おなかすいた
ごうごうと、大雪が吹きすさぶ山の中。
生半可な生命力では、生き残ることは叶わないその極寒の地獄に、一人の小さな女の子が暮らしていました。
「……あむ……はむ……」
その女の子は、食べることが何よりも大好きでした。現に今も、口の中身はご飯でいっぱいです。
「むぐむぐ……ごくん……」
こんなへんぴな所で、一体何を食べているのか?実に気になる所ではありますが、それは彼女……コマちゃんしか知り得ない事です。
「……みんなも、たべものも、なくなっちゃった……」
コマちゃんは、この寒いお山の中で、ひとりぼっちになってしまいました。
お父さんとお母さんは、コマちゃんを山において消えてしまいましたし、お友達はみんな、山のどこかに消えてしまいました。
「……おやまのそとには、なにがあるんだろう……」
コマちゃんは生まれてこのかた、お山の外に出たことがありませんでした。
山の外にはどんな食べ物があるんだろう?どんな味がするんだろう?お友達は出来るかな?楽しいことはあるのかな?
「……いってみよう。おそとのせかいに……」
コマちゃんは決心しました、お山の外に出て、未知なる世界に羽ばたくことを。
「あむ……むぐ……むぐ……」
残っていた最後のご飯を、コマちゃんはゆっくりと噛み締めました。じっくりじっくりと、端まで味わうように。
バキリ……グチャ……バキンッ……ボリボリ……
「ごくん……おいしかった……ごちそーさまでした」
ちゃんとお手てを合わせて、コマちゃんはご飯さんに感謝をしました。偉いねコマちゃん。
「おやまのそとは……こっちかな?」
コマちゃんはあてずっぽうで歩く方向を決めると、そのまま前も見えない程の猛吹雪の中へと、消えていきました。
ーーー
「ねぇー!もう帰ろうってばぁ!」
「えー?もうちょっと探そうよぉ」
ここはコマちゃんが居るお山のふもと。そこで若い男女二人が、なにやら騒がしくしていました。
「おかしいなぁ?伝承ではこの辺りに結界があるって……」
「結界なんてどこにもないじゃん?やっぱりホラ話なんだよ」
「うーん……見たかったなぁ古代の結界。今後の魔法学の参考にしたかったのに」
どうやらこの二人は、魔法使いのようでした。確かによく見ると、黒いローブ羽織っていて、手には大きな本を持っており、いかにも『それ』っぽい見た目をしています。
「そもそもなんでそんな大層な結界が、こんな田舎の山に張ってあるの?」
「さぁ?結界の場所までは特定出来たけど、なんで張ったのかまでは……」
古い文献の中で見つけた古代の結界の場所。それがたまたま、コマちゃんの住んでいるお山のふもとでした。
張られた理由はどうであれ、失われた古代の魔法がそこにあるとなれば、魔法使いとしてはいても経っても居られなかったようで、この二人組の魔法使いは、街から何日もかけて、ようやくここまでたどり着いたのでした。
「はぁ、そういうところはいいかげんなんだから……ん?なにかしら、あれ……小麦色の毛玉?」
ふと女性の方の魔法使いの視界に、なにやら小麦色の塊が見えました。
それはよく見ると、小麦色の長い髪の毛の小さな女の子でした。
どうやら雪の中にうつ伏せで倒れているようで、見るからに一大事のようです。
「ちょ、大変大変!?女の子が倒れてるじゃないの!?あんたほら!結界なんていいから!」
「え?ちょっと!?急に引っ張らないでおくれよ……」
女性は男の首根っこを掴むと、そのまま倒れている女の子の方へと引きずって行きました。
「大丈夫あなた!?怪我はない!?」
「……い……た……」
「いた?どこか痛いの?」
「……おな……か……すい……た……」
お察しの通り、倒れているのは、さっきお山を降りてきたばかりの、お腹ぺこぺこのコマちゃんでした。もはや動けない程に、お腹が空いているようです。
「お腹空いてるのね?待ってて。確か持ってきたパンの残りが……あった!はいどうぞ」
「あむ……あむ……」
コマちゃんの口に運ばれたパンが、少しずつ咀嚼されていきます。倒れていても、食欲だけは健在のようです。
「!?おいしい!はむはむはむはむ!」
「あっはは!そんなに急いで食べなくても、パンは逃げないわよ」
生まれて初めて食べたパンの美味しさに驚いたコマちゃんが、まるでどんぐりを食べるリスのように、はむはむと勢いよく、パンを食べ進めていきました。
「ごくん。ごちそーさまでした。ありがとうおねーさん」
「うん。お粗末様でした。大丈夫?一人で立てる?」
「うん。コマひとりでたてるよ」
コマちゃんはそう言うと、さっきまでの衰弱ぶりが嘘のように、しっかりと二本の足で立ち上がりました。元気そうでなによりです。
「コマ……あなたコマちゃんって言うの?」
「そうだよ。コマはコマだよ」
「そっか。よろしくねコマちゃん。私はセリア。そしてこっちの頼りない男は」
「ダグだよ。頼りないは余計だよセリア」
「あらごめんなさい。でも事実よ」
「せりあ……だぐ……せりあ……だぐ……」
コマちゃんは、自分以外の生物の名前を聞いたのは初めてでした。
ゆっくりと、初めて聞いた他人の名前を繰り返して繰り返して、コマちゃんはしっかりと記憶に刻み込んだようです。
「おねーさんはせりあ!たよりないのはだぐ!」
「そうよ。正解正解!」
「あはは……変な風に覚えられちゃったな……」
「せりあ!だぐ!うふふふふ!」
初めて取った『名前を呼ぶ』というコミュニケーションに、コマちゃんは跳び跳ねて喜びました。
「あなたお家は?どこから来たの?」
「おうち……コマはおやまからきたよ」
「お山って……このお山?ここに住んでるの?コマちゃん」
「うん。でもおひっこしするから、もうすんでないよ」
「そ、そうなんだ……?えっと……お父さんとお母さんはどうしたのかな?」
「うーん。わかんない。コマがちいさいときに、どっかにいっちゃったから」
話だけを聞くと、まるで育児放棄されて、お山に捨てられた様に聞こえます。
当然、こんな話を聞いてしまえば、子供が好きなセリアは黙ってはいられませんでした。
「かわいそうに……捨てられたのね。ねぇダグ。コマちゃんを街まで連れていってあげましょう」
「そうだね。こんな小さい女の子を一人にはしておけないし」
「決まりね。ねぇコマちゃん。私たちと一緒に、街まで旅をしましょう?」
「たび……?おでかけ?」
「そうよ、三人でおでかけするの。きっと楽しいわよ」
「おでかけ……せりあとだぐとおでかけ!コマいきたい!」
コマちゃんは優しそうな二人とおでかけするのがとっても楽しみな様子でした。それこそ、その場でぴょんぴょんと跳ねてしまう程に。
「ふふ。じゃあ行きましょうかコマちゃん。お手て繋ごうね」
ぎゅ
「うん!おでかけおでかけ!」
「あー……でもその前にもうちょっと調査を……」
「ダ~グ~?」
「はい……帰ります……」
とぼとぼと肩を落として帰るダグを引き連れて、コマちゃんは楽しそうに、外の世界への第一歩を踏み出しました。これから楽しいことがいっぱいあると良いね、コマちゃん。
……ダグは気が付かなかった。
コマの倒れていた背後……極寒吹雪く険しい山の入り口に張られていた、失われた魔法……古代結界。
例え数千年経過しようとも、決して綻びず、決して破壊される事の無い筈のその古代結界が……強引にねじ切られ、粉々に打ち砕かれていた事を。
その古代結界を破壊したのが、コマであることも。そして……その古代結界が、コマただ一人を封印する為だけに張られていた事も……誰一人して、気が付くことは出来なかった。
……解き放たれた獣の旅路は、まだ始まったばかりである。




