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無趣味

 従順に進学して社会人になった僕が、親の望むとおり生きてきたのかといえば、そうでもない。大学生の終わり頃から、僕は女性アイドルグループにはまった。バイト代の許すかぎりCDを買い、ライブや握手会に参加するようになったのだ。これには親もがっかりしたようだった。両親から見てアイドルの追っかけや推し活は、『アルファらしくない』行為にあたるらしい。

 現実に恋愛したり交際できるわけでもないアイドルに入れあげるのは、彼らには理解しがたく、不気味なことだったのだろう。かつて僕の書いた小説を踏みつけて否定した父は、握手会に忙しくする僕を困惑しきった目で見るばかりだった。だから、僕にとって推し活はある種の復讐であったのかもしれない。大学生の後半から社会人になって五年間――六年もの間、僕は恋愛なんて考えることなくアイドルを追っかけつづけた。

 そして、六年が過ぎたこの日。

 ライブの終わり、ファンが詰めかけたホールのステージ上で白い衣装をまとった女性が一人、たたずんでいる。僕がもっとも推していた彼女は、今日、グループを卒業するのだ。

『――六年間もの間、このグループで活動できたことを感謝しています。私は途中でグループに入ったので、最初は不慣れで迷惑ばかりかけていました。それを支えてくれたファンの皆さんとメンバーには、本当に感謝しています』

 ありがとう、と彼女は客席に向かって深々と頭を下げる。それから顔を上げて、ホールを見渡した後――その視線が僕に向けられた。バチリと目が合う感覚。『本当に、ありがとう』そう言った彼女の言葉は、観客全体に向けてのものに聞こえただろう。それでいい。「おつかれさま」と僕は唇の動きだけでねぎらいの言葉を贈る。それから、他の観客とともにステージ上の推しに向かって拍手をした。

 それから三ヶ月。

 推しであるアイドルが活動を卒業してしまい、僕は急に暇になった。これまでライブに配信に握手会にと忙しかったのがなくなって、プライベートで遊びにいく機会が急に減ってしまったのだ。他に趣味といえば読書くらい。家にいても暇だからとたびたび休日出勤を買って出たところ、職場の同僚に心配されてしまった。

「推しが卒業してしまって、暇になったんだって? 新しい趣味を見つけた方がいいんじゃないか?」

「そうそう。無趣味っていうのは、精神的にもよくないわよ」

「そう言われても、趣味って見つけようとして見つけるものなんですかね……?」

 僕は困惑しながら同僚たちに応じた。

 学生時代、小説を書くことは自然と初めていた。大学生の終わり、アイドルのファンになったのはあるきっかけがあったからだ。いきなり新しい趣味を見つけるといっても、何だかピンと来ない。そんな話を何の気はなしにSNSで投稿したところ、相互フォローの友人たちに心配されてしまった。

《――大丈夫? 気分転換に飲みに行く?》

 かわいい猫のイラストのアイコンがトレードマークの『リン』が、僕のポストに返信してくれた。『リン』というのは高校時代の友達だった朝倉花梨のハンドルネームだ。花梨とは彼女が家出して高校を中退して以来、何年も連絡が取れなかった。それが、六年前に再会したことがきっかけで、互いのSNSをフォローするようになったのだ。

《また飲みに行きたいけど、今はいいよ。君は新生活が始まっていろいろ忙しいところだろうから》僕は花梨の誘いをありがたく辞退する。

 実は、花梨は僕が応援していた『推し』のアイドルだった。家出をした高校二年生だった彼女は、行くあてもなく街をさまよっていたときにスカウトを受けてアイドルとして活動することになったのだという。花梨は元々、活発な性格ではなかったけれど、生きていくために他に手段を選んでいられなかったようだ。

 アイドル活動をして四年ほど経った頃、僕は偶然にも彼女の活動に気づいて握手会やライブに通うようになった。それは、アルファらしさにこだわる両親への復讐でもあったように思う。

 そんな僕の事情はさておき、花梨は十年間、アイドルとして活動して先日、卒業した。芸能界で女優や歌手として生きる道もあったのかもしれないが、花梨はアイドル活動の間に大検を取って進学することに決めた。すでに彼女の大学生活は四月から始まっていて、アイドルを辞めたとはいえ多忙なはずだった。けれど、花梨はそんな素振りは見せない。

《友達が落ち込んでるのを放ってはおけないよ》

《君の気持ちだけもらっとく。ありがとう》

 僕は礼を言って、会話のスレッドを終わらせた。

 そんなある日のことだ。残業して遅くなった夜更け。休日を控えた春先のその夜、僕は自宅の最寄り駅の一つ手前で電車を降りた。そこから徒歩で帰れば、桜の木が植えられている公園の傍を通ることになる。ニュースで聞いたところでは桜はまだ咲き始めらしいが、時間のあるときに夜桜見物でもしようと思ったのだった。

駅を出て駅前のロータリーを通過すると、ふと駅前のビルの小さな看板が目を惹いた。『マツザワ音楽教室』という文字の入った看板は、他のネオンに比べて地味な白地に黒いゴシック体のデザインだ。

 へぇ、こんなところに音楽教室があるんだ。ビルの前に立ってみると、壁面に音楽教室の詳細が書かれたパネルが掲示されている。それによると、ピアノ講座と作詞作曲講座、和太鼓やトランペットの講座など、思ったよりも充実している。少し面白そうだなという気はしたが、では受講してみようという意欲は湧いてこなかった。僕は昔から音楽が苦手だからだ。小学校の音楽会では華々しい楽器を勝ち取ることはできず、いつも合唱やリコーダーというような、間違えても影響の少ない役割に回されていたものだ。

 いつかピアノでも弾けたらいいな、なんてぼんやりした夢はあるものの、それは定年後のすごく暇になってからでいいと考えていた。

 僕は音楽教室のビルの前を通りぬけて、細い道へ入っていった。少し歩けば夜の公園に出る。予想どおり公園の桜の木が裸の枝を伸ばしていた。枝にはちらほらと白い花が咲いているのが見える。花見には早すぎるけれど、夜桜をゆっくり見られるのが嬉しくて僕は公園の外を歩きながらじっと桜の花を見ていた。と。

「――綺麗ですよね」

 響きのよい声が聞こえる。僕はその声音に惹かれて、肩越しに振り返った。年齢は僕より少し上――三十歳くらいだろうか。整った顔立ちをしている。けれど、まったく見覚えのない人だ。やけにフレンドリーだなと少し戸惑ったものの、すぐに咲き始めの桜を目にしたら楽しくなって見知らぬ相手に話しかけてしまうこともあるかもしれない、と思い直す。

「えぇと……そうですね。桜、綺麗ですよね」

 こちらの戸惑いに気づいたのか、相手は苦笑を浮かべた。

「すみません、急に声を掛けてしまって。さっき、帰ろうとしたらあなたがうちの音楽教室の看板を見ていたから。チラシを渡そうと思って、事務所から取ってきたんです」

 肩から掛けたトートバックに手を差し込んで、彼はチラシを取り出す。A4の両面にカラーで音楽教室の各講座の紹介が書かれているようだ。

「ありがとうございます」

「お目当ての講座、載ってますか? 今はボイストレーニング講座とかが人気ですが」

「あ、いえ、特に何を習いたいってわけでもないんです。ただ、僕があまりにも無趣味なので、友人に心配されてしまいまして。それで、何となく何か始めてみようかなって……」

「そうなんですか。じゃあ、俺がひとつお勧めしてもいいですか? 作詞作曲講座なんていかがですか?」

「作詞作曲、ですか……?」

 予想外の講座を勧められて、僕は目を丸くする。作詞作曲は、バンドを組んだ同級生がやっていたイメージがある。逆に言えば楽器の演奏ができない、ろくに楽譜も読めない僕が作詞作曲をするなんて、考えてみたこともなかった。

「僕、楽器は全然、できないんです。歌も下手だからカラオケも行かないし」

「今は作曲アプリでの作曲が一般的だから、演奏できなくても大丈夫ですよ」

「なんで音楽教室の看板を見てたんだって思われるかもしれませんけど、実は今まで音楽にあんまり縁がなかったんです。だから、作詞作曲はハードルが高いというか……。あの、どうして僕に作詞作曲講座がお勧めだと思われたんですか?」

「講師が俺だから」彼はにっこりと綺麗に笑ってみせた。「うちの講座に来てもらったら、ぜったいに音楽が楽しくなりますよ。好きにさせてみせます」

 まるで熱烈な口説き文句のような言葉に、僕は思わず息を呑む。彼も急に恥ずかしくなったのか、クサいこと言い過ぎたかなと呟いて照れ隠しのような会釈とともに去っていった。

 僕の手の中には、彼から渡されたチラシだけが残っている。

 ――好きにさせてみせますよ。

 さっきの言葉は音楽を愛しているからこその熱が籠もってるように思える。今の僕はどうだろう。高校のときに自分で書いた小説を踏みにじられて以来、アイドルである花梨を応援していたときも、僕の心は熱を失って冷えたまま。

 ――彼の教えを受けたなら、また、あの熱を取り戻せるのかな。

手の中のチラシを握り締め、僕は作詞作曲講座に問い合わせをしてみることにした。




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