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まだ好き

 その日はちょうどリョウスケがコーライティングで制作した歌を収録するというので、僕はスタジオに見学に行く予定があった。燐太郎さんもコーラスで参加するという。これまで僕は友人としてライブに招待されたり、彼らの仕事場に遊びにいったりしたことはあるものの、歌の収録といった実際の仕事を見学するのは初めてだった。二人の邪魔をしてはいけないと緊張した態度の僕を見て、リョウスケは思わずといった様子で笑っていた。

「一発撮りでもないんだし、そんな緊張するなよ。水城は歌うわけじゃないんだしさ」

「それでも、自分が作詞の手伝いをした曲がどんな風に録音されるのか気になるよ」僕はそう答えた。

「そっか。じゃあ、頑張らないとな。せっかくお前が書いてくれた歌詞なんだし」

 リョウスケは僕の肩を軽く叩いて、録音用のブースへ入っていく。ブースには窓があって、中にいる人が見えるようになっていた。リョウスケがヘッドホンを着けて歌いだす姿をじっと見守る。

 と、傍らにふと人の気配を感じた。顔を上げれば燐太郎さんが僕の隣に立っている。

「燐太郎さんももうすぐ録音が始まるんですよね?」

「俺はもう少し後だよ。――リョウスケ、張り切ってるなぁ」燐太郎さんは窓からリョウスケの表情をのぞいて、そう呟いた。「あいつは守るものとか背負うものがあるほど、力を出せるタイプなんだ。配信をしてもライブでも、大勢のファンの目の前で歌うことを恐れない。あいつのそういうところに憧れてた。俺は背負うものがあるのも、大勢の前に出るのも苦手だからさ」

「分かるような気がします。リョウスケは、なんだかんだ言いつつ格好いいから」

 そう応じると、燐太郎さんはもの言いたげな目でこちらを見つめた。僕は何か変な発言でもしただろうか。思わず首を傾げながら、視線で尋ねる。燐太郎さんは迷うように視線をさまよわせてから、口を開いた。

「鋭利君は、もう俺のこと好きじゃなくなった?」

「え? 僕は燐太郎さんのこと好きですよ。あなたもリョウスケもいい友達だと思ってます」

「そういう意味じゃなくて。――一度は君に恋愛的に好きじゃなくなったと言って離れたけど、あれは君を巻き込みたくなかったからだった。『クロシェット』としてネットの世界に戻るなら、俺はリョウスケの番としていることになるだろうと思って」

 リョウスケと『クロシェット』はアルファとオメガで運命の番。かつて燐太郎さんが『クロシェット』として生きていたネットの世界では、それが真実だった。実際、ネットで活動していく上で、運命の番として硬く結ばれた相手がいるという事実は盾にも支えにもなったという。

 それでも、オメガであると公表している燐太郎さんには、セクハラめいたコメントやリョウスケと比較しての誹謗中傷が多く寄せられた。それで燐太郎さんは逃げるように一時引退して、リョウスケにも別れを告げて逃げるように去ったのだという。

「リョウスケへの恋愛感情はもうないんだ。そのことはリョウスケも承知しているし、復帰してからは互いに恋人だとは思ってない。俺は君が好きなんだ。だから、ぜんぶ終わったらもう一度、アプローチしてもいい?」

 予想外の言葉に僕は目を丸くした。燐太郎さんとリョウスケとのことが判明して以来、僕は自分が知らないうちに不倫してしまったのではないかと悩んでいた。アルファとオメガの番の関係には、婚姻に準ずる結びつきが認められるからだ。だから、燐太郎さんへの恋愛感情を捨てよう、友達に戻ろうと懸命に努力してきた。

 諦めようとしてきた相手に急に好きだと言われても、どうしていいのか分からなくなってしまう。僕は戸惑う気持ちのまま、燐太郎さんにそう説明した。

 もしかすると、ここで色よい返事ができなければ愛想を尽かされてしまうのかもしれない。けれど、困惑している自分を放置して先に進むのは間違っている気がするのだ。

「すみません、燐太郎さん。僕、変なところで頑固だから……」

「謝らないで。俺は君にひどいことをした。すぐに許してもらえるとは思ってないし、ふられる覚悟もしてるから。――こんな時期に悪かった。俺とリョウスケのことをちゃんと精算してから、また話すよ」

 燐太郎さんは穏やかに笑って応じる。そのとき、スタッフの一人が彼を呼びにきた。「また今度、話す」と言って彼はスタッフとともにスタジオへ入っていく。僕は二人の収録の様子をしばらく見守ってから、帰宅した。

 レコーディングから二週間後、リョウスケの引退配信と最後の楽曲投稿が行われるその日のこと。僕はスタジオで配信を見学しないかと誘われており、出かけようとしていた。

 そのときだ、僕の部屋のインターフォンが鳴り響く。僕はそれを荷物の配達か何かだろうと考えて、玄関へ出た。そこで両親が待っていた。

 両親がこうして突然、家に来たのはこれが二度目のことだ。一度は僕が当時まだワクチンもできていなかった流行病にかかったとき。感染させたくないから来ないでほしいと頼んだ僕の言うことを聞かず、両親は看病にやってきた。彼らがふたたび無断でうちに来たということは、何かが起きたのだろう。

『――しばらく家には帰ってくるなよ』

 警告していた兄の言葉が脳裏によみがえる。僕は深く息を吸って覚悟を決めた。

「父さん、母さん……。二人でうちに来るなんて、いったいどうしたの?」

「――ネット上のゴシップサイトに、お前がネットシンガーと不倫をしていると記事が掲載されただろう」父が重い口調で言葉を発した。

「よく知ってるね」僕は警戒心とともにそう応じる。「それで、お説教に来たの? 不倫をするなって?」

「お前の報道の件で有利が上司と言い争いになって、婚約破棄された。有利は言い争いになった上司の娘さんと婚約していたからだ」

 その言葉に僕は目を見開いた。電話したとき、兄さんは婚約破棄の件について何も言わなかった。きっと、僕を気遣って負担に思わせまいとしたのだろう。確かあのとき兄さんは職場から追われたと話していた。つまり、僕のせいで仕事と婚約者を失ったということなのだろう。

 報道の件は事実ではない。一方で、僕のせいで兄さんが不当な扱いを受けているのは確かだ。両親に成人した息子のすることに口出しするなと言うのは、簡単なことだった。ある意味では正論でもあるけれど……。

 僕が黙っていると、父さんはさらに言葉を続けた。

「いくら成人しているとはいえ、お前の軽率な行動は家族の不利益になる。自分のしたことが分かっているのか?」

 ――そんなの、不確かな報道を真に受ける兄の上司と婚約者が悪いんじゃないか。

 そう思いはしたものの、僕は言い返さなかった。

 正しいことが他にあるとしても、現状は受け入れるしかない物事がある。花梨の生き方や燐太郎さん、リョウスケと接する中で僕はそのことを学んだ。副性から自由であろうとする僕自身でさえ、副性の性質やそれと結びついたさまざまな文化にとらわれている。

 ここで逃げたらずっと逃げつづけるしかない。だったら、受け入れて立ち向かわないと。

 僕は意を決して顔を上げた。

「じゃあ、僕が兄さんの上司の方に弁明しにいくよ。ネットニュースになったことは真実ではない、って。兄さんの婚約者の方にも説明して、婚約破棄が取り消しになるよう説得する」

 その言葉に母は驚いた表情になる。父はじっと感情の読めない目でこちらを見ていた。二人は今、何を考えているのだろう。分からない。ともかく、先方を説得すると言った以上、僕はそうしなければならない。両親に断りを入れて、スマホのメッセージアプリを開く。手早くリョウスケと燐太郎さんに、今日は急用でスタジオに行けなくなった旨を伝えた。




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