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告白

 翌朝、起きると身体がバキバキだった。ソファの足下で眠ったのだから、これは仕方ない。夜通し燐太郎さんの様子を看ていたけれど、彼の眠る姿から問題はなさそうに思えた。ただ、具合が悪くて心細いのか、ときどき彼が探るように手を伸ばすから、その都度、手を握ってあげたくらい。

 このひと晩で、僕は彼の指の感触を覚えた。楽器を弾き馴れているのだろう、節の目立つ指と硬くなった指先を。最初はやんわり手を握っていたけれど、彼は夢うつつに指を絡めてくる。そのため、明け方頃に諦めた僕は彼と手を恋人繋ぎにしたまま眠ることになった。

 ――この人、意外と甘えたなんだろうな。

 そんな感想は抱いたけれど、面倒だとか気持ち悪いとかいう感情は不思議と湧いてこなかった。予想外だったのは、寝顔を見ているとキスをしたくなることだ。どうやら僕は燐太郎さんのことがかなり好きらしいと気づいたけれど、キスを実行に移すことはなかった。

 そんな風にして一夜を過ごし、午前七時頃に僕はソファの足下から起きあがった。睡眠を取ったから、そろそろ燐太郎さんの二日酔いも落ち着いているだろうか。やんわりと肩を揺すって声を掛けると、燐太郎さんがうっすらと目を開いた。

 その眼差しにはまだ熱が籠もっている。

 あ、まだ直らないみたいだ。だけど、狭いソファで眠りつづけるのでは、身体もなかなか回復しないだろう。

「燐太郎さん、一回、起きられますか? 俺が支えて歩きますから、ベッドへ行って眠りましょう。その方が体調不良も早く治るだろうし」

「……鋭利君は……何ともないの?」

「僕は二日酔いは大丈夫です。飲み過ぎたかと思ったけど、意外と平気でした」

「そうじゃないよ……。これは、二日酔いじゃない。――薬箱がそこの棚にあるから、薬を取ってくれる?」

 燐太郎さんのあの症状が二日酔いでないなら、いったい何なのだろう。少なくとも風邪のようには見えないのだけれど。何か持病でもあるんだろうか。

 不思議に思いながら、僕は言われるままにリビングにある棚の中の箱を取り出した。蓋を開けてみると、一番上には病院で処方されているらしい薬の袋が入っている。その下には、市販の胃薬や頭痛薬、風邪薬など。

「えぇと、どの薬ですか? 二日酔いだから頭痛薬?」

「抑制薬を取ってほしい。病院の袋に入ってるやつ」

 僕は病院の薬の袋を手に取った。その表面にはオメガ用抑制剤と印字されている。オメガ用――ということは、燐太郎さんはオメガなのか。それに、抑制剤を服もうとするということは、発情期かそれを控えた状態なのだろうか。いろんな疑問が頭の中に浮かんでくる。

 世間一般のマナーとして、バース性を明かしていない相手のバース性を詮索するのは失礼にあたる。だから、僕はなるべく疑問を顔に出さないようにしながら、薬の袋を燐太郎さんに差し出した。彼が礼を言いながら袋を受け取るのを待って手を引こうとする。と、熱っぽい彼の手が僕を掴まえた。

「鋭利君、質問したいって顔してる。……薬の袋を見て察したと思うけど、俺はオメガだよ。それに、発情期に入りかけてる」

 やっぱり。そう思いながら、僕はやんわりと燐太郎さんの手を解こうとした。

「すみません。他人のバース性を詮索するのは無礼なことなのに、僕、きっと興味があるって顔をしてたんでしょうね。不快に思われたでしょう。……あの、念のために言うと、僕はこれでもアルファなんです」

「知ってるよ。オメガになりたいっていう時点で、少なくともオメガじゃないんだって分かったし」

「僕がオメガじゃないとしても、アルファとベータどっちの可能性もあるはずです」

「まあそうだけど。でも、そこはほら、理屈じゃなくて何となく感じるんだよね。いい匂いがするとか、何だか妙に惹かれるとか、そういう部分で。――俺たち、本能レベルでわりと相性がいいみたいなんだけど、鋭利君は何か感じなかった?」

「えぇと、燐太郎さんからいい匂いがするなとか、笑顔が好きだなとか、どうしても目で追いかけてしまうなとか……そういう感じですか?」

 掴まれていない左手で、燐太郎さんに抱いた感情を数えていく。そうして挙げていくと、自分の状態は恋をしてると言えるものだろうということがはっきり分かった。それを惹かれている本人を前に口にしているのだから、何だかちょっと居たたまれない。

「そう、そういうの。俺も同じだよ。――とにかく、俺は君に惹かれてるんだよね。だから、作曲講座が終わる前に鋭利君と関係を持ちたかった。だって、そうすれば既成事実になるだろ?」

「既成事実……」

「そう。鋭利君は真面目だから、一夜の関係なんてできるはずがないだろうから。――恋をするのは久しぶりで、いきなり発情期が始まってしまって失敗したけどね」

 燐太郎さんが言うには、昨夜の体調不良は酔ったせいではないらしい。急に始まった発情期で、急激なホルモン変化に身体がついていかなかったのだろう、という。

 男性ホルモンや女性ホルモンと同様に、アルファやオメガも特有のホルモンがある。特にオメガ男性は男性体でありながら、妊娠能力を持つためにオメガ特有のホルモンによる影響を受けやすいのだ。これは、アルファやオメガと判明したら、医師から説明を受ける事柄だった。発情抑制剤にはこうしたホルモンの作用を抑える成分が入っているため、抑制剤を服用していればおおむねホルモンによる体調不良は避けられる、のだけれど。

「燐太郎さんは抑制剤を服んでいなかったんですね」

「うん。……まだ発情期は来ないと思ってたから。それに、体質的に発情期もそんなにひどくないし」

 ドラマなんかでは登場人物のオメガの発情期がひどくて、誰かに抱かれないと正気を失いそうになる、というストーリーのもののある。だけど、それはあくまで創作であって、実際には理性を完全に失うような発情状態は普通、ありえない。アルファの発情はオメガのフェロモンに誘発されるが、それも理性で抑えこめる程度。堪えられずに性行動に走ってしまうほどの発情状態は病院での治療の対象だ。

 だから、燐太郎さんが抑制剤を服用していないのは理解できる。むしろ病院の薬がちゃんと用意してあるのは、準備のいい方だろう。僕はなんてアルファとしての特性がなさすぎて、抑制剤を服んだことさえないくらい。たとえばアルファとオメガのカップルなら、避妊のためにも双方が抑制剤を服用する方がいいのだけれど。

「とにかく、体調不良がホルモンのせいなら、ちゃんと薬を服まないといけませんよ。――お水、汲んできます」

 手を離して、と掴まれたままの右手を揺らすが、燐太郎さんは離してくれない。

「ねぇ、君のことが好きなんだ。俺と付き合ってよ。既成事実を作るのに失敗したから、こうしてお願いすることしかできない」

 あ、どうしよう。今、キュンってきたかも。

 そう思いつつ、僕は困惑しながら燐太郎さんを見下ろす。この人は何がかなしくて僕みたいな不出来なアルファを気に入ってくれるんだろう。不出来すぎて、いっそオメガになりたいなんてうそぶく僕を。

「えぇと……さっきも言ったように、僕ってかなりあなたのことが好きみたいなんですが、むしろあなたこそ僕でいいんですか?」

「いいから俺のものにしようとしてるんだよ」

「うーん……。とりあえず、保留にしてもいいですか? いろいろ急すぎるし、既成事実とかちょっと理解できなくて」

「やっぱり引くよね?」

「引くというより、理解できないんですよ。僕なんかにそこまで執着するほどの価値はないと思うし。燐太郎さんが僕のこと、何か思い違いしてるんじゃないかとか、不安になるし」

 そう打ち明けると、彼は「分かった」と素直に手を離してくれた。僕はほっとしつつ、キッチンへ行ってグラスに水を汲んでくる。ソファへ戻ると燐太郎さんは薬袋から抑制剤の錠剤を取り出すところだった。薬を口に含む彼に、水の入ったコップを手渡す。燐太郎さんはコップを受け取って、水をあおった。

「じゃあ、僕、帰りますね。お大事になさってください」

 そう言うと、燐太郎さんはあからさまに寂しそうな顔をした。僕が告白の答えを保留にしたからだろうか。何となく放っておけなくて、僕はそっと彼に手を伸ばす。彼の頭を撫でたついでに前髪をかきあげて、あらわになったおでこに唇を寄せた。軽くキスをして、すぐに離れる。

 柄になく気障なことをしたのが無性に気恥ずかしい。僕はバタバタと帰り支度を済ませる。泊めてもらったお礼を言って、燐太郎さんの部屋を後にした。

 それから三か月後、作詞作曲講座の一年目が終わる頃には僕と燐太郎さんの関係性に恋人という肩書が加わった。といっても、恋人になってまだひと月ほどで、まだキスだって数えるほどしかしたことがないけれど。僕があまりに誰かと恋をすることに不慣れだから、いろいろとスムーズにいかないことが多いのだ。

「不慣れでいいよ。そんな君が好き」

 先週末、デートの別れ際にそう言って、燐太郎さんは唇にキスをくれた。ちゅっと軽く吸いつくようなキスに、胸がキュッとなる。「っ……! 僕も好きです!」思わずそう言うと、燐太郎さんは幸せそうに笑った。




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