通常の生理現象は必要ございません」

「そうなんですか! すごい!」

「貴方様の新しい状態に適したものでございます」


 新しい状態。勇者の体。人間を超越した存在。だから呼吸も必要ないんだ。


「お腹も空かないし、最強じゃないですか」

「効率的でございます」

「これなら、どんな冒険でも」

「はい」


 でも、少しだけ違和感がある。シフィラ様の返答が、なんとなく事務的。まあ、神様だから仕方ないか。


「元の世界の記憶が、ちょっとぼやけてるんですけど」

「移行に伴う一時的な現象でございます」

「移行?」

「こちらへの適応過程でございます」


 なるほど。異世界に適応するために、元の世界の記憶が薄れるのか。確かに、未練があったら冒険に集中できないし。


「最後に何してたか、思い出せなくて」

「重要ではございません」

「でも、ちゃんと覚えておきたくて」

「過去より、これからが大切でございます」


 そうだけど……でも、最後の記憶くらいは。


 会社から帰る途中だった。深夜で、すごく疲れてて。横断歩道が……そこから先が思い出せない。


「なんで思い出せないんだろう」

「必要のない記憶は、整理されます」

「整理?」

「貴方様の新しい役割に集中していただくためでございます」


 集中。確かに、過去のことばかり考えてても仕方ない。


 白い空間を歩き回る。どこまで行っても同じ景色。壁がないのに、どこか閉じ込められているような感覚。


「この空間から出られますか?」

「まだその段階ではございません」

「いつになったら?」

「準備が完了次第でございます」


 準備、準備って、何の準備なんだろう。


「他の召喚された人は、もう冒険に出たんですか?」

「それぞれの過程を進まれています」

「過程?」

「はい」


 なんか、はぐらかされてる気がする。でも、きっと情報制限があるんだろう。ネタバレ防止、みたいな。


 シフィラ様の顔を見つめる。美しい。完璧に美しい。でも、表情が変わらない。ずっと同じ微笑み。人形みたい。


 神様なんだから当たり前か。


「質問ばかりですみません」

「構いません」

「あたし、本当に勇者になれるんですか?」

「貴方様は、確実に新しい存在となられます」


 新しい存在。勇者のことだ。きっとそうだ。



 時間の感覚が完全になくなった。一時間なのか、一日なのか、もっと長いのか。でも不思議と退屈はしない。むしろ、何も感じない。


「シフィラ様」

「はい」

「これ、本当に異世界召喚ですよね?」


 自分でも驚く質問が口から出た。


「貴方様は、こちらに移されました」

「移された? 召喚された、じゃなくて?」

「表現の違いでございます」


 表現の違い。でも、なんか引っかかる。


「魔王の話、まだ聞いてないんですけど」

「必要な時期に、お伝えいたします」

「でも、敵が誰かも分からないのに」

「貴方様が戦う必要はございません」


 ――え?


「戦わない? でも、勇者なんですよね?」

「貴方様の役割は、別にございます」

「別って……」


 ステータス画面を開く。文字化けが、少しずつ解けてきている。


Status:T██MIN██

Location:██MB█


 ステータスがターミナル? 空港とかの? いや、違う意味かも。ロケーションは意味不明。


「このターミナルって何ですか?」

「貴方様の現在の状態でございます」

「状態?」

「はい」


 それ以上は答えてくれない。


 最後の記憶を、もう一度思い出そうとする。

 横断歩道。

 赤信号。

 でも、車は来ないと思った。

 深夜だから。

 そして――。


 眩しい光。

 ヘッドライト?

 トラックの?


 ――まさか。


「シフィラ様、あたし、事故に遭ったんですか?」

「過去のことでございます」

「答えてください」

「貴方様の以前の存在は、終了いたしました」


 終了。

 存在が終了。

 それって。


「死んだんですか?」


 シフィラ様の表情が、初めて変わった。いや、変わったというより、表情が消えた。


「その認識は、正確ではございません」

「じゃあ、生きてる?」

「貴方様は、存在しております」

「存在? 生きてる、じゃなくて?」


 心臓の音を探す。ない。

 脈を探す。ない。

 呼吸を探す。ない。


 ――ない。全部、ない。


「お願いです。本当のことを教えてください」

「真実は、お伝えしております」

「はぐらかさないで!」

「貴方様の理解が、追いついていないだけでございます」


 理解。何を理解しろっていうの。


 ステータス画面の文字化けが、さらに解ける。


HP:0/100

Status:TERMINAL


 HP、ゼロ。

 ステータス、ターミナル。

 終着点。


「あたし、死んでるんですね」

「その表現は――」

「死んでるんですね!」


 叫ぶ。でも、声が響かない。白い空間に吸い込まれていく。


 膝から力が抜ける。いや、最初から力なんてなかった。


 異世界召喚じゃなかった。

 勇者じゃなかった。

 選ばれたんじゃなかった。

 ただ、死んだ。


 ――違う。待って。


「あ、これって転生ですよね?」


 新しい希望にすがりつく。


「死んで、生まれ変わるんですよね?」

「ある意味では」

「やっぱり! 異世界転生なんだ!」


 安堵が広がる。死んだけど、生まれ変われる。それなら、まだチャンスはある。


「どんな世界に生まれ変わるんですか?」

「それは、貴方様の選択次第でございます」

「選択?」

「はい」


 新しいウィンドウが開く。


【選択肢】

1.記憶消去→新生

2.記憶保持→案内

3.完全終了→無


「これは……」

「貴方様の次の段階の選択でございます」

「記憶消去して新生……生まれ変わりですよね?」

「はい。ただし、現在の貴方様ではなくなります」

「記憶保持して案内?」

「永続的な役割を担っていただきます」

「役割って?」

「わたくしと同じでございます」


 シフィラ様と同じ。つまり……。


「新しく死んだ人を、案内する?」

「はい」

「ずっと?」

「はい」


 それは永遠の労働。死んでもなお、働き続ける。


「完全終了は?」

「存在の消滅でございます」

「消える?」

「完全に」


 三つの選択肢。どれも最悪の選択肢。


「普通に生まれ変わることはできないんですか?」

「記憶を保持したままでは不可能でございます」

「なんで?」

「システムの設計でございます」


 システム。また、システム。


「新生を選べば、転生できる?」

「記憶は保持できません。貴方様の次の配置は地球ですが、人間ではありません」

「配置……人間じゃない」


 物みたいに、配置される。

 番号を振られて、分類されて、配置される。

 虫に転生するかもしれない。

 バクテリアに転生するかもしれない。


 夢見た異世界転生でもなかった。

 ただの、死後の処理。

 魂のリサイクル。


「シフィラ様は、元は人間だったんですか?」

「その情報は開示できません」

「でも、案内係になったら、あなたみたいになるんですよね?」

「はい」

「感情とかなくなるんですか?」

「効率的になります」


 効率的。

 感情を消して、効率的に。

 永遠に、死者を案内する。

 永遠に、嘘をつく。

 永遠に、システムの一部として。


「選ばなかったら?」

「この空間に留まります」

「永遠に?」

「選択するまで」


 白い空間を見回す。何もない。本当に何もない。音も、風も、温度も、時間も。ただ、白いだけ。


 これが、真実。

 召喚じゃなかった。

 転生でもなかった。

 ただ、死後の処理待ち。


 涙を流したい。でも、涙腺がない。

 叫びたい。でも、感情が空回りする。

 逃げたい。でも、どこにも行けない。


 シフィラ様の姿が揺らいで霧のように消えた。


 呼べばまた来るだろう。


 でも、今は一人になりたい。


 選択画面が、ふわりと浮かんでいる。

 三つの選択肢は、三つの終わり方。

 一番ましなのは、記憶消去からの新生……。


 でも、それはもうあたしじゃない。

 全く別の生き物になる。

 この苦しみも、この絶望も、全部なかったことになる。それは救いなのか。


 永遠に働く。

 死んでもなお、働く。

 生きてた時と同じ。いや、もっとひどい。

 終わりがない。退職もない。死ぬこともできない。

 永遠に、システムの歯車として。


 完全に消える。

 無になる。

 何も感じない。何も考えない。何もない。

 それは、楽なのか、恐ろしいのか。

 わからない。わかりようがない。

 これが一番ましに思えてきた。


 どれも選べない。

 でも、いつかは選ぶ。

 システムは、それを知っている。

 待つことに、制限はない。

 ここはそういう場所だ。


 白い空間で、あたしは待つ。

 何を待つのか。

 決断を待つ。

 諦めを待つ。

 受容を待つ。


 異世界召喚されたんじゃなかった。

 異世界転生するんじゃなかった。


 ただ単に召された。

 ただ単に選択を迫られているだけだった。




(了)

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